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第8章 16

 ◇




 意識だけになって浮かんでいたノーラは、瞬く間に決着した師匠とオーガの戦いに言葉もなかった。


 電光石火。一分の無駄もなく詰めて落とした師匠の手際を、一言で現せばそれだ。


《…………》


 百八十度首を捻られて前のめりに倒れるオーガと、軽やかに着地する師匠。

 師匠が使っているのはノーラの肉体であり、ノーラにしてみれば二十何年使い続けた自分自身の肉体である。今は、少々特殊な事情によって操作権を師匠に貸しているが、本来的にはノーラ以外が使うことのない、ノーラだけのもののはずだ。


「ふむ、こんなものか」


 それを師匠は、軽々と使いこなしてみせた。ノーラでは、それこそ逆立ちしても為し得ないようなアクロバティックな動き。狙い済ましたように、これ以上ないという精密な動きをする手足。無理な力を込めているようには見えなかったし、特別早く動いていたわけでもない。


 ただ、上手かった。他人の身体を借りて動かしているとは思えないほど、異常なまでに上手く身体を使っていた。


 おそらくは、師匠自身の技量なのだ。これが。

 ノーラの肉体で出来る動きだけを抽出して、なお、これなのだ。

 達人。紛れもなくそう思う。武術的なセンスなど欠片もないノーラでも理解できる、圧倒的な力量の片鱗。蓄積された技術の結晶。


 先の戦いを外から見ればこうだ。


 駆け寄っていく師匠は、オーガの棍棒を紙一重で躱しながら、その動きを回していた分銅に乗せる。回避に必要な関節の動きを分銅の円運動に合わせることで、体全体の流れを使って急加速させた。


 そうして生まれた加速と軌道は、引き合う磁石のような精密さでオーガの右目を襲った。突っ込んでくるオーガの動きがあらかじめ分かっていたとしか思えないような軌道だった。当てると同時に脇の下をくぐり抜けて背後を取ったところまで、一つの連続した動きで実現していた。


 オーガの背後を薙ぐ一撃は、オーガが振りかぶる直前にはすでにしゃがんでしまっていた。

 猛烈な勢いで頭上を抜けていった棍棒には目もくれず、胃から昇らせた少量の胃酸を吹き出してから再び背後に回る。

 左目を庇った左腕でできた死角の中を、素足のまま、足音も立てずに滑り抜けたのだ。


 そして、首に巻き付けた帯布。引っ張り合えばどうなるか分かり切っているからこそ、それを利用した。力ずくで引っ張らせ、その勢いを利用することで運んでもらったのだ。自らの急所へ。自らの死へ。


 手拭い状に裂いたあとで輪にしてたすき掛けにしていたシーツは、師匠の言っていたとおり致死武器となった。あれは、摩擦と体重を使った首折りだ。固いボルトでも柄の長いスパナを使えば楽に回せるように、重力加速度と遠心力で、師匠はオーガの首を捻った。

 前後に対して力を込めていたオーガの首は、まったく予期していなかった真横への捻る力に対応できなかったのである。


《……あんな動きが、出来るんですね》


 ノーラは乾いた笑みを浮かべながら呟く。今、オーガの首に巻き付いたままの帯布を外している師匠の肉体は間違いなくノーラの肉体であり、それはすなわちノーラにも、理論上はあの動きが出来るはずということになる。出来るだろうか?


「よし、取れた」


 結論としては、絶対に無理である。

 技術うんぬんというよりも、もっとしょうもない理由によって。

 ノーラは、やろうとは思わない。


《……師匠さん!》

「どうしたノーラ。声が怒っているな」


 回収した帯布を右手に巻き付けた師匠が目の前まで戻ってきたことで、ノーラは取り敢えず言いたいことを言うことにした。


《助けていただいている身でこんなことを言うのも気が引けるのですが、もっとこう、戦い方がないものでしょうか?》

「ある……、が、倒せれば同じだろう。気にするな」

《気にしますよ! 少し前にも言いましたが、あまり私の身体で変なことはしないでください!》

「スカートで逆立ちもダメか?」

《駄目です!》


 そうなのだ。最後の首折りで体重を掛けるために師匠はオーガの頭上で逆立ちをしたわけだが、ヒラヒラしたスカートは重力に従って垂れるため、あやうく下着を晒すところだったのだ。今回はギリギリ太股の半ばまで垂れたところで留まったが、危ないところである。戦いの勢いに目を奪われていたノーラも、その時ばかりは恥ずかしさのあまり声が漏れていた。


「穿いていないならまだしも、下着なら肌ではなくただの布だろうに」

《普通は、そうは思いませんからね……!?》

「ふむ、そうか」


 本気で理解できていないような様子の師匠を見て、ノーラはなんとなく理解した。修一のようにデリカシーがないのではなく、根本の常識がずれているのだと。文化や思想の違いといってしまえばそれまでだろうが、もっと別の何かではないか、ともノーラは思った。


