第8章 19
◇
「ならば、――代わりにワが、虐めてやろう」
そう言うと師匠は、口角を持ち上げて薄く笑った。堂々としたその言葉に釣られるようにして茶色い瞳の鋭さが増し、カミソリの刃よりも鋭利な戦意をリャナンシーたちに叩きつける。
「へぇ……」
「っ……!」
相対する二体のリャナンシー。
挑発的な師匠の言葉を受け、隻腕の女は笑みを浮かべたまま目を細め、反対に銃を持った少女は大きく目を見開く。
「上等じゃないっ……!」
少女は、ギリッと奥歯を噛み締めて絞り出すように言った。明らかに先程よりも怒っている。みえみえの挑発だとは分かっているが、感情の荒ぶりを制御できていないようだ。
「両手両足に撃ち込んで動けなくして、爪先から一本ずつ骨を砕いてやるわ!」
「ふむ、物騒だな」
「これでも足りないくらいよ、この盗人! 主様も主様よ、どうしてこんなヤツを……!」
「――ほう?」
師匠は、得心がいったと頷いた。
「そうか、嫉妬だったか」
「!」
「お前らの親玉が、ノーラに興味を示して連れて帰ってきたことが気に食わないのか」
「……」
図星を当てられて黙り込むリャナンシーに、師匠はバッサリと告げた。
「くだらん」
「!?」
「お前とノーラの間にワの知らん因縁でもあるのかと思ったが、そんなくだらんものが憎しみの理由か。汲むべき事情があるなら多少は考慮したが、そういうことなら構わないな。お前はさっさと終わらせよう」
「……!」
少女は、怒りにうち震えた。
くだらない、と強い嫉妬を向けている相手から直接言われたのだ。まるで、他人事のような口ぶりで。まったく関係ないと言わんばかりに。
しかも、あろうことかこの女は「さっさと終わらせよう」などとも言っている。さも、その気になればそうできるかのように。布切れぐらいしか武器になるようなものを持ってない状態で。
殺したいほどに思っている相手からここまで侮られて、怒らないはずがなかった。
「…………やれるもんなら、やって――」
「やるさ。お前に言われなくても」
「――っ!!」
とうとう、リャナンシーはキレた。
素早く狙いを定めて引き金を引く。憎き女の脳天めがけて。
額への正確な銃撃は、しかし発砲と同時に師匠が体を捌いたことでなんなく躱された。
身体能力は低いままでも、師匠は達法の技術を用いることで人間が元来持っている能力を引き出して使うことができる。
臓器の活動を活発化させたり分泌物の成分を変化させたり、反射神経や精密動作性を高めたりすることもできるし、いざとなれば肉体のリミッターを切って馬鹿力を出すこともできる。無論それらにはそれぞれリスクがあるし師匠がここにいるための燃料も多く消費するため、師匠は、そのあたりを常に考えつつ戦う必要がある。
「これなら――」
攻撃を簡単に躱された少女は、左手に持ったままだった食事入りのトレーを投げ捨てながら、怒りのままに叫ぶ。
「どうよ!!」
そして腰に吊ってあるもう一挺の銃を抜き、両手で銃を構えた。
「“シュラップネルバレット”!!」
二つの銃口から無数に分裂した散弾が発射される。榴散弾機術は、射程が短くなるかわりに弾丸を散弾状に変化させて射出する魔導機術だ。ここが通路であり、そこまでの広さはない以上、二挺同時に放てば逃げ場をほぼ潰せる。
「――!」
飛んでくる散弾。一発一発の威力は通常の弾丸よりも低いだろうが、全てを躱しきることは不可能だし、何発もまとめて喰らえば十分痛い。ノーラの肉体の耐久力では、それだけで致命傷になる可能性もある。
よって師匠は。
「はあっ!!」
両手に持って張っていたシーツを瞬時に持ちかえ、目の前で思いっ切り振った。バサッと。洗濯物を干す前に、シワを伸ばすようにして。
「なっ……!?」
それだけで、湿ったシーツはあらかたの弾丸を叩き落とした。リャナンシーが、信じられないというふうに呻く。盾や鎧ならいざ知らず、たかだか布切れ一枚で弾丸を弾かれるとは思わなかったのである。
「……散弾もあるのか」
師匠は、先程の会話の最中に掌の汗腺から多量の水分を絞り出し布を湿らせていたのだ。繊維を強靭化させる唾液と同じ成分を混ぜていたことも加わって、重さと強靭さを備えたシーツは、大量の散弾を弾いても穴ひとつ空いていない。
「このっ!」
