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第8章 30

 ◇




 チャスカが使う毒雲呪術(ポイズンクラウド)には、大きく分けて二種類の使い方がある。


 通常量の魔力を消費して一定の毒を生成する場合と、より多くの魔力を練り込んで別種の毒を生成する場合とだ。

 これにはそれぞれ一長一短がある。


 たとえば、一定の毒を生成するのであれば魔力の消費は比較的少なく、どんな毒物にするかをわざわざ考える必要がない。

 かわりに、この術によって生成される毒に対して抵抗力がある相手には、そもそも効果がでない。


 対して、毒物の種類を自己が決定するのであれば、そうした抵抗力に阻害されない毒を生成することができ、人間以外の生物や、通常の毒物に対する抵抗力を持つ者に対しても有効に戦うことができる。

 が、魔力の消費は通常よりも遥かに多いし、なにより、どんな毒物が生成できるかに関しては術者の知識や経験に大きく左右される。


 毒物とは、つまるところ生物にとって有害な物質全般であるわけだから、その種類は非常に多岐に渡る。

 果たして自分が何という物を作ろうとしているのか、それを理解しないままでは、毒物どころか水の一滴も生み出せないのだ。


 では、チャスカはどうなのか、と問われれば。


 彼は、生物に対して有害な毒物を、実に二十種類以上も生成することができる。

 それは単純に毒性の強いものだけでなく、強烈な腐食性を有するものや無色無臭であるものなど、多種多様な状況や生物に対して、細かく使い分けることができるものであった。


「……どうだ、化け物ども? 立てるかぁああ?」


 そんなチャスカが、今回、リャナンシーたちに対して使った毒は――。


「――――くぅっ、この……!」

「無理みたいだなぁ! ふっへっへ!」


 有機リン系の神経ガスの一種。正式名称は、イソプロピルメタンフルオロホスホネート。


 平たく言えば、サリン(・ ・ ・)だ。あの、猛毒の。


 チャスカは毒雲呪術によってサリンガスを発生させ、先端から毒ガスを噴き出す鎌を大きく振り回すことで、室内にバラ撒いたのだ。

 その結果、毒雲を吸い込み、或いは毒雲に触れてしまったリャナンシーたちは、抵抗力の低い者から順に、次々と床に倒れていったのである。


「お前ら全員、毒雲を浴びたもんなぁ。それでも構わず、俺様と戦ったもんなぁ!」


 サリンガスは、呼吸器系からだけでなく、皮膚からでも吸入される。吸い込まなくとも、肌に触れるだけで毒に蝕まれるのだ。


 さらにいえば、その毒性は恐ろしく強い。浴びると、早ければ一分ほどで症状が現れ始め、目がチカチカして視界が暗くなる、めまいや頭痛、吐き気がするといった症状から始まり、呼吸困難や全身痙攣、意識の混濁などが起こり、やがては死に至る。


 室内という閉所でそんなものをバラ撒き、そして戦闘行動によって無理やり雲に触れさせたチャスカは、唯一意識の残っている呪術師の女を見下ろしたまま、ギラリと目を光らせた。


「……あとはお前だけだ」

「っ……!」

「他の奴らもまだ死んじゃあいねぇだろうが、まぁ、時間の問題だ。――もっとも、その前に俺様がトドメを刺すがね」


 ゆるり、と鉈を持ち上げる。

 呪術師の女は、揺れる視界でチャスカを見上げたまま、痺れる口を動かす。


「なんで、貴方はぁ――」

「あん? ……効かないのか、ってかぁ?」


 問われたチャスカは、べぇ、と舌を出した。


「俺様がさっき飲み込んだのは、どれも薬品を固めたものだ」

「……薬、品?」

「内容は、魔力を補充するためのものと、集中力を高めるためのもの。それから、――毒が回るのを抑えるものと、毒にやられた部分を強制的に治すもの」

「……!」

「毒の痛みを緩和するためのものに、それらの副作用で減ってしまう血を、肉体に作らせるためのもの、だ」


 「無理矢理になぁ」と、チャスカは付け加える。


「効いてないわけねぇだろ、こんな危険なモノがよぉおお。お前らよりは、耐えられるというだけの話だ。それでも、これだけやっても、じわじわ効いてきてるぜぇ? ひっひっひ」

