第8章 28
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斬り飛ばされて転がっていく首と、別の首を抱えたまま崩れ落ちる身体。
リャナンシーの首を刎ねたチャスカは、表情に喜色を浮かべながら呟いた。
「これで、二匹目だぁああ……!」
生首を放ったあと、化け物たちに感付かれないように天井スレスレの高さで投げた鎌は、チャスカの狙い通りのところへ、絶妙なタイミングで落ちた。
リャナンシーたちの視線が、放物線を描いて落下する首に集中する瞬間。
下がっていく視線の外を通るように、鎌は限界まで高く放られていたのだ。
煙の中から、張り巡らされた氷の杭の隙間を抜けるように狙って投げて、なおこの精度。驚くべきは、チャスカにとってそれは、当然のことだということである。
たとえ何度やったとしても、彼は同じように首と鎌を放り、同じところに落としてみせることができる。
驚異的な投擲技術。それらはひとえに、この時の為に鍛えたものだ。
「ふぅっへっへっへっへ!」
「――このぉっ!!」
高らかに笑いながら、チャスカは鎖に巻き付かれた呪術師の女に向き直る。
二人目の同胞を殺された女は、チャスカを激しく睨みながらもがく。
あと少しというところで、うまく外れないのだ。
「一度噛み付いた『黒蟲』は、しぶといぜぇええ?」
チャスカはそう言いながら足元の鎌を拾うと、一息に踏み込んで女の頭に打ち付けた。
「っ――!」
鎌の先端で躊躇なくこめかみを打つ。
女の首が真横に弾かれるが、視線はチャスカを睨んだままだ。
「まだ効かねぇかぁ? ……!」
人形転嫁呪術の効果が切れているのかを確かめたチャスカに、横合いから飛び込んでくる影があった。
「――ぁぁあああぁぁぁあああああああっ!!」
両腕を大きく振りかぶり、勢いつけて飛び上がる。
煙幕を迂回してきた短気な女が、身体全体をバネのように反らした反動で、真っ赤な双爪を叩き付けた。
「テメェ!!」
「おおっと!」
クルリと向き合い、半身になるように足を引く。
チャスカは左手の鉈を攻撃に合わせながら、優しく横に押して受け流した。
容易く逸らされた両腕は床を叩き、赤い爪が大きく食い込む。
「うらあっ!」
間を置かず跳ね上がり、真横に立つチャスカを襲う。
チャスカは薄く笑ったまま、次なるリャナンシーの相手を行うことにした。
「やっと来たか! 一足遅かったなぁ!」
「うるっせえ!!」
一目見てブチ切れているのが分かる。それほどまでに、リャナンシーの攻撃は荒々しかった。
力ずくの連撃連打。チャスカはそれをひとつずつ弾き、捌き、逸らしていく。丁寧に、丁寧に。
「よくも二人を!! ゼッテー許さねぇ!!」
「二人だぁ!? 二匹の間違いだろぉ!!」
リャナンシーは、青筋を立てながら叫んだ。
「――ウチの友達を馬鹿にするなぁ!!」
全力で防御ごと殴り付ける。耐え切れず後方に下がったチャスカが、負けじと吼えた。
「ダチ! ひょっとしてそれは、オトモダチのことかぁ!? ひっひっひ! 笑わせてくれるぜ!!」
「何がおかしい!?」
開いた距離を助走に使ってリャナンシーが跳ぶ。
斬り付ける爪にまさしく全体重を乗せて、高所からチャスカに打ち付けた。
「だりゃあ!!」
チャスカはそれを鉈で受け止めた。
壁のようにではない。今度は押し込まれないように、柔らかい布で優しく包み込むように受けたのだ。
「……!?」
リャナンシーは、完璧に受け止められたと分かると苛立ちを深めた。
歯を剥いて顔を歪める化け物を、チャスカは強引に押し飛ばす。
「化け物風情が! ――人間様みてぇなことを言ってんじゃあねぇ!!」
「!」
踏み込みの強さは、今までの比でなかった。
チャスカの鎌は鈍い輝きを放ちながら空を切り、リャナンシーの前髪を掠める。
反射的に退いていなければ、当たっていただろう。
「くうっ……!」
それにとどまることなく、鎌と鉈がリャナンシーを容赦なく攻め立てていく。
チャスカの攻撃は、速さも重さも特別良いわけではない。だが、緩急を自在に操ることで鋭さを演出し、相対するリャナンシーの目を翻弄している。
柔らかく流れるような身のこなしは荒々しく力で押すスタイルのリャナンシーとは対照的で、それでいて押し負けることなく攻め手を繋いでいた。
最初に手を抜いて打ち合っていたときとは明らかに違う。
真剣だ。真剣に戦っている。
真剣に――。
「しゃあっ!!」
――殺そうとしているのだ。
防御の隙を突いたひと突きが、リャナンシーの右上腕を深々と抉った。
「っ!?」
鎌の先端を引っ掻けて引き斬るようにし、大きく後方に跳ぶ。
抉られた血管から鮮血が噴き出し、リャナンシーは傷口の上から押さえ付けるが止まりそうにない。
「くっそ、よくも――!?」
そしてチャスカに視線を戻したときには、目前に鎌が迫っていた。
着地と同時に、顔面を狙って投げ付けられていたわけだ。
リャナンシーはとっさに躱してしまい、すぐにそれが失敗だと気付く。
「“チェンジドール”」
「しまっ――」
無理矢理にでも叩き落としておくべきだった。
今、背後を取られたら、――やられる。
「――――!」
