第4章 2
◇
「……やっぱり、いくら魔物相手とはいえズルかったかな?」
目の前に転がる魔物の首を見ながら呟いた修一は、懐から取り出したぼろ切れを使い、血で汚れた剣を拭う。
拭い終わった剣を眺めれば、先程入った亀裂にどうしても目が行ってしまい、武器屋に依頼して綺麗に研いでもらわなければならないというのが嫌でも分かる。
しかし、亀裂まで入った剣を、たとえどれだけ綺麗に研いでもらったとしても戦闘に使用できるかと問われれば否と答えるしかない。
「はあ、仕方ないか」
剣を鞘に戻し、ノーラたちに向き直る修一。
こうなった以上はどこかで新しい剣を手に入れなくてはならず、そのため少しだけ落ち込んだ。
何だかんだと言ってこの世界に来てからずっと使っている剣であるため、少なからず愛着が湧いていたのだ。
「ねえねえ、最後のは何だったの? あの魔物、いきなり叫んだかと思ったら勝手に武器を落としてたんだけど」
目の前の男が気落ちしている事に気付かず、メイビーがそんなことを聞いてくる。
ああ、と頷き修一は解説する。
「あれはだな、アイツが持ってた剣と盾の持ち手部分を加熱したんだよ。
持ってた剣を見てみれば柄の部分は金属がむき出しになってたし、盾の取っ手も多分似たようなものだろうと思ってな。
そして奴は、熱さのあまり武器を取り落としたって訳だ」
「なるほどねえ」
「金属加熱魔術みたいですね」
「何だそれ? いや、なんとなく想像はできたけど」
「多分、その想像通りだよ。
火の属性魔術の一つで、相手の装備品とかを赤熱させて火傷させたりする魔術だよ」
「ふーん、似たような発想はあるんだな。
――なら、もっとえげつないのでも良かったかな」
「シューイチさん?」
「いや、何でもない。
ところで、これはどうしたらいいんだ?」
修一は振り返り、目の前に広がる光景についてノーラに尋ねた。
そこには二十体を越えるボガードの死体が散乱していた。
メイビーに全身を切り刻まれた者や修一の剣撃で肉体を真っ二つにされた者、それらから流れ出た血のせいで草原は血の色に染まっている。
はっきり言って、かなり凄惨な光景である。
「……このままだと流石に不味いですね……」
「ね、ね、とりあえず耳を取ろうよ」
「耳?」
メイビーがいきなりそんな事を言ってきたので、不思議そうに聞き返す修一。
小剣を右手に握りながら魔物の死体に近付いていったメイビーは、死体の右耳をつまむと小剣を滑らせて切り離す。
それを何度も繰り返し、右耳ばかりを集めて袋に入れていっている。
「なあノーラ、メイビーは何をやってるんだ?」
「……おそらく、町に持って行って報奨金を貰うつもりなのでしょう」
「報奨金?」
この世界の常識を知らない修一に、ノーラはいつもの様に説明をする。
「ああいった魔物や凶暴な獣、盗賊や殺人者といった犯罪者など、治安維持の妨げとなる存在は退治することで報奨金が出る場合があるのですよ。
そして魔物を退治した際は、魔物の身体の一部を持っていくことでその証明としていますので、ある程度大きな町ならば行政の窓口なんかに持っていけば報奨金を受け取れます。
ちなみに人型の魔物の場合はほとんどが右側の耳ですね」
「いきなり持って行って拒否されたりはしないのか?」
「盗賊などなら兵士や警備隊の詰所、ただの獣であれば解体所に持っていくように言われる場合もありますが、魔物に関しては必ずと言っていいほど町や国から報奨金が出ます。
それだけ、魔物というものが人間に対して害をもたらす存在であり、放置しておくことができないものだという事です」
ノーラの説明に納得する修一。
「なるほど、それなら見つけた傍から倒した方がいいんだな」
「ええ、……ただ、中には不用意に手を出すと余計に被害が増えるような厄介なものもいますので、話も聞かずに斬りかかるのは止めて下さいね」
「はいよ、――ところでノーラ」
「……なんでしょう?」
「……なんでそんなに顔が青いんだ? ひょっとして、どっか怪我したのか?」
修一が心配そうに問うが、ノーラはふるふると首を横に振る。
