第9章 4
◇
修一とアレックスが他数名を伴って訪れたのは、皇居と皇族の警備を担当する近衛騎士団の詰所であった。
休憩中の団員に声を掛けて訓練用の騎士剣を二本借りると、その足で皇居内の訓練場に出ていく。
訓練場には人影が二つあった。
アレックスは、そのうちのひとりに声を掛けた。
「こんにちは、殿下。どうしてこちらに?」
先程、表彰式の会場でメダルの授与を行っていた皇女殿下である。
殿下は、一緒にいた二十代の女性の後ろにさっと隠れると、恥ずかしそうに顔だけ出した。
「オリビアが訓練するとこ、その、見せてもらいたくて」
オリビア、というのは一緒にいる女性の名前だ。殿下に付きっきりで警護する立場の分団の長で、非常に堅物であると知られている。ブライアンの娘でもある。
「オリビアさん、申し訳ないんだけど、少しだけここを貸してもらえないかな」
「私は構いませんが、……いったい何をされるおつもりですか?」
アレックスはそれに答えず修一を手招きすると、借りている騎士剣を一本手渡した。
「それでいいかい?」
「ああ、いいよ」
二人は訓練場の中ほどまでいくと、同時に剣を抜いた。
「さあ、どうぞ」
アレックスが気負いなく告げる。
修一は鞘を投げ捨て、構えもせずに頷いた。
「…………」
ゆっくりと、周囲の熱を集める。
今の修一は、もう能力を十全に使うことができなくなっているため、その収集量は微々たるものであったが。
「……なるほどね」
アレックスは、僅かな気温の低下と修一の肉体の変化を察知した。身体能力が、少しずつ向上していっている。
アレックスは待った。修一の準備が整うまで。
せっかく手合わせするなら、限界を見たい。
そうして、やがて熱を集め終わった修一が騎士剣を下段に構えると、目線で何かを訴えてきた。
アレックスはそれを汲み取り、剣を上段に構える。
「――――」
「――――」
二人が、お互いの呼吸を読み合う。
数秒動かず、視線を差し合わせて、それから――。
「っ!」
次の瞬間には、双方打ち終わっていた。
大きな金属音が場内に響く。
殿下は目を丸くし、ゼーベンヌとオリビアが息を呑む。メイビーとエイジャは嘆息し、デザイアだけが、正確に結果を見切っていた。
下段から切り上げた修一の剣は、――半ばで断ち切られて剣先が地面に突き刺さっていた。アレックスの剣に切り落とされたのだ。
……そして。
「……うん、分かった」
アレックスは、自らの手元を見て楽しそうに微笑んだ。背後に、頭上から金属の塊が落ちてくる。
アレックスの騎士剣は、刃の根本で断ち切られていた。
修一の剣に切り飛ばされたのだ。
剣を打ち合わせた瞬間、お互いがお互いの剣を切断したのである。
「合格だよ、シューイチ君。これからよろしく」
アレックスはニッコリと微笑んで、修一に握手を求めた。
◇
「修一が、不思議な能力を使えることは知ってるでしょ? あんな感じのチカラがあたしにもあったの」
リコは、できる限り淡々と述べようとする。なるべく感情を押し殺すようにして。
「自分が触った物を指定したところに運ぶ能力。一定重量以下の物体を瞬間移動させることのできる能力よ。あたしはそれで、いろんな物を運んだの」
そうしないと、声が震えそうだった。
そうしないと、心が折れそうだった。
「花の種や球根、苗木や鉢植え、腐葉土に肥料、……その袋の中に隠されてた銃器の部品や弾薬、危ないクスリなんかも」
「……!」
「あたしはずっと運んでたの。いろんなところに。町中の至るところに運んでバラ撒いて。犯罪者どものお手伝いをしていたの。ソイツらがあたしの町を汚して、たくさんの人を傷付けていくのに荷担していたのよ……!」
「それは、でも……!」
知らずに巻き込まれていただけなら、とノーラは続ける。
リコは大きく首を振った。
「あたしがそれを知ったのは、親父さんが殺される十日も前のことよ。運んでるときに袋が破れて、そこから銃弾が零れ落ちたの。でも、……あたしは、それを見なかったことにした。怖くなって、――こんなこと修一に知られたらどうしようって、そう思っちゃったのよ!」
次第に、リコの声は大きくなっていった。
