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第8章 27

 ◇




「――!」


 もうもうと噴き上がる煙幕。それを見た瞬間、呪術師の女は大きく跳び下がった。


 煙に飲み込まれないように全力で跳んだ。というのに、同心円状に広がる煙は女の鼻先すぐのところまで迫ってきている。

 この煙自体はただの煙幕。だから、多少吸い込んだくらいでは害はないはずだ。


「……けどぉ!」


 しかし、これを作り出した男――チャスカは、呪術師の女やその仲間たちに対して強い敵意を抱いていたし、同時に女たちも、チャスカを始末しようとしていた。いわば、完全に敵対し合っている状況である。


 そんな男が作り出したものに、不用意に触れるつもりはない。

 結果として呪術師の女は、後方で魔術の準備をしていた仲間のところまで後退した。


「くっ、見えません……!」


 大量の煙幕によってチャスカを見失った魔術使いのリャナンシー。


 その声を聞き流しながら、呪術師の女は煙を注視する。


 女は、この部屋に来る前に一度チャスカと戦っているわけだが、彼の戦い方に対しては、非常に変則的で悪辣だ、という印象を抱いていた。


 どこに何を仕込んでいるか分からないし、どこからどう攻めてくるのか読めない。

 この煙幕に関しても、なんの目的で作り出したのかを見極めなければ――。


「なっ――!?」

「!」


 その時、煙の中から声が聞こえた。

 この声は、仲間の一人の銃使いのものだ。


 攻撃を受けているのか。

 それが分かると同時に、硬い木をむりやりノコギリで切るような、ひどく耳障りな音も聞こえてくる。ガリガリという音をドロリと湿らせたような、そんな音が。


「なにをぉ……!?」


 している、とは続かなかった。

 聞かずとも見えたのだ。


 煙の中から跳ね上がった黒い鎖。先端に鎌を取り付けてあるそれの全体に、赤黒いものがへばり付いているのが。

 ぼたぼたと垂れ落ちるほど大量に、血と肉がまとわりついていた。


「――!!」


 魔術使いのリャナンシーが目を見開き、煙の中で何かが倒れる音がする。


 そして、跳ね上がった鎖はまるで意思を持った生き物のように鎌首をもたげると、次の獲物を定めた。呆気に取られた様子のリャナンシーに向かって、ぐんぐんと伸びていく。


 蛇が、樹上から襲いかかるような動きである。

 鎖が胴体なら先端の鎌は牙であり、虚を突かれて棒立ちになっているリャナンシーの首筋を突き破ろうとしている。


「もぅ……!」


 呪術師の女は、間に入って庇うことにした。狙われている仲間を突き飛ばして前に出ると、うねりながら寄ってくる鎖の動きを見極め、鎌の部分を狙って手刀を叩き込む。


「はぁっ!」


 寸分狂わず、弾き落とした。

 勢いを失った鎖鎌は床を跳ねると、すぐさま根本から引っ張られて煙の中に戻っていく。


 女は、鎖の戻っていく方向を指し示した。


「あの辺りにぃ!」

「っ! はい!」


 その言葉で、庇われたリャナンシーは気持ちを立て直す。

 悔やんでいる暇などない。

 まずは敵を仕留めなくては。


「“アイススパイク”……!」


 リャナンシーが掲げた手の先で、空気が凍り付いていく。

 それぞれの指先に一つずつ、全部で五つの氷の種が出来上がる。


「行けっ!」


 大雑把に狙いを付けて掲げた腕を振り抜く。

 それに合わせて種から氷の杭が伸びていき、五本の杭は打ち出された矢のような速度で煙の中へ突っ込んでいった。


「どうだ!」


 氷の杭からは細い木の枝のようなものが何本も伸びていて、多少狙いが逸れたとしてもどこかが当たるようになっている。

 手でも足でも触れれば、凍り付かせて相手の動きを妨害することができるのだが――。


「――ふっへっへ」


 チャスカの笑い声とともに、杭を打ち込んだのとは別のところから鎌が飛び出してきた。どうやら当たってはいないようだ。ダメージを受けた様子がない。


 そして鎌は、またしても魔術使いのリャナンシーを狙っていた。

 射程の長い者から順に襲っているのか。


「――うらぁ!」


 間に割り込んで、呪術師の女が叩き落とす。防御は任せろと言わんばかりに。

 鎖が引き戻されていき、今度はそちらに向かってリャナンシーが魔術を打つ。


「“フロストカーペット”!」


 足元から、霜柱の絨毯が伸びていく。

 威力は弱いが、先程の魔術よりもさらに広範囲に広がる呪文だ。おそらく、煙幕の範囲の大部分を飲み込むほどには。

 当たれば、ひとまずチャスカがどこに潜んでいるのか感知することもできる。

 はず、なのだが――。


「……これも当たらない?」


 リャナンシーは思わず眉をひそめた。

 これすらも、チャスカに命中した手応えがないのである。


「ほんとうにぃ?」

「え、ええ」


 他の、煙幕に巻き込まれた二体のリャナンシーについては接触があった。もちろん、冷気が伝わる前にその周辺の霜柱は解除したのだが。二体とも奇襲を警戒しているのか、その場から動く様子がない。


「なんで……」


 そして魔術の効果がそこまで届いているのであれば、煙幕の中で霜柱の伸びていないところはないといってもよいはずだ。

 なのに、チャスカがどこにいるか分からないとあうのは、不可解極まりない。


 まさかもう、煙幕の中にいないのか?

