第8章 33
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デザイアの勘が強く働いた、というのが一番の要因だろう。
チャスカがやられる前にこの部屋に、デザイアたちがたどり着けたのは。
進むにつれ分かれ道や封鎖された通路が現れたが、どのルートを通るのが最短であるか、デザイアの神憑り的な勘はそれを外さない。
いつしかデザイアはエイジャに並んで先頭を歩き、進路の決定と罠の発見に努める。解除の必要なもの以外無視して進行速度を上げ、迎撃に出てきたオーガなど鎧袖一触で斬り捨てた。
近付いているのが、はっきりと分かる。
同時にチャスカの状態も。
最後の角を曲がって扉が見えたときには、デザイアは波濤を振り上げて駆け出していた。
「――波濤っ!!」
装飾のないシンプルな扉は蒼い奔流に突き破られた。
部屋の中に見えたのは、血を流すチャスカとそれに相対するひとりの男。
白い髪に赤い眼。
あれが、そうか――!
「っ……――!」
デザイアの後ろ髪がざわりと持ち上がった。
瞳孔が開く。心臓が跳ねる。
奴を仕留めろと、心の奥から声がする。
チャスカが飛んだ。
床から伸びた刃ごと、男に波濤を叩き付ける。
後方のエイジャが放った銀弾が脇を抜けていき、それとほぼ同時に波濤が男を飲み込んだ。
「おおおおおおっ!!」
そのまま室内に走り込むと、一息に男との距離を詰める。
蒼光が消えた。
男はまだ立っていた。
怒りの篭る赤い眼を向けてきていたが、それは、デザイアだって同じだった。
青い瞳は炎のように激しく、獣のように鋭い。
装飾剣を叩き付けながら真正面から睨み付けた。
「俺が、相手だ!!」
「――!」
蒼銀色の刃が踊るようにして風を切り裂く。
双剣乱舞。
大時化の波濤のような連撃が、男を少しずつ押し込んでいった。
「大丈夫か、チャスカ」
「ふっへっへ。遅かったなぁ、ブライアァン」
先頭で飛び込んだデザイアに続きブライアン以下残りの騎士たちも室内に突入する。
エイジャは、銃を構えたままデザイアと男の打ち合いを見据える。
隙があればいつでも弾丸を撃ち込むつもりだ。
神官のトマロットは神術を唱える。
入った扉のすぐ横に陣取ると、半透明の壁を造って安全地帯を生み出す。
そしてすぐに別の神術に取りかかった。
「……こちらです」
「は、はい!」
プリメーラはノーラを引っ張って一緒に安全地帯に入ると、壁を背にしたまま片膝を付き手印を組んで俯いた。
「“~~、~~、~~~、~~~、~~~、~~~~、~~~~、~~~~、~~~~、~~~~、~~~~~――」
そして息継ぎすらもせずに、凄まじい速さで詠唱を始めた。
淡々と抑揚もなく、それでいて音節ごとできちんと区切られた明瞭な発声。
まるで機械のように正確なそれは、彼女の詠唱速度をもってしても数分かかる長さの呪文。
彼女は、本来なら時間をかけて丁寧に書き記す必要のある魔術式を、言葉だけで再現しようとしているのである。
「すごい……あ、」
浮遊状態の解けたノーラが、読経のようなプリメーラの詠唱を聞いていると、血まみれのチャスカを担いだブライアンが戻ってきた。
「治療を頼む」
安全地帯内にチャスカを下ろしトマロットに告げる。荒い息を吐きながら座り込んだチャスカに、トマロットは用意していた高位治癒神術をかけた。
「ひっひ、……ブライアン」
「なんじゃ」
デザイアの援護に向かおうとしたブライアンをチャスカが呼び止める。
振り向いた白髪の大男に、茶髪の男は左手を突き出した。
その手に握られているものを差し出すようにして。
「これを、デザ公に」
「……分かった」
ブライアンは騎士剣を鞘に戻し、チャスカから鉈の呪授武器『渇血』を受け取る。
チャスカは黒蟲を呼び戻しながらさらに続けた。
「使ってきた血印魔術は、薄刃、瞬動、運搬、硬化だ」
「伝えておく」
「エイジャにもだ。あと、もっと下がらせろぉ、あそこはまだ射程内だ」
「うむ」
それだけ聞くとブライアンは走る。
盾を前面に構え、デザイアと男の打ち合いに割り込むようにして突っ込んだ。
「ぬぅうん!!」
体重全てを乗せたタックルは、防御した男を弾き飛ばす。
ブライアンの盾は聖別武器だ。
痺れるような痛みがヴァンパイアを襲った。
「貴様――!」
反撃するため立て直そうとした男の足に、銀弾が撃ち込まれる。
エイジャからの援護射撃だ。
ブライアンはさらにもう一度ぶちかまして男を吹き飛ばし、その隙にデザイアに鉈を渡す。
