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第8章 26

 ◇




「っ……!」


 ノーラの姿が消えた瞬間、腹を斬られたリャナンシーは己の失策を悟った。


 自分が開いた空間の亀裂を、何かが通った感覚があったのだ。


「な……、どこに行った!?」


 一番先頭に立っている同胞の声。

 部屋の中を見回しているが、おそらくもう、そこにはいない。


 閉じ切る前の門をくぐられたのだ。

 すでに、先程まで戦っていた人間たちのところに行かれただろう。


「やられました、ね……」


 負傷のせいか魔術の制御が甘くなっているのだ。

 思ったように門を閉じることができていない。


「逃げられた、ってことぉ?」

「……はい」


 悔しそうに頷くリャナンシー。

 その様子に、肩を貸しているほうの女は、慰めの言葉を口にした。


「まぁ、そこまで問題はないでしょ? チラッと見た感じだいぶ負傷してたみたいだし、奴らのところに行ったのなら、一緒に行動するんじゃない? それならどのみち、私たちを追ってここまで戻ってくるわよぉ」

「……そう、ですね」

「そうそう。だから、心配は――」


 いらない、と言おうとしたリャナンシーの頬を、閉じる直前の門から飛び出したものが、掠めた。


「……は?」


 唖然とする化け物を無視して、飛び出したもの――鎌は、高速回転しながら一直線に飛んでいく。


「――まさか、」


 追ってきたというのか?

 わざわざ、敵陣のど真ん中まで?


