第8章 22
◇
「あっ――……」
背後から斬られた。
デザイアとの鍔迫り合いをしていたリャナンシーは、自分の脇腹を抜けていった刃の感触をはっきりと感じ取っていた。
「チャスカさん――!」
デザイアの声。僅かに驚きが滲む。
もう一体を引き連れて離れていっていたのに、いつの間にここに戻ってきていたのか、と。
「俺様もぉおおお……」
鉈を振り切った体勢で姿を現したチャスカは、そこで止まることなく鎌の刃を返す。
振り向き様、膝から崩れ落ちるリャナンシーの首元へ打ち付けるつもりだ。
「やらせろぉ!!」
リャナンシーはとっさに左手で庇った。突き抜けて、手の甲から刃が飛び出す。武器火追魔術は消えかかっていたが、まだ耐えられた。
「もう一丁!!」
鎌ごと押し込まれて、腰が床につく。鉈の打ち込みがまたもや首を狙っている。防御のために右手を挟み込んだ。手首のすぐ下に半ばまで食い込む。こちらも、骨まで達するほど深い。
熱い。傷口が。焼きごてを押し付けられているみたいに。腹の傷からは不思議と血が出ていないが、激しい痛みと強い喪失感が、内臓ごと斬られたのだと理解させた。押さえていないと溢れそうだ。
「っ――」
完全に床に倒れた。勢いよく倒れたはずなのにそれほど痛みを感じないのは、斬られた痛みが強すぎるからか。
たぶんもう、起き上がれそうにない。
「やれ、デザ公!!」
リャナンシーの両手を押さえる形になったチャスカ。その声を受けるより早くデザイアは、チャスカの身体を回り込むようにして横っ跳びし、波濤を振り上げていた。
「はあっ!」
今度こそ首をはねる気だ。
処刑台のギロチンのように。
狙われているリャナンシーには、もう防御手段が、ない。
「――させるかぁあああ!!」
そこに、もう一体のリャナンシーが全力で接近してきている。
彼女は、チャスカの意図に気付いた時点で仲間のところに向かって駆け出していた。仲間を守るために、助けるために。
加速呪術の乗った肉体は、残っていた雲の残滓を払い除けて一直線に迫る。
だが、まだ遠い。
どう見積もっても、デザイアの剣のほうが速いだろう。
デザイア自身も、このまま確実に首を落とせると考えていて、あのリャナンシーの相手は、そのあとであると思っていた。
「――“チェンジドール”!!」
そこに投げ込まれた異物。首をはねる直前、小さな人形がデザイアの視界の端に入り込み、次の瞬間には入れ替わっていた。
覆い被さるようにして庇うリャナンシーの背中に、蒼銀色の刃が叩き付けられる。
「っ!」
手応えはあった、が、現実には斬れていない。
転嫁人形呪術の効果で、ダメージを人形に押し付けているからだ。
躊躇わず、デザイアは二の太刀を打ち込もうとする。
術の正体までは分からずとも、デザイアは、この手の術には時間や回数などの制限があるものが多く、効果が切れるまで手数で抑え込んで圧倒すればいいということを経験上知っているのだ。
勿論、黙ってやられるリャナンシーでもない。
「どけぇ!!」
上半身を跳ね上げると、その勢いで腕を薙ぐ。
大きな弧を描く軌道で、とにかく当てるつもりのようだ。
デザイアは上体を反らし、チャスカは食い込んだままの武器から両手を離して飛び下がる。
「“クリメイション”!」
続けざまの呪術の炎も、狙いをつけずに振り撒く。
これにはデザイアも数歩下がって距離を取り、その隙にリャナンシーは懐からビー玉サイズの水晶を三つ取り出し、チャスカたちの足元に向けて投げる。
「“インスタントクリスタルゴーレム”!」
呪文の詠唱によって、水晶玉が変化する。あっという間に人と同じ大きさ形になり、水晶でできた兵士たちは素手のまま、デザイアたちに襲い掛かる。
「小癪なことを!!」
「するじゃあねぇかぁあ!」
デザイアに二体、武器を手放しているチャスカには一体であたる。リャナンシーは、近寄らせないように牽制しろ、と指示を出したうえで、斬られた仲間を引きずって距離を取った。
「“ハイネスアースヒール”! ……起きなさいよぉ!」
回復用の呪文を掛けながら、両手に刺さっている鎌と鉈を抜いて離れたところに放る。
呼び掛けるが、応答がない。
「“エクステンドアースヒール”!!」
更に協力な回復呪術を行使。何をおいても、腹の傷を塞がなくてはマズい。
それに、問題はそれだけではない。元々白かった肌が更に血の気を失っている。どうみても、血を失いすぎていた。
だが、その原因が分からない。
腹の傷からは、血が一滴も出ていなかったのだ。両腕の傷も、左手は出血しているが右手首からは出血していない。
左手の傷だけで、こんな――。
「――あの鉈、ですね……」
「!」
斬られたほうのリャナンシーが、意識を取り戻した。浅い呼吸を繰り返しながら、自身の腹の傷に触れる。
回復呪文の効果により表面的には傷が塞がっているが、完治には程遠い。
「どういうことぉ?」
「あれで、斬られた瞬間……、身体の中から、何かがゴッソリ抜けた感覚が、ありました……。おそらく、血を……、抜き取られた……」
リャナンシーの推察。
そしてそれは正しい。呪授武器である渇血には、斬った時点で「その傷口から流れ出るであろう量の血」を奪って飲む能力がある。
本来なら時間をかけて抜け出ていくはずの血を一息で失わせて戦闘不能に追い込み、戦闘後に血痕も残さない。
そういう武器なのだ。渇血は。
「……“ディメンションゲート”」