振り向いた先では、すでにチャスカが鉈を振り上げていた。
ギラギラとした緑色の瞳が、無防備な首筋を捉えている。
リャナンシーは、はっきりと死を意識した。
次の瞬間には、首が飛んでいると――。
「“フレイムライン”!」
しかし、そうはならなかった。
部屋の外から、扉越しに白炎が打ち込まれたからだ。
「ちっ……」
狙いは真っ直ぐチャスカに向かっていて、今まさに鉈を振り抜こうとしていた男は仕方なく炎を避ける。
さらにもう一条伸びてきた白炎をも躱すと、魔術を使ってきた者に対して挑発的な言葉を投げた。
「不意打ちとは卑怯な奴だなぁ!」
自分のことは棚に上げた台詞である。
腹を斬られていた女は、部屋に踏み込みながら吐き捨てるように答えた。
「……貴方に言われる筋合いはありません」
「ひっひ! 死に損ないのくせして、大人しくしてなくて平気かぁ!?」
「それも、大きなお世話です」
実際、奪われた血は戻りきっていないが、腹の傷はほぼ完治している。治療してくれたリャナンシーは水属性の回復魔術と高位の治癒神術が使えるため、たいていの怪我は治せるのだ。死んでさえいなければ、だが。
ちなみに、ようやく鎖を外した呪術師の女は一応蘇生呪術を使うことも出来るのだが、あまり得意ではない。
「貴女たちも、手当てを」
先程よりも幾分マシになった顔色で、魔術師の女はチャスカを深く見据える。視線で牽制しながら、同胞たちには自分の後ろまで下がるようにさせた。
右腕を抉られたリャナンシーは治療を受けるため素直に従ったが、呪術師の女は逆に前に出る。
「私は、大丈夫よぉ」
「しかし、」
「まだ保つし、張り直してる時間もないもの」
彼女が言っているのは、人形転嫁呪術のことだ。
黒蟲に噛み付かれていたせいでだいぶ消耗したが、まだ効果は続いている。ただ、新しい人形で術をやり直すには時間も魔力も足りない、というわけだ。
「……帰ってこぉい」
それを見たチャスカは、投げ捨てられた鎖に呼び掛ける。黒蟲は蛇のように床を這ってチャスカの元へと帰っていくと、足首の裾から服の下に潜り込んだ。
それから。
「ほっ、と」
音もなく背後から飛んできた短剣を、振り返りもせずに躱す。
次第に晴れ始めていた煙幕の中から「うっそ……!?」という声が聞こえた。
「完璧に気配消してたでしょ……?」
出てきたのは、短剣使いのリャナンシーである。
彼女は煙幕を回り込むのではなく、気配を消したまま煙の中を突っ切ってきたのだ。
チャスカが他の仲間の相手をしている隙を狙って背後から襲ったようだが、チャスカにいわせればまだまだである。
「どこが。俺様を狙うときに殺気が漏れてたじゃあねぇか」
「むっ……」
チャスカは目の前の二体を注視しながら、背後のリャナンシーに問うた。
「そんなに、俺様が憎いかよ? それで読まれてちゃあ世話ねぇがな」
リャナンシーは、次の短剣を抜いて構えながら、じりじりとチャスカとの距離を詰める。
その最中、感情を押し殺したような声でチャスカに答えた。
「……友人二人も目の前で殺されて、憎くないわけないでしょう?」
「……はっ、テメェも人間様の真似事か。反吐が出るぜ」
「…………」
「だが、――それもそうだ」
「……え?」
思わぬチャスカの言葉に、リャナンシーは一瞬耳を疑う。
今この男は、同意したのか?
敵である、自分の言葉を?
「目の前で大切な者が殺されたら、殺した奴は憎んでも憎み足らねぇよなぁ? 絶対に、自分の手で殺したいと思うよなぁ?」
「……」
「ハラワタ引きずり出して悶えさせてやりてぇよなぁ? 首を飛ばしてグチャグチャにしてやりてぇよなぁ?」
だが、すぐにそれは勘違いであると気付いた。
チャスカは、リャナンシーの言葉に同意したのではない。
「そいつの仲間とか友人なんて絶好の道具じゃねぇか! 惨たらしくバラして見せつけてやれば、さぞや良い声で鳴いてくれると思わねぇかぁああ!?」
「……!」
チャスカはただ、自分の決意を述べているにすぎないのだ。
必ずこうしてやるという、決意を。
「そしてソイツが目の前に現れたら、何がなんでも殺してやると思うだろぉ!? どんな手を使っても、どんな風に思われても、知ったことじゃあねぇだろぉおお!?」
「なにを……!?」
「あの日以来、忘れたことはなかった!! この時のために、やれることは全てやってきた!! そして今、ようやく目の前に捉えたんだ!! 仇を討たなくてどうするよ!?」
純粋な殺意を漲らせ、チャスカは吼えた。
「――俺様はなぁ、今、この瞬間のために、今日まで生き恥を晒し続けてきたんだよ!! 決着は必ずつける! 必ずだ! お前ら全員の首を刎ねて、キャンディとダルへの手向けにしてやらぁ!!」
そしておもむろに右手の鎌を真上に向かって放ると、懐に手を突っ込んで何かを取り出す。
それは、個別に色分けされた小石のようなもので、表面のツルツルしたそれを、五、六個まとめて飲み込んだ。
「――“ポイズンクラウド”ォ!!」
飲み込むと同時に、重力に従って落ちてきた鎌を掴み直し、毒雲を生み出す呪文を唱えながら、前方の二体へと踏み込んでいく。
ダリッジ・ダンリック。
キャンディフォルト・キャリー。
殺された親友と息子の、仇を討つために――。