 気付かない内に認識阻害魔術なりを使って、移動しているのではないか?


 そういう考えがリャナンシーの頭をよぎり、しかしそれならどうやって鎖鎌を投げているというのか、と考え直す。


 もしくは、空中浮遊魔術(レビテーション)自由飛翔魔術(フリーフライト)といった標準魔術で空中に浮いているのかもしれないが、わざわざ張った煙幕の中でそんなことをする意味がない。チャスカは、一体どこに――。


「――――っ!」


 そこでリャナンシーは、一つの可能性に思い至る。煙幕の中にいるのは、仲間のリャナンシー二体と敵であるチャスカ、……だけ(・ ・)では(・ ・)ない(・ ・)


「“アイススパイク”!」


 すぐさま右手を掲げ、氷の種を作り出す。今度は二つだけ。先程よりも狙いを定めて、チャスカのいるであろう場所に向けて杭を打ち込んだ。


「そこはぁ……!?」


 それによって呪術師の女も察した。

 チャスカがどこにいるのかを。


 男が先程倒した、同胞の亡骸(・ ・ ・ ・ ・)を踏んで(・ ・ ・ ・)いたのだと。


 何をしていたのか知らないが、だから霜柱の絨毯に反応がなかったのだと。


「――ちっ」


 かすかに舌打ちが聞こえた。

 それとともに、氷杭を躱して死体から飛び退いたチャスカが、ついに霜柱の絨毯を踏んだ。


「いました!」


 杭を打ち込んだところから、右へ三メートルほど跳んでいる。

 それが分かると、さらにそちらに向けても杭を打ち込む。チャスカは霜柱を踏みしめながら走って躱し、その居場所をリャナンシーに晒している。もはや煙幕が遮蔽として機能していない。


「喰らえ! “アイスバーグハンマー”!」


 一際巨大な氷塊が天井付近に生成された。

 大質量を落としてまとめて押し潰す呪文である。

 室内であるためサイズを絞っているようだが、それでも踏まれれば一撃で戦闘不能だろう。


 チャスカはこれをどうにか躱す。ただし、霜柱の上を転がることになり、全身が冷やされていった。


「しぶとい……!」


 煙幕で見えていないだろうによく躱せるものだ、とリャナンシーは思う。


 チャスカが、一方的に撃たれているのに煙幕を解除しないのは、他のリャナンシーたちも加わって乱戦になるのを嫌がっているからだ。

 そうならないように、自身の視界も塞がるというリスクを負ってまで煙幕を張り続けている。


 それならこのまま打ち続ける、とリャナンシーは決めた。


「見えないまま、死んでいけ!!」


 このリャナンシーもだいぶ感情が昂っている。仲間がやられただけでなく、その死体を文字どおり踏みにじられたとなれば、平静を保ってなどいられない。彼女たちだって、尊厳というものは持ち合わせているのだ。


 出来ることなら、このまま攻めて自分の手で片を付けたい。

 リャナンシーはそのように考えていたし、実際にそうするつもりであった。


「“アイススパイク”!!」


 都合四度目になる氷の杭が、両手の十指から放射状に伸びていく。

 最大威力で放った杭は煙幕の中でところ狭しと枝を張っていき、チャスカの逃げ場を封じていった。

 打ち込まれた多量の杭はすでに煙幕で覆われた空間の大半を貫いている。

 次は躱せないだろう。


「……そろそろ、かしらぁ?」


 仲間の猛攻を横で見守っていた呪術師の女は、静かに呟く。

 ここまでされればあの男のことだ。必ず鎌を使って転移し、態勢を建て直そうとするに違いない。


 回避に専念していたのか二回目を弾き落としてから鎖鎌が飛んできていないが、奴は必ずやるだろう。


「そこをぉ、――叩く」


 来い、と、いまだ晴れぬ煙幕を睨む。


 そうして、案の定、チャスカから反撃があった。

 氷の杭の隙間を抜けて、黒い鎖が飛んできたのだ。


「……!」


 鎖が飛び出したのは、チャスカが立っている位置からやや離れたところ。どうやら、煙の中で迂回させているようだ。

 あの鎖は意思もつ生き物のようにある程度自由に動かせるようだから、おそらく先の二回も同じように迂回させて、魔術の狙いを逸らしていたのだろう。


 小賢しい真似を、とリャナンシーは思う。


「……鎌がない?」


 そして呪術師の女は訝しむ。

 鎖の先端に鎌が付いていない。鎖だけで飛んできている。

 どこか、別の場所に投げるつもりなのか?


