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第8章 47

 ◇




 白く塗り潰された大地に立つ化け物は、目の前の人間が地面から刃を引き抜いた時点でそちらに対して多大なる警戒心を向けていた。


 修一の言動、態度。表情や所作。そこから感じ取れる雰囲気や気配。そのどれもが、少し前までの彼とは大きく変わっていた。

 大袈裟な言い回しをしたこともそうだ。派手に能力を使ったこともそうだ。


 確かな技術に裏打ちされた剣戟の数々。

 先程まで彼が使い、頼っていたものは、それらの技術であった。


 それが今は、激しく能力を使用している。

 平原ひとつを凍り付かせるような規模で。


「ふぅ……、」


 あらゆるものが凍り付いていく空間にあって、修一だけは、変わらずに立っている。

 いや、それどころか、 先程よりもどこか昂った様子になっていた。


「ようこそ、閉ざされる氷の世界へ――」


 修一は、熱に浮かれたような声で、化け物に告げた。


「そして……」


 次の瞬間には。


「――さよならだ」

「っ――!」


 修一の姿が消えて、そして化け物の右手が斬り飛ばされた。


 化け物は、直前で嫌な予感を感じて横に跳んでいたのだが、……そうでなければ、脳天をかち割られていたのではないだろうか。


「この、……――!?」


 小剣を握っていた右手が氷原を跳ねる。

 斬ったあとで背後へ抜けていった修一に反撃するべく、化け物が振り返る。


 その時にはもう、――修一は化け物の間近に立って刀を振りかぶっていた。


「しっ――!」


 化け物の左上腕に、斜め上から刃が迫る。

 左腕ごと、心臓へ斬り込む軌道だ。と、化け物は思った。


 実際には、見ている暇などなかったし、見ることもできなかっだろう。


 ただ、がむしゃらに身体を捻り、左手を持ち上げて鞘を防御に回すだけで精一杯であった。


 修一は僅かに剣線をずらし、化け物の手首を狙う。


 今度は、化け物の左手が宙に舞った――。




 ◇




 ヴィラが呪術師の女と戦うのは、これで都合三度目となる。


 一度目は薄暗い路地の裏で。

 二度目は館の玄関ホールで。


 一度目のときも二度目のときも、互いに全力を尽くしたが決着がついていない。


 多少の手傷は気にせずにお互いがひたすら攻め続けたせいで、どちらかの優勢に傾いたであろう切っ掛けをことごとく潰し合ってしまったからだ。

 その結果、二度とも勝敗の付かない痛み分けのような形になってしまった。


 同じ相手と二度も引き分けるなど、幾多の化け物たちと命のやり取りをし、勝敗がそのまま生死に直結していたヴィラにしてみれば、なかなかないことではあった。


 ただ、だからといって何がなんでも決着を付けたいかと問われれば、それはそうではなく。

 あくまでもヴィラは、目的の達成に対して邪魔になる、あるいは脅威になるとなったときにそれを排するだけのことなのである。


 よって、このままあの女が別の誰かと戦うこととなり、その結果仕留められることになったとしても、それはそれで問題はなかった。


 そういうことだったのだと、納得できる話だった。


 だが、現実というのはやはり分からないものだ。

 砦の中の一室で、長短それぞれの刃を使って戦うヴィラは、誰ともなしにそう思う。


 決着の機会は今、こうして訪れてしまったのだから。

 真っ赤な爪を振り回す、この女と。


 呪術師の女と、戦うことになったのだから。


「……鬼火は三度飛ぶ、っていうことかしラ?」


 ヴィラは、少からぬ因縁のようなものをこのリャナンシーから感じたし、今度こそ仕留めなければならない、という強い思いで己の平たい胸を満たした。


 ここで負けるわけにはいかなかった。

 自国の「お偉いさん」から与えられた「役目」を果たすためにも。なにより、……自分自身のためにも。


 立ち塞がるこの化け物を今度こそ倒さなくてはならないのだ――。


「――で、アナタ」


 額から流れ出る血を拭いもせずにヴィラは、右手に持った特銀(ミスリル)製の細剣をリャナンシーに突き付けた。


 息は荒く、手傷は多い。しかしヴィラは、間違いなくリャナンシーを追い詰めていた。