「させん!」
もう一度引き金を引こうとする少女に対し、師匠は右手に巻き付けていた帯布をクルクルと解くと、分銅部分を掴んで投げた。
「あっ!?」
帯をたなびかせて投げられた分銅は、少女の左手の銃に当たって弾き飛ばした。
分銅と銃が床に落ちてカラカラと滑っていく。
弾き飛ばしたのを確認し、シーツを左手に持ったまま少女に駆け寄ろうとする師匠の前に、もう一体のリャナンシーが飛び込んできた。
「うふふ……!」
愉しそうに嗤ったまま、赤い唇をペロリと舐めた。
「拾ってきなさい!」
「! はい!」
反転して駆け出す少女。隻腕の女は真っ赤な爪の生えた五指を開き、師匠に斬りかかった。
「あはははは!!」
速い。腕一本であるにも関わらず、凄まじい速度で斬りつけてくる。
少女が銃撃をしていた後ろですでに加速呪術を唱えていたようだ。狂気じみた笑い声をあげる女に、師匠は意識を集中させる。
そうしなければ、いや、そうしたとしても躱しきれるか分からないからだ。
袈裟懸けの一撃は左前に踏み込んで潜る。すぐさまムチのようにしなり、右への横薙ぎが伸びてきた。むりやり上体だけ逸らして避ける師匠。この時点でもうノーラの肉体は、可動域も運動速度も限界に近い。
《――師匠さん!》
そこに、重ねるようにして連続した突きが飛んできた。五指をすぼめて槍のようにして、三度、四度、五度と。
右腿を狙った突きを躱すために、左足を軸にして右に半回転。
バランスの崩れた上体の下腹部を狙われて、倒れ込むようにして後方に飛ぶ。
完全にバランスを崩したところに、リャナンシーはさらに踏み込んでくる。
左肩への突きを左手を沿わしてなんとか逸らし、首元への突きは左足で腕を蹴り上げて弾く。むちゃくちゃな姿勢で動いた師匠はそのまま尻餅をついて着地し、すぐさま横に転がって胸元への突きを躱す。
「あはは! 凄いわ! あの坊やと同じくらい!」
「くうっ……!」
転がり逃げて体勢を立て直そうとする師匠を、リャナンシーは執拗に追う。
立ち上がる暇も与えないように爪を何度も振り下ろしてくる。
仕方なく師匠はわざと舌を噛んで切った。しみ出してきた血を口の中に溜めると。
「ぷうっ!!」
「っ!?」
次に上を向いたときに、リャナンシーの顔に目潰しとして血を吹き付けた。
とっさに攻撃を止めて腕で顔を庇ったため目には入らなかったが、その隙に師匠はバク転の要領で跳ね起き、呼吸を整えながら構える。
「汚いわ!」
「気にするな」
お互い向き合う両者。
リャナンシーの方からジリジリと距離を詰めていく。
「えいやっ!」
右手で真っ直ぐ突いてきた。
五指をすぼめての突きである。先程から何度もやられていたのと同じ。
ようやく見慣れた、速度と軌道で。
「……!」
師匠は、突きを躱すのではなく受け止めることにした。
左手に持ったままにしていた濡らしたシーツを両手で張り、それで爪を受ける。もっともこの布に、リャナンシーの爪を防ぐほどの防御力はない。鋭い爪によってシーツには簡単に穴が空き、五指全て、指の根元まで突き刺さった。このままでは、容易く破られてしまうだろう。
「――捕らえたぞ」
そこで師匠は、爪が突き立てられたと同時に張りを弛め、リャナンシーの右手を包み込むようにして布を巻き付けた。
まるで指から手首までを固定するギプス。受けて引きながらシーツの片端を絡めていき、ねじれの形で巻き付けると、湿らせた布はピタリと張り付いて取れなくなった。
そして師匠は握ったままのもう一端に体重をかけて引き、後方に引き出しながら右に体を捌く。と同時に前につんのめったリャナンシーの足を左足で払い、前のめりに転ばせて地面に手を付かせた。
自分で握っていたシーツの端を伸ばして床面に張り付けると、布全体に掛かるようにして口の中の血を吹いた。
リャナンシーは起き上がろうとするが。
「っ!? 手が……!」
右手に巻き付けられた布が、地面に張り付いて取れなくなっていた。
「瞬間的に血を凝固させて固定した。そう簡単には剥げん」
師匠のいうとおり、リャナンシーが力を込めてもびくともしない。
すぼめた形で固定された指を開くこともできないし、床から剥がすこともできない。布を切ろうにも、突き抜けてしまった爪ではどうやっても届かず、左腕のないリャナンシーは粘着テープのように張り付いた布で絡めとられた。
