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第8章 32

 ◇




 チャスカが雨雲呪術(スコールクラウド)を使って雨を降らせたのには、いくつか目的がある。


 順に述べれば、男の動きを阻害すること、視界を遮ること、氷の杭を溶かすこと、毒雲を洗い流すこと、足元を水溜まりにすること、血を洗い流すこと、だ。


 男の動きを阻害することは、あまり重要度が高くない。

 どちらかといえば、どの程度効くか確かめる意味のほうが大きく、効かなければ効かないで別の手を使うつもりだった。


 視界を遮ることも、ついでといえばついでだ。

 本当にそれが必要なら黒雲呪術(ハイドクラウド)のほうが効果時間も長く、消費する魔力も少ないのだ。わざわざ雨雲呪術でその代用をする必要はない。


 氷の杭を溶かすことは、単純に邪魔になったからである。術者が死んだあとも消えず、室内の三分の一程度を埋め尽くしている杭を、温い雨を浴びせて溶かそうとしたのだ。


 毒雲を洗い流すことは、そこそこ重要である。

 男に効いている様子はなく、自分自身はジワジワと蝕んでくるような毒を、これ以上残しておきたくなかった。

 この毒は非常に不安定で変化しやすいものらしく、水などと反応すると急速に毒性が薄れていくのだとか。


 ちなみにチャスカは、この毒がどのような毒かは知っているが、なんという名前であるかや誰がどのようにして開発したものなのかについては、一切知らない。

 ただ、この毒の存在と作り方、対処法などを紙に書いて(・ ・ ・ ・ ・)教えてもらっただけなのだ。

 それだけで、何度か失敗したとはいえ最終的にこの毒を創り出せるようになったのは、ひとえにチャスカの技量の高さによるわけなのだが、それに加えてこれを教えた人間が、実に正確な組成図を書き記したことも理由のひとつである。


 すなわち、魔術師隊の隊長が、だが――。



「くっ……!」


 チャスカは、苦悶の声をあげる男を、つぶさに観察する。


 両足に絡み付いて床に張り付いた黒蟲のせいで、男は黒蟲たちの鎖を躱せなかった。


 真正面から伸びてきた一本は小剣で斬り飛ばし、左からきた一本は鞘で打ち据えて弾き飛ばした。

 しかし、残りの何本かは対処しきれない。服の上から噛み付いてくる黒い鎖は、男の身体を縛り上げるようにして張り付いていった。


 腕に巻き付いてきたものは、胴体に張り付いたものとお互いに噛み合うことで男の動きを封じようとし、さらにその上から弾き飛ばされていた鎖が巻き付いて、締め上げていく。


 斬り飛ばされたものは、斬られた個体を捨てて再び一本の鎖の形になると、男の首から口にかけてに巻き付いた。


「……よし、か?」


 ひとまずは、捕らえた。動きを封じた。

 それを確認すると、チャスカは額の汗を拭った。


 黒蟲とは、鎖を構成する環状の部品ひとつひとつが一匹の蟲であり、同時に黒蟲全体が、ひとつの大きな蟲である。


 蟻や蜂が集団で行動するように、黒蟲と名付けられた呪授武器は、それぞれの個体がお互いを噛んで繋がることで鎖状や帷子状の一塊になり、ひとつの統一した意思のもと行動することができるのである。