「ひとまずこれをぉ、――!?」


 鎖を叩き落とそうとして、しかしできなかった。


 鎖は、途中で途切れていた。そして先端ではなく鎖全体を浴びせるようにして呪術師の女に当たってきたのである。


「くっ……!」


 もつれるようにうねりながら飛んできた鎖を両腕で防ぐが、衝突した後も鎖は、床に落ちることなく女の身体に絡み付いてくる。

 まさしく蛇のような動きであった。とっさに首を守るが、両腕の上から巻き付かれて動かせなくなる。


「コイツはぁ……!!」


 女は確信した。この鎖は、チャスカの服の下で蠢いていた黒いナニか(・ ・ ・)だ。

 締め上げようとする力は大したことないが、鎖に触れている部分の肌にガッチリと噛み(・ ・)付かれて(・ ・ ・ ・)いる(・ ・)


「このっ……!」


 外そうとしても、なかなか外れない。

 人形転嫁呪術の効果でダメージはないが、それもいつまで保つか分からなかった。

 それほどの勢いで、ガリガリと噛み砕こうとしてきているのだ。


「大丈夫ですか!?」

「大丈夫よぉ! それより目を離さないで!」

「!」


 それでも、呪術師の女は煙幕から目を離さない。

 鎌を投げるなら、この隙を狙ってくる可能性が高い。


「必ず投げてくる! こちらに接近するために!」

「はい!」


 チャスカの基本戦術は、接近戦での奇襲だ。

 こうして鎖を投げてくることもあるようだが、あくまでもメインは鎌と鉈である。

 呪術師の女は、先の戦闘でそう当たりを付けていたし、事実、それは正しい。


 必ず距離を詰めてくる。呪術師の女は、そう確信していた。



「――ふっへっへ」



 果たして、チャスカは投げた。女の予想通りに。身構えるリャナンシーに向かって。


 放物線を描くように、緩やかに。


「……?」


 魔術で迎撃しようとしていたリャナンシーも、呪術師の女も、一瞬虚を付かれたように動きを止める。


 思ったよりも勢いがなかったから、ではない。

 チャスカが投げてきたものが、鎌ではなかったからだ。


「……まさか、そんな――」

「――!」


 リャナンシーは、背筋がゾワリと粟立った。


 それなりの大きさと重さであるはずのソレは、ピタリと測ったようにリャナンシーの胸元に飛び込んできて、震える手でそれを受け止めた。

 投げ付けるというよりは、投げ渡された、というべきである。



 仲間の(・ ・ ・)、――生首を(・ ・ ・)



「――――!! 貴様ぁぁあああアアアア!!」


 一瞬で、リャナンシーの怒りが爆発した。

 投げられた首は、最初に倒された銃使いのリャナンシーのものだ。

 彼女にとっては、友人ともいえる存在の。


 チャスカは、こうするために死体の上にいたのである。

 首を、切り落とすために。

 死体を踏み付けて、その上で作業をしていたのだ。


「うああぁぁあああああああああああ!!」


 あらん限りの声で叫ぶ。まさしく絶叫。

 呪術師の女も思わず目を奪われている。


「出てこい!! 殺してやる!!!」


 変わり果てた友の姿に、その下手人への怒りを抑えられない。

 煙幕の中にいるチャスカに向かって、リャナンシーは吼える吼える。


「出てこぉぉおおおい!!」


 その声を聞いて異変に気付いた他の二体が、意を決したように動く。一旦煙幕から出て、呪術師の女たちのところまで回り込むつもりのようだ。

 女も、纏わりつく鎖を全力で引き剥がそうとしている。


 リャナンシーは、さらに吼える。


「私が!! 貴様を!! 殺してや――」


 カツーン、という音が、ふいに背後から聞こえた。

 それと同時に、男の声も。



「――それは無理だなぁ」



 リャナンシーはとっさに振り返ろうとするが、それより先に、首に衝撃を受けた。

 横殴りにされたような、そんな――。


「るっ――…………?」


 視界が、ぐらりと傾いていく。

 端の方から急に暗くなっていって、音が聞こえなくなる。

 友の首を持ったままの自分の身体から、視界だけが落ちていく。


 いつの間に、背後に来たのだろうか。

 いつの間に、投げていたのだろうか。


 分からない。分からなかった。

 首を落とされたことすらも、理解できているか怪しかった。


「これで二匹目だぁ」

「――――」


 最後にそのように聞こえた気がしたが、渇血の能力で根こそぎ血を吸い取られたリャナンシーの頭では、もちろん、理解することが出来なかった。




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