第8章 29
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ホルカスタ村虐殺事件。
今からおよそ五年前、ブリジスタ国内の小さな村で起きたこの事件は、ブリジスタ騎士団が扱った事件の中で史上最悪の惨事と呼ばれている。
人口八百人足らずの小さな村、ホルカスタ。その村の住人が皆殺しになったのだ。
男も女も、老人も赤子も関係なく。騎士団の団員たちが村に着いたときには、一人残らず死んでいた。
首を、はねられていたのだ。
縄で縛って動けないようにされた上で、首を。
騎士団の団員たちは懸命に犯人を探すも、すでにどこかに逃走した後なのか、ついに発見に至らず。
ブリジスタの地図から、村がひとつ消えることになった。
と、一般市民に対してはそう伝えられている。
では、騎士団の中ではどうなっているのか。
実は、当初この事件は、別の事件として扱われていた。
元々この事件は、村から出稼ぎに来ていた男が、村の様子がおかしい気がする、と言って首都の警備隊に届け出たことが発端になっている。
そこで、首都から村の警備隊に連絡をしてみたところ、いつまで待っても返答がこない。
様子確認に人を行かせてみれば、今度はその者が帰ってこない。
明らかな異常である。
二人目の遣いが帰ってこなかったことで騎士団の派遣が決定し、騎士団本部は二つの騎士団を村に送り込んだ。
ひとつは、当時の団長ダリッジ・ダンリックが率いる第四騎士団。
そしてもうひとつが、チャスカ・キャリーが率いる第三騎士団。
それぞれ団員二十名ずつを引き連れて、この事件の解明のために遠征した。の、だが。
その最中、第四騎士団の団長と副団長、そして多数の団員たちが死亡したのである。
村内に潜んでいた敵と交戦したということであるが、詳細は不明。
至急の応援要請が本部に伝えられ、急遽応援に向かった第二騎士団の団長と団員たちは、村に入って息を呑んだという。
村の広場に、縄で縛られた首なし死体が大量に転がっていたからだ。
応援で駆け付けた第二騎士団団長のブライアンは、広場の真ん中にただ一人立っていた男を問い詰めた。
「……これは一体どういうことじゃ。説明してもらおうか」
尋ねられた男は、笑いながら答えた。
「ふっへっへ……。――俺様が、やった。全部。俺様が……」
男は、笑いながら、泣いていたという。
まるで、気が狂ったかのように。
そしてチャスカは、本部に戻ってからも繰り返し答え続けた。
自分が殺したと。自分ひとりでやったと。
他に生き残っていたどの団員たちに確認しても、答えは変わらない。
それどころか、皆一様に口を合わせようとしている節すらあった。
チャスカの言葉は、本部としても到底受け入れられるものではなかった。
なにせ、多少性格に難があるとしても、彼は二十数年もの間、騎士団一筋に勤め上げてきた男である。
その心の根底に、国と民を護る愛国心があることは、騎士団の人間なら誰でも知っていることだった。
ただ、この件で亡くなったのが第四騎士団の団長と副団長であったことは、チャスカの心を狂わせるに十分であったかもしれない。
団長のダリッジは、チャスカと同期入団した彼の親友であるし、副団長のキャンディフォルトは、若くして副団長にまで上り詰めた勇士にして、チャスカの一人息子なのだ。
その二人を同時に亡くして、冷静を保つのは難しいのではないか。
心を病んでも仕方がないのではないか。
そういうことも、有り得るのではないか。と、いうことになった。
結局、騎士団本部はその言葉を受け入れることにした。
受け入れて、そして事件の真相を闇に葬ることにした。
チャスカのしたことが本当なら、チャスカをそのまま騎士団に置いておくことはできない。
しかし、ただでさえ団長と副団長が欠けてしまったところに、更に団長ひとりを更迭するとなれば、六人いる団長の内二人が抜けることになる。
それほどまで戦力を減らすことは、本部としても避けたかったのだ。
だから、チャスカのしたことは、無かったことにされた。
最初から村人たちは殺されていて、その犯人を探している最中に大きな事故があって、団員数名が死傷したと。
そういうことに、されたのだ。
杜撰といえば、あまりにも杜撰な事実の改竄であったが、当事者たる村人たちは全員死に絶え、現場に行っていた団員たちも誰一人として異論を唱えなかった。
