第10章 エピローグ
◇
時が経つのは早いものだ。
と、もうとっくに着馴れた騎士団の制服に袖を通しながら修一は思う。
開け放した自室の窓からは朝日が射し込んでいる。吹き込む風は涼しく、新緑の香りをほのかに含んでいた。
「すっかり、春も終わっちまうもんなぁ」
制服のジャケットも、とうとう先日夏用の薄手のものに切り替わった。
これからはどんどん日の出が早くなり、日中は暑くなることだろう。……熱を遮断できる修一には、あまり関係のないことではあるが。
「鞄の中身は、と」
制服を着込み終わり、朝食までまだ時間のある修一は、足元に置いておいた鞄を開いて中身の最終チェックを行う。
昨日の夜にきちんと確認はしているが、それでも、万が一ということはある。
「……下着良し、替えのシャツ良し、薬良し、手拭い良し……」
ひとつひとつ、積めてあるものを端から確認し、間違いなく全部揃っていると分かると、満足げに鞄を閉めた。
「全部良し、と。……さて、」
靴紐を締め直して立ち上がると、部屋の外に出る。
先程まで感じていた新緑の香りに代わって、今度は別の匂いが漂っていた。
美味しそうな、朝食の匂いだ。
「飯にするか。しばらくはまともなもん食えねえし」
独りごちて、階下へと降りていく。
今日のメニューはなんだろうかと、廊下を歩いていると。
「――お父さん」
「ん?」
背後から声を掛けられた。
振り返るとそこには、全身汗だくになって首にタオルを掛けたレイが立っていた。
「遠征、今日から?」
伸ばしている茶髪をひとつに縛り、運動用の薄手の服を着ている。手には、前に渡してやった木刀が握られていた。
「そうだよ。レイは今まで走ってたのか?」
「うん。今から素振り」
「もうすぐ飯だぞ?」
「分かってる。だからうんとお腹を空かせるの」
修一は「そうか」とだけ返した。
大きくなってきたレイにねだられて剣術を教えたのはいいが、どうにも熱心すぎて困る。
「あんまり遅くならないようにな」
「うん。……そうだ」
「どうした?」
「今度帰ってきたら、新しい技教えて。この間のは覚えたから」
「……もうか?」
コクリと頷くレイ。修一は、「そんな簡単に出来るようになるやつじゃねえのになあ……」と思いながらも了承する。
「約束だからね」
「おう……」
そう言って駆けていくレイ。たぶん素振りをするために中庭にでも行ったのだろう。
「……俺が覚えたより早く、奥義まで覚えそうな勢いだな」
修一は、いずれ稽古の時に本気を出さないといけない日が来そうで、ちょっとばかし憂鬱であった。
「あん? なんでお前がいるんだよ、メイビー」
食堂に入ってテーブルを見ると、先客がいた。
美味しそうに肉団子を頬張っていたメイビーが、修一の言葉に言い返す。
「んー? なにさ、私がいちゃいけないの?」
「いけないっつうか、お前、宿はどうしたんだよ」
「アーブさんとエルさんに任せてきた。たまには私もここのご飯が食べたいもん」
たっぷり野菜の入ったスープを飲みながら、メイビーはそんなことを言う。
ポニーテールにしている金髪に、ほんのりとした薄化粧。女らしさに気を遣うようになったくせに、そういうところはちっとも変わっていない。
「それに、ナビィ君とかリズちゃんルシルちゃんも一人前になってきたから、正直、私がいなくても回るんだよねー。専属契約してる冒険者の皆も真面目にやってくれてるから依頼料ちゃんと入ってくるし、料理も美味しいからって毎日食べに来てくれる人とかいるし」
「まぁ、ナビィにあんな才能があるとは思わんかったよな」
「最初に雇ったコックさんが、教えることはもうないって言って修行の旅に出ちゃったからね。いてくれればいいのに」
メイビーは現在、化け物退治で得た褒賞金を使って冒険者の宿を経営している。
