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第8章 44

 ◇




 修一と化け物の間を抜けるようにして、時折涼しい風が吹く。戦う二人の熱気を冷ますことは到底できそうにないが、それでもすっかり秋の気配を漂わせ始めた涼風だ。もう何日もすれば、落葉樹から落ち葉が舞い始めるだろう。


 そんな風が、頬や額の汗を撫でる。

 化け物は、そうやって冷やりとした感触を感じ始めたことで、自分の息が上がってきていることにようやく気が付いた。


「かあぁっ――!」


 龍の骨を混ぜた小剣と、龍の鱗を使った鞘で乱れ打つ。

 形相を歪め、目障りな死に損ないの息の根を止めてやろうと、呼吸も忘れて打ち込んでいく。


 黒い刃と刃が交差し、弾け、すり抜けて。


 肌に触れて滑らせることで、一太刀にする。


 草原にはお互いの血と汗が飛び散り、踏み潰された雑草に次々と降りかかるのだが、それでも両者は攻撃の手を緩めない。


 化け物にも修一にも、次第に手傷が増えていく。勝負は互角。


 ――いや。


「ぬうっ!?」


 今、現時点での状況を比べ合えば、若干、修一の側に分がある。

 斬られた回数は、明らかに化け物のほうが上だ。


 それほど大きなダメージは与えられていないため完全に押しているとは言いがたいが、それでもじわじわと増える切り傷が、化け物の自尊心を引っ掻いていく。


 傷そのものはすぐに塞がっていくが、少しずつ削られていくプライドまでは元に戻らないのだ。

 死に損ない相手に有効打を与えられていないという状況も、化け物の心を苛んでいく。


「“***”!」

「っとと!」


 散らした血を刃に変えて打ち込む。が、修一は、危なげながらも刀で受けて弾き、きちんと防いでしまっていた。


 昨日は、いとも簡単に右腕をもらったというのに、もはやそれすらも通じなくなっていた。

 化け物は、隠すことすらせずに悪態をついた。


「くそっ!」


 この人間、昨日とは何かが違う。


 使っている武器の切れ味や強度が前回のものよりも優れているというのは分かる。しかしそれだけではないはずだ。

 たかだかそれだけのことで、怯えや恐怖といった感情まで完全に克服できるはずはない。


 それに、技の切れや反応速度、斬り込みの速さや力強さなども、昨日の戦いよりよくなっている。


 身体能力そのものが、大きく向上しているのだ。


 刃同士をぶつけ合っても弾かれないし、次の一手や戻りも早い。


 自分がまだリソースを使っていないにしても、それは昨日も同じことだったのだ。

 人間の身体能力が、そんな一昼夜程度で大きく変化するなど、普通はありえない。


 いったい、何をした。


「おぉぉらああああっ!」


 大上段から降り下ろしてきた刃を受け止める。そのまま鍔迫り合いになって押してこられた。右手で持った小剣が、少しずつ押し込まれてくる。


「っ……!」


 やむなく左手を添える。両腕で押し込まれたものを、片手では支え切れなかったのだ。


 しばらく拮抗したが、押し切れないと思ったのかやがて修一のほうが諦めた。


 刀を手前に引き滑らせて、身体ごと引いた。


 刃を構え直し、呼吸を整えている。


「やっぱまだ、力じゃ押せんな」


 修一がそんなことを呟いているのを聞いて化け物は、当たり前だ、と吼えそうになる。

 人間がどれ程鍛えたところで、普通はヴァンパイアの身体能力に敵いはしないのだ。


「なら、もうちょい技で押す」


 言葉とともに修一は、軽やかに身を踊らせた。

 まさしく踊るような足捌きで、化け物との距離を詰める。


 そのまま刃を打ち合わせる。


 一合、二合、三合。


 九合、十合、十一合。


 決して強打せず、打ち合わさればすぐに刀を反して次を狙う。


