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第8章 13

 ◇




「――母さん……?」


 呆然としたままのメイビーの言葉。そこには、困惑や戸惑いといった感情がありありと篭められていた。


 何がどうなっているのかさっぱり分からない。いったいぜんたいどういう事だ。もしかして幻覚? 夢でも見ている?


 そんな風に考えていることが手に取るように分かる狼狽え方。誰が見てもそう思えることだろう。

 約二年。母親のフラジアがメイビーの前からいなくなって、おおよそそれぐらい経った。約半年。メイビーが大森林の集落を飛び出してひたすら探し回って、おおよそそれぐらい経った。


 今まで、噂の一つも聞けなかった。

 今どこにいるのか、どころか、足取り一つも掴めなかった。

 探して探して探し回って、影も形も掴めなかった。――のに。


 こんなところで、こんなタイミングで、いきなり目の前に現れるとはどういう事だ。

 こんなあっさりと。何の前触れもなく。


 嬉しさなんかより先に激しい混乱に見舞われるのは、むしろ当然である。


母さん(・ ・ ・)、……か」


 それを見ている斥候隊の隊長は緩く笑い、小さく呟いた。

 ゆっくりと、メイビーに歩み寄る。

 笑みを浮かべたままエルフの女性は、静かに首を振り。


違うよ(・ ・ ・)、メイビー」


 それから、諭すように、告げた。


「……えっ?」

「私はお前の母さんじゃない。もっとも、そうやって間違われるのも十数年振り(・ ・ ・ ・ ・)になることを思えば、致し方ないことなのかもしれんがね」

「ど、どういう……」

「ほら、よく見てみるんだ」


 そう言われてメイビーは、目の前までやってきた女性の顔をまじまじと見る。


「…………っ!」


 そして、理解する。

 女性の言葉の正しさを。


 見れば見るほどに、母の顔に重なって見える。

 目元や口元、耳の形なんか特にそっくりだ。

 眼差しの優しさは言うに及ばず、声や口調も同じである。

 立ち姿や歩き方に至るまで、記憶の中にある母親との差異を感じない。


 だが(・ ・)、――違う(・ ・)


 この女性は、フラジア・シュトラウスキーではない(・ ・ ・ ・)


「あっ……」

「ご理解いただけたかな?」

「ご、ごめんなさい」


 慌てて目を伏せるメイビー。

 恥ずかしさのあまり、頬が熱を持つ。


 いくら同じ種族であるとはいえ、赤の他人を母親と勘違いするなんて恥ずかしいこと、それこそ幼き日の褪せた記憶の中の出来事だ。

 大切な母の顔を忘れたりなんてしない。いつだってきちんと覚えている。それでも間違えてしまうくらい、この女性が母に似ているのだ。

 本当に、よく似ている。


「……いきなりの事に驚き、冷静な判断が出来ないことはままある。誰だってそうだ。私だってないわけではない」


 再び、諭すような言葉。一瞬にして切り替えた、真剣な表情で。


「だが、そうなってしまったら斥候としては死んだも同然だ。我々は常に冷静な眼で物事を見つめ、はかり、判断しなくてはならん。目の前の有り様を丸呑みにするのではなく、本当にそうなのか、と疑ってかかる。自分にとって喜ばしい出来事、都合のよい出来事など、そうそう起こらん」

