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第8章 31

 ◇




「死ぬのはテメェらだ、――化け物ぉお!!」


 気迫のこもったチャスカの叫びが、室内に響く。

 それを合図として、二人の男は同時に踏み込んだ。


「うらあっ!!」

「……!」


 二人の眼前で、小剣と鎌が打ち合う。

 刃と刃が擦れ合って火花を散らした。


 返す刀で鉈と鞘がぶつかり合い、力で負けた鉈が弾かれた。


「っ!」


 よろめきそうになるのを、チャスカは踏ん張って耐える。


 鉈の柄を握り締め、もう一度叩き付けた。

 今度は小剣で受けた男に対して、二度、三度と重ねるようにして。


 打ち合うたびに、チャスカの得物が弾かれる。

 それでも構わず、あらゆる角度から叩き付けていく。


「っ――!」


 足は止めない。

 数度打ち合っただけで分かる。

 力も速さも、男のほうが圧倒的に上回っていた。


 威勢のいいことを言ったはいいものの、真正面から打ち合いを続ければ膂力の差でいずれすり潰されるのは目に見えていた。


 そうならないためには、うまく合わせて受け流さなくてはならない。

 幸いにしてチャスカはそうした手技には自信があったし、男の動きはところどころぎこちない部分があった。


「そりゃあ!!」


 それに加えてチャスカは、立ち回りでも優位を取りにいく。


 相手の死角をえぐるようにして。

 僅かな隙に滑り込むようにして。


 相手が、全力で打ち込めないように。

 少しずつズラして、力を往なすのだ。


 その合間合間に斬り込んでみて、考える。

 攻めるなら、どこであるかと――。



「む……」


 打ち合いの中で男は、何度かチャスカの身体を斬り付けた。


 しかしそのたびに、固いモノに阻まれていた。

 先程チャスカ本人が言っていた、黒蟲に防がれているのである。


 服の下は、どこにでも仕込んでいるのか。

 腕でも脚でも、斬り付けたところには黒蟲が潜んでいた。


 もう少し体重を乗せて突けば貫けるのかもしれないが。

 チャスカが、そうはさせないように動いているため、そうできていないのだ。


 体を斜めに捌き、男の正面から右側へ右側へと。

 力を込めにくい方向へズレて、致命の一突きを受けないようにしていて。


 それでも構わず突き込んでみても、貫くより先に足さばきで逸らされる。

 それによって帷子の上を刃が滑り、肉まで刃が届かないのである。


 チャスカの手捌きと足さばき。

 このどちらかが綻びを見せない限り、黒蟲の上から貫くのは容易ではない。


「――ならばやはり、首から上か。……しかし、」


 爪先を引いて鎌を躱しながら、それもしばらくは難しいだろう、と男は考える。

 相手はムシケラのような人間であるが、だからこそ死には敏感だ。


 守りの薄い部分ほど、よく庇うものである。

 首への斬り付けに対しては大袈裟なくらいに躱してきて、掠めることもできていない。


 そこにまた、別の好機が生まれる余地はあるものの。

 それを突くべきときは、今ではない。


「はあっ!!」

「ふっ――」


 鎌を鞘で弾く。いとも簡単に。


 男にとってチャスカは、さほど大きな脅威ではなかった。


 彼の言葉どおりのままに、ムシケラぐらいにしか思っていない。


 そして、侵入者がこの男以外にもまだいるというのであれば。

 この男を始末するのに、必要以上の労力を割くべきではない。と、考えていて。


「…………」


 赤目の男は、今、チャスカと打ち合い、防ぎ、躱すなかで、自分の肉体の状態を確認しようとしていた。


 昨日の猛火によって受けた火傷は、数人分の生き血を飲んだ程度では完治しなかった。


 強引に治すこともできないことはないのだが、それは非常手段としての意味合いが強く、命の危険に晒されているわけでもなければ使うつもりはない。


 よって、癒えきらぬ身体のまま戦闘の場に立つことを選び、この場に出てきたわけなのだが……、果たして自分の肉体がどこまで回復しているのか、チャスカとの戦闘を利用して確かめようとしている、というわけだ。