 目を突き、のどを掻き、肋の隙間を通して心臓を噛みにいく。


 手元を叩いて武器落としを狙い、足先に突き立てて指をねじ切ろうとする。


 胴体。肺を串刺すように下から突き上げる。肝や腎を捌くぞと胴薙ぎを見せる。


 手抜けば捩じ込むとばかりに鋭く急所を狙い、しかし本打ちではなくあえて防御させる。


 意識を散らせる。次の一手を意識させる。


 どこを狙うのか考えさせて、そして予想外の一撃を出す。


「!」


 修一は、右下段に刀を引いて切り上げを見せておいてから、左手を刀から離して化け物に伸ばす。


 刀の動きに意識を置いていた化け物は、咄嗟の動きが遅れた。

 一瞬遅れて小剣で弾こうとするが、修一の左手はそれをするりと潜り抜ける。


 化け物の服の、胸ぐらを掴んだ。


「――なっ!?」


 ガクンと、化け物の上体が落ちる。


 修一が、自分の体重に加えて全身の筋力を総動員して、引き落としたのだ。


 修一の打ち込み速度に対応する為ある程度脱力していた化け物は、一瞬、筋力で負けた。


 そしてそのとき化け物の頭を過ったのは、プリメーラの超重力魔術だ。

 膝を付かされてもがいたあの瞬間のことを思い出し、それ以上引き倒されないように全力で両足を踏ん張った。


 そうやって耐えさせることが、修一の狙いとも気付かずに。


「――ほらよぉ!!」


 踏ん張って固まってしまった両足の間を縫って、修一の左足が跳ね上がった。


 化け物の股間を、しこたま蹴り上げる。


 バァンと良い音がして、グニョリと嫌な感触があった。ヴァンパイアにも生殖器があるのかは知らないが、例えなくても股間は急所だ。その苦痛は凄まじいだろう。


「かあっ――!!?」


 化け物は声にならない声をあげた。

 あまりの痛みに目の焦点がずれる。

 反射的に修一を払い除けようと、思いっきり左手で殴りつける。


 修一は、飛んでくる拳の下に、右下に引いたままだった刀を沿わせた。


 刃の切っ先から鍔本に向けて滑ってくる拳を、柄を持ち上げていくことで上に逸らす。

 そして拳が鍔に当たると同時に、鍔本を軸にして手首を返した。


 さらに、手首を返しながら右足を滑り込ませ、上体を沈めて脇の下を潜る。


 刃が返りきると化け物の左足を回り込むようにして自分の左足を引き寄せる。

 返しきった刀の柄尻に左手を添えて――。



「――重霊装填(かさねれいそうてん)



 化け物の左脇腹を、横一文字に深々と斬り裂いた。




 ◇




 ヴァンパイアによって部屋の外に運び出されたリャナンシーたちは、激しい自己嫌悪に見舞われていた。


 御守りするべき立場の主に逆に庇われた。

 それも、昨夜に続いて今回もだ。


 さらにいえば、主様は昨夜の戦闘で思わぬ反撃を受けて負傷していたのだ。

 一晩では治しきれないほどの火傷を負って休んでいた主を起こしてしまった、という事実は、彼女たちにとって許容できるものではない。


 だからこそリャナンシーたちは、助けられたままでいるわけにはいかなかった。

 なんとしても戦闘可能な状態まで回復し、侵入者退治のお手伝いに向かわなくては。


 幸いにして、主様を呼びにいっていたため唯一無事だった小柄なリャナンシーは、光属性魔術の使い手であった。


 メイビーも使っていた体調復元魔術(リストアヘルス)。毒や病気による身体の不調を完全に回復させるこの魔術を、小柄なリャナンシーは全員にかけた。

 彼女らにとっては未知の毒だが、この術の前では無力である。


 これにより毒の影響を排したリャナンシーたちは、さらに小柄なリャナンシーに回復光魔術を使わせて体力の回復を行う。

 神術や水属性の回復魔術を使えるリャナンシーと協力して体力を戻せるところまで戻し、毒で倒れていた五体のリャナンシーは、なんとか戦線復帰が可能な状態まで回復したのだ。


