第9章 3
◇
「あたしが原因なのよ」
そう語るリコは、いまにも泣き出しそうな顔をしていた。
「あたしが元凶、諸悪の根元。全ての罪はあたしにあって、あたしのせいで修一はあんな目にあったの。そんなあたしが、どの面下げて修一に会えるっていうのよ」
徹底的に自分を卑下するような言葉を吐く。それこそが真実であるかのように。
ノーラは、ひとまず全てを聞いてみなくてはならないと思った。
でなければ、リコの言葉を受け入れることはできない。
「……私は、リコに何があったのか知りません。ですが、貴女がそう思うだけの何かがあったのだろうことは分かりました。果たしてそれは、何なのでしょうか。私にも教えていただくことは出来ますか?」
「……」
「それと……、向こうの世界でもシューイチさんが死んでいる、ということも気になります。いったい、シューイチさんに何が?」
「……そうね。せっかくだし、最初から順にかい摘んで話すわ」
リコは、膝の上で両手の指を絡ませて、ゆっくりと天井を見上げた。
「まず、あたしと修一の出逢いからね――」
◇
花山梨子が白峰修一と初めて顔を合わせたのは、梨子が十六歳のとき、修一が高校一年のときだった。
場所は、町の中心部から少し離れたところにある港の倉庫群の中。その時梨子は、その近くにある園芸店でアルバイトをしている最中だった。
園芸店では、定期的に外国産の花の種や園芸用土なんかを輸入しているようで、月に一度か二度、港に船がやってきて荷下ろししていく。
梨子は、それを受け取って倉庫まで運ぶように言われていた。その途中で、修一に出逢ったそうだ。
「最初はね、嫌な奴だと思ってたわ」
なんでも、顔を合わせたときに一悶着あったらしく、第一印象は最悪だったらしい。
それから一か月ぐらいしてまた顔を合わせたときも、同じように揉めたという。
転機となったのは三回目。
梨子が、最近恋人ができたという友人とともに町を歩いていたときのことだ。
人ごみの中で恋人を見つけたという友人の言葉に、顔ぐらい拝んでおこうと思った梨子が付いていくと、その恋人とやらの隣に修一もいたのだ。
向こうも驚いた顔をしていた。梨子もだ。
お互いの友人が「知り合いなの?」と問いかけてくるなか、梨子と修一は口を揃えて答えた。「誰がこんなやつと知り合いなものか」と。一言一句違わぬその言葉に二人は顔を見合わせ、それから「同じことを言うな」と言ってまた被った。
仲が良いね、という友人の言葉を否定しても信じてくれず、それどころか四人で一緒に町を回らないかと言われる始末。もちろん断ることもできたのだが、……そこで断るのは逃げているみたいで癪だった。
そうしてその日は夕方まで四人で遊ぶこととなり、皆と別れて帰路についたときには、なぜか梨子の携帯電話に、修一の連絡先が入っていた。こっそり、友人に入れられていたらしい。
「その時はまだ、連絡を取り合うようなことはなかったけどね」
さらに一か月後、再び梨子は修一に会う。
港の岸壁でバイトの作業中に修一が港にやってきたのだ。厳しい酷暑の中、汗だくになってひたすら走っていたのだそうだ。
なんでも、実家で剣術道場のようなことをしているらしく、その鍛練の一環として町中を走り続けているのだとか。
それを聞いた梨子は、馬鹿なことをしているものだ、と思った。そんなことをして楽しいのかと訊ねてみれば、修一は「別に楽しくはないが、他にすることもない」などと言う。
「じゃあ、また今度あたしが遊んであげるわよ、って……つい言っちゃってね」
修一は最初難色を示していたが、「これだから童貞は」の一言でキレ気味に乗ってきた。わりと単純であった。そしてそれ以降、梨子と修一は、たまに会ってはどこかに遊びに行くようになる。
行き先はその時々で適当に決めた。カラオケやゲームセンターで遊んだり、喫茶店や公園で話し込んだり。
修一の実家にお邪魔したこともある。
ちょうど鍛練の途中だったらしく、庭の方から声が聞こえていた。見に行くと、修一より遥かにガタイのいいオッサンが、木の棒で修一をボコボコにしていた。一応戦っているらしかったのだが、ほとんど修一の防戦一方で、勝負になっていなかった。
「あれが親父さんだってあとから聞いて、ドン引きしたわね」
修一の父親は、修一の祖母が亡くなって以来なにかと家を明けることが多くなり、たまに帰ってきては修一に稽古をつけてまた出ていくのだとか。
梨子は、修一の身体にベタベタと消毒薬を塗りながら、「アンタも災難よね」と言った。「こんな傷だらけにされて、よく父親のことを嫌いにならないわね」とも。
