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番外編 レイ・シラミネ

 本編の約十年後のお話です。

 月1ぐらいの頻度で投稿しようかと思っています。

 ◇




 昨日から降り続いていた強い雨は、深夜のうちには止んでいたようだった。


 雨上がりの澄んだ空気が王都全体を覆っている。


 少しだけひんやりとした、けれど陽が昇ればすぐに消えてしまうような、そんな空気だ。


 夜明け前の王都はまだまだ静まり返っていて、パン屋や、一部の早朝から開店している食堂からは灯りが漏れているが、それ以外はどこも、窓も戸も閉め切られている。


 そんな目覚め前の王都で、水たまりの浮かんだ石畳の上を、ひとりの少女が走っていた。


 歳の頃は十代半ばほどか。

 歳の割に背は高めで、細く引き締まった体をしている。


 茶色の髪を後頭部で括って三つ編みにし、運動しやすい綿の服と、軽くて足にフィットする靴を身に付けていた。


 真っ黒い瞳は走る先だけを見つめ、まだ夜明け前の薄暗い街並みの中で、しかし危なげなく進んでいる。


 走る速度は、かなりのものだ。


 一般的な成人男性がこの速度で走れば、四百メートルももたずに息が上がり、地面にへたり込んでしまうだろう。


 しかしこの少女は、すでにかれこれ一時間近く。距離にすれば二十キロ近い距離を、このペースを維持したまま走り続けている。


 やがて少女は、一軒のお屋敷の前で走るのをやめ、大きな門の前を少し歩いて息を整える。


 ハーフマラソンぐらいの距離を走り抜いてきたというのに、呼吸はすぐに整い、足取りはいまだ軽やかだ。


 上気した肌から垂れる汗を服の裾で拭い、ひょいひょいっと慣れた動きで門を乗り越えて敷地内に入る。


 柵の部分に不用意に触れると警報がなる仕組みになっているのだが、助走を付けて門のノッカー部分に足をかけ、門の装飾の出っ張りを使って門の上を越えれば警報が鳴らない。


 この家に住む少女は、そのことをよく知っているのだ。


 敷地内に入ると、庭の中でも一際広く、殺風景な空間に向かう。


 ここはもともと、植え込みを使って迷路を作っていた空間で、今はその植え込みを全て撤去したうえで土を踏み固め、鍛錬用のスペースとして使っている。


 少女は、かれこれ十年ほど、自分の父から剣術の手解きを受けているのだ。


 そして今日も、朝の体力練成を終えてから、手に鍛錬用の木刀を持って広場に立つ。


「…………ふっ!」


 鋭く息を吐きながら、手に持った木刀を振るう。


 上から下へ、右へ左へ。

 払って、突いて、巻いて、薙いで。


 切り付ける動き、当て身の動き、組み付いて崩す動き、掴んで投げる動き。


 絞る動き、蹴り付ける動き、絡める動き、踏み付ける動き。


 空から来るものへの対処、地を這うものへの対処、足下を潜るものへの対処。


 咄嗟の攻撃を躱し、あるいは防ぐ動き。

 力を逸らして受け流す動き。

 相手の力を利用して交差法を決める動き。


 そしてそれらを組み合わせた複合的な動き。


 と、街中を走っていた時よりもはるかに大量の汗をかきながら、真剣な面持ちで木刀を振る少女の背後に、いつの間にか男が一人近づいてきていた。


 男は、音もなく手に持った小石を、少女の後頭部目掛けて投げた。


「――っ!」

「」

 異物の飛来に気づいた少女は、振り向きざまに木刀を振るい、男の投げた小石を弾いた。


 少女は、男の存在に気づき、とたんに嬉しそうな声を上げた。


「お父さん!」


 少女に、お父さん、と呼ばれた黒髪の男は。


「よおっ。今日も真面目にやってるな、レイ」


 少女の名を呼びかけ、それからゆっくりと歩み寄った。


 手には、少女と同じように木刀が握られている。


「いつ帰ってきてたの? 今度はどれぐらい家にいられる?」


「すまん、ちょっと荷物を取りに戻ってきただけで、またしばらく遠征に行くんだ」


「そっか……」


 少女、……レイは、少しだけ悲しそうに眉尻を下げた。

 せっかく、また一緒に鍛錬ができると思ったのに。


「そう悲しそうな顔をするな。詫びと言っちゃあなんだが、今から少しだけ、打ち合ってやるからよ」


「!!」


 レイは目を見開き、それから興奮した様子で木刀を構えた。


 男も、木刀を両手で持ち、構える。


「五本先取、でいいか?」


「うん!」


「それなら、……行くぞ!」


 父と娘は、それから数分間、ひたすら木刀を打ち合ったのであった。




 ◇




「それで、朝は結局どっちが勝ったのよ?」


 朝ごはんをもりもりと食べながら今朝の出来事を話しているレイに、レイの隣に座った緑髪の少女が問う。


「私がなんとか一本取って、その間にお父さんに五本取られて負けた」


