表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
152/190

第8章 23

 ◇




「――断る」


 言い切ると同時に茶色い瞳を眇める師匠。

 結界の急所を正確に見極めようとするその視線の鋭さは、抜き身の刃に相違ない。


 師匠は、抜いた(・ ・ ・)のだ。

 ノーラの肉体で。


 抜き放ってそして、――切るつもりなのだ。


「……密法呪印、」


 合わせた手のひらを少しだけ離し、右手の示指と中指を伸ばしたまま、他の三指を畳んで手印を作る。


 左手は、伸ばした右手の二指を包むようにして軽く握り、両手を顔の前に持ってくると――。



「――九字切捨(くじきりすて)



 包む左手から、右手を引き抜いた。


「!!」


 リャナンシーには、それが、鞘から剣を抜いたように見えて。


「――――!」


 頭で考えるより早く、ノーラに斬りかかろうとする。


 全く知らないモノなのに、それは絶対に完成させてはいけないモノなのだと、本能が訴えた。


《臨、》


 手印を作ったままの右手で、左から右へ一()い。


《兵、》


 次は、上から下へ。


 この時点で、結界が微かに軋んだ。


「止めなさい!!」


 リャナンシーが叫ぶ。

 振り上げた爪で、ノーラの首を掻き切ろうとする。



「――――カアッッ!!!」



 空間全てを震わせて、師匠が吼えた。

 ノーラのノドから生み出された衝撃波。形のない暴力が、近くのもの全てを巻き込んで激しく揺らす。


「……!?」


 それは、目前に迫っていたリャナンシーとて、例外ではない。

 耳が聞こえない。声が出ない。身体が、動かない。

 全身を余すところなく強い痺れが襲い、指一本どころか、まばたき一つすることができない。


「……じっと゛、してな゛さい゛」


 完全に潰れたノドで、ノーラが呟く。

 血を吐きそうなほど、声が掠れている。


《闘、者、》


 そしてそれとは関係なく、師匠によって右手は、横縦と祓い続ける。


「も゛う゛すぐ、」


《皆、陣、》


 一つの動作のたびに、リャナンシーの作り出した結界がミシミシと軋んでいく。

 化け物は、なんとしてもノーラを止めなくてはともがくが、どれだけ力を込めてもびくともしない。


「終わり゛、ま゛すから゛……」

「っ――!」


 悪鬼のように表情を歪めたリャナンシーが、牙をむき出しにしてノーラを睨み付ける。

 まるで、視線だけで射殺さんとしているみたいに。


《烈、在、》


 その視線を真正面から受けて、あろうことかノーラは、一歩踏み込んだ。

 怯む素振りは微塵もない。


 あるのは、燃えるような闘志だけだった。


「喰ら゛え゛――」

「――――!」


《――前》


 最後に、横に一祓い。

 ノーラは更に、もう一歩。

 手を伸ばせば触れられそうな距離に立ち。


「化け物ぉ――!!」


 化け物の目の前で、右手の手印を(ひだりて)に納めた。



 音を立てて、結界が砕ける。



「が、あああぁぁああああああっ!!」


 その瞬間、身体の自由を取り戻した化け物が飛び掛かってきた。


 ダメージが帰ってくるまでの僅かな時間。おそらく一秒にも満たないような短い時間で、最後の最後の最後まで、足掻こうとしている。


「っ!」


 粉々に砕けた結界の欠片。


 天井や壁に張り付いていた赤い膜が、ガラスのシャワーのように降り注ぐ。


 ある種の幻想的な光景。


 ノーラもリャナンシーも、それらに全く見向きもしない。


 ただ、前だけを見て、お互いだけを見据えて。


 左手を、引いた――!