 もうまもなく決着がつく。

 そういうところまで、もってきていた。


「ずいぶんと、消耗が激しかったみたいネ。動きにキレがないじゃなイ」


 呪術師の女は、石造りの壁を背にしてじりじりと後退しながら、力なく笑った。


「そうねぇ……。ちょっと悪い空気を吸っちゃったみたいなのよぉ」


 リャナンシーは、とっくに人形転嫁呪術が切れていた。そして、それを張り直すだけの魔力も時間もなかった。


 ざっくりと切り裂かれて動かなくなった左腕の傷口からは、今もどろどろと血が流れ出ている。いくら押さえても、止まりそうにない。

 付けられた傷は明らかにヴィラより多く、そして深かった。


 ……手前の戦いでの消耗が、そのまま勝敗を分けるような形となっていた。


 チャスカとの戦いが。チャスカに喰らった毒が。

 呪術師の女から体力と素早さを削いでいた。


 丸一日近く休んでほぼ全快まで回復していたヴィラとでは、スタート地点が違いすぎたのだ。

 さらには、もともと伯仲していた実力同士のものである。

 よほどの失策でもない限り、その差が詰まり、更にはひっくり返るということは起こりにくい。


 そしたヴィラは、そんな失策らしい失策をすることもなく、もちろんのこと油断や慢心といったことをすることもなく。


 一手一手確実に追い込んでいき、そして追い詰めた。


 ここから逆転する方法など、ない。

 デッドラインだ。


「どうすル? これ以上抵抗しないなら、苦しまないように送ってあげるけド?」

「怖いわねぇ。そこは、命だけは助けてあげる、とかじゃないのかしらぁ?」


 ヴィラは、リャナンシーの言葉をばっさりと切り捨てた。


「馬鹿言わないデ。ワタシには、アナタたちを倒す理由こそあれど、生かしておく理由も意味もないワ」

「ははぁ、厳しいわねぇ」


 リャナンシーのほうも、助けてくれるなどとは思っていない。

 それに、主様がまだ戦っているはずなのに、自分が戦いを止めて命乞いするなど、できるはずもなかった。


 あのお方は、そんな弱っちいことをする者に興味がない。

 そこまでして生き延びても、主様から見限られてしまえば生きている意味などないのだ。


 リャナンシーは、僅かにあごをあげて、目を閉じた。

 口元には笑みを浮かべたままで。


「まぁ、貴女との戦いも悪くなかったわぁ。あとは主様にお任せする。申し訳ない話ではあるけども、ね」


 ヴィラは、右手の細剣を大きく真横に引いて別れの言葉を告げた。


「それじゃア、――おやすみなさイ」


 音もなく、一太刀で首を斬り落とした。


 三度目の正直。今度こそ、決着であった。


「っ……!」


 ヴィラの身体を浮遊感が包み、視界が変わる。

 気が付けば、元の部屋に戻ってきていた。


 どうやら自分が最後のようだ。そして全員無事に勝ったようだ。ケイナや、他の皆も帰ってきている。


 友人のケイナは、横になっている青年の手を握って俯いていた。

 その背後に歩み寄って、そして声をかけるのを止めた。邪魔をしては悪い気がしたからだ。


 怪我の治療は自分でやろう。

 回復用のポーション(とても不味い)をポーチから取り出して、一瓶飲み干した。


「……よくそんなの飲めるわね」


 ケイナの隣で座っているゼーベンヌが、顔をしかめて聞いてきた。彼女は、先程塗っていたときにひと舐めしてみて、味を知っている。


「コツは、泥水よりはいいと考えることネ。……ホント言うと、泥水のほうがまだ不味くないんだけド」


 さらりと恐ろしいことをのたまうヴィラに、ゼーベンヌは小さく嘆息した。


「なんでもいいわ。とりあえず、お疲れ様」

「ええ、ありがとウ。……ところで」

「……なによ」


 ヴィラは、ひょいっと回り込んで、ゼーベンヌの膝の上を見た。


「なかなか、気持ち良さそうにしてるじゃなイ」

「……本当に、人の気も知らないで呑気なものね」


 ゼーベンヌは、エイジャを膝枕していた。

 結局、メイビーに押し切られたのだ。


「ケイナといい、アナタといい、なんだかお熱いわネ」

「……はあ?」


 何言ってるのよ。私はそんなんじゃないわよ。

 そう言おうとしたゼーベンヌの言葉を、ヴィラが遮る。