 そして、リャナンシーたちは再び大部屋へと向かう。

 偉大なる主様の手となり足となるために。



 ちなみに、小柄なリャナンシーは仲間の回復のために魔力をほぼ使い切ってしまっていた。また、戦闘行為自体もあまり得意ではないことから、戦闘にはついていかないことにした。足手まといになるのは目に見えていたからだ。

 代わりに彼女は、侵入者を排除した後すぐさまこの砦を放棄して別のアジトに移れるよう、馬車に最重要物品等を乗せて待機することにした。


 ゴソゴソと、分厚い幌突きの馬車に荷物を積み込みながら彼女は、ただただ主様と仲間の勝利を願ったのだった――。




 奥の扉から部屋に飛び込んできたのは、真っ白い髪と真っ赤な目をした女たち、リャナンシーの集団であった。


「主様、戻って参りましたっ――!?」


 先頭で入ってきた女――魔術師の女は、室内の様子を見て目を見開く。


 先程いた連中に加えて、新たな人間たちが室内に踏み込んでいた。

 全員、リャナンシーたちが現れたのを見て臨戦態勢に入ろうとしている。


「新手か……! いや、それよりも、主様は……!?」


 室内を見渡しても、主の姿が見えない。

 どこに行ってしまわれたのか。


「グゲゲ、お前さんたちのボスなら外にいるよ」

「……貴方は?」


 顔の半分に包帯を巻いた人間が話しかけてきた。

 魔術師の女は、いつでも襲いかかれるように構えながら問いかける。


「お前さんたちの敵だよ。正確には、ブリジスタ騎士団魔術師隊の隊長になる。そこで倒れているのは、オイラの同僚たちだ。アンタらの親玉にやられそうになってたから助けに来た」

「……そうですか」


 倒れているのは、自分たちが戦っていた男たちだ。

 なるほど、もう主様はひと通りの敵を倒してしまわれたのか。


「で、こっちもやられたままじゃあ面子が立たんから、追い討ちにきた。今、オイラたちの仲間が、アンタらのボスと外で戦ってる」


 包帯男は、掠れた声で壁に空いた大穴を指差した。

 あそこから、出ていったということか。


「なるほど、よく分かりました。つまり私たちは、外にいって主様を手伝い、貴方たちの仲間とやらを始末すればいい、と」

「グゲゲゲゲ、そうなるな。もちろん、そうはさせないが」


 リャナンシーに立ち向かう形で、ゲドーの背後に人員が集まる。

 ケイナにヴィラ、メイビーにゼーベンヌだ。


 リャナンシーたちも、各々戦闘態勢に入る。

 魔術師の女の他は、呪術師の女、神術使いの女、短剣使いの女、そして短気な女だ。


 一触即発。どちらもが、口火が切られるのを待っている。


「いち、にい、さん、しい、ごお……。グゲゲ、ちょうど五対五だな」


 指差し数えたゲドーが呟く。それから、こんなことを口にした。


「お互い、分かりやすい勝負にしようか」

「……どういう意味でしょうか?」

「要するに、乱戦は避けたいだろ、って話だよ」


 ゲドーは、おもむろに右手を持ち上げる。そして五指を開くと。



「――“*****(アイソレーション)”」



 聞き慣れない呪文を唱えて、さっと降り下ろした。

 魔術師の女は――。


「――えっ?」


 思わず呆気に取られた。


 まばたきをした一瞬で、先程とは別の場所に(・ ・ ・ ・ ・)移動させられていたのだ。


「な……、ここは……?」


 本当に一瞬のできごとで、女は、今自分がどこにいるのか分からなくなる。


 そして、他の連中もいない。いるのは自分と……。


「……グゲゲ。ここは、同じ建物のどこか別の部屋だよ。オイラとアンタが、タイマンするのにちょうどいい広さの。……ああ、そうだ。他の皆もそれぞれ一対一になるようにどこかの部屋に飛ばされてて、どちらかが勝てばさっきの部屋に戻れるようになってるよ」


 自分を連れてきた、ゲドーだけであった。

 だが、そんなことよりも。


「……なんですか、それは。そんな魔術、聞いたことがありませんが……」


 魔術師の女は、未知の魔術を使ったゲドーに、最大限の警戒心を向けた。

 頭の中で、警報音がガンガンと鳴り響いている。

 急に、この男が不気味に思えてきた。見た目以上に何かがおかしいと、そう感じてしまう。


「そりゃあ、ないだろうさ。なんたって、オイラが今、適当に(・ ・ ・)作った(・ ・ ・)んだからな」

「…………は?」


 今、なんと言った……?