「あたし、そのことを黙ったまま何喰わぬ顔で修一のところに戻ったわ。戻って、……不安を塗り潰すために、平気な顔して修一を求めたわ! 今でも、その時のことを思い出して吐きそうになる! あたしはなんて醜いことをしたんだろうって! どうして本当のことを話さなかったんだろうって!!」
「っ……」
「こっそり店の事務室を漁って、他にも色んなことが分かった。どこにどんな組織がいて、どんな風に繋がりがあったか。モノやカネやヒトがどういうルートで流れていたか。町には何人の幹部がいて、どれぐらいの人員が配置されているのか。どこで誰がどんな風に戦って、どういう結果になったのか。……邪魔な自警団をどういう手段で排除しようとしていたのかも、そこにあった資料には書かれていたわ」
感情を、抑えきれなくなっていく。
「あたしは、誰かにそれを言うべきだったのよ! 警察や、それこそ修一や親父さんに! たとえすぐには信じてもらえなくても。関わっていたことを咎められたり、黙っていたことを責められるとしても! それでもあたしは、伝えるべきだった! ひとりで抱え込んだりせずに、洗いざらい喋るべきだったの!」
自分の言葉に、熱に、酔っていく。
「けど結局、あたしはそうしなかった……。一回黙ってたら、その次はもっと言いにくくなってた。言わなきゃいけないことが増えるたびに、あたしの口は重くなっていった。抱え込んで抱え込んで、あたしの心はいっぱいいっぱいになっていって。本当に、いざというときになっても、あたしはとうとう話せなかった。話さなかったのよ!」
だって、そうしなければこんなこと。
「あたしは、最後の最後まで自分に言い訳をして、……自分の不義を正当化しようとしたの! そんなこと、許されることじゃあないでしょう!?」
とてもじゃないが、誰かに話せない。
「……そして、親父さんが殺されたって聞いて、ようやく理解したのよ。あたしがいったい何をしたのか。どんな罪を犯してしまったのか」
「……」
「あたしはね、皆を裏切ったの。皆の信頼を、努力を、正義を。あの町を守りたいっていう想いを知っていながら、あたしはそれを台無しにした。あたしはもう、皆に謝っても謝りきれないことをしてしまったの……」
そうして、思いの丈を全てぶちまけたあとは。
「だからあたしは皆の前から……修一の前から逃げ出したの。親父さんを殺した奴らへの憎悪を募らせていた修一を、それ以上見ていることができなかったから。その憎悪が、……あたしに向けられたように感じてしまったから」
心の奥底にこびりついた、冷たくて重い澱みが顔を出す。
「あたしは、たぶん三日ぐらい行方をくらませていたと思うわ。それから、園芸店の事務所と倉庫に忍び込んで、――そこらじゅうのものを片っ端から警察署に送り付けた。密輸してあったものとか、色んな資料とか」
それは、罪悪感というものだろう、と。
ノーラは、リコの様子を見ていてそう感じた。
「とにかくなにか、なんでもいいから罪滅ぼしをしたかった。せめてそれぐらいはしておかないとって、そんな風に思ったの」
「そんな……」
「最終的にあたしは、別の事務所に忍び込んだときに敵に捕まったわ。何人かに殴られて、蹴られて、変な薬を盛られて意識を失った。気が付いたら縛られて、倉庫の一室に放り込まれていた。このままここで殺されるのかなって、そんなことを考えていたら――」
リコは、表情を大きく歪ませる。
「修一がね、来ちゃったのよ」
「――!」
「たぶん、敵の組織を叩き潰すつもりだったんだろうけど、あたしが警戒させたせいで何十人も集まってたところに、修一が乗り込んできちゃったの」
「……」
「時間がたつにつれて外が騒がしくなって、大きな爆発音や黒煙があがりはじめて、あたしはなんとか部屋を抜け出して一番大騒ぎになってるところに向かったわ。だって、絶対にそうだろうって確信があった。怒り狂った修一が、暴れてるんだろうって。そしてその予想は当たったわ。……最悪の形でね」
「……まさか」
そしてとうとう、涙を零した。
「修一ね、そこで血だらけになって倒れてたわ。……そこにいたであろう何十人を全員斬り伏せて」
◇
「…………」