「――!」

「――!」


 伸ばした五指。一つに束ねて、真っ直ぐ突き出す。

 狙いはノーラの顔面。その、力強い瞳を、抉り出すように。

 最短距離を、最速で。


 ノーラは、引いた左手を緩く握り、踏み込むとともに腰から沈む。

 相手の突きに合わせて眼前に残しておいた右手を引き、連動した動きで左手を前に。


 リャナンシーの突きを、下を潜るようにして躱す。

 拳を内側に捻り、当たる瞬間に握り込む。


「あ゛あ゛っ!!!」


 中段逆突き。


 空手道でいうところのその突きは、化け物の身体を軽々と吹き飛ばした。


「――――」


 声もなく、宙を舞う化け物。

 通路の端まで飛んでいって、曲がり角の壁に叩き付けられた。

 石材でできているはずの壁が砕けてへこみ、磔にされたように壁に埋まる。




 ――決着、だ。




「――痛っ!!」



 そこで、限界だった。

 ノーラは膝をついてうずくまり、歯を喰い縛って痛みに耐える。


 全身、特に左腕の痛みが尋常ではない。

 痛み以外の感覚がないくらいだ。

 額に脂汗が浮かび、呼吸がどんどん荒くなる。


 ちらりと見てみれば。


 左腕全体が、折れて歪んでいる。

 拳は、目を背けたくなるほどに砕けていた。


 最後の一撃を打つために、肉体のリミッターを完全に外した代償が、これだ。


《じっとしているんだ。今、治せるだけ治す》


 労うような師匠の言葉。

 ノーラ自身から引き出せるだけ燃料を引き出し、回復力を限界まで高めて傷を癒す。

 特に状態の悪い左腕とノドを優先するが、おそらく現段階では完治させることができない。


「あ、ありがどう、ゴホッ、ござっ、痛っ……!!」

《喋らなくていい。呼吸を整えろ》


 そう言われたノーラは、意識して深く呼吸を行い、荒い呼吸を整えるように努める。

 一分ほどそうして、なんとか落ち着いてきた頃には、師匠による応急処置は終わっていた。


「どうにが、動けぞうですね……」


 全身の筋肉痛のような痛みや、治りきらなかった左手の痛みはまだあるが、歩けないほどではない。


 ノーラはゆっくりと立ち上がると、ふらふらしながら歩き出す。


 こんなところ、早く抜け出してしまいたいものだ。


「……あの前を通るのですよね」


 通路の先に進もうとすると、さきほど磔にしたリャナンシーが嫌でも目に入る。

 深く壁に埋まってしまったせいか、落ちる様子がない。


 口からは大量の血が溢れ出ており、流れ出た血で床一面が真っ赤に染まっている。

 結界に預けていたダメージが帰ってきて、身体中の骨や内臓がぐちゃぐちゃになっていることだろう。


「……さすがにもう、動きまぜんよね?」


 足を引きずるようにして歩きながら、ノーラは、冗談めかして師匠に問う。

 いくらなんでも有り得ないとは思うのだが、ここまで苦労させられた身としては、つい考えてしまっても仕方ないだろう。


《さて、な……。気になるなら、目を離さないでいるといい》


 師匠としては、あのリャナンシーは間違いなく倒したと確信しているため、口ばかりそんなことを言う。

 ノーラもそれが分かったのか、僅かに安堵して頷いた。


「そ、そうですよね、油断は禁物――」



 ガシッ、と。



 ノーラは足首を掴まれた。



「――えっ?」


 意味が分からず、足元を見ると。



「……どこに、行こうってのよ」



 真っ先に倒したはずの若いリャナンシーが、うつ伏せのまま、左手を伸ばしていた。


 彼女は、確か、首を締めながら投げて落とした――。


「逃がさない、――わよ?」

「――!!」


 首だけ動かして見上げてくる瞳。

 ゾッとするほど昏い情念を湛えていた。


 さきほど倒したリャナンシーと同質の。

 怨念じみた妄執を。


 ノーラはとっさに引き剥がそうとするが、どこからそんな力を出しているのか、万力のように締め上げて離さない。このまま握り潰すつもりか。

 そしてリャナンシーは、右手の銃を持ち上げて、ノーラの心臓に狙いを定めた。


「喰らえ……!」

《――!》


 師匠が、むりやり身体を動かす。

 足を掴まれたまま倒れ込み、発射された弾丸をなんとか躱した。

 もう、師匠が動かしても、素早く動けなくなっている。ギリギリであった。


「……!」


 ノーラは、倒れた衝撃で全身に激痛が走り、声にならない悲鳴をあげる。

 目がちかちかして、今自分がどうなっているのかも把握しきれていない。


 そんな状態で、目の前にあるものにとっさに手を伸ばして掴んだノーラは。


「あ゛ああああああああっ!!」


 自分の足元に銃口(・ ・)を向け、躊躇うことなく引き金(・ ・ ・)を引いた。

 リャナンシーが、ノーラを掴むために手放していたもう一挺の銃は、パン、と乾いた音が鳴らして弾丸を吐き出し。


「あっ……!」


 持ち主の側頭部を、完璧に撃ち抜いた。

 頭部へのダメージで、リャナンシーは一瞬で意識を刈り取られそうになり――。


「――――!」


 寸前で、踏み留まる。

 もはや致命傷といってもいいぐらいのダメージを受けて、なお、執念のみで意識を繋ぎ止めている。

 それも、保って数秒程度のことなのだろうが、それだけあれば、出来ることはある。


 若いリャナンシーは、右手を開いて銃を取り落とすと、のろのろと手を伸ばす。

 その先には、一見して何もないように見えるが、この砦の構造や仕組み、()の位置を熟知している彼女にとっては、そこには確かに有るのだ。



 短距離(・ ・ ・)転移用の(・ ・ ・ ・)魔術式が(・ ・ ・ ・)



 果たして、リャナンシーは意識を失う前にそれを探り当てた。

 震える指先が触れると同時に、魔術式は狂いなく発動する。


 白い光によって浮かび上がる術式を見て、ノーラはそれが何を意味するものなのか、正確に読み解いた。


「しまっ……!?」


 しかし、それに気付いたノーラが足首から指を剥がす暇もなく。



 リャナンシーだったモノとともにノーラは、術式に従って、指定された場所へと転移させられた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