「嘘でしょ?」


 もしそうだとしたら、いささか蛮勇に過ぎるだろう。

 リャナンシーたちにしてみれば、飛んで火に入る夏の虫と変わらない。


 そしてようやく背後の門が閉じ切って消滅し、空間の繋がりが断絶した。

 ギリギリのタイミングで飛び出した鎌は、一番先頭で喚いているリャナンシーの後頭部に吸い込まれるように接近し――。


「っ!? だらぁ!!」


 その存在に気付いた化け物が、振り向きざまに爪で弾き飛ばした。


「なんだあ、これは!?」


 弾かれた鎌は勢いを失い、リャナンシーの頭上を越えて床に落ちる。

 カツーン、と鳴って跳ねたところで、柄に巻いていた()が一枚、ヒラリと落ちた。


「――――!」


 直後、舞い落ちる紙人形と入れ替わるようにして、一人の男がその場に現れる。


「……やぁっと来れた、こんなところまで」


 粘着質な笑みを浮かべた男だ。

 白髪混じりの茶髪を後頭部で結わえ、緑色の瞳をギラギラ光らせ、襟も裾も袖口も広いダボダボの団服を着た、短身痩躯で初老の男だ。


「……本当に、来ましたか……」

「しつこいわねぇ……」


 リャナンシーたちが、呆れたように呟く。

 そんな言葉を無視するかのように、男は左手に持った鉈を大きく振り抜きながら、化け物たちに向き直った。


「この俺様が、逃がすと思うか? 弱って尻尾巻いて逃げるような、そんな獲物をよぉおおお?」

「……」


 男は、――チャスカは、そこにいた者たちの顔を見て、笑みを深める。


「……ひとつ、……ふたつ、みっつ。全部いるな?」


 一番先頭にいる者、先程腹を斬ってやった者、その隣で治療を行っている者。

 全部で三体。

 空いている右手で順番に指し示して、グッと拳に握りこんだ。


「ふっへっへ、これでようやく――」

「……おい」

「あん?」


 そんななか、先頭にいたリャナンシーが、有無を言わせずチャスカに襲いかかった。


「うらぁっ!」

「おぉっと……!」


 強く踏み込んで、真っ赤な爪を踊らせる。

 チャスカは鉈で防ぐが、勢いに押されて後方にたたらを踏んでしまった。


「いきなりなんだ、テメーは!」


 彼女は、先程飛んできた鎌がこの男によるものだと理解すると、苛立ちまじりに激しく攻め立てる。

 ただでさえ、狙っていた獲物に逃げられて腹が立つというのに。それに加えて薄気味悪い人間から不意打ちをかまされたとなれば、沸点の低い彼女が爆発するのは当然であった。


「敵か!? 敵だな!!」

「っ……!」

「切り刻んでやる!」


 激しく、荒い、爪撃の連打。

 力ずくに近い強引な斬りつけは、鉈一本で捌き続けるチャスカを、じわじわと壁際に向けて押し込んでいく。


 爪と鉈がぶつかり合って火花が散り、チャスカが苦しそうに眉をしかめる。


「やるじゃあねぇかぁ……」

「やかましい!」


 リャナンシーが一際強く打ち付けた。

 バランスを崩したように、チャスカが大きくよろめく。


「くたばれっ!」

「……!」


 トドメを刺してやる、と右腕を強く引き絞る。

 チャスカはとっさに首から上を庇うが、それなら心臓を――。


「っ! 待て!!」

「!」


 突き込む直前、背後から鋭い声が飛んでくる。

 声の主は、先程の乱戦でチャスカと戦っていた呪術師の女。


 リャナンシーは、辛うじて踏みとどまった。


「……なんだぁ? 来ないのかよ?」


 その様子を見たチャスカは露骨につまらなそうにする。

 崩れた体勢をヒラリと立て直すと、べぇ、と舌を出した。


「せっかくの隙だったのに、もったいねぇなぁああ?」

「……よく言うわぁ。どうせわざとでしょうに」

「ふっへっへ、どうかな?」

「白々しい」


 後ろから見ていても分かる。

 今のチャスカの動き、明らかに手を抜いていた。

 押されたふりをして、誘っていたのだ。


「気を付けなさい。その男、服の下に何か仕込んでる。迂闊に突っ込むと、私の爪みたいに削り取られるわぁ」

「……!」


 同胞に言われてよく見てみる。確かに、襟元で何かが蠢いているのが分かった。

 チャスカが、わざとらしく舌打ちしてみせた。


「ちっ、仕方ねえ。まずはひとつ、と思ったが……」


 距離を取る者、前に出てくる者。

 チャスカを囲むようにして、数体のリャナンシーたちが室内に布陣していく。

 爪以外にも短剣や銃など、各々が使う武器を構えていて、どのようにして攻めようかと窺っていた。


 扉の向こうにいるのは三体。

 治療をしている者。されている者。それともう一体、一際小柄なリャナンシーが護衛するようにして佇んでいる。


 あそこまでは少々遠いな、とチャスカは考えた。


「先に数を減らすか……? ……どうした? ほら、まとめて来いよ、相手してやるぜ?」


 取り囲まれているというのに、余裕ぶった態度を崩さないチャスカ。

 自分からこの状況に飛び込んでくるのだから何かしら策があるのかもしれないが、彼女たちにしてみれば、少々不可解ではある。


「……」

「……」


 チャスカの言葉に答えず、リャナンシーたちはお互いにアイコンタクトして頷き合った。


 短剣を持った一体がじりじりとチャスカの背後に回り込んでいき、銃を持った一体は、チャスカの右手側から側頭部に狙いを定める。

 一体は数歩引いていつでも魔術を打てる態勢に。呪術師の女は正面から、短気な女は左手側から、それぞれ爪を構えてチャスカに向き合う。


 ふと気付いて、呪術師の女が足元に落ちていた鎌をチャスカに向けて蹴った。

 右足で踏んで受け止めると、チャスカは周囲にも意識を割きながら挑発する。


「なんだ、優しいなぁ? 今更正々堂々なんて綺麗事をやるつもりか?」

「冗談でしょお? 飛んで逃げられないようにしただけよぉ」

「だろうなぁ。……お前ら化け物に、人間様の真似事をされるだけで虫酸が走る」

「…………へぇ?」


 拾おうとして少しでも隙を見せれば、そこから攻めこまれるだろう。

 多数で四方を囲んでいる以上、リャナンシーたちは絶対的な優位に立つ。


「……ふっへっへ」


 チャスカは、左手の鉈の刃で右からの射線を塞ぐようにしつつ、空手になっている右手をゆっくりと、顔の前に持っていった。

 リャナンシーたちが、いつでも反応できるように、グッと身構える。


「なるほどなぁああ……」


 右腕の袖口付近に、噛み付く。

 そして勢いよく右手を引き下ろすと――。


「――好都合(・ ・ ・)、……だ!!」

「!!」


 右手の袖口から勢いよく黒いモノが伸びていき、

足で踏んでいた鎌の柄尻に、その先端が張り付いた。


「――!」


 右手側にいたリャナンシーが反応して引き金を引く。

 鉈と団服の隙間から僅かに覗く首筋を狙っての精密射撃であったが、次の瞬間にはチャスカは、右手を持ち上げながら深く沈み込んでいた。弾丸は、空を切る。


「……ひっひっひ」


 袖口からずるずると伸び出していく黒いモノ、――鎖のようなそれを右手で掴んで素早く回す。黒い鎖は螺旋を描くようにチャスカの周囲を覆っていき、やがて袖口から出し切ったのか、ドーム状になったまま動かなくなった。


「くっ……!」


 ギシギシと不気味な音を立てて軋む黒い鎖。

 銃使いのリャナンシーが続けて弾丸を発射するが、鎖と鎖の間を狙っているはずなのに、なぜか、全弾鎖に当たって防がれてしまう。


「――“ハイドクラウド”」


 大量の煙幕を作り出す呪術。

 唱えると同時にチャスカは、足で踏んで固定していた鎌を、離した。


「!?」


 限界まで巻いたゼンマイが戻るようにして、螺旋状の鎖が先端から真っ直ぐに伸びていく。当然、先端に張り付いている鎌も一緒に高速運動し、チャスカの周囲をぐるぐると回る。


 鎌の先から噴き出す大量の煙幕が、一瞬でチャスカの姿を包み込んだ。それに留まらず、腰から胸にかけての高さで煙が広がり、リャナンシーたちも煙に呑まれる。


 銃使いは、それでも先程までチャスカのいた辺りに弾丸を撃ち込もうとして……、横合いから脇腹に衝撃を受けた。


「なっ……!?」


 煙幕に紛れていつの間にか伸びてきていた鎖に、脇腹を殴り付けられたのだ。

 思わず呻き声が漏れ、そして鎖はそのまま一回転、腹回りに巻き付かれた。


 肌に尖ったものが食い込むような、鋭い痛みを感じる。

 それがどういう意味か、リャナンシーが理解する間もない。


「あ――」


 チャスカが、巻き付けた鎖を、力一杯引いたのである。


 黒い鎖は、リャナンシーの腹の上を激しく滑った。

 与えられたダメージは肌を擦過するなんて生易しいものではない。


 皮や肉、腸や骨を全周から絞るようにして、一息に削り(・ ・)斬られた(・ ・ ・ ・)のだ。


「――――」


 最後まで引き切られた鎖には赤黒いものがベッタリと付着していて、開放された女は、辛うじて繋がったままの体でその場に倒れた。

 もう、ピクリとも動かない。


 チャスカは煙幕の中でボソリと呟いた。



「一匹目……だ」




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