そのためこの事件は、そういうこととして記録され、報告され、そして誰の口にも上らなくなった。
箝口令をしかれた訳ではない。誰も語りたくなかったのだ。こんな、凄惨な事件のことなど。
しかも、一番恐ろしい男が、なんら変わることなく騎士団内にいて、自分の騎士団の指揮を取っているのだ。
口にしていてもし耳に入れば、何をされるか分かったものではないと。
事件に関わらなかった他の団員たちは、皆そう思った。
こうしてチャスカは、おそらく騎士団史上最も不名誉な二つ名を付けられたこと以外、罰らしい罰を受けることもなく今に至っている。
すなわち、「惨劇の化身」と――。
「……と、いうのが、騎士団内における話だ。チャスカさんについてのな」
「……と、いいますと」
砦の深部を目指して進むデザイアに、ノーラは問いかける。
「真実は違う?」
「ああ。さっき話したのはあくまでも、そういうことにされた話だ。事実とは違う」
門を潜って逃げ延びたノーラは。
現在、ブリジスタ騎士団の突入部隊に保護される形で同行している。
残っていたハイレブナントたちとの戦闘は、ノーラが門を潜った時点でデザイアたちの勝利で決着が付いていて、今は、さらに奥へと向かっているところである。
「なぜ、そのようなことに?」
「名誉を守るためだ。騎士団の、ひいてはチャスカさんの名誉を」
つかつかと歩くデザイアの横でプリメーラの空中浮遊魔術によって宙に浮き、神官トマロットから高位治癒神術による治療を受けながら、になるが。
ノーラはフワフワと宙に浮きながら、デザイアの話を聞いている。
「チャスカさんのしたことは、正しい。だが、本来ならそれは、してはならないことだった」
「……村人を皆殺しにしたということが、ですか?」
「そうだ。あれは、倫理や常識というものを考えれば、勿論やってはならないことだったし、国を護るためならば、絶対にしておかなければならないことだった」
「……」
ノーラは、柳眉を寄せて困ったように首を傾げる。
ちなみに、すでに師匠はいなくなっている。
最後の最後に使った大技、――天覆陽炎によって、燃料が尽きたのだ。
今は、きちんと治療を受けられる状況になったこともあって、師匠は元の肉体に帰っていってしまった。
「リャナンシーが、あの村にはいたんだ」
「……それは、」
「間違いなく、今回の奴らと同じ連中だ。チャスカさんが、顔を覚えていた」
「……」
デザイアは、前を向いたまま淡々と告げる。
一同の先頭で罠の発見に努めているエイジャが、チラリとだけノーラたちのほうを向いた。
「奴らに噛まれた人間はな、奴らに対して親愛の情を抱く。回数が重なればそれはさらに強くなり、やがては崇拝に近いものになる。そうなれば、命だって平気で投げ出す」
「……」
「ホルカスタ村の住人たちは、ほぼ全員がそうなっていたよ」
「!」
「そしてそうでないものは、すでに贄にされていた。あの村は、あの化け物たちの手によって滅ぼされ、儀式場にされていたんだ。奴らの言う、主様とやらを起き上がらせるためのな……!」
ギリッ、と奥歯を噛み鳴らした。
デザイアの青い髪が、ざわざわと揺れる。
「落ち着かんか」と、ブライアンが肩に手を置く。
「……封印されたヴァンパイアを復活させるための儀式。そのために、大量の命を生け贄に捧げるんでしたっけ」
「その通りだ」
「捧げる命を調達するために、村そのものを奪っていた、と……。では、その村内にいたリャナンシーたちと戦って、」
「追い払うことは出来た。……が、その時には、倒せなかった」
「……」
ならば、前の団長と副団長というのも、その時に、……であろうか。
「俺は、その時、何ひとつ役に立たなかった。それどころか、庇われたんだ。ダリッジ団長に……!」
「っ……、」
「あのときほど、自分の無力を悔やんだことはない。もっと俺が強ければ、あのときに決着を付けられていたはずなんだ……」
次第に、デザイアの口からは自戒の言葉ばかり溢れてくる。
「仮定の話をしたって仕方ないでしょ、デザ君。何を言ったって、二人はもういないんだよ」
見かねたエイジャが、先頭から口を挟んできた。
「……エイジャ」
「今日、全てを終わらせればいい。君だって鍛えてきた。当時より遥かに強くなった。奴らにだって必ず勝てる。その剣は、決して君を裏切らないさ」
「…………」