「ふーん、……相変わらず容赦ないわね」


「手を抜かれても、嬉しくないし」


「あたしは、勝てればなんでも嬉しいけどねー。アイツ相手なら、特に」


「……そう?」


「だってアイツ、あたしに負けたらスゲー悔しそうな顔するんだもん。昔から、そのツラを拝むのが好きなのよねー」


 だから何がなんでも勝つのよ。と続けて、笑う。


「……リコは変わってるね」


「そんなことないわよ。勝ちたい奴に勝ったら嬉しいのは、誰だって同じでしょ」


 それは確かに、とレイが思っていると。


「あ、レイねぇね、いたー!」

「姉さん! 父さんと打ち合ったってホントか! なんでおれも起こしてくれなかったんだ!」


 レイの、二人の弟が、バタバタと駆け寄ってきた。


 九歳になる上の弟のセイジと、先月六歳になった下の弟のケンジだ。


「セイジ、ケンジ、おはよう」


「ねぇねもおはよー! リコねぇねも、おはよ!」

「はーいおはよ」


「ずるいぞ! おれだって父さんと稽古したかったのに!」


 レイは、皿の上のベーコンエッグを口に頬張りながら、ケンジの頭を撫でる。


 そして、憤るセイジには、そっと牛乳の入ったコップを差し出した。


「だって、セイジを呼びに行ってたらお父さんまた出て行っちゃいそうだったから」


「くっそぅ! こうなったら、おれも姉さんと一緒に早朝鍛錬をするべきか……?」


 牛乳を飲みながら考え込む弟に、リコがケラケラ笑いながら話しかける。


「ははは、アンタ両親のどっちにも似ずに寝坊介なくせに、よく言うわよ」


「なんだよ! リコさんだってそうじゃん!」


「あたしは良いのよ、あたしは。用事があるときにはちゃんと起きるし」


「くうぅっ……!」


 悔しそうなセイジを尻目に、レイは朝食を食べ終わった。


「ごちそうさま。……この後もう少し鍛錬するけど、セイジも一緒にする?」


「! するする! さすが姉さん! 分かってんじゃん!」


 喜ぶセイジ。

 しかしそれは、すぐさま悲しみに変わることとなる。


「ダメですよ、セイジ。貴方は午前中いっぱい勉学の時間です」


 げ!? と、セイジが振り返った先には。


「あ、お母さん。おはよう」

「おはようございます、レイ」


 ニコニコと微笑むレイの母親がいた。


 ただし、笑っているのは顔だけで、全身からは不機嫌さがオーラとなってにじみ出ている。


「さ、ケンジはあたしと遊んでようか」

「? はーい、リコねぇね」


 一瞬で察したリコは、ケンジを連れて出ていった。


 取り残されたセイジは、ニコニコ顔のままの母親に詰め寄られ、逃げ道をふさがれる。


「セイジ。貴方が剣を振ることに喜びと楽しみを見出して日夜励んでいることは素晴らしいことだと私も思っています。しかしそれとは別に貴方には学ぶべきことがたくさんあり、そちらを軽率に疎かにされては私も悲しいです。貴方がやりたいことがあるというなら私は止めませんし全力で応援しますが、それはやるべきことをきちんとやったうえでのこと、というのが大前提の話で、そうでないのであれば――、」


 セイジは、母親からの怒りのお説教を受けて小さく縮こまることしかできなかった。


 レイの母親は、決して怒鳴ったり叩いたりしてくるタイプではないのだが(なお、父親はブチギレたらめちゃくちゃ怒鳴るし、拳骨してくる)、この家の住人の中で怒った時に一番怖いのは誰か、と聞かれれば、満場一致(本人以外)でこの母親の名前が上がる。


 それぐらいには、怒らせちゃあダメなタイプだ。


 そしてセイジは、いかんせん勉学に身が入らないタイプであり、かといって母親に反抗する度胸もないため、よくこうして怒られている。


 父親曰く、剣の才能は十分にあるらしく、セイジ本人も将来は騎士団に入ると息巻いているので、それはそれで喜ばしいことではあるのだが。


「だからといって苦手なことから逃げてはいけません。何事にも一生懸命取り組まずして、どうして命懸けの任務をこなせると言うのですか」


「うぅ……。はい……」


 ちなみに余談ではあるが、レイは何事も物覚えの良いタイプであるので、一度教えてもらったことはすぐに覚えてしまい、基礎的な学問は残らず習得している。


 下の弟のケンジも、運動より勉学のほうが得意なタイプなので、レイの家族で一番勉強が苦手なのがセイジとなる。


「ほら、行きますよ。もうすぐ先生も来ますし、分からないところは後で私がきちんと教えてあげますので」


 そうしてセイジは、母親に連れて行かれてしまった。


 仕方がないのでレイは、鍛錬は午後からセイジと一緒にすることにし、午前中は王都をぶらぶらして遊ぶことにしたのであった。


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