修一は答える、「たった一人の家族だしな」と。「それに、いずれ勝つさ。俺が挑み続けていれば、いつか必ずその時は来る」と、まっすぐな瞳で。
梨子には、その言葉が少しだけ眩しく思えた。そのときの梨子は、両親とケンカして家を飛び出し、半分家出のような形で独り暮らしをしていたのだ。また、日々の糧を得るためにバイトをしていたが、これといって将来の夢や目標があるわけでもなく、ぶらぶらと遊んで過ごすだけの毎日。
家族に対する嘘偽りのない想いが、なんだか少し羨ましかった。
厳しくても、明確な目標を持って努力する修一の姿が、なんだか少し、格好良かった。
「思えば、……あの時から少しずつ惹かれてたのよね。アイツに」
それからしばらくして、梨子の両親が行方不明になった。
乗っていた船が嵐に巻き込まれて、沖のほうで転覆してしまったのだ。二人とも海に投げ出されてしまい、消息不明だという。
それを知った梨子は激しく狼狽え、そして泣いた。
修一の姿に感化されて、少しずつ両親と仲直りをしようと思っていた矢先の出来事だったから。悲しさで胸が張り裂けそうだった。
梨子は泣いて、泣いて、修一にすがり付いた。修一の胸に顔を埋めて、身体を震わせて泣き続けた。溢れる涙と嗚咽を隠すこともせず、修一にしがみついていた。
やがて修一が梨子に言う。「もう泣くな。お前に泣かれると俺まで悲しくなる」と。「俺が、家族になってやる。お前のことを幸せにしてやる。だからもう、泣かないでくれ」と。
梨子は、その言葉が嬉しかった。悲しみの中に少しずつ喜びが生まれていくのを感じた。
そしてはっきりと自覚した。自分は、修一のことが好きなのだと。
梨子は修一の言葉に頷き、それから感極まって口付けた。
その後、梨子は何日かかけて身の回りを整理し、住んでいたところを引き払った。
修一の家にはいくつか空き部屋があって、そこに住まわせてもらうことにしたのだ。いわゆる同棲とか内縁の妻状態である。
「――そんな状態で丸一年以上いたからね、そのうちあたしも自分のこと修一の妻だって言うようになってたわ。だって実際そうだったし」
「……そう、ですか」
「それで、さっきまでの話が、ざっくりしたあたしと修一の関係の話よ。まぁ、そんな感じ」
ノーラはリコの言葉を呑み込みながら考える。
今の時点では、特段リコが何かをしたということはなかった。単純に馴れ初めを聞かされただけである。というか、普通に羨ましい。修一にそこまで言ってもらえるなんて。
「で、……ここからが大事な話なんだけど」
「……はい」
リコはグッと身を乗り出してきた。
「あたしね、修一と一緒に暮らすようになってからもバイトは続けてたの。わりと給料良かったし、タダで住ませてもらうのもなんだったから多少はお金を入れようと思ってね。結局、修一の親父さんに断られたけど」
「……園芸店だと言っていましたっけ」
「そう。外国の花の種とか土とか、そういうのを輸入販売していたお店。あたし、物を運ぶのが得意だったから、大量の苗木とか土の入った袋とかを指定された場所まで運んでたの。その特別手当てが大きかったのよね。……今にして思えば、良すぎるくらいだったわ。怪しいくらいに」
リコは小さく溜め息をついた。
自分の失態を悔やむように。
「ちょっと話が飛ぶんだけど、ノーラはギャングの人間とか見たことある?」
「え? ……はい、ありますが」
「あたしもあるわ。あたしたちが住んでいた町はね、都市部からは少し離れていたけど、大小いくつもの港があって外国からの船の乗り入れが多いところだった。海に囲まれた国だから、近くの大陸からは船で運ぶほうが良かったのね」
「なるほど」
「それで、そうやって入ってくる船の中には問題のあるものもあって、要は外国のギャングとか犯罪者集団とかがこっそり上陸してきて、町の中に住み着いたりしてたの。町を歩いているとたまに見かけたわ、そういう連中。修一の親父さんってね、そういう連中の取り締まりをする自警団みたいなことをしてたらしいんだけど……」
リコは一瞬言い淀む。
「……あたしの働いてた園芸店も、そういう連中の隠れ蓑だったみたいでね。あたし、知らずに親父さんの邪魔してたみたいなの」
それでも、言った。
「それで、こっちに来る少し前に、……親父さんが殺されたわ」
「っ――――!」
「外国人犯罪者集団と戦ってて命を落としたって。――あたしが運んだ武器に撃たれたみたい」