騒動で焼け落ちた一般の宿を安く買って修繕し、方々の伝を使って経営を始めたのだ。
修一なんかは絶対失敗すると思っていたが、予想に反して経営は順調のようだ。まぁ、メイビーの手腕がどうというよりは、単に運が良いだけのような感じらしいが。
「で、私がいなくても大丈夫になってきたから、最近また、色々足を伸ばすようにしたんだ」
「ああ、母親探しのか」
「うん。宿を通じて情報は集めてるけど、やっぱり自分でもね」
メイビーが冒険者の宿を始めようと思った理由として一番大きなものは、母親の存在である。
叔母のフーカディアとは定期的に会っているが、鏡を使わせてくれたあの時以来、母親であるフラジアの事については何も教えてくれなくなった。
そこでメイビーは、自力で母親に辿り着くべく行動を再開した。宿の経営もその一環である。
「ヘレンちゃんも手伝ってくれるし」
カブたちの冒険者パーティーは、カブが騎士団に入ったことで解散している。テリムは本格的に魔術師ギルドで勉強しているし、ウールはカブと一緒に暮らしている。
ヘレンだけが冒険者を続けていて、特定のパーティーを組まず必要に応じて他のパーティーの手伝いをしている。
優秀な斥候兼軽戦士ということで、どこでも引っ張りだこだそうだ。
「そういえばシューイチは、今日から遠征なんだって?」
「ん、ああ」
「あの人も相変わらず熱心だよねー。なんか最近子供も生まれたって聞いたけど、関係なしとは」
「双子だってよ。まったく、アイツも父親になったんだから少しは落ち着けばいいのに。お陰でこっちも――」
と、そこに。
「おはよー、修一。と、メイビーも」
「あ、おはよー」
「おはよう。……眠そうだな、リコ」
「まぁねー」と言いながら、リコは修一の隣に座ってテーブルに突っ伏した。
「おいおい……」
「ちょっとセドさんにお願いされて、急を要する書類作ってたのよ。ノーラの代わりに頑張ってたら、朝になってたわ……」
「頑張ったから頭撫でてよー」と、突っ伏したまま頭を寄せてくる。言われるままに撫でてやると、だんだん身体ごと寄ってきた。
「ええい、邪魔だ。俺は今から飯を食うんだよ」
「まだ来てないからいいでしょう」
「良くねぇよ」
しまいにはぐりぐりと頭を押し付けてくるリコをなんとか押し退けて、修一はようやく配膳された朝食を食べ始めたのだった。
食事後、荷物を取りに上がった修一は、自室へ入る前に、その隣の部屋に立ち寄った。
「起きてるか?」
室内に入り呼び掛ける。
果たして、返事は返ってきた。
「起きてますよ、シューイチさん」
ベッドで横になっていたノーラがゆっくりと身を起こす。ノーラの隣では、三、四歳ぐらいの男の子がすやすやと寝息を立てていた。
「セイジはまだ寝てるのか」
「ええ、今日からしばらくシューイチさんがいなくなるから、遅くまで起きてしがみついてたみたいですよ」
「……マジか。さっさと寝たから気付かんかった」
「すまんな、セイジ」と、修一は男の子の頭を撫でる。ノーラはその様子を見て微笑んだ。
「まだまだ甘えん坊ですもの」
「そうだな」
「もうすぐ、……お兄さんになるんですけどね」
「そうだな」と、修一は、愛おしげにノーラのお腹を撫でた。
……誰が見ても分かるくらいに大きくなったお腹を。
「この子が産まれるまでには、なんとか帰ってくるよ」
「セイジが産まれるときも、そう言ってませんでしたっけ?」
「今度こそ大丈夫だよ、今度こそ。デザイアの尻を蹴飛ばして急がせるからな」
「ふふ、分かりました」
ノーラは優しく微笑む。
「行ってらっしゃい、アナタ」
「ああ、行ってくる」
修一はそっと、ノーラにキスをした――。
完
これにて「白峰修一の激戦」は終了となります。
ここまでお読み頂き、誠にありがとうございました。