第3章 8
◇
修一たちにはよく聞こえなかったが、室内から返事があったようだ。
男が扉を開いて修一たちに中に入るように促す。
最初に修一、その後ろをノーラとメイビーが続き、三人が室内に入ったところで扉が閉じられた。
修一は、視線だけで室内を見回しながら歩を進める。
部屋の内装を修一の主観で大雑把に表現すれば、高校の校長室のようだった。
部屋の中央には向かい合わせに置かれたソファーとその間にローテーブル。
右手側の壁には本棚が備え付けられ、左手側の大きな柱時計が静かに時を刻んでいる。
窓はなく、天井と壁に取り付けられた魔導ランプが光源となっていた。
そして部屋の一番奥には高級そうな机と肘掛椅子が置かれており、肘掛椅子には白髪交りの初老の男性が座り、その後ろに二十代位の男が立っていた。
――あの後ろの男は、危険だな。
修一が後ろに立つ男――ワイズマンに対して警戒する。
この建物に入った時から感じている殺気が、この男から出ていると気付いたからだ。
すでに修一たちを視線で射殺さんばかりに睨み付けているワイズマン。
何時、腰の剣を抜き放ってきてもおかしくないような状態であった。
修一はソファーの前まで歩み寄ると、椅子に座った初老の男に声をかける。
「よう、あんたがここのボスか?」
「うむ、儂がカズールファミリーのボス、シエラレオ・カズールだ」
「っ!!」
修一の普段通りの口調を無礼と感じたのか、ワイズマンが咄嗟に腰の剣に手を抜こうとして、
「止めろ」
――シエラレオの言葉に、ピタリと動きを止める。
そこには、逆らうことを許さないボスとしての気迫が込められており、気の弱いものが聞けば泣き出してしまうのではないかと思われるほどだ。
現に、メイビーは驚いて目を丸くしているし、ノーラは眉間にしわを寄せ、口を真一文字に引き締めている。
「おいおい、俺たちは話があるって言われてここに来たんだぞ。
まさか、お前らの方から手を出してくるのかよ?」
しかし、修一は先ほどまでと同じ口調でシエラレオに文句を言う。
シエラレオの気迫を一切気にせず、それどころか修一までもが腰の剣に手を掛けようとした。
「シューイチさん!!」
流石にこれはマズいと感じたノーラが、修一を止める。
「……分かってるよ、ノーラ。
オッサン、お互いに我慢できなくなる前にさっさと話を付けようぜ」
「そうだの、単刀直入に行こう、これ以上儂らの組員を襲うのを止めてくれんかの?」
「対価は?」
「お前らがこの契約書を欲しがっているのは分かっておる。
そこにいるエルフが署名したものを、儂が金貸し連中から買い取った物だ。
これを渡すから、もうこれ以上は儂らに関わらないでくれ」
そう言って、修一の足元に契約書を放り投げる。
修一はその契約書を拾い上げ、メイビーに手渡す。
メイビーは、渡された契約書を丹念に確認していたが、間違いなく自分が書いたものだと分かると、安堵の表情を浮かべた。
「ふーん、随分あっさりと渡してくれるんだな、もうちょい手練手管を使って交渉してくるかと思ったんだが」
「ふん、お前のような奴とは出来る限り関わらんに限る。下手に交渉して暴れられても困るからの」
「まあ、正しいな。俺もお前らみたいな社会のゴミを見てると腹が立つから、こんな所一秒たりともいたくないな」
わざわざシエラレオを挑発してみる修一。
ここで後ろの男が怒りに任せて襲い掛かってくれば、それを口実に二人まとめて叩きのめしてやろうと思っているのだ。
しかし後ろの男は、先ほどシエラレオに止められた後は静かに立っている。
内心はともかく、少なくともこの場においてボスに逆らうつもりはないようだ。
――流石に、一組織のボスとしての貫録は違うな。
「オッサン、俺たちはこの後町を出ていくが、追っ手を差し向けたりしないでくれよ?」
「ああ、そもそもお前らとはこれ以上関わりたくない。勝手にどこかに行ってくれ」
「あとは、そうだな、メイビーが落とした剣はお前らが持ってるのか?」
「剣? 何の話だ?」
シエラレオは不思議そうな声を出す。
そこにメイビーが恐る恐る口を挟む。
「僕がこの町に入った時に何人かが襲ってきたでしょ、その時に剣を落としたんだ。
装飾の入った小剣で、後で襲われたところを探しても見つからなかったから、オジサンたちの手下が持って行ったと思うんだけど」
「ふむ、おい、ワイズマン。確かその時はお前が部下を連れていたはずだの。そんな覚えはあるか?」
目の前に座るボスから問われたワイズマンは、少しだけ考える素振りを見せる。
「いえ、……そんなものは拾ってませんね。
大方、そのエルフの勘違いではないでしょうか」
「そ、そんな!」
「おい、本当に、何も、知らないのか?」
修一はワイズマンに再度問う。
ワイズマンは、睨み付けてくる修一を同じように睨み返しながら、はっきりと告げる。
「ああ、知らないな、俺の部下は、そんなモン拾っちゃいねえ。
そうだな、落とした所に行ってみれば何か分かるんじゃないか?