ノーラは、リコの悔悟を聞いて言葉を失っていた。
なんと言えばいいか分からない。なんと声を掛ければいいか分からなかった。
リコは、全てを吐き出してソファにもたれかかっていた。精も根も尽き果てたように。
「……以上が、あたしのしでかしたことよ。合わせる顔がないって、意味が分かるでしょ?」
「……」
「……修一がこの世界に来たのってね、向こうの世界で死んだって事実を誤魔化すためなの」
「……え?」
「あの世に行きそうだった魂とボロボロになった肉体を持って、あっちとこっちの狭間に潜んでね。修一の身体を治してからこっちの世界に落としたの。なんでも、一番いい流れの場所と時間を選んだそうよ。なんだかんだと出来事が重なっていって、修一がこっちの世界に馴染めるような、そんな運命のところ」
「……落とした、というのは、いったい誰が?」
「あたしとゲドーよ。あたしは、ゲドーに払えるだけの対価を支払って、修一を蘇らせてもらったの。そうしないと、修一が死んじゃうから」
「…………」
「この世界に来るための対価として能力を渡して、修一の身体を治すための材料として肉体を渡した。あたしのこの身体、元の身体そっくりに似せてあるけど、偽物なの。人造人間の素体にあたしの魂、――意識と記憶を入れ込んであるのよ」
「なっ……!?」
ノーラは、改めてリコの顔を見る。
瞳は緑で、髪も黒に近いが濃い緑色をしている。
それは、プリメーラの身体特徴と酷似していた。
「材料と製法の関係でそうなるんだってさ。あたし、元の身体では修一と同じ黒髪黒目だったのよ?」
「……」
「それでも、ちょっと前まではもう少し自分の身体が残ってたんだけどね。化け物に殺された修一を蘇らせたときの諸々で、残らず使っちゃった。今のあたしの身体は完全に偽物よ。子どもだって作れない」
リコは、疲れきった笑みを浮かべている。
「……改めてお願いするけど、これからも修一の傍にいてあげて。ノーラになら任せられるの。あたしにはもう無理だから、あたしの代わりに修一の傍にさ」
「っ、……そんなっ……!」
ノーラは、その言葉には承服しかねた。
「私は、……そんな風にしてシューイチさんと結ばれたいとは思っていません!!」
「……!」
「確かに私はシューイチさんのことを愛しています。シューイチさんとこれからもずっと一緒にいたいと思っています!」
「だったら……」
「ですがそれは、貴女にお願いされるからではありません。貴女にお願いされたからシューイチさんと一緒にいたいと思うのではなく、私自身があの人を愛しているから一緒にいたいんです! それを、そんな譲られるような形で言われても、私は納得できません!」
「……そう」
リコは疲れきった笑みを浮かべたまま、困ったように眉を寄せた。
「納得できないっていうけど、じゃあ逆にどうすれば納得できるのよ?」
「決まっています。貴女がもう一度シューイチさんの前に姿を見せて全てを話し、それで貴女たち双方が納得しているというのであれば、納得できます」
ノーラははっきりと答える。
リコは大きく溜め息を吐く。
「だから、あたしにはもう合わせる顔がないんだってば」
「そうかもしれません。ですがそれは、貴女が言っているだけのことであって、シューイチさんがそう思っているかどうかは分かりません」
「……それは」
「それが貴女の独りよがりかもしれないのであれば、まずは確かめるべきです。きちんと会って話をして、それから――」
「それから? ……それから、なんだっていうの? きちんと時間を掛けてでも、話をすべきだって? ……悪いけど、あたしにはそんな時間ないわ」
リコは悲しげに俯く。
「言ったでしょ、あたし、払えるものは全部払ったって。それは、命だって例外じゃないの」
「……どういうことですか」
「こっちの世界で修一が死んだとき、一回魂が元の世界に戻っちゃってるんだけど、その時に半分ぐらい命が消えてて、……簡単に言うと寿命が短くなってたの」
「……まさか、貴女……!」
リコはコクンと頷いた。
「それであたし、自分の命をほとんど修一にあげちゃったからさ、――もうあと数日ぐらいしか生きてられないのよ」