「いえ、ちょっと目の前の光景に頭が付いていかなくてですね……」
「あー……、そういえば、ノーラってあんまりエグいのはダメなんだっけ」
どうやら、魔物とはいえあまり人間と変わらない姿をしているボガードの死体がそこかしこに散乱する光景に、血の気が引いてしまったようだ。
「すいません。
戦闘中は、私も高揚していて気にならなかったんですが、一段落ついたら、血の臭いが鼻についてしまって、少し気分が……」
「大丈夫なのか?」
ノーラは、少しだけ引きつった笑みを浮かべながら額に手を当てる。
「え、ええ、大丈夫ですよ、少しだけ休めば、落ち着くと思います。
それにしても、シューイチさんは平気なんですね、こんな光景を見ても」
「ん? ああ、まあな」
と、そこに、メイビーの声が響く。
「よーし、これで全部終わり!」
どうやら全ての死体から耳を切り取ったらしく、屈めていた体を大きく伸ばすと、右手に持った小剣に僅かながら魔力を流し込む。
「えいっ」
そのまま小剣を振るう事で空気を切り裂く音とともに血や脂が払い落とされ、再び刃が白銀に輝き始める。
それを見たメイビーは満足そうに剣をしまい、ニコニコとしながらノーラに歩み寄ると、
「見て見て! これだけあればそれなりのお金になるでしょ!」
小さな麻袋一杯に詰まった、血に塗れたボガードたちの耳を見せつける。
「おおう、これは……」
「…………」
ノーラは、目の前に差し出された袋の中身を見て、更に顔を青ざめさせた。
そして、すでに限界に近かったようだが、いきなりそんなものを見せつけられたせいでついに限界を越えてしまったようだ。
「…………ふあっ」
空気が漏れるような声を出して天を仰ぎ、ノーラはあっさりと意識を手放してしまった。
「え!?」
「お、おい!」
後方によろめいた体を咄嗟に修一が受け止めるが、力の抜けた両足では自重を支えることが出来ずそのまま座り込んでしまう。
一緒にしゃがみ込んでノーラの肩を支える修一はその顔色を窺うが、まさしく顔面蒼白といった様子であった。
もちろん、しばらくは目を覚まさないだろう。
「あ、あれ? えっと、ノ、ノーラ?」
「……どうすんだよ、これ。
っていうか、この前似たような事して怒られたばっかなのにもう忘れたのかよ、メイビー」
得意げな表情から一転し焦ったようにおろおろするメイビーと、僅かに呼吸の音が聞こえるだけで身じろぎ一つしないノーラを見ながら、修一は深く深くため息を吐いたのだった。
◇
「本当にゴメンね、ノーラが起きたらきちんと謝るよ」
「ああ、そうしてやってくれ。
まったく、どうしてこんな事になるのやら」
メイビーが心底申し訳なさそうにし、修一が疲れた様な声でそれに応える。
二人は黙々と街道を歩き続けており、もう間もなく町が見えてくるところまで来ていた。
そして気絶してしまったノーラだが、現在は修一に負ぶわれており、背中の上で静かに寝息を立てている。
気絶してしばらくの間は草原に敷いた毛布の上にノーラを寝かせていたのだが、いつまでも起きないのならさっさと町に入って宿のベッドで寝かせてあげた方が良いだろうと二人は考えた。
そこで、修一がノーラと荷物を運びメイビーが周囲の警戒をすることとして、二人で歩いているのだ。
「確か、この丘を越えれば町が見えてくるんだっけ」
「うん、昨日ノーラがそう言ってたよ」
大の大人を背負い、それなりの重さのカバンを肩に掛けた状態であるが、坂を上る修一は一切ふらつく事なく普段通りの足取りで歩いている。
剣術の鍛練によって培われた強靭な足腰は、これくらいの負担ではビクともしないようだ。
余談ではあるが、ノーラが使っているカバンは小さめのトランクに肩掛け帯が付いたような形状をしている。
そして、内部には空間圧縮の魔術が掛けられており、大きさとともに質量もある程度減少する為、たくさん入れてもそれほど重くならない。
無論、全く無視できるほどでもなく、現在のカバンの重量は十二、三キログラム程度といったところか。
「しかし、なんであんな所にボガードがいたんだろうねえ」
「さあ? というか、そんなに珍しいことなのか?
