第8章 43
◇
「……命令を、遂行しました」
折られた首と胸の穴を直してもらったプリメーラは、開口一番それを伝えた。転移術式を通すために必要な魔力を消費したことで、命令を達成できたと判断したらしい。
「グゲゲ、ご苦労さん」
ゲドーはねぎらいの言葉をかけた。同時に、手でつまんでいた見えない何かを放り捨てた。
「首を折られた感想はあるかい?」
「はい。身体が動かせなくなって少し困りました。前の身体では動かせたのですが」
「普通の人間は動かせなくなるからなぁ。より人間に近付くとなると、不便なところも出てくるよ」
プリメーラは無表情のままで「なるほど」と頷いた。
人間になるというのは、便利になるだけではないのか。
「それよりも、どうしてお前さんは術式の完成を他人に任せたんだ?」
「……いけませんでしたか?」
「いや、感心しているんだよ。陣を完成させるだけなら自分で書ききってしまってもよかったのに、お前さんはそれをしなかった。結果的にその判断は正しかったわけだが、何故そうしようと思ったんだ?」
プリメーラはゆっくりと視線を動かし、現在治療を受けているデザイアたちを見た。
「それは、……そうしなければ、あの三人が殺されていたからです。それはよくないと思いました」
「それは、なぜ?」
「…………だって、」
視線の先では、ケイナがデザイアに薬を塗っていた。
恥ずかしそうに、それでいて、嬉しそうに。
その様子を見ながらプリメーラは、はっきりと答えた。
「そうなったら、悲しいではないですか。あの人たちが死んだら、たくさんの人が悲しむではないですか。……私は、悲しいよりは嬉しいほうがいいと思いました。だから、命令を遂行すると同時にあの人たちを助けられる方法を考えました」
「それで、術式の完成を他人に任せて自分は戦うことにした、と」
「はい」
ゲドーはその答えを聞いて楽しそうに笑った。
「グゲゲゲゲ、そうかそうか。確かに、悲しいよりは嬉しいほうがいいな。オイラもそう思うよ」
以前のプリメーラなら、おそらく助けなかった。命令を遂行できるかどうか以外に価値基準がなく、命令を遂行することこそが己の存在意義だと考えていたからだ。
それが今は、命令と同等程度には、仲間の命を大切なものだと思えるようになっている。
自分が人間であるという認識が、他人を思いやるという思考に繋がっているのだろうか。
良い傾向だ、とゲドーは考える。少なくとも、命令遂行以外に興味を持てなかったころと比べれば、よほど人間らしい。
「とはいえ、自己犠牲も程々に、だな。トマロット副隊長にも、きちんとお礼を言っておくといい」
「そうですね」
プリメーラは、メイビーから中位回復光魔術を受けているトマロットにくるりと向き直ると、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
「いえいえ、私も貴女と同じですよ。貴女がいなくなったら皆が悲しむし、私だって悲しい。助けるのは当然……っ、痛たた……!」
「ほらほら、じっとしてないと」
手持ち無沙汰になって小剣を玩んでいたメイビーは、痛がるトマロットの肩に手を置いた。
「オジサンだってわりと大ケガしてるんだから。心配させないの」
「はは、……面目ない。最後の一撃に魔力を使いすぎましてな、自分の怪我も治せなくなりました」
「そうなんだ」
「そうなんです。どこのどなたか存じませんが、ありがとうございます」
トマロットのお礼を受けて、メイビーは「あー……、うん」と漏らした。
修一に付いてくる形でここまで来てしまったが、本来的には騎士団の仕事であってメイビーがどうこうする類いのものではないのだ。トマロットからすれば、騎士でもなんでもないメイビーが何故ここに来たのかすら分からないだろう。
というか。
「ねえ、ゲドーさん」
「どうした?」