斬られたリャナンシーが、震える指で空間をなぞる。
何もないところに亀裂が走り、向こう側と繋がった。
「向こうは?」
「談話室……です」
「一旦退却ね?」
「はい。……甚だ不本意ですが」
それだけ聞くと、斬られた仲間に肩を貸して立たせる。
他の仲間のところに戻って治療してもらい、再度別の部屋で待ち構えることにしたらしい。
亀裂を潜りながらリャナンシーは、もう一度だけ室内を見回した。
水晶兵士三体と右手を失ったカースドアーマーが、デザイアとチャスカを相手にしている。
牽制と防御に徹しているためまだ負けてはいないが、そのうち破壊されそうだ。
それに、奥で戦っているハイレブナントたちも、いつの間にか二体しか残っていない。
おそらく間もなく全滅する。
そうなれば、向こうで戦っている人間たちが助力にくるから、なおのこと保たないだろう。
「次は、我々の総力でもって、迎え打ちましょう。これ以上、主様に近寄らせないために……」
「そうねぇ、もう、侮らないわぁ……!」
苦々しく言いながら、向こう側に渡った二体。
この場は負けを認めて、素直に撤退した。
「――――行ったな?」
その後ろ姿を見送ったチャスカは。
「これで、やっと……! ――デザ公!!」
「分かってる!!」
化け物四体を回り込むように、一気に駆け出す。向かう先は、捨てられた自分の得物。回収するつもりのようだ。
その動きに気付いた水晶兵の一体がチャスカを遮ろうとする。が、それより先に。
「させん!」
デザイアが騎士剣を投げ捨て、波濤を両手で持った。腰の高さで水平に構えて――。
「波濤!!」
振り抜いた。
迸る蒼光が奔流となり、敵をまとめて呑み込む。
四体全て吹き飛ばされたのを横目にチャスカは、目的地点に辿り着いた。
「まだ閉じるなよぉ……!?」
立ち止まることなく床に捨てられていた鎌を拾い上げると、身体ごと一回転。
「行けぇ――!!」
遠心力を加えて、ぶん投げた。
◇
「あはは! ほらほら、どうしたの!? せっかくなんだから、もっと殴ってくるといいわ! 私が憎くて堪らないんじゃないの!?」
結界発生から約十分。リャナンシーが作り出した結界の中で、ノーラはひたすら攻撃を避け続けていた。
「避けてばかりじゃ、私は止められないわよ!?」
一時的に不死身と化した化け物。痛みも死も無視して襲いかかってくるこの女との戦いも、いよいよ佳境に近付いていた。
「くっ……!」
むちゃくちゃに爪を振り回して斬りつけてくるリャナンシーに、防戦一方のノーラ。
ここまで何度も拳打を叩き込んでいるのだが、いっこうにへこたれる様子のないリャナンシーに、気迫で押され始めている。
「あはははは! ようやく動きも、鈍ってきたかしら!?」
全力で動ける一分弱の時間を、薄く引き伸ばしてここまで動いてなんとか耐えていたノーラに、刻一刻と迫る限界。
疲労さえも無視できる状態のリャナンシーと、一時間も戦っていられるはずがないのは、明白であった。
「本当に、どうしたものでしょうか……!」
リャナンシーの爪を捌きながらノーラは、眉間にしわを寄せて呟く。
せっかくここまで来たというのに、せっかくここまでやったというのに。
最後の一押しで詰め切れず、こんな泥沼のような戦闘に引きずり込まれた。
見くびっていたつもりもないし、師匠の力を借りたとしても楽に勝てる相手じゃないことは分かっていた。だが、それでも、ここまでになるとは思っていなかった。
読み違えたのは、執念。ノーラの想像を遥かに越える、何かを成し遂げようとする精神力。
終われば必ず死ぬような状況に持ち込んででも、ただでは負けない粘着質な思考。
恐ろしい。と、ノーラははっきり感じる。
自分の生涯で、もう何度も会うことはないだろうと思えるほどの悍ましさである。
「……ですが!」
だからといって、ノーラも負けるつもりはない。目の前の化け物を、許すつもりは毛頭ない。
ノーラには、なんとしてもここを抜け出して、帰らねばならないところがある。会わねばならない人がいる。
伝えねばならない、想いがあるのだ。
それまでは、死ねない。なにがなんでも。
そのためには、この化け物は邪魔だ。
「私は、ここで負けるわけにはいきません!」
「そう! それなら私も、全身全霊で挑むだけよ!!」
ノーラもリャナンシーも、感情をむき出しにして睨み合う。
お互いが、お互いを倒したいと考えているのだ。
ノーラだって、怯んでいる暇などない。
《……ノーラ》
そのとき、今まで黙っていた師匠がノーラの名前を呼ぶ。
《見つけたぞ。結界の脆弱な部分を》
「!」
《そこを突けば、間違いなく砕ける》
「――はい!」
ノーラが回避に専念している間に、師匠は結界を壊すための方法を探してくれていた。
この結界のせいでどれだけ殴っても倒せないというなら、結界そのものを先に破壊する必要があるからだ。
《声と、左手。一時的に潰すことになるが、いけるか?》
「問題、――ありません!」
よし、と師匠は動き出す。実際に動くのはノーラではあるが。
「せやあっ!」
真っ赤な爪による化け物の斬りつけ。
躱すと同時に手首を掴むと、相手の勢いを使って崩し、後方に投げる。
相手から距離を取るようにして下がり、起き上がったリャナンシーに向けて、告げた。
「恐るべき執念の塊よ。そろそろワたちも次へ行かせてもらうぞ」
「せっかちね? もっと遊びましょう?」
師匠は両手を合わせると、呆れたようにため息をついた。
「断る」