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第8章 41

 ◇




 砦の壁に空いた大穴から飛び出した修一は、穴のすぐ下の壁面から氷の道を走らせて足場にした。


 スロープ状にして地面まで真っ直ぐ伸ばすと、滑るより早く駆け下りていく。地面までたどり着けば、後ろから追われないように氷を溶かして道を潰した。


 空には、明るい月が浮かんでいた。満月から僅かに欠けた月が風になびく草原の草花をほんのりと照らしている。風はもう夏の気配を残していない。どこまでも秋を思わせる、時折肌寒さすら感じる涼しい風だ。


 化け物は、そんな月明かりの草原に仁王立ちして修一を待ち構えていた。

 だだっ広い草原の真ん中で、赤い瞳が浮かんで見える。


 およそ数メートルの距離まで近寄ると、修一は構えもせず化け物に対峙した。

 敵意も何もない、気楽な声で話しかけた。


「よおっ、化け物。待たせたな」


 人を舐めたような表情。修一が今浮かべている表情を、一言で現すならそういうことになる。

 いかにも挑発し、敵意を自分に集めようとしているのが丸分かりな態度であった。


「…………」


 そんな修一の様子に、砦からここまで打ち飛ばされたヴァンパイアは無言を貫く。


 小剣と鞘はそれぞれの手に持ったままだらりと垂らし、肩幅より広めに開いた両足は、いつでも力を込めて飛び出せるように備えられている。


 全身の傷はあらかた癒えていた。修一が追ってくるまでの間にリソースを注ぎ込んだのか、戦闘には一切支障がなさそうだ。


「なんだ、怖い顔してるじゃねえか。俺に殴られたのがそんなに堪えたか? それともまさか、……ビビってる、なんてことはないだろうな?」


 嘲笑混じりの修一の言葉。

 別に本心で思っている訳ではない。ただ、反応があるまで神経を逆撫でしまくって、冷静さを削ごうとしているだけだ。


「あの部屋にいた騎士団のやつらに数人がかりでボコられて、ようやく退けたと思ったら次が来たんだ。腰が引けても仕方ないか。お前らがやったこと考えたら全然これっぽっちも卑怯だなんて思わないけど、まぁ、負けたときの言い訳ぐらいにはなるんじゃないか? 多勢に無勢で囲まれて倒せませんでしたってな」


 なおもつらつらと口から飛び出すのは、よくもまあそんなに口が回るものだというような言葉の数々。戯言だ、と聞き流せばなんでもないような、軽薄で無神経な言葉たちだ。


「っ…………」


 だが、修一にははっきり分かった。この化け物、聞き流そうとしてはいるが、内心はそんなに穏やかではない。すでにいくらかプライドを傷付けられているのか、苛立ちは強まってきている。


 やがて化け物は、忌々しげに呟いた。


「……どいつもこいつも」

「あん? どうした? 言いたいことがあるならはっきり言えよ」

「……!」


 修一の物言いに、赤目の男は牙を剥いて睨んだ。


「……貴様らみたいなカスが、我輩の前に立つな……!」

「……へぇ?」


 化け物は、ギリッと奥歯を噛み鳴らす。

 修一は、軽薄な笑みを浮かべたままだ。


「目障りだ……! ムシケラも獣も人形も! 思い上がりも甚だしいぞ! 人間など、我輩たちの糧でしかないのだ! 餌は餌らしく身の程を知れ!!」


 吼えるとともに、地面を踏み締めて小剣を構える。

 赤い瞳は今まで積み重なってきた怒りでギラキラとしていて、その憤怒の矛先が、目の前の人間に向かおうとしている。


「……ご立腹だな、化け物。ようやく地が出てきたんじゃ――」

「っ!」


 言葉の途中の修一に、化け物は小剣を突き込んだ。


 そして。



「――っ!?」



 次の瞬間、頭から地面に叩き付けられていた。

 突き出したはずの右腕は、何かに絡め取られてあらぬ方向に向いている。


 いったい、何が起きたのか。

 化け物にはまったく分からなかった。


「……千鳥足蔓(ちどりあしかずら)、だ」


 頭上から、人間の声が降ってくる。

 やれやれと言わんばかりに。


「ありがとよ、挑発に乗ってくれて。お前の短気のお陰で、先手は俺がいただいた」

「……!」


 やめろ。我輩を。


「見下すな!」

「おっと」


 取られていた右腕を無理やり動かして修一を弾く。

 修一は素直に距離を取り、腰の得物に手をかけて男が起き上がるのを待った。


「クソっ……!」


 化け物は頭を振って立ち上がる。

 多少視界が揺れているが問題はなさそうだ。


「あんまり効いてねぇみたいだな。予想通りっちゃあ予想通りだが」


 呑気なことを呟く修一。

 やはりそもそもの頑丈さが人間とは段違いなのだと、ここで再確認した。


 化け物は、そんな修一に憎悪の籠った視線を向けるが、ふと何かに気付いたようだ。


「よくよく見れば貴様、……昨日館に忍び込んでいたネズミではないか?」

「……なんだ、今更だな。人の顔ぐらい覚えとけよ」

「いったい誰が、始末したネズミの顔を覚えておくというのだ。だが、確かにトドメは刺さなかったが、まさか生きていたとはな」


 男は服の襟元を、ぐいっと引っ張った。

 左頬から首筋、さらにその下まで伸びる火傷の痕が月明かりに晒される。

 怒りと憎悪の中に、少しだけ喜色を滲ませた。


「どうやら、この火傷の借りを返せそうだ。今度こそ殺してやるぞ、死に損ないめ」

「…………はははっ、」


 修一は、その言葉を受けて乾いた笑いを漏らした。軽薄な笑みを浮かべたまま。隙だらけで。


「……?」


 だが、化け物は眉をひそめた。

 何か、修一の雰囲気が変わった気がしたのだ。


「……いやいや、なんだ。それはこっちの台詞だし……、そもそも俺は生きてた(・ ・ ・ ・)訳じゃない(・ ・ ・ ・ ・)。――地獄の淵から、帰ってきた(・ ・ ・ ・ ・)んだよ」


 言うや否や、修一は腰の得物を抜いた。

 するりと、一切の淀みなく。いかにも慣れ親しんだ動作であった。


「――!」


 そして、刃を抜くに合わせて、修一の雰囲気が大きく変化した。


「借りってことなら、俺だってそうさ。お前には、たっぷりと借りを返さなきゃならん。俺のこともそうだが、……お前は、俺の仲間を傷付けすぎた。決して許してはおけない」


 すでに、軽薄さは微塵もない。

 抜いた得物と同じか、それ以上に研ぎ澄まされた刃のように戦意を張り詰める。


 化け物の怒りに負けず劣らず、修一の心は地獄の釜のようにぐつぐつと煮え滾っていた。


「俺は、そのために帰ってきた。これを手にして。渡し賃(・ ・ ・)は高かったが、後悔はない」


 これ、と示したものの柄を両手で握り、正眼に構える。


 それは、刀。


 墨よりも黒い刀身の刀だ。


 修一が、元いた世界に置いてきていたはずの。


 修一のご先祖様、白峰一刀流の初代頭目が自分のために打たせたという、白峰家に代々伝わる、――人切り包丁だ。


「いいか、俺はな、……化け物」


 かつて、数え切れないほどの人間を斬り、夥しい量の血を浴びた黒い刃を構え、修一ははっきりと告げた。



「――お前をぶっ殺すために、今、ここにいるんだよ」




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