「敵の親玉って、今シューイチが外まで連れてって戦ってるんだよね?」
「そうだよ」
メイビーは、ぽりぽりと頬を掻いた。
「僕、来た意味あるのかな?」
そしてそんなことを言った。
「そりゃ、こうして怪我した人の回復とかはしてるけど、別にあっちのケイナさんとかが順番にやってもよかったことだし。シューイチに言われてついてきたけど、他の神官さんとか連れてきたほうが良かったんじゃない?」
卑屈になっているというよりは、純粋に疑問に思っているようだった。
問われたゲドーは、すっと腕を持ち上げて、向こうの扉を指差した。
「意味はあるさ」
「例えばどんな?」
「グゲゲ、例えばそうだな、あの扉からやってくる奴らへの対応とか、だな」
「……奴ら?」
それは誰のことか、と聞こうとした矢先、メイビーの耳は部屋の反対側にある扉の奥から、数人分の足音が響いてくることに気付いた。
「奴らだ。主の危機とあらば命すら惜しくないような連中だよ」
ゲドーが、右足を引き摺るようにしてそちらへ向けて歩いていく。左足の義足が、コツコツと音を立てた。
その音に、治癒神術をかけていたケイナたちも気付いて扉を見れば。
「――主様っ!?」
チャスカの毒雲を喰らって奥に運ばれていたリャナンシーたちが、部屋に戻ってきたのだった。
◇
修一と化け物の戦いは、最初から激しい打ち合いとなった。
月夜の草原に金属同士のぶつかり合う澄んだ音が鳴り響き、大量に飛び散る火花が当たりの激しさを物語る。
隙あらば相手を真っ二つにしようと加減なしの刃が空を走る。お互いに、躱して、往なして、受けてから突き、払い、斬り返し、あるいは刃を叩き付ける。
「おらあっ!」
修一が、左肩から右脇に抜ける傾げ斬りを振るった。右足から踏み伸ばして、袈裟斬りよりはやや水平に。
化け物は半歩だけ引いて刃を躱す。薄皮一枚を完璧に見切った動きだ。
修一が刀を振り切った瞬間を狙って小剣を突こうとしている。
「っ!」
しかし修一は、振り切る手前で手首を返した。左足でさらに踏み込みながら右に腰を切る。一瞬で刃は逆袈裟に変わった。
右脇腹から入って肝を狙う動きに、化け物は小剣を合わせて跳び下がる。
「おおおっ!」
修一は追う。滑るような足運びで近付き、水月を狙って右手一本で突きを放つ。
化け物は半身に捌いて躱し、またもや剣筋が変えられる前に、突き出された刀の峰に鞘を叩き付けた。
恐ろしいほどの衝撃が刃に伝わる。修一は叩かれた瞬間、咄嗟に腕を下げて刀を取り落とさないようにしたが、切っ先が地面に刺さってしまう。
「ふんっ!」
隙を逃さず、小剣を突き出す。もう退いても遅いだろう。喉笛を掻き切られる。
「っつあ!?」
目前に迫る刃に、下から左手を当てる。化け物の右手首へ上方向の力をかけつつ、自分は下半身の力を抜いてしゃがみ、埋まった刃を引く力で前方に潜り込んだ。
化け物の突きの下に潜り込んだ瞬間、上方に押し込んでいた左手を一気に引き付けて刀の柄尻を叩き下ろす。同時に右手を押し上げれば、てこに似た動きをして埋まっていた切っ先が跳ね上がる。
両足に力を入れて伸び上がれば、土くれを巻き上げて、伸びた化け物の右腕を下から斬り付けた。
「ぐっ……!」
前腕を浅く斬られた。
化け物は苛立ち紛れに、修一を蹴った。「ぐえっ!」と漏らして、修一が吹き飛ばされた。ゴロゴロと草原を転がっていく。
「おお、痛ってえな……」
口の中に土が入った。頭を振ってツバを吐く。
「けど、――斬れるのは分かった」
睨み付けてくる化け物の腕からは、確かに血が垂れている。
前みたいに、斬っても斬れないということはなさそうだ。
「上等だ。次は、もっと深く斬ってやるよ」
蹴られた痛みは問題ない。骨も折れてはいないだろう。
「しゃああああっ!!」
修一は、獰猛に笑いながらさらに踏み込み、化け物に斬りかかっていった。