「これは?」
「使えじゃと」
「……そうか」
デザイアは騎士剣を床に刺して鉈を受け取った。
ぐっと握って感触を確かめる。間合いが少々変わることになるが大きな問題ではない。
それ以上に恩恵はあるし、なにより気合いが漲ってくる。
代わりにブライアンはデザイアの剣を掴んだ。
ブンと振って男に向き合う。
「エイ坊、もっと下がっておれ!」
「りょーかい!」
「行くぞ!」
「ああ!!」
二人の騎士団長が同時に男に詰め寄る。
二対一の乱戦に持ち込むつもりのようだ。
それに対して男は、口の中の血を吐き捨てた。
「“***”!」
デザイアとブライアンの進路の先。
足元から二人に向けて無数の刃が伸びた。
「ぬん!」
ブライアンは盾で受け。
「おらぁ!」
デザイアは鉈で叩き割る。
「――右に跳べエイジャ!」
「!」
考える間もなくエイジャは大きく跳び逃げた。
次の瞬間には、エイジャの立っていたところからも血の刃が飛び出していた。
先程よりも後ろに退いていたのに。
「ちっ! まだ届くのかい!」
舌打ちしながら、さらに下がる。
その間にも援護射撃を一発二発三発。
四発、――合計六発目を撃ったところで弾倉を開く。
空薬莢を捨てて素早く新しい弾丸を詰め、中折れ式の弾倉を戻す。
魔術要素を一切使用しない火薬銃。
再装填にかかった時間は三秒弱。
「訓練しといて良かったよ!」
撃鉄を起こしながら誰ともなく叫ぶ。
エイジャの銀弾は、猛攻を仕掛ける二人の間を縫って化け物に迫った。
「っ――!」
針の穴を通すような精密射撃。
男は鞘を当て、ギリギリで軌道を逸らした。
もう目が慣れ始めているのか。
あと何発当てられるか分からないな。
「――上等だよ」
ペロリと唇を舐めると、エイジャはさらに集中力を高めていく。
もっともっとよく狙え。
一瞬の隙を見逃すな。
「……、……、」
敵と仲間がもつれるように斬り合うなかで。
そこしかないというポイントを探す。
まばたきひとつすることなく集中した数秒は、実時間よりもはるかに長く感じられた。
「……――そこだ」
そして男の足が床を踏む瞬間、それを狙ってエイジャは引き金を引いた。
撃ち出された弾丸は音よりも速く、男の爪先を削るだろう一点を目指して飛んでいく。
男はとっさに足をずらして躱すが、着地の瞬間にそんなことをすれば当然体勢は傾く。
たとえ当たらなくても、余裕を削れればそれでいいのだ。
化け物の意識の、ほんの僅かでも引き付けられれば。
そうすれば――。
「はあぁぁあああああ!!」
頼れる親友は決してそれを見逃さない。
蒼銀色の刃が、化け物の腹を横一文字に裂いた。
「っ……!?」
深くはないが確かな手応え。
デザイアは躊躇わず、返す刀で鉈を振る。
追撃が目的ではない。
男の傷口から溢れる血を、こぼさないようにするために。
いちいち足元を気にするのも馬鹿らしい――。
「――から、な!」
「!」
出血を割るようにして鉈が通ると、噴き出していた血が消えてなくなった。
渇血が飲み干したのだ。
一滴残らず傷口から。
男はそれを見て明らかに顔を顰めた。
嫌がっているのか、怒っているのか。
まぁどちらでもいい、とデザイアは思う。
「次はもっと深く、」
波濤なら斬れる。
渇血なら奪える。
それさえ分かれば十分だ。
効いているならなにも問題はない。
「ぶった斬ってやるぜ!」
デザイアは連撃の速度を上げる。
手も、足も、今までにないぐらいよく動いた。
防がれても躱されても関係ない。
相手に反撃の隙を与えなければいいのだから。
攻撃は最大の防御であるとばかりに、ただひたすら攻め続ける。
体の芯から沸き上がる衝動が、デザイアの速さと持久力を押し上げていた。
「そこぉっ!!」
そして怒濤の攻めは、男の防御に少なからぬ綻びを生み出す。
デザイアの勘はまるで測ったみたいな正確さで、そのタイミングと生まれる箇所を教えてくれるのだ。
スパッ、という小気味良い音が聞こえそうになるほど。
鋭い踏み込みに乗せた袈裟斬りが男の左前腕を斬り裂く。
先程よりも深く残る傷からは赤い血がどばりと零れた。
波濤を振り抜いた勢いはそのまま次への反動に使われて。
装飾剣が通った軌道を反対側からなぞり、呪われた鉈が傷口を擦った。
またしても血を奪われた男は、苛立ちを隠そうともせずデザイアを視線で射抜く。
赤い瞳が、不気味な輝きを帯びていた。
「調子に乗るなよ、ネズミどもが――!」