 これが、チャスカのことを見くびっているのかといえば、そうではなく。

 問答無用で仕留めるつもりだった最初の一撃を防いだからこそ、そうすることに決めたのだ。


 身体を慣らす相手としてなら、ちょうどいいと考えて。


「…………ふん」


 脇の下から鉈で掬い上げてくる。小剣の柄で受け止める。


 左手の鞘で額を突く。首を振って躱される。


 躱すと同時に鎌が、手首に絡み付こうとしてくる。引いてきた方向に合わせて腕を動かし、抜き取る。


 足首を払うようにして蹴る。チャスカの両足が浮いた。バランスを崩して転倒するかと思ったが、猫のような身軽さで一回転して着地――。


「危ねぇなっ――!!」

「……!」


 ――すると同時に、おそろしく低い体勢で踏み込んで足元を刈ってきた。年齢に見合わぬほど関節が柔らかいようで、股関節を限界まで開いて上体を畳んでいる。


 お返しのつもりか、並んだ両足をまとめて打とうとしている鉈を跳び避けると、チャスカは這うようにして後方に下がった。


 まさしく害虫のような動きだと、男は思う。


 距離を取ったチャスカは攻め方を変えることにした。

 ぬるりと立ち上がると、鎌の柄からぱっと手を離し。


「――ふっ!」


 代わりに、鎌に張り付いている鎖に手を添え、さらに跳び下がりながら水平に振った。

 袖口から伸びる鎖は鎌の重さで引き伸ばされていき、赤目の男に迫る。


 男は、右前に踏み出して鎌を躱すと、そのまま自分の左方を抜けていく鎖を見送って、チャスカを追うべく足を踏み出す。


「――――!」

「っ!」


 そして着地した瞬間のチャスカの表情を見て、急停止。

 視線の動きで狙いを察した男は小剣を振り上げ、伸びる鎖に強く叩き付けた。


 衝撃で鎖は大きくたわみ先端の鎌は狙いが逸れる。


 先程首を刈ろうとしていた短気な女に向かって投げた鎌は、失速して彼女の手前の床に刺さった。


「ちぃ……」


 厭らしい笑みを浮かべて、わざとらしい舌打ちをひとつ。


「惜しい惜しい。もう少し。あとちょっとだったのになぁああ」

「貴様……!」

「ひっひ、お前がそんな足手まといたちを見捨てられないから、俺様はこうやって人質にできる。人間様の真似事なんて止めといたらどうだ?」


 先程よりも怒りの篭った視線をぶつけてくる男に、チャスカは手元の鎖を回して応える。


 螺旋を描くようにして捩り回した鎖はバネ状に固まることで力を蓄えていき、すぐさま訪れた限界に、鎖からギチギチという音が鳴り始めた。


「――ほれ、もう一丁ぉおお」


 最後の一回しで、耐えかねた鎌が床から抜けた。

 鎖に蓄えられた力は竜巻のような勢いで鎌を振り回し、強すぎる力は旋回する鎌の軌道を不規則に歪ませる。


 赤目の男は黒い鎖による凪ぎ払いを躱すものの、その先端が誰を狙っているのか、歪な軌道からはまるで予測できない。


 分かるのは、おそらくチャスカだけ。操っている本人だけだ。

 男は鎌の動きに注意しつつチャスカを睨む。


「おぉっと、俺様を見てていいのかぁ? ――そぉらっ!!」

「!」


 小さく腕を振って鎖を波立たせる。

 それだけで、振り回されている鎖は大きく揺らぎ、先端の鎌は激しく暴れ出す。


 もはや制御などまるで効いていないようにも見えるのに、それでも最後には、チャスカの狙う場所に鎌は飛んでいった。

 男はそれを目で追う。


「うわっ……!?」


 狙う先にいたのは、男をこの部屋に連れてきた小柄なリャナンシーだった。


 チャスカとヴァンパイアが戦っている隙に倒れている仲間たちを回収していたようで、今は、魔術師の女を背負って部屋から運び出そうとしていた。


 まだ毒雲が残っているというのに、なんとも仲間想いではないか。


 当然、チャスカが見逃すはずはないが。


「逃がすかぁっ!」

「ひっ!」


 仲間を背負った小柄なリャナンシーは走って躱そうともするのだが、蛇のようにうねりながら迫る鎌を見て、すぐに逃げ切れないと悟る。


 無防備な背中の仲間を刺されないようにくるりと反転すると、泣きそうな顔を浮かべたまま右足を大きく蹴り上げた。


「えいっ!」


 女が遮二無二放った上段蹴りは、果たして見事に鎌の柄を捉えた。

 蹴られて弾き飛ばされた鎌に、小柄な女は足の痛みも忘れて歓声をあげる。


「や、やった……!?」


 だが、蹴り上げられた鎌はそのままリャナンシーの頭上を越えると、抉り込むように軌道を変える。

 狙いはそのまま、背負われている女の首であった。


「あっ――!?」


 回避行動が間に合わない。やられる――。



「――“***”!」