床に二か所、白墨でマーキングしながらエイジャが肩をすくめる。
「話が逸れたね、ノンちゃん」
「あ、いえ……」
「チャスカさんが、なんで村人を始末したかと言えばね。そうしないと、騎士団が撤退したあとに連れていかれると判断したからだよ。再びやって来たリャナンシーたちに」
「……えっと」
「すでに、廃人と変わらないぐらい自我を失って、奴らの配下の如く振る舞う村人たちが沢山いてね。奴らを追い払ったあとも、それは変わらなかった。だから邪魔にならないように縛っていたんだけど、あとあと連れていかれたら、折角奴らの儀式を妨害したことが無駄になってしまう。そのために払った犠牲が、無駄にね」
「…………」
「チャスカさんは、それを良しとしなかった。だから――」
「奴らの手に渡って利用される前に、殺した……?」
「正解」と、エイジャは短く答えた。
「実際、俺ら――第二騎士団が応援で村に入って、村人たちの遺体を片付けてたときに、リャナンシーが来たんだよ」
「え……!?」
「空間にパックリ穴を開けて、こちらを覗き込んでた。攻撃してくる様子がなかったんで話しかけたら、案の定だったね」
「……話しかけたんですか?」
なんでまた、とノーラは思った。
「その時の俺じゃあ絶対倒せなかっただろうし、応援呼んでたら逃げられそうだったからねぇ。それなら、話のひとつでも聞けば情報収集になるかなって」
「まぁ、それは……」
「折角来たのに残念ですね、って笑ってやがったから、チャスカさんのやったことは正しかったと俺も思う。他の人たちがどう思おうとも、ね」
その言葉を引き継ぐようにして、今度はブライアンが口を開いた。
「儂は、……今でも奴のしたことは許しておらん。本来守るべき民を、自ら殺めるなど言語道断じゃ」
「……」
「じゃが、……もしもあの村の住人たちを生かしておけば、国内に少からぬ混乱が生じていたのは確実じゃった。村人全員を正気に戻すには教会連の神官を総動員せねばならんかっただろうし、それを呼び寄せるにも時間がかかる」
もし、それを待つとなれば、さらに多くの人員を動員せねばならず、言い方は悪いが、小さな村ひとつのためにそれだけの人員を動かすのは、はっきり言ってわりに合わない。
もちろん、わりに合わないから見捨てるなどということは最初から出来るはずもないため、わりに合わなくてもやらねばならなかったのだろうが、チャスカは独断で村人を始末し、その手間をかけなくても済むようにした。
独断。そう、独断である。
チャスカは、本当にひとりで、残っていた村人たち三百四十七名の首をはねたのだ。一人残らず。禍根を残さないために。
全ての責任を自分で取るために、他の団員たちには決して手出しをさせなかった。
呪詛を吐いて暴れる村人たちを、淡々と、一人ずつ始末していった。
血を奪う鉈が、とうとう血を吸い切れなくなってしまって、刃が真っ赤に染まっても尚。
それは一昼夜かけて行われて、ブライアンたちが到着する少し前に、ようやく終わったのだ。
「一人残らず殺した奴を、儂は問い詰めた。なぜこんな真似をしたのかと。奴は答えた。――こんな汚れ役、俺様以外の誰に出来るというんだ、と……」
「……!」
「奴は、騎士団に沙汰を委ねた。もし、処分を受けるのであれば、全ての泥を被って自分ひとりで沈むつもりだったし、留め置いてもらえるなら、僅かな可能性に賭けようと。すなわち、再び奴らがブリジスタを襲ってきたときに、今度こそ奴らを倒すのだと――」
「チャスカはそれだけを成すために、あらゆる苦難を乗り越えてここにいる」
ブライアンは、苦い表情のまま天を仰いだ。
「何をしたとしてもこの国を守れるなら構わない、というのが奴の理念だそうだ。その言葉に偽りはない。奴は、あの村の住人を生かしておくことは出来ないと考え、その考えに基づいて、躊躇いなくそれを実行した。生半可な覚悟で生きてはおらん」
「はい……」
「少なくとも奴は、紛うことなくひとりの騎士だ。高潔と呼べるかどうかは分からんが、強固な信念を持っている。そこに関しては、儂も奴に敬意を払っておる」
「…………」
ブライアンの言葉に、デザイアは静かに頷いた。
そして、当のチャスカは――。
「ふっへっへ、……とうとうお出ましかぁ?」
「…………」
床中に倒れ伏したリャナンシーたちを見遣りながら、ひとりの男と対峙していた――。