師匠は一時的に女の動きを封じると、軽いめまいを覚えながらも立ち上がる。少しばかり技を使い過ぎているのだ。燃料がどんどんなくなっていっている。
「お前は、あとだ……」
「っ!!」
「――まずは!」
そしてそれでも休んでいる暇はない。
振り返った先では、とっくに銃を拾っていたもう一体のリャナンシーが、師匠に狙いを付けていた。
「来いっ!!」
「お前だ!!」
たすき掛けにしていたシーツの最後の一枚を手に取りながら、師匠は駆け出す。両手で銃を構えたリャナンシーに向かって一直線に。
フェイントはなし。シーツを濡らしながら、最短距離を突っ込む。
銃の射程に入れば相手は撃ってくるだろうが、銃口の向きと引き金を引く指の動きを見ていれば躱せる。躱せば、二射目が来る前に組み付いて――落とす。
「“リフレクトバレット”!!」
《っ!!》
師匠が避けようとした瞬間、ノーラが反応した。
ノーラが言葉を出す前に弾丸は射出され、高速で迫ってくる。すでに射線上からずれていた師匠はそのまま飛び付いても良かったのだが……、ノーラの反応に何かを感じたのか、反射的にもう一度身体を捻った。
「!」
《跳ね――!》
跳ね返ってくる、とノーラは言おうとしていたらしい。
身体を捻った瞬間、二発の弾丸が耳元を掠めた。通り過ぎたあとで、空中で軌道が変化したのだ。
当たっていたら、危なかった。
一定距離進んだあとで跳ねるように弾丸の軌道が変化する魔導機術、反射弾機術。
一番最初、曲がり角の向こうから撃ってきたときにも使っていた術であり、銃口の射線を躱しただけでは避けきれない弾丸だった。
それを――!
「――!」
ギリギリで回避した師匠を、リャナンシーの少女は激しく睨み付ける。反射後の弾丸を回避できたのはまったくの偶然だったわけだが、そんなこと、少女には知るよしもない。
ただただ、無傷で躱されたことだけが分かり、それが彼女のプライドをいたく傷付けた。
「――ふむ、」
やみくもに撃たれた二射目を、師匠はシーツで弾き落とす。そして三射目を撃たれる前に距離を詰めきり、濡れたシーツで顔を打った。
「っ――!?」
パンッ、と軽い衝撃を受け、一瞬視界が滲む。その隙に師匠は襟首を取れる位置まで接近し、シーツをリャナンシーの首にかけた。
「!」
「っ!!」
正面から、立ったまま首を絞める。
完璧に入った。数秒もあればこのまま落とせる。
しかし、いくらなんでもこのまま絞めていても振りほどかれるのは火を見るより明らか。現実的ではない。
ではどうするか。
「しっ――!」
師匠は首を締めたまま身体を半回転させると、リャナンシーの身体に背中を密着させた。
そして、両足を払い飛ばすと、背負い投げで強く投げ飛ばした。
持ち上がった足を先端にして大きく一回転。地面に叩き付けられたときには。
「――――」
リャナンシーはブラックアウトしていた。絞めて頭に血がいかないようにしたうえで勢いよく投げ飛ばすと、足先に向かって血が集まっていき脳内の血が一気に抜ける。
そうなれば脳は瞬く間に酸欠を起こし、本当に一瞬で意識を失うのである。
「――よし、だ」
これでしばらくは起きない。
あとは――。
「私が残ってるわ」
「――もう、剥いだのか」
師匠は驚きもせずに答える。
リャナンシーが、牙をカチカチと噛み鳴らした。
爪と同じくらい鋭い牙で噛みちぎったらしい。
「武器はまだある?」
「さっきので、おしまいだ」
「どうする? 逃げる?」
「逃がしてくれるのか?」
リャナンシーは、真っ赤な唇を舐めて嗤った。
「逃がすと思う?」
「期待してないし、……逃げるつもりも、ない」
「でしょうね。貴方、そんな目をしているもの」
「……お前は、っ――!」
師匠は、突き上げるような内臓の痛みに一瞬眉をしかめる。予想以上に消耗してしまっているのだ。むりやり体液を絞り出しているせいで、内臓が悲鳴をあげている。
それでも、残り少なくなってきた燃料を憂いながらも師匠は、ノーラの言葉を思い出す。
「悪いが、お前は、――お前だけは、見逃せんから……な」
「……なんで?」
師匠は、色濃い隈の浮かぶ目を眇めた。
「ノーラに、なにより、……タツキに、怒られる……からな……」