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第8章 40

 ◇




 その姿を見て、その声を聞いて。

 ノーラは数秒呆気に取られた。


 まさか、そんな、と。

 目の前の出来事が信じられない。


「白峰修一、ただいま参上だ、……とな。来て早々めくら打ちしちまったけど、まぁ、上手くいったみたいだな。ゲドーのやつも良い仕事してくれる」


 そう言って笑うのは、黒髪黒目の少年だ。

 騎士団の応援を呼ぶための転移術式。これの完成と同時にここに現れ、ノーラの目前で刃を振り上げた化け物を、問答無用で吹き飛ばした。


 吹き飛ばされた化け物は一瞬でノーラの視界から消え去り、部屋の壁を突き破ってどこかに行ってしまっている。


 おそらく砦の外まで飛ばされたのだろう。

 突き破った壁の向こう側に、月明かりに照らされて黒々となびく草原が見えた。


 はたして、どれほどの力で打ち付ければそんな事ができるというのか。

 ノーラには分からなかった。


「さて」


 少年、――白峰修一は、右掌を突き出して両足を大きく広げた体勢から、後ろ足を引き付けて手刀を切った。

 手刀を刃に見立てて血払いをする形だ。素手のまま、――腰に得物を吊ったままで。


「取り敢えずブッ飛ばしたはいいけど、どの程度効いてるもんかね。多少は痛がってくれるとありがたいんだが……」


 「無理かな、やっぱ」と苦笑ぎみに続けて、修一は額の傷を掻く。

 言葉とは裏腹に声の調子は恐ろしく軽い。

 効いてなくてもまるで問題がないかのようだ。


 ここでようやく気を持ち直したノーラが、目の前の男に声をかける。床に座り込んだ姿勢のままだったため、見上げるような形になった。


「あ、あの……」

「ん? ……お、ノーラか!?」


 呼ばれた修一は、相手がノーラだと気付くとばっと向き直ってどんと膝を付いた。

 あまりの勢いに思わず身を引きかけたノーラを、しかし修一は両肩を掴んで引き寄せる。


 鼻と鼻がくっつきそうな至近距離で、ノーラは真正面から修一と見つめ合うことになった。


 さあっ、と頬が熱を帯びていくのが分かった。


「大丈夫か!? 怪我は! 痛いところはないか!?」

「わっ、ひゃっ……!?」

「変なことされてないだろうな!?」


 「近い、近い!」とノーラは思うが、思ったように言葉が出てこない。

 普通に肩を掴まれているわけだが、正直なところ、それだけで今のノーラはいっぱいいっぱいになりそうだった。


 修一は、なおも心配そうに問うてくる。


「というか、連れてかれて捕まってるって聞いてたのに、なんでここに? デザイアたちが助けてくれたのか……?」

「えっと、その、……色々ありまして」


 色々、の部分はまさしく「色々」だった。

 一言でうまく言い表せなくて、ノーラは少し言い淀む。


 すると修一は、何かに気付いて表情を変えた。

 動いた視線の先は、ノーラの手。

 トマロットの治療を受けてもまだ治りきっていない、ノーラの左手だ。


 修一は肩から手を離すと、そっと両手で包み込んだ。


「あ……、」


 さらに修一は、改めてノーラの全身を見る。

 服はボロボロで靴も履いてない。いたるところがホコリや血で汚れている。顔色も、緊張で赤く色付いていることを差し引けば、明らかに濃い疲労が浮かんでいた。


 顔を伏せながら修一は、包み込んでいたノーラの左手を優しく握り締めた。

 吐き出された声は激情を抑え込んでいるのか、かすかに震えていた。


「……アイツらにやられたのか?」

「……その、」

「アイツらと、……戦ったのか?」

「っ…………」


 握り締める力が強くなる。ぎゅうっと。

 ノーラは、まるで観念したみたいに、そっと息を吐いた。


「…………はい」

「…………そうか」


 修一は顔を伏せたまま、それ以上何も言わない。

 そういう反応をされても、どうすればよいかノーラには分からなかった。


「……シューイチさんこそ」


 分からなかった。から、ノーラは。

 自分も同じように問うことにした。


「こんなところに来て、大丈夫なんですか? 怪我は? 痛いところは?」

「……俺は」

「胸の傷も、それに、……その腕も」


 きちんと治っているんですか。


 と、ノーラは不安そうに見つめている。

 修一はわりと自分の体調なんかを軽んじるところがあって、お節介をするときなどは特にそれが顕著である。


 実際、昨日の戦いで命に関わる大怪我をしていたというのに、今もまたこうしてここに来ているのだから、ノーラの不安というものは決して和らがない。


 修一は、バツが悪そうにそっぽを向いた。


「……大丈夫さ。身体の調子はこれまでにないぐらい良いよ」

「そう、なんですか……?」

「ああ。……それに俺は、身体の調子なんて関係なくここに来るよ」

「……それは、」


 どういう意味ですか、と聞こうとして、しかしそれはできなかった。


 転移術式が再び光り出したのだ。

 また誰かが、ここに来ようとしていた。


 修一はそっと握っていた手を離すと、静かに立ち上がる。

 ノーラはそれが、少しだけ寂しかった。

 

