第8章 17
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フーカディア・シュトラウスキー、七十七歳。独身。
二十数年前にブリジスタ騎士団に入団したエルフ族の女性で、特技は斥候術と占星術。入団後すぐに斥候隊に配置され、主として隠密諜報活動に従事。十二年前に当時の隊長が引退したのを機に隊長に就任し、現在に至る。
見た目は金髪碧眼の三十代ぐらいの女性だが、寿命が二百歳を超える者も珍しくないエルフであれば実年齢と外見の乖離はむしろ当然である。さらさらとした金髪を後頭部で纏め、キリリとまなじりの吊り上がった瞳は海よりも深い青で満たされていた。
「つまり、なんだ。お前から見れば私は、……叔母になるな」
そう言って、どうだといわんばかりに腕を広げるフーカディア。
浮かべている表情は先程と変わらず。にんまり笑ったままメイビーを見つめている。
彼女のことを知らない人間が見れば思わず目を奪われるような笑顔であるし、知っている人間が見れば心の底から震え上がる笑顔だ。
彼女の趣味は、新人教育。好きな言葉は「信賞必罰」だ。彼女の指導を受けたことのある者は皆一様にこう言うのだ。「あれを見ないで済むのなら、どんなことでもやってみせる」と。
「え、叔母、って、え? ……嘘ぉ?」
もちろん、そんなことなど知るはずのないメイビーは、特別何を感じるでもなく思ったことを口にした。あんまりにもあんまり過ぎる言葉に、当然浮かぶ疑惑の念。フーカディアは、まあそうだろうなと頷く。
「信じられないのも無理はない。最後に会ったのはお前が二歳のときだったからな。記憶に残っていないだろう」
「二歳って……」
「フラ姉、つまり、お前の母親が大森林の集落に住みついて、なんだかんだのゴタゴタを終わらせて、お前を産んで生活が安定したころだ。私の方も入団後数年たって長休みを取れるようになったから会いにいった」
「……」
まったく記憶にないメイビーは、難しい顔をしたまま大きく首を捻った。すぐにフーカディアは、ひらひらと手を振った。
「ま、そのあたりは大事なことじゃない。今はな。メイビー、今回お前を呼んだのは、落ち込んだお前をちょいと元気付けてやろうと思ったからだ」
「僕を?」
「ああ、お前をだ。――なかなかショッキングなことがあったようじゃないか。昨日一緒にいたお友達が、今回の騒動に巻き込まれたんだろう?」
「……!」
とたんにメイビーは緊張した面持ちになる。
「昨日見た限りではそんなことになりそうには見えなかったが、……どうしても巡り合わせというものはあるからな。私も、親しい者の突然の死なんて何度も経験してきた。あれは、どうやっても慣れるものではない」
「……うん」
フーカディアは、穏やかな声と表情を浮かべて、先を続けた。
「ご飯を食べて一眠りして、そこそこマシにはなったようだが、まだ心配だ。今朝、お前の様子を見にいったときにぼろぼろ泣いていたから、余計にな」
「へ? ……見てたの?」
「正確には聞いていた、だがな。大きくなったと思ったが、そういうところは変わってない」
「そ、そんなこと言われても……」
「ああ、責めてるわけじゃない。久し振りに会った可愛い姪っ子に、飴をやりたいだけなんだよ、私は」
「あめ?」
頷き、自分の机に向かう隊長。
ゴソゴソと、引き出しをあさり始める。
「飴だよ、メイビー。本当は朝にやりたかったんだが、流石の私もあの状況で部屋に踏み込むのは出来なかったし、日中は会議やらなんやらで時間がなかった。結局、こんな時間に来てもらうことになった」
「いや、それは別に良いんだけど……」
「飴といっても本当にただ飴玉を渡すわけではないが、……ああ、あった」
何かを見つけたフーカディアは、もう一度メイビーに顔を向ける。またもやにんまりとした笑顔を浮かべて。
メイビーは、意味も分からず悪寒を感じた。
「ところでメイビー」
「な、なに?」
「どうしてフラ姉や私が南大陸から出てきたか、お前の母さんから聞いたことがあるか?」