 今回はそれを網状に絡ませ合うことで、男を捕らえることができるようにしたのだ。


「……噛んでも効いてないってことは、とっさに硬化あたりを使ったかぁ?」


 チャスカは小さく呟く。

 黒蟲たちは、男の肉体のあらゆる部分に噛み付いているが、今のところダメージが入っている様子はない。


 呪文を唱えられないように口回りにも張り付かせたのだが、張り付く直前に使われていたようだ。

 おそらく、体表のすぐ下にある血液を固めることで耐久力を格段に高めている。


 ここにくる前の非常招集会議で、その存在は指摘されていた技術だが、実際に目の当たりにすればなかなか厄介だ。


「まぁったく」


 血印魔術、と呼ばれる古代魔術の一種。

 血液を媒介にして単純だが強力な効果を発揮するこの魔術を、この化け物(ヴァンパイア)は使えるのだ。


 ほんの数滴の血と少量の魔力で現在の高位魔術と遜色ない威力を出せるのだが、血と魔力を練り合わせるという感覚を理解できる者がほとんどおらず、それ故に失伝した技術。

 どういうことができるのかまでは調べることができても、実際に使えばどのようになるのかまでは分からないし、この男がどれを使えるのかも、戦ってみないと分からない。


 単身で戦っても勝てないとすぐに見切りをつけたチャスカは、戦闘の目的を情報収集に切り替えたのだ。

 目の前の化け物が、いったいどんな術を使えるのかを知るために。


 そしてある程度確かめたところで、待つことにした。

 仲間たちがこの部屋に来るまで、男の動きを封じて。


 足元を水溜まりにしたのは、水中を這わせた黒蟲たちが男に見つからないようにするためで、血を洗い流したのは、これ以上血印魔術を使われないようにするためだ。

 自分の目の前で縛り付けておくためには、最低限そうしておく必要があった。


 なんせ、チャスカは今、まともに戦闘ができなくなりつつあるのだ。


「……ブライアンたちがここに来るまで、あとどれくらいだ……? それまで、保たせねぇと」


 鎖を引きちぎろうとでもしているのか、男を縛る黒蟲たちからは、絶えずギチギチという音が鳴っている。


 黒蟲は、噛み付いたり張り付いたりする力は強いのだが、動いたり締め上げたりする力はそれほど強くない。

 もし、あの男が全力で鎖を外そうとしたならば、通常の締め上げでは力負けしてしまうおそれがあった。

 だからチャスカは、継続的に魔力を消費することで黒蟲たちの締め上げる力を強めている。


 それにともなってずるずると流れ出ていく魔力については、小石状に固めた薬品――魔香水の原液を飲み込むことで強引に補填する。

 振りかけるだけの香水よりも効果は高いが、肉体への負担はそれを遥かに上回るほど大きい。はっきり言って、劇薬だ。


 そんなものを他の薬品とまとめて一緒に飲んだり、一度に大量に飲めばどうなるのか、知らないチャスカではないが。


「まだ、大丈夫だ……まだ……」


 そんなことよりも大切なことがチャスカにはあるのだ。


 躊躇いは、ない。



「――――」


 締め上げられている男は、焦ることもなく力を込め続けている。

 男にしてみれば、このまま時間がたってもさほどの不利はない。


 時間がたってチャスカに限界が訪れればその時点で締め付けは解けるであろうし、仮にそれより早く他の侵入者たちがここに来たならば、そのときは、全力で(・ ・ ・)振りほどけばいいだけだ。