「そもそも見せたくないなら、スカートなど穿くべきではないがな」

《ちょ、ちょっとお洒落しようと思ったんです! 放っておいてください!》

「まあいいが」


 まあ、ともあれ、だ。窮地は脱した。長居する必要もないだろう。


《とにかく、先を急ぎましょう……!》

「そうだな。靴を履いて奥に向かおう」

《それと体、一回返してください。確認しますから》

「ああ、分かっ――!」


 瞬間、師匠は。


 振り向き様に右手に巻いた帯を解き、分銅を構えた。

 先程とはまるで違う、見るからに臨戦態勢と分かる構えであった。


《えっ……?》


 いきなりのことで呆気に取られるノーラ。

 師匠につられるようにして、奥の曲がり角を見る。

 何もない。誰もいない。

 師匠は一体何を……。


「……いつの間に来た。出てこい」


 脅すような低い声で師匠が告げる。

 うっすらと隈の浮いた両眼は、一点を見つめて鋭く眇められていた。


「……貴女、そんなに鋭い子だったかしら?」


 待つこと数秒、どこからともなく滲み出るようにして、女が一人現れる。

 ノーラは息を呑んだ。

 いきなり出てきたことに、ではない。

 その女の姿に、だ。


「ここ来たときは、まるっきり素人だったわね? どうして今は、そんなに洗練されてるの?」

「…………」

「視線の鋭さも、体重の置き方も、身の構え方もそう。とっても良いわ。良すぎるくらい。何年も何年も鍛練してようやく身に付くようなものが、今の貴女には存在してる。ひょっとして、今まで上手く隠してたの? 私たちの目を欺くために、戦えないふりをしていたの?」

「…………」


 構えたまま動かない師匠に、女はやれやれと溜め息を吐いた。真っ赤な爪の伸びた右手で、困ったように額を押さえる。


「せっかく、こっそり遊びに行って虐めてあげようと思ってたのに。貴女の方から出てくるなんて、とんだお転婆ね?」

「……お前の方こそ」

「うん?」

「随分と、無茶をやったように見えるが?」


 師匠が目線の動きで指し示す。

 女は、嬉しそうに嗤いながら師匠の目線の先、左腕(・ ・)に右手を持っていった。


「何言ってるのよ? これは、貴女のお友達の仕業でしょ?」



 肩口から(・ ・ ・ ・)先のない(・ ・ ・ ・)、左腕に――!



《――っ! 師匠さん!!》

「!」


 ノーラが叫ぶ、と同時に師匠は真横に跳ねた。

 一瞬遅れて、師匠が立っていた場所に弾丸が撃ち込まれた。


「……避けないでよ」


 曲がり角の奥から、別の声。

 現れたのは、見た目だけでいえば年若い少女。

 右手に(ガン)を持ち、左手には食事の乗ったトレーを持っている。

 赤い瞳には、粘つくような殺意が満ちていた。

 ゆっくりと銃口を向けてくるこの少女は、ノーラの部屋に何度か食事を運んできていたリャナンシーだった。


 隻腕のリャナンシーは、おそらくこの少女に付いてきていたのだ。

 ノーラを嬲るために。


「出来るだけ苦しめて、殺してあげるんだから」

「……一体、ワが何をしたというんだ」

「っ! ぬけぬけと……!」


 師匠の呟きに激昂する少女。

 すでに、引き金に指が掛かっていて、銃口がゆらゆらと揺れている。

 最初に食事を持ってきてくれたときから嫌われていたわけだが、はっきりいって少々異常であった。

 偏執的といってもよいほどに嫌われている。憎まれているといってもいい。


「……さて」


 どうしたものか、と師匠は考える。

 はっきりいってよろしくない。

 リャナンシーが二体など、先程の比ではないほどの窮地だ。

 相手は、どう低く見積もってもオーガより強い化け物。それが二体ともなれば、生半可では勝てない。戦って倒すには、それなりの手段を使わなければならない。多少無茶なことや、非常識なことも。


 どこまでやっていいものか、どこまでやらねばならないか、師匠は彼我の力量差を勘案しながら検討する。

 きちんとやらねば、倒せない。

 しかしやりすぎれば、最後まで保たない。


「うふふ」

「殺す殺す、コロス……!」


 嗤う女と憎む女、二体の化け物と対峙して臨戦態勢を保持する師匠に、ノーラは――。


《……師匠さん》

「…………」

《どんな無茶をしても構いません》

「……?」


 はっきりと、告げる。


《あの二体、……最悪、隻腕の方だけで構いません》

「……」

《必ず、仕留めていただけませんか?》

「……ふむ?」


 一瞬だけ視線をノーラに向ける。

 ノーラは、確固たる決意の下に頷いた。


《あの隻腕は、シューイチさんにやられたものです。テグ村の誘拐事件の責任者であり、アジトでの戦闘で倒したはずがいつの間にか居なくなっていた、と騎士団の方々から聞いています》

「……」

《そして奴は、――レイの両親の仇でもあるのです!》

「――分かった」


 師匠もその言葉を聞いて頷く。

 やるべきことは、決まった。


「なあ、そっちのお前」

「なにかしら?」

「ワを、虐めに来たと言ったな?」

「言ったわ。それが?」


 師匠は、右手から垂らしている分銅の先を、邪魔にならないように小指と薬指に絡めておき、たすき掛けにしておいたシーツを一枚、左手に取る。

 パンっ、と音を鳴らして広げ、両手で両端を掴むと、ピンと張ってみせる。

 そして、不思議そうに首を傾げるリャナンシーに向けて宣言した。



「ならば、――代わりにワが、虐めてやろう」




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