あの辺は人通りが少なく人目に付きにくい場所だから、ひょっとしたらまだ落ちてるままかも知れないぜ?」
ワイズマンのその答えを聞いても、尚もメイビーは食い下がろうとする。
「そんなはずはないよ、僕が捜したときは確かに無くなっていたんだ! それに、落としてから二十分も経ってなかったのに!」
しかし、ワイズマンはそれ以上口を開こうとしなかった。
メイビーが何を言ってもこれ以上答えるつもりはないとの意思表示であり、シエラレオもこの件に関しての話はこれで終わりだと言わんばかりに、部屋の外に待機させていた部下に扉を開けさせた。
納得がいかないメイビーであったが、契約書自体は既に手に入れることが出来ており、これ以上食い下がって話が拗れるようなことになれば修一とノーラに迷惑がかかると考えて、渋々引き下がった。
修一はそんな二人のやり取りを見ながら何事かを考えていて、ノーラはなんとかお互いに手を出さずに話がまとまった事にホッとしていた。
そして三人が部屋を出ようとした際、修一はわざとらしい声を出してメイビーに話しかける。
「ああー、メイビー、このままじゃイマイチ納得いかないんだよな。それなら、もう一度襲われた所に行って本当に落ちてないか確認してみようぜ。そうだな、今の時間が……」
そう言いながら修一が室内に置かれた柱時計に目を向けると、もうすぐ正午になることが分かった。
そして、修一が何を言いだしたのかと驚いているノーラに目線と表情で詫びを入れる。
「うん、もうすぐ昼になるのか、それならどっかで飯を食って、午後二時くらいまで現場を探してみようぜ。それで見つからなかったら町を出よう。なあに、ひょっとしたら近くを通りかかった親切な人が拾ってくれていて、俺たちが探してる姿を見たら、拾った剣を持って来てくれるかもしれないさ」
一息に言い切った修一に、メイビーは首を傾げながらも剣の捜索を了承した。
メイビーとしても、剣を無くしたままこの町を離れるのは避けたかったことであり、出来る限りのことはしておきたかったからだ。
そうして部屋を出て行った三人はそのままアジトの外まで出ると。
「……」
ズンズンと歩いていく修一を先頭にして、アジトから離れてくのだった。
◇
移動中、ずっと問いたげな目を向けてくるノーラをあえて無視した修一は、そのまま小さな食堂に入り込み、席に着いてからノーラに声をかけた。
「んー、ここで飯にしようかと思うんだけど、ひょっとして別の店の方が良かったか?」
「……いえ、食事はここでも構いませんし、好きなものを注文してくれて大丈夫ですが、先ほどのは一体何事ですか? 何らかの意図があったのは分かりますけれど」
「へ? どういうこと?」
早くもメニューを眺めて何を頼もうか考えていたメイビーが、二人の会話に疑問を挟む。
「まあ、その話は追々するからとりあえず飯を食おうや。流石にあの人数を相手にすると腹が減る。メイビーも腹減ったよな?」
「え、うん」
「はあ、まあいいでしょう、私も緊張したらお腹が空きました」
そうして三人は自分の食べたい物を注文した。
メイビーの注文内容は少しだけ遠慮したものだったが、支払い担当のノーラからもっと頼んでもいいと言われ、もう一品追加した。
ちなみに修一は最初から二人前以上の量を注文し、きれいに完食した。
店を出て、メイビーの案内で最初に襲われた場所に向かう修一たち。
歩きながら、ノーラが修一の服の裾を引っ張った。
「さあ、そろそろ話してくださいよ」
「おう、と言ってもそんなに難しい話じゃあないけどな。ワイズマンって呼ばれてた男がいただろ」
「ええ、いましたね、何やら目をギラギラさせた人が。二人して剣を抜こうとするとか、正気を疑いましたね」
「ん? それって俺も正気じゃないってこと?」
「当たり前です」
ノーラは、当然とばかりに頷く。
「……カッとなったのは事実だから、いいけどさ。
それでだ、――あの男は危険だ。剣がどうとかの話じゃない。
オッサンは組織の利益を考えて俺みたいな人間とも理性的な交渉ができるが、あの男は違う。
自分の怒りを隠すことはできても抑えることはできない人種だ。
さっきは、自分のボスに諫められて大人しくなったが、いつまでもそのままでいるとは思えない。
だからこそ、誘ったんだよ」
「……あ、まさか」
ノーラが修一の言わんとする事を理解したとき、前を歩くメイビーから声がかかる。
「ねえねえ、二人とも何を話してるの?」
「んー、ワイズマンってムカつくよな、って話」
「あ、そうだよね! 絶対、アイツらが僕の剣を持っていったと思うんだ。なのに知らないって言い張っちゃって、嫌になるよ全く!」
メイビーは先ほどのやり取りを思い出して再び怒り出した。腹に据えかねているのか、それだけ落とした剣が大切なのか。
その辺りの事情を修一たちははっきり聞いていなかったのだが、持って行かれたと思っているにも関わらず現場を探しに来るくらいには大切なものらしい。
「ま、きっと見つかるさ」
「そうですね、おそらく見つかるとは思います」
そして、ぷりぷりと怒っていたメイビーは、急に思い出したように修一に問う。
「そういえば今まで聞かなかったけど、二人はどういう関係なの? ブリジスタに行く途中なのは聞いたけど」
「あれ、そういやあバタバタしてて言ってなかったっけ?」
「言われてみればそうですね、簡単に説明すれば、私がブリジスタにある実家に帰ろうとしていて、シューイチさんが護衛として一緒に付いてきてくれているのです」
「ついでに言えば、ノーラが山賊に襲われてたのをたまたま通りかかった俺が助けて、そこから一緒に行動してるんだけどな。ちなみに、ノーラは俺と会うまでは一人で歩いて帰ろうとしてたらしいな」
メイビーがノーラの方を向いて眉をひそめる。
「えー、ノーラって戦えないんでしょ?