 配下の女たちもすでに退避させているし、全力を出しても捲き込む心配はない。

 となれば、あとは侵入者たちを順に始末すればいいということになる。


 侵入者の退治という任務をこなせなかった女たちへの仕置きは、その後で十分だ。


「…………」


 などと考えている間にも、少しずつではあるが、締め付ける力が弱まってきているように感じる。

 それを察するたびにチャスカは石を飲み込んで魔力を補充するのだが、顔色の悪さと消耗具合からみて、そろそろ限界が近いのではないか。


 ほんの数分程度のことであっても、この男を足止めしておくためにはここまでしなくてはならないのだと。


 見る者がいれば、ほとほと思い知ることになりそうな状態だ。


「……ふっへっ、へ……」


 それでもチャスカは、手を緩めたりしない。

 振りほどかれればどのみち負けるとはいえ、多量の原液を摂取する苦しみはアルコールの比ではない。

 急性中毒症状によって頭はがんがんするし、ともすれば意識を手放してしまいそうにもなるが、……親友と息子を喪ったときのあの苦しみに比べれば、まだ耐えられる。


 チャスカは、全てを投げ出したくて狂おしい日々を五年以上耐え続けて、仇討ちの機会を待った。

 いつ来るやも知れず、本当に来るのかも分からない今日という日を。一日千秋の思いで待った。


 彼の全てはこの日の為にあったのだ。

 それが今、ようやく目の前に来ている。


 だからまだ耐えられる。

 このぐらいなら耐えられる。


 この男も、あの女たちも、必ず倒さなくてはならないのだから。


 この程度の苦痛なら、必ず耐えられる。


 それに、だ。


「…………さっさと来いよ、デザ公ぉ、ブライアァン」


 チャスカが今待っているのは、来るかも分からなかった今日ではない。

 同じ騎士団の、団長たちだ。


「コイツを倒すのは、譲ってやるぜぇ……」


 必ず来る。必ずだ。

 チャスカは、一片の疑念も抱くことなくそう信じている。

 すがることも、祈ることもしない。


 夜が必ず明けるように。

 アイツらも必ずここまでたどり着く、と。


 心の底から信じている。


「…………」


 そんな、理解しがたい執念をみせるチャスカに対して、男は実に冷ややかな視線を向けている。


 半ば死に損ないのような状態なのに眼だけはギラギラと輝かせていて、そのくせ、やっていることは単なる時間稼ぎであり、仲間が来てくれるのを必死に待っている。あまりにも滑稽だ。


 無駄だ、と男は思う。

 何人来ようが、たかだか人間ごときに負ける気はしない。

 多少は苦戦することもあるかもしれないが、最終的にはこちらが勝つ。

 揺るぎない自信とともに、男は断定した。


 それに、どれだけ頑張っても人間には限界というものがある。

 無限に戦うことはできないし、気力も体力もいずれは尽きる。

 無理矢理回復させているであろう魔力にしても、必ずどこかで破綻するのだ。


 だというのに、来るかも分からない仲間を待って命をすり減らすその姿は、憐れみさえ覚えそうになる。


 迎えに来た配下から聞いた話では、この人間は応戦に使った部屋から門を潜ってこの部屋まで来たらしいが、あの部屋からこの部屋まではそれなりの距離がある。


 加えて、砦の通路は侵入者に易々と突破されないよう迷路のように入り組ませてあって、ひとつでも道を間違えればここまでたどり着けない。


 果たしてそれが分かっているのだろうか。


 限りなく無駄に近いことをしていると、この人間は理解しているのだろうか。


「……ん」


 締め付けが、徐々に緩んできた。

 チャスカの顔が悔しげに歪む。

 もう、魔力を篭めても力が入らなくなってきているのだ。


「ふっ……」


 男は右腕に力を込める。

 ゆっくりと腕は持ち上がり、男は口から鎖をずらした。


「ムシケラよ、苦しそうだな?」

「……そう、かぁ?」

「ああ。試してみよう」


 ガリッ、と男は舌を噛んだ。しみ出てくる血を足元に吐き捨てる。

 水溜まりは、なくなっていた。

 時間の経過とともに部屋の外に流れていっていて、今は濡れた床が広がっている。


「“***”」


 床から伸びてきた薄刃を、チャスカは避けきれなかった。

 左肩を浅く斬られて出血する。


「……ひっひ」


 チャスカは笑うが、それが痩せ我慢のようなものだということは男にも分かった。


 もう一度薄刃を打つ。

 今度は右足の外腿を斬った。傷は先程よりも深く、団服が血で染まっていく。


「この黒いモノを、我輩を捕らえるために使っているのであれば、貴様の防御には使えるはずもないな」

「……」

「それだけ消耗しては回避もままならぬ。捕らえておくためにはここから離れることもできぬ。今の貴様はただの的だ」


 さらに二本。

 一本は、なんとか鉈で弾いたが、もう一本が右腕を貫いた。

 二の腕をやられて動かせそうにない。

 手から鎌が滑り落ちる。



「さあ、楽にしてやろう」



 男はトドメを刺そうとする。


 さらにいくらか血を撒いて、チャスカを串刺しにするべく口を開いた。



「……ふっへっへ」



 次の瞬間、閉じたままになっていた最後の扉が勢いよく吹き飛び、蒼い光の奔流が室内に流れ込んできた。


「……!」


 男は構わず薄刃を打つが、それより早くチャスカは鎌を蹴った。


「“チェンジドール”……!」


 斜め後ろに蹴った鎌を追うようにしてチャスカの身体が消える。


 大量に飛び出してきた刃は空を切り、それら全てを蒼光が飲み込んでいく。


「……待ってたぜぇ」


 男の身体を縛る鎖が解ける。

 チャスカの魔力が切れたのだ。

 男は黒蟲たちを振り払うと蒼光に迎え撃とうとして。


「ぐっ――!?」


 撃ち込まれた弾丸に動きを止める。



 波濤に、飲まれた。




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