「羨ましいワ。ワタシはもう、……そういうの楽しめないかラ」


 困ったような、どこか儚げな笑みを浮かべて、ヴィラはそう言ったのだ。

 その、なんとも不思議なヴィラの雰囲気に、ゼーベンヌは言葉に詰まる。


「…………もう、って言うけど……、貴女まだ十代じゃないの。まだまだこれからよ」


 そしてなんとか、そんなことを口にした。

 ヴィラはなおのこと寂しそうに「そうネ」とだけ答えて、それから話題を変えた。


「そんなことより、他の皆はなぜ、外を見ているのかしラ?」


 ケイナとゼーベンヌ以外の動ける者は、壁に空いた大穴のところに行って外を眺めていた。

 ゼーベンヌは答えた。


「……ああ、あれ? シューイチが戦っているところを見てるんだと思うわよ。……見えるかどうかは知らないけれど」


 ヴィラは、大穴のほうに近寄ってみた。

 空いたスペースから顔を出して外を見てみると。


「……凄いわネ」


 外に広がる草原が、見渡す限り真っ白に染まっていた。

 母国の冬の景色のように。

 白が全てを覆い隠す。


 さらに、空気中の水分が凍り付いて舞っているようで、大吹雪になっているみたいに視界そのものが真っ白になっている。白くて厚いカーテンがひかれているような、そんな状態になっていた。


 あの中で修一が戦っているということらしいが、確かに、全く見えない。


「……どうしましょうカ」


 ヴィラは誰にも聞こえないように呟く。

 ヴィラとしても、修一が戦っているはずの化け物には用がある。


 もし、修一が、このままあの化け物を倒すというのであれば。

 それ自体は、歓迎すべきことである。ヴィラが受けた「役目」は、なにがなんでもあの化け物を退治することであって、その手段や方法、経過などはどうでもよいからだ。


 しかし、――ヴィラ個人の思惑としては、自分の手であの化け物を仕留めたいのである。もしくは、修一の隣でともに戦って、仕留める瞬間に居合わせたい。


 ――今回の派遣で使った分(・ ・ ・ ・)ぐらいは、やっぱり回収したいワ。


 ヴィラは、腰のポーチをそろりと撫でる。中に入っているごろごろとしたものの数を確かめる。


 やはり、行こう。

 今からこっそり砦を抜け出してあの白いカーテンの中に突入すれば、もしかしたら間に合うかもしれ――。


《グゲゲ、止めときなよ。いくらアンタでも、凍って動けなくなるよ》

「っ――――!?」


 いきなり、頭の中に声が響く。

 驚いて振り向くと、先程まで大穴の一番前に立っていたゲドーが、いつのまにか自分の背後に来ていた。

 ゲドーは、口元に人差し指を当てた。それから、包帯に覆われた自分の右耳の辺りをとんとんと叩いた。


心波変調機(チューナー)を、お前さんに合わせた。声に出さなくても話せるよ。内緒話にはもってこいだ》

《…………なんのつもりかしラ?》


 ヴィラは、警戒心を剥き出しにして訪ねた。

 ゲドーは、舌をだらりと出して笑っている。


《グゲゲ、そんなに警戒しなくてもいいのに。わざわざここまで連れてきたオイラのこと、そんなに信用ならないかい?》

《……!》


 そうだ。そもそもの話、ヴィラはここに来るようにはなっていなかった。たまたま、ケイナと一緒に修一のところに行ったら、そのまま術式陣のところに連れていかれたのだ。


 あのときは、単純に幸運であったと思っていたが……。


《……どこまで知ってるノ?》

《いやぁ、あんまり知らないよ? そこまで興味もないし》

《だったら、》

《ただ、……あんたの持ってる物には興味がある。なんならひとつ譲ってほしい》


 ヴィラは、そっとポーチの口を押さえた。

 中には、あといくつか、赤くて(・ ・ ・)つるつる(・ ・ ・ ・)した石(・ ・ ・)が入っている。


 ゲドーは、外を指差した。


《取引をしよう。オイラはアンタを運ぶ。アンタはオイラにそれをくれる。どうだい?》

《……》

《グゲゲゲゲ、悩んでもいいけど、タイミングを逸しても責任は取れないよ?》

《ッ! …………》



 悩んだ末、ヴィラは――。




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