「……!」


 リャナンシーは、絶句する。

 まさか、そんなものを、と。

 自分自身がきちんと対策出来ていないようなものを、実戦の場で使ってくるなんて、と。

 とてもじゃないが、リスクが高すぎる。


「死ぬ気、なのかしらぁ……!?」

「……お前ら全員始末したあとなら、それでも構わねぇがな」


 チャスカもそうだが、ここに来ている騎士団員は、全員遺書を書いてきている。

 もちろん生きて帰るつもりだが、それでも万が一はあるからだ。


 ただ、チャスカの書いたものだけは、他の者が書いたものに比べて遥かに分厚いのだが。


「さて――」


 そう言って、チャスカは手近に倒れているリャナンシーの一体に歩み寄る。この部屋で最初にチャスカと戦った、短気な女だ。

 しゃがみ込むと、無造作に髪を掴んで頭を持ち上げる。

 意識のない化け物。その首を斬り落とそうと、チャスカは左腕を水平に伸ばした。


「――やめ、なさい」


 呪術師の女が、それを止めようとする。

 しかし、身体は全くと言っていいほど動かず、僅かに上体が持ち上がったまでだ。


「ぐっ……」


 そしてそれもすぐに崩れる。

 顔から床に落ちながら、それでも女は、制止の言葉を口にする。


「させ、ないわよぉ……!」


 気力だけでは、動けない。


 もはや呪術師の女には、なすすべもない。


「――あぁ、ところで、」


 そんな状況で。

 チャスカは、鉈を打ち付けようとした直前に、何かを思い出したかのように、呟く。

 一度部屋の外に目をやり、それからぐるりと室内を見回して、最後に呪術師の女を睨み付けるようにして。


 室内に倒れる、五体の化け物たちを見回して――。



もう一匹(・ ・ ・ ・)は、どこに(・ ・ ・)行った(・ ・ ・)?」



 そう問うた。


 呪術師の女は。


「…………()来たわよぉ(・ ・ ・ ・ ・)?」


 ぎりぎり間に合った、と、痺れて動かない頬を目一杯動かして、笑った。



「こっちです!!」



 すぐさま聞こえた、扉を開く音。それと焦ったような、甲高い少女の声。


 この部屋の、外に面した以外の三方にそれぞれある扉。

 チャスカやリャナンシーたちがこの部屋に入るのに使ったのとは別の扉が、大きく開く。

 一際小柄な、線の細い少女のような姿をしたリャナンシーが、部屋に飛び込んでくる。


 あれは、部屋の外にいたはずの、最後の一体――。




「――――やれやれ、煙たいな」




 そして聞こえる男の声と。

 室内に踏み込んでくる男の姿。


 チャスカは、その姿を認めると同時に掴んでいた髪から手を離し、男に向き合う形で立ち上がった。

 呪術師の女は、ひどく申し訳なさそうに顔を歪めながらも、どこか安堵したように告げた。


主様を(・ ・ ・)連れて(・ ・ ・)、ね」

「…………ちっ、」


 舌打ちひとつで、気持ちを切り替える。


 平気な顔で毒雲の中にまで歩み寄ってきた男に対して、チャスカは話しかける。


「ふっへっへ、……とうとうお出ましかぁ?」

「…………」


 男は、無言のままチャスカを見ている。

 左手には、鞘に納められたままの小剣が握られていた。


「不甲斐ない手下を助けに来るとは、なんとも泣かせる話だなぁ? お前らそんなに、人間様の真似がしたいのか?」

「…………」

「――そのヤケド(・ ・ ・ ・ ・)

「っ……」


 チャスカの言葉に、男は、不機嫌そうに赤い目を眇める。


 男の端正な顔。その左頬から首筋にかけて、火傷の痕が残っている。痕の付き方から見るに、首から下の服の内側にも、痕は伸びているように推測できる。


 今は、おおむね治っているのかもしれないが……。


「今朝、正式に確認したらしいが、テメェらの使ってた屋敷は柱の一本も残らずに焼け落ちていた。確か、昨日お前と戦っていた連中がいて、聞けば、戦闘終了後に気がついたら燃えていたってな」

「…………」

「テメェらが証拠隠滅のために火を放ったのかと思っていたが、その火傷を見るに、どうやら違うようだ。それは一体、誰にやられたんだぁ? お前ら化け物の回復力で治り切ってねぇってことは、よほど手酷く――」

「――これは、」


 チャスカの言葉を遮って男が口を開く。

 だがそれは、チャスカの言葉への答えではない。


 男は、足元に倒れる女たちを見ていた。


「貴様がやったのだな」

「あぁ?」

「我輩の配下たちをだ」

「……あぁ、」


 チャスカは、できる限り挑発的に、深く笑みを浮かべた。


「もう少しだけ遅く来てくれてれば、コイツらの首を、床に並べて出迎えてやれてたぜぇ?」


 男は、左手で鞘を掴んだまま、右手で小剣を引き抜いた。


「……そうか」

「…………」


 ヒュン、と音を鳴らして、真っ黒な刃で空を切る。


「死ね、ムシケラ。――――“***”」



 目にも止まらぬ早さで床から伸びた赤黒いナニカが、チャスカの胸を突いた。



「…………!」


 チャスカがゆっくりと視線を下げると、薄く鋭い刃のようになった赤黒いモノが、自分の心臓の位置に突き刺さっていた。


 チャスカは知らぬことであるが、これは昨日の戦闘で、修一の腕を斬り飛ばしたのと同じ技だ。その鋭さは、名剣そのものである。


 男は、一切の遊びなしに、チャスカを殺そうとしたわけだ。


 そして、刺されたチャスカは――。



「…………ふっへっへ、」



 刺されたことなどまるで意に介していないように笑い、ふわりと鉈を持ち上げて。


「ほれっ!」

「…………!」


 赤黒いナニカに、叩き付けた。

 ガラスの割れるような音をたてて砕けるナニカに、男は僅かに眉を寄せた。


「俺様の服の中には、帷子状に固まった黒蟲がいる」


 ぐいっ、と襟を引っ張ってみせる。


「そしてこの渇血は、斬ったモノから血を奪う」


 ヒラヒラと、鉈を手でもてあそぶ。


「……だから?」


 男が目を細めながら問う。

 チャスカは目を見開いて、口角を吊り上げた。


「さっきみたいな、血を使った(・ ・ ・ ・ ・)小細工(・ ・ ・)は効かねぇ、てことだなぁあああ」

「…………なるほど」


 男は自分の左手をチラリと見る。

 先程剣を抜くときに、親指を刃に当てた左手を。


 小剣を振って血を飛ばし、それを媒介にして攻撃をしたわけだが、なるほどどうやら読まれていたらしい。


 鱗模様の刻まれた鞘を持ち直し、男は構える。

 それに合わせてチャスカも、鎌と鉈を握り直した。


「ならば、――我輩が直接殺してやろう」

「ふっへっへ、――死ぬのはテメェらだ、化け物」




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