 やがて現れたのは、顔の右半分を包帯でぐるぐる巻きにした若い男であった。

 男は、修一とノーラの様子を見ると、掠れたような声で笑った。


「……グゲゲゲゲ。オイラが来るからって遠慮しなくてもいいのに」

「バカ言うなゲドー。ノーラが嫌がるだろ」

「そうなのか。それは知らなかったよ」


 ゲドーと呼ばれた男の言葉には、どこかからかうような響きが滲んでいる。

 それを理解した修一は、不機嫌そうに舌打ちした。


「ちっ、……ところで、ゲドー」

「グゲゲ、なにかな?」

「それ、治してやれないか?」

「んー?」


 それ、と視線で示したのは、先程まで握っていたノーラの左手だ。骨が砕けるまで殴ったせいで、微妙に歪んでしまっている。

 ゲドーは覗き込むようにして確認すると、包帯に隠されていない左目を愉しそうにひん曲げた。


「……ああ、なるほど。アンタ、オイラの部下の仕事を手伝ってくれてたんだな」

「え……? あ、はい」


 ここでようやくノーラも、この男が何者か理解した。

 ブリジスタ騎士団魔術師隊隊長、ゲドー・リペアパッチ。

 通称、『継ぎ接ぎ』ゲドーと呼ばれている男だと。


「本来なら対価を貰うんだが……、グゲゲ、今回は手伝い賃ということでサービスするよ」

「あ、ありがとうございます……?」


 ゲドーの言っていることの意味がいまいち分からないノーラは、曖昧にお礼を言う。

 それを気にした様子もなくゲドーは、ノーラの頭の上に右手を持っていった。


「じっとしててくれよ?」

「……?」


 言われるがまま、じっとするノーラ。

 ゲドーはゆっくりと指を動かして、何かをつまんで(・ ・ ・ ・)みせると。


「――そぉら!」

「っ!?」


 貼られたポスターを破るみたいにして、勢いよく手を振り下ろした。

 その途端、ノーラの耳の奥でベリベリと何かが剥がれる音(・ ・ ・ ・ ・)が聞こえた。


「え……?」


 幻聴などではない。

 間違いなく聞こえた。


 そして、その効果は劇的であった。


「……これは、なにが……?」


 何かが剥がれる音が聞こえたかと思うと、ノーラの身体から、今日一日で積み重なった疲労が跡形もなく消えたのだ。

 加えてその効果は身体の怪我やダメージにも及び、先程までズキズキと鈍い痛みを発していた左手も元通りに戻っている。もう、どこも痛くない。


 ノーラは半ば呆然のした様子で自分の身体を見回す。何が起きたのか理解できない、といった顔をしている。

 ゲドーはそれを見て笑いながら、つまんだそれ(目には見えないがおそらく何かある)を適当に放り捨てた。

 部屋の端のほうで融けきれずに残っていた氷の杭が、音を立ててガラガラと崩れた。


「面倒だから、全部まとめて剥いだよ」

「そうか。ありがとな」

「グゲゲゲゲ、どういたしまして。……さて、修一。奴さんそろそろ痺れを切らしそうだな。他の連中連れてくるのも含めて、ここはオイラが面倒見るから、さっさと行って相手してやりなよ」


 ゲドーの言葉に修一は頷いた。

 腰の得物を手で確かめて、化け物が飛び出していった壁の穴を睨む。

 それだけで、修一の雰囲気が変わった。ぴりぴりと戦意を漲らせている。


 ノーラはグッと息を呑み、そして問うた。


「……シューイチさん」

「……なんだ?」

「勝算は、あるんですか?」


 修一は昨日あの化け物に敗れている。

 しかも、今の化け物は昨日よりもさらに手強くなっているはずであった。

 無策で突っ込んでなんとかなる相手ではない。


 修一は額の傷を掻きながら、このように答えた。


「勝算は……、あるよ。一応ね。今の俺は、――ひと味違う」


 そして軽い調子で手を伸ばすと、いきなりノーラの頭をわしゃわしゃと撫でた。


「あ、ちょ……!」

「ははっ。――それじゃあ、行ってくるよ」


 一通り気が済むまで撫でると、手を離して駆け出した。壁の穴に迷いなく飛び込んで、夜の闇に挑んでいく。


「…………シューイチさん」



 ノーラは名残惜しそうに、修一の名前を呟いた。




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