確かに、魔物に出会ったのはこれが初めてだったけどさ」
「うーん」
メイビーは、ノーラを背負った修一の前を歩きながら、腕を組んでうなる。
「基本的にさ、魔物っていうのは人間の生活圏を考慮したりしないから、町のすぐ近くとかでなければどこにだっている可能性はあるんだよ」
「だったら――」
「ただね、人間だっていつ襲われるか分からないような状況では安心して暮らせないし、いつも使ってる道に魔物が出るとなれば黙っていない。
だから、町や村落、街道の周辺なんかは定期的に魔物の討伐活動が行われてるんだよ。
それこそ、あんな規模の魔物が棲み付く暇もないくらいには騎士や兵士、雇われの冒険者たちが魔物を狩ってくれてる筈なんだよね。
それに、ゴブリンとかなら兎も角ボガードってそこまで繁殖力の強い魔物じゃないしさ」
メイビーの話を聞いて、修一は成程と頷く。
つまり、魔物全体の話ではなく、ボガードという種族としての話という訳だ。
「しかし、あいつらが繁殖って、……想像がつかないな。
よく分からなかったが、オスとメスが分かれてるのか?」
「僕もそこまでは知らないよ、そもそも魔物の生態なんて興味ないし」
「それもそうか」
修一も特に興味がある訳ではなく、なんとなく思った事を口にしただけだ。
それにもしメイビーが知っていたとして、それを教えてこられても反応に困る。
仮にボガードが雌雄別体であったとして、繁殖するにあたって人間と同じような性交渉をするのだとしても、そんな話題でメイビーと会話したくない。
例えメイビーの実年齢が二十歳で修一より年上であっても、――見た目で言えば十代前半の女の子と変わらないのだ。
そういった事を話題にするのは何だか気が咎めた。
そこまで考えたところで修一の頭の中にとある疑問が浮かび、先程と同じようになんとなく口に出す。
「そういえばメイビーってさ、もう成人してるんだよな」
「え? そうだよ」
「いや、エルフってのがどういう風に成長するのかは知らないけどさ、――メイビーって、それ以上成長しないんだろうかと」
そこまで言ったところで、修一はふわりと風が吹いたような気がした。
いや、気のせいではなく実際に風が吹いたのだろう。
「……」
なぜなら、無言のままメイビーの右手が小剣の柄を握っており、それを今にも抜き放ちそうになっているからだ。
修一の前を歩いているためその表情は見えないが、見えなくても想像はついた。
「……ひょっとしなくても、気にしてるのか?」
「…………気にしてないよ、僕はまだまだ成長期だからね、もう少しすれば僕もお母さんにみたいになると思うし」
「成人したんなら成長期なんて終わってるんじゃ、……分かった、分かったから、そんな顔して剣を抜こうとするな」
振り返って泣きそうな顔を見せるメイビーを、とりあえず宥める修一。
自分の発言のせいだとは自覚しているが、そこまで気にするのか、といった気持ちが強い。
丘を登りながら、二人はしばらく顔を見合わせていたが、やがてメイビーが諦めたように前を向いた。
「……シューイチってさ、時々本当にデリカシーがないときがあるよね」
「んー……、すまん、気を付ける」
「うん、お願い」
その数分後に二人は丘を登り切り、町を囲む外壁が目に入る。
高さはベイクロードの外壁よりも低く、五メートル程度だろうか。
その代わり、外壁の上部に外敵への備えとして投石器などが設置され、外壁自体も鼠返しのようになっているようだ。
外壁は漆喰のようなもので白く塗られており、ところどころ経年によって剥げたり褪色したりしているが、遠目にはそこまで細かいところは見えないため見栄えはいい。
「おお~~、綺麗だね」
「ああ、立派だな」
そんな外壁に見とれながら歩く二人であったが、もうすぐ門に着くといったところで、閉じていた門が開き始めた。
てっきり自分たちが近付いたから開けてくれたのかと思ったが、すぐに違うと分かった。
なぜなら、門の内側から鎧を着込んだ人間の一団が現れ、こちらに向かって歩いてきているのが見えたからだ。
「おや、あれは……」
「おいおい、なんかゾロゾロとこっちに来てるぞ」
町からやってくる一団はどんどんと修一たちに近付いてくる。
街道の半分くらいを塞ぎながら隊列を組んで整然と行進しているため、すれ違う事は出来るだろうが、威圧感たっぷりに近づいてこられるとあまり気分の良いものではない。
「シューイチ、ちょっと避けとこうよ」
「そうだな」
メイビーは関わるのが嫌なのか、街道から数メートルほど離れたところに移動して一団が通り過ぎるのを待つことにしたらしい。
修一も、ノーラを背負った状態で何かあっても面倒だと思い、メイビーの横に移動する。
どうやら向こうも修一たちには興味が無いらしく、特に話しかけてきたりはせずにそのまま通り過ぎて行った。
十分に距離が離れたところで街道に戻った二人は、門から出てきた一団について意見を交わす。
「なあ、あれっていわゆる騎士ってやつか」
「多分そうだろうね」
修一が見た限りでは腰の剣や背負った盾、着込んだ鎧などからして、まさしく騎士といったところだと思えた。
おそらく上官だと思われる何人かは馬に騎乗しており、徒歩で移動していた者たちよりも豪華な飾りのついた鎧を着こんでいた。
そして、その一団の先頭で毛並みの良い馬に乗る人物だけは鎧を付けず紺色を基調とした質の良さそうな服を着ており、その集団の長だと一目で分かる。
二十歳過ぎくらいの青い髪の男で、盾を背負っていない代わりに腰の両側に剣を吊り、遠目に見てもかなりの実力者であることが窺えた。
「何しに行くのかは知らないが、随分な数だったな」
「百人位はいたんじゃない?
それにしても、綺麗に足音が揃ってたね。」
「列も乱れてなかったし、たいしたモンだったな。……お、ようやく到着か。やれやれ、いらん手間は掛かったが、どうにか着いたな」
そうして、騎士たちが出て行った後開きっぱなしになっていた門に、修一たちはようやくたどり着いたのだった。