 と、思ったところに、男が飛び込んできた。

 かなりの距離があったにも関わらず、一瞬で詰めてきて鎌を弾く。


 目で追えないほど速い動きだった。

 やはりか、とチャスカは思った。


「……ふっへっへ」


 それならば、とチャスカは鎌を引き戻す。

 同時にひとつ、呪術を使った。


「“スコールクラウド”!」


 チャスカの元に戻ってくる鎌から雲が噴き出し、室内の天井近くにもくもくと溜まっていく。


 この呪文の効果は単純だ。

 数十秒間雨を降らせるというだけのもの。

 ただし、前が見えないほど猛烈に、ではあるが。


動ける(・ ・ ・)のかぁああ?」


 チャスカの言葉を、男の耳は聞き逃さなかった。

 小剣の刃を左手の甲に押し付けると、さっと引いて傷を付ける。

 じわりと溢れ出す赤い血を刃に乗せると、それを床に散らすようにして小剣を振った。


「“***”、“***”、……“***”」


 唱えるのは、聞き馴れない言葉。

 現代では既に失伝したはずの、古い言葉の呪文である。


「下がっていろ」

「え、うわっ!?」


 小柄な女は唐突に強い力に引っ張られた。

 足が床から浮くほどの勢いで、先程入ってきた扉の外まで連れていかれる。


 男に、ではない。

 男の使った術で、だ。


 散らした血が動いていって張り付き、念動力のように対象を動かせるのだ。


 追い出された小柄な女のあとに続いて、他の倒れているリャナンシーたちも部屋の外に持っていかれた。


 仕方なくチャスカはそれを見送る。

 どのみち今は追えない。


「……瞬動、運搬、それに――!」


 右腕を狙って床から伸びてきた刃を、チャスカは鉈で受け止めた。


「薄刃。あと、聞いてる(・ ・ ・ ・)のが遮断だったか? ……まだありそうだなぁ」


 右手で戻ってきた鎌を掴む。

 それを見て、男は少しだけ目を細めた。


「――降れ」


 チャスカが掴んだ鎌を降り下ろすと、天井一杯に広がっていた雲から、ポツリポツリと雨粒が落ちる。


 そこからは、夏の夕立にも負けない勢いだった。

 室内にも関わらず滝のような猛烈な雨が雲から降りそそぎ、室内の床をあっという間に水浸しにしていく。


「くっ……」


 男は忌々しそうに呻く。

 流れる水には動きを制限される。


 そして、チャスカの姿も見えなくなった。


「……そこそこ効いてるな?」


 流水を渡れないというヴァンパイアとしての弱点。個体差もあるので確かめたわけだが、こいつにはそれなりの効果があるらしい。


 チャスカはそれを確認すると、気配を殺して動いた。

 それならそれで、もう少しやりようはある。



「…………」


 豪雨を耐える赤目の男は、さてどうするつもりかと考える。

 この雨に乗じて斬り込んでくるのか。それとも、こっそり女たちを追うのか。


 斬り込んでくるのであれば相手をするし、もし追っていこうとするのであれば、出入口付近に仕掛けてある罠にかかるだろう。


 女たちを運んだときに唱えていた呪文のひとつ。

 近付いた獲物に反応して飛び出す槍だ。

 たいていの術による隠ぺいは看破できるし、あの人間の防御は貫けなくても引っ掛かれば分かる。


 今のところそれが反応していないということは、そちらには向かっていないということか?

 こちらへ攻める機会を窺っているのか?


「……む?」


 などと考えていると、雨が弱まってきた。

 降り始めと同じで急速に止んでいき、視界が晴れていく。

 床には、薄く溜まった水が広がっている。


 チャスカは、……先程と変わらない場所にいた。


 ……いったいどういうつもりだ?


「ふっへっへ、雨が止んだなぁ?」

「……そうだな」

「虹でも見えるんじゃあねぇか?」

「…………」


 狙いはなんだ。

 何を考えている。


「それとも、もうすぐ夜だから流れ星か。お月様だって見えるかもなぁ」


 他の連中が来るまでの時間稼ぎか。

 それとも、――何もないのか。


「…………軽口はいい」


 考えてみても分からない。

 男は直接確かめることにした。


 チャスカに向かって踏み出す――。


「……?」


 つもりが、……足が動かない。

 チラリと足元を見れば。


「なんだ、これは……?」


 何かが足に絡み付いている。


 黒いナニカが、足元に――。



「――やれ、『黒蟲(・ ・)』」



 チャスカの言葉に合わせて足元の水溜まりから、黒い鎖が何本も飛び出して男に纏わりついた。




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