よくそれで一人で帰ろうと思えたよね、無茶すぎるんじゃない?」
「だよなあ、正直言って俺と会うまでの間よく無事だったと思うんだけど」
「失礼ですね二人とも、戦えなくても身の安全を守る手段なんていくらでもありますよ」
「はいはい」
いくら手段があっても実際に身を守れてなければ意味ないだろ、と修一は思ったが、口には出さなかった。が。
「うあっ、ちょ、適当に返事したのは悪かったから脇腹を抓るのは止めてくれ」
「シューイチさんって、時々とんでもなく雑な返事をしますよね、それって地味に傷つきますからね」
「あはは」
「メイビーも笑ってんじゃねえよ」
メイビーはゴメンゴメンと謝りながらも顔は笑ったままだった。
益のない雑談をしながら歩いていたところで、メイビーが立ち止まり振り返る。
「この先だよ」
「あいよ」
「これはまた、入り組んだところですね」
ノーラがそう呟くのも無理はない。
ここに来るまでの間、メイビーはひたすら狭い路地を抜けていき、途中何度か建物の敷地内を通ったりもしたのだ。
はっきり言って、修一は同じ道をもう一度通れと言われても自信がなかった。
「逃げてる間は僕も迷いに迷って大変だったけど、魔力が回復した今なら順路検索魔術が使えるからね、おかげで迷わなかったよ」
「なんだ、その便利そうな魔術は」
「シューイチさん、魔術というのは基本的に生活や戦闘の利便性を向上させるために生み出された技術ですから、これくらいは出来るんですよ」
「ちなみに、一度でも行ったことのある場所しか指定できないから、知らない土地を歩くにはまた別の魔術を使わないといけないけどね」
「なるほどなあ」
そして襲われた現場を確認する修一。
メイビーが足を止めたところから二十メートルほど先で道が直角に曲がっており、その先を見通すことが出来ない。
修一が先頭に立ち、奥に進んでいく。
角を曲がりその先に目をやると、そこから更に十メートル程の所で道は終わっており、大きな建物――おそらく何らかの倉庫――の壁が見えるだけだ。
道の両側も建物で囲まれており、幅五メートル程度の道が真っ直ぐに伸びている。
完全な袋小路であり、襲撃するには持って来いの地形と言えた。
「こりゃあ、襲ってくださいと言わんばかりの場所だな」
そうぼやいた修一は、行き止まりとなっている所まで歩いていくと振り返り、自分たちの背後、来た方向を睨む。
後ろを付いてきていた二人は、一瞬どうしたことかと思ったが、修一は二人の後ろに回り込み、まるで何かから庇うように腕を組んで立つ。
事情を察したノーラは緊張した様子でゴクリと唾を飲み込み、そうでないメイビーは、何をしているのだろうといった顔で修一を見る。
「ねえねえ、どうしたの? 一緒に剣を探してくれるんじゃないの?」
「いや、やっぱり捜す必要はなさそうだな」
「へ? それってどういう……」
その時、自分たちが歩いてきた道の先、曲がり角の向こうから誰かの声が響く。
「よう、随分待たせてくれるじゃないか」
「!?」
いきなり聞こえた声に、メイビーが警戒する。
靴の音がジャリジャリと路地に響き、声の主が姿を現す。
「時間は午後二時だって言っただろうが、そんなに俺らと戦いたかったのかよ」
「当たり前だろうが。
――ボスはこれ以上関わるなと言ったが、ふざけるなってんだ。
ウチの連中をここまでやっておいて、なんのお咎めもなしにこの町を出られると思うなよ」
声の主――ワイズマン――は、修一を睨み返しながら剣を引き抜いた。