「あんまり見られたくないものもあるんでね。グゲゲ」

「…………」


 魔術師の女は言葉を失った。

 ゲドーはあっさりと言ってのけたが、そんなこと、普通は不可能である。


 新しい魔術を作り出すというのは、理論の組み立てから術式の構築を経て、長い時間をかけた検討と調整を行ってようやくできるものである。


 その場でちょろちょろっとやって作れるものなどでは、断じてない。


「っ…………!」


 だが、この男は、絶対にあり得ないようなことを、実際に目の前でやってみせたのだ。


 魔術師の女は、背中に冷たいものが流れるのをはっきりと感じた。


 もしかしたら、この男の実力は、自分なんかよりも遥かに……。


「さて、」

「!?」

「ぼちぼちやるかい?」


 ゲドーは、鳶色の瞳と口元を歪めて愉しそうに笑ってみせた。

 リャナンシーは、喉の奥がカラカラに渇いているのを感じた。いつの間にか動悸が激しい。唾を飲み込んでなんとか落ち着けようとするが、どうにもうまくいかない。


 隠しようもなく、恐怖しているのだ。

 それをはっきりと自覚した。


「ただまぁ、あれか。このままだとちょっと面白くないな。……なぁ、アンタ」

「っ、……なんでしょうか?」

「アンタも魔術師だろ? だったら先に打たせてやるよ。好きな魔術を使ってくるといい。邪魔しないからさ」

「……!」


 その言葉は、魔術師の女にとって最大にして唯一の好機であった。


「……二言はありませんね?」

「もちろん」

「――それなら、」


 リャナンシーは、自らが使い得る最大威力の魔術を、全力で使うことにした。


「“~~~~、~~~~、~~~~、~~~~、……」


 詠唱を省略せず、持てる魔力の全てを注ぎ込んで。


「~~~~、――――ディメンションソード”ッッ!!」


 対象を、空間ごと断ち切る魔術。


 標準魔術の最高峰。空間断裂剣魔術(ディメンションソード)を振り上げ、そして渾身の力で斬り付ける。


「…………」


 ゲドーは、避けようとしない。

 笑ったまま、動かない。


 そのまま、魔術の剣はゲドーの身体に吸い込まれるように接近し――。



「……グゲゲゲゲ」



 そして、…………虚しく空を切った。

 そこにあった、空間だけが大きく割ける。



 いつの間にかゲドーは、遠く離れたところに立っていた。



「……そんな…………」


 手元から剣が消えていく。

 リャナンシーは、呆然とそれを見送った。


「こっそり畳んで(・ ・ ・)おいた(・ ・ ・)空間を、アンタの攻撃に合わせて広げたんだ。だから、間合いが変わってオイラには当たらなかった。……なんて言われても、意味が分からないだろ?」

「…………」

「まぁ、術の切れは良かったよ。オイラじゃなかったら死んでた。そこは誇っていいね」

「…………」

「で、そういうわけだから――」


 ゲドーは、両手を開いて両腕を広げた。


「お前さんの来世に期待してるよ。……ばいばい」


 そして柏手を打つみたいに、パチンと両手を打ち合わせた。


 リャナンシーは。


「――――」



 両側から迫った空間の壁(・ ・ ・ ・)に押し潰されて、一瞬でペシャンコになって絶命した。苦痛を感じる暇もなかったことだろう。



 それを見届けると、ゲドーは元の部屋に戻っていく。



 ……あまりにも呆気ない、ゲドーの勝利であった。




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