いきなりの質問に、その意図をはかりかねたが、取り敢えずメイビーは素直に答えることにした。
「……ないけど」
「だろうな。お前に行き先を告げずに出ていったくらいだから、話してないとは思ったよ」
「え? それって、どういう……」
「まあ、そこも重要じゃない。ちょっとした事情があったとだけ理解してくれればいい。で、だ。そのことが遠因となってフラ姉は今、とあるところで大事な用事をしている」
「!」
フーカディアの言葉に、メイビーは分かりやすく反応した。
期待に満ちた目を叔母に向ける。
まさか、飴とはそれか、と。
「……それは」
「残念ながら、教えることはできない。というより、……会いにいかない方がいい。せっかくお前の母さんは、お前を置いていったんだから」
だが、その期待はすぐに裏切られた。
教えてはくれないそうだ。
それどころか、言外に邪魔になるから置いていかれたと言われたメイビーは、とたんに不機嫌そうに眉を顰めた。
目も、ジトッとしたねだるようなものなっている。
「……」
「そんな顔をしても駄目だ。私だってそうした方がいいと思う。お前まで、無益な面倒事に巻き込まれる必要はない」
「……ふーん」
「分かってくれないか、メイビー」
そうは言われても、だ。
メイビーの旅の目的は、とりもなおさず母親に会うことだ。
そのためだけに集落を飛び出したのだ。メイビーは。危険な目にも遭ったし、辛いこともあったが、その一事を為すためのこの旅路を後悔したことなど一度もない。面倒事の一つや二つ、今さら増えたところでどうってことはないのである。
「本当に、教えてくれないの?」
「ああ」
「どうしても?」
「どうしてもだ」
「……」
メイビーは、次第に苛立ちを強めながらフーカディアを見つめる。
もう少したてば、その視線は睨み付けているのと変わらなくなるだろう。
「まあ、とはいえ、だ」
よってフーカディアは、そうなる前に引き出しから目的のものを取り出した。
「フラ姉の方針に徹頭徹尾従うつもりもないんだよな、私は」
そして、呼び出すと。
「だから、――ほら」
そのままそれを、メイビーに向けて放った。
くるくると回転しながら、寸分たがわずメイビーの胸元へ。
「うわっ!」
正確に自分めがけて飛んできたそれを、メイビーは驚きつつも危なげなく掴む。
フーカディアが、嬉しそうに手を叩いた。
「ナイスキャッチ。もし落として壊されでもしたらどうしようかと思ったよ」
「そんなもの気軽に投げないでよ……」
若干呆れながらメイビーは、手の中にあるものに視線を落とす。
それほど大きなものでもなかった。片手で持てる程度のもの。長方形の木の枠で縁取られた小物。今見えている面は裏面だろう。くるくる回転してるときに見えたが、これはおそらく鏡――。
《……珍しいわね、フー》
「――――!!」
メイビーは。
《こんな時間に鳴らしてくるなんて。なにかあったの?》
「っ…………!」
ただただ息を詰めて、手の中の手鏡を見つめた。
メイビーが見ているのとは反対側、鏡面の方から声が聞こえる。
懐かしい声が、今度こそ本当に聞きたかった声が。
対話鏡から、響いていた。
「さ、驚かせてやるんだ、メイビー。はるばるここまで来たんだと。あなたに会いに来たんだと」
「…………」
「ひっくり返して、言ってやるんだ」
「……うん」
言われるがままに、手鏡を裏返す。
そこに写っていた人物は、まさしく、メイビーの探し人であった。
《……なんであなたが、ここにいるの?》
不可解そうに呟く女性。
彼女にしてみれば、鏡の向こう側にいたのは鏡の持ち主ではない者だ。それが、本来そこにいるはずのない者であれば、なおのこと困惑するだろう。
「……やっと……、ああ、やっと見つけた……」
そしてメイビーにしてみれば、相手が誰であるかは分かりきっていた。
今度こそ間違わない。確信を持ってその名を呼ぶことができる。
すなわち。
《メイビー……!》
「――母さん!!」
と、いうふうに。