「う、うん……」

「安易に希望に縋るのは良くない。……本当に大切な事なら、尚更だ」

「……」


 最後は無言で頷くメイビー。

 その様子を見た斥候隊の隊長は。


「分かればいい」


 乱暴な手つきで、メイビーの頭をわしわしと撫でた。

 尚の事戸惑うメイビーに、にんまり笑いかける。


「わ、ちょっと、止めてよ……」

「なんだ、お前の母さんはよくこうしていただろう?」

「――!」


 ハッとするメイビー。そうだ、この人は――。


「ね、ねえ! お姉さんは一体なんなの!?」

「ん? 何とは?」

「どうして僕をここに呼んだの!? 僕の事を知ってたの!? 僕の、――母さんを知ってるの!?」


 畳み掛けるようなメイビーの問い。

 エルフの女性は、撫でる手を止めて腕を組む。


「……ああ、知ってるよ」

「!!」

「もちろんお前の事もな、メイビー。……そうだな、どうやらお前は私の事を忘れているようだし、一度きちんと名乗っておくか」

「……えっ?」


 呆気に取られるメイビーをおいて、斥候隊隊長は名乗り上げる。


「私の名前は、フーカディア・シュトラウスキー。お前の母、フラジア・シュトラウスキーは、――私の姉(・ ・ ・)だ」



「――――!」



「つまり、なんだ。お前から見れば私は、……叔母(・ ・)になるな」




 ◇




「審判、とは……?」


 師匠の口から飛び出したのは、なんとも不穏当な単語であった。

 審判。師匠は確かにそう言った。修一は一体、何を裁かれるというのか。それとも何かの比喩でそう言っているだけなのか。

 そんな風に不安がるノーラを、しかし師匠は冷たくいなす。


《それ以上は答えられない。これは修一自身の問題だ》

「そう、……ですか」

《どうしても知りたいのなら、直接本人に聞くしかない。ワの口からは、言えん》

「……」


 師匠の様子から、これ以上は聞いても無駄だと判断したノーラは、しぶしぶ追及を諦める。

 一先ず、修一の無事が確認出来ただけでも良しとすることにしたらしい。


《さてと、ノーラよ》

「なんでしょうか」

《あまり時間もないからな、さっそく準備をしようか》

「……準備とは?」


 いぶかしむノーラに、師匠は気負いなく答えた。


《無論、ここから脱出するためのだ》

「! それって……」

《言ったはずだ。お前を助けに来たと。それと、この状態はあまり長く保たん。効果が切れる前にここから出なくてはならない》


 師匠曰く、今の師匠の状態は意識だけを遠隔地に飛ばしている形になるわけだが、その活動に使う燃料は、あらかじめ篭めておいた魂の欠片になるらしい。そのため、燃料を使い切ってしまった時点で術が解除されるのだという。


《長くても二時間が限度、ワがノーラの肉体を動かしたり他の技を使ったりすれば、さらに短くなる。あまり悠長にしている余裕はない》

「なるほど……」

《早速だが、まずは鍵を開ける。そこのドアに近寄ってくれ》

「は、はい」


 師匠に言われてノーラは、この部屋唯一の出入口である扉の前に向かう。

 石組の壁に木製の扉。ドアノブは真鍮だろうか、真新しいものに取り換えられていて経年によるくすみなどはない。

 ノーラが扉を叩いてみると鈍い音が聞こえ、その厚みを教えてくれる。ドアノブは、もちろん動かない。


《蝶番は、外開きだから見当たらんな……》

「はい、それに、とても頑丈そうな扉なんですが、まさか壊して開けるなんて言いませんよね?」

《ノーラの身体を使ってか? 残念だが、ワが使っているときでも基本的な身体能力はノーラ本来のもののままだ》

「あ、そうなんですか?」

《限界を超えて無理矢理身体を動かすことも出来んことはないが、翌日から全身筋断裂で一週間は立てなくなる》


 さらっと恐ろしい事を言いつつ、師匠はドアノブと錠の構造について更に詳しく確認させる。


「鍵自体は、一般的なものだったと思います。ここに入れられるときに錠を開けていましたが、使っていたのは普通の鍵だったと思います」

《なるほど。ついでに聞くが、魔術的な施錠はされているのか? ワには分からん》

「いえ……、それもありません。何度か食事を持ってきて貰いましたが、解錠魔術を使っている様子はありませんでした。いちいち開け閉めのたびに魔術を掛け直すのが面倒だったんでしょう」

《ふむ、好都合だ。それと、ドアと壁の隙間だが、完全に密着しているか? それとも僅かでも隙間はあるか?》

「えっと……」


 ノーラは、言われるがままにドアノブ周辺に顔を近付ける。


「数ミリもありませんが、隙間はあります」

《デッドボルト、……ドアから伸びて壁に埋まる、ベロのような部分は見えているか》

「……暗くてはっきり分かりませんが、おそらくそれだと思います」


 それらしき出っ張りを見つけたノーラが指で指し示すと、師匠は「よし」と頷いた。


《少しだけ代わるぞ》

「あ、分かりました、……っ!」


 押し出され、抜け出る感覚。

 何度やっても慣れそうにないと思いながら、ノーラは師匠の行動を見守ることに。


「…………」


 師匠はノーラの肉体を借りると、まず手始めに髪の毛を何本か引き抜く。抜いた髪の端同士を結び合わせ一本の長い糸を作ると、糸全体を一度舐める(・ ・ ・)。それからそれを、ドアの隙間に差し入れていった。


「……掛かったぞ」


 デッドボルトの上から入れ、奥を通して下から取る。両端をつまみ、髪の毛の糸が錠に掛かっている事を確認すると。


「……べぁ、」

《ちょっ……!?》


 舌を伸ばして、溜めていた唾液を糸に垂らしていく。とろぉー、と糸を引いて垂れていく唾液と、無表情でそれをしている師匠の(実際にはノーラの)顔が、なんともいえない背徳的な雰囲気を醸し出していた。

 この行為には、流石にノーラも眉を顰めた。が、師匠は、更にとんでもないことをする。


「生命転換、――うぷっ」

《っ!?》


 胃液(・ ・)を昇らせてきて、同じように糸に垂らしたのだ。言葉にならず口をパクパクさせるノーラを無視し、師匠は糸全体に胃液が伝っていった事を確認すると、糸の両端を交互に引き始めた。


《……何をしてるんですか》

「金属を強力に腐食させる粘液を胃で生成して、それを使ってデッドボルトを切っている。先に掛けた唾液には、繊維類を強靭にする効果があるから、髪の毛自身が溶けることはない」

《そうでは、なくて!》

「ん?」


 ノーラは、出来るものなら師匠の頭を引っ叩いてやりたいと思いつつ、それができないので口頭で注意する。


《私の身体で、あまり変な事はしないでください!》

「変、とは?」

《その、色々垂らしたりとか、そういうことです!》

「ふむ、別に変とは思わんが」

《私が思うんです!》

「…………」


 そうこう言っている間に糸が通り抜け、錠の破壊は終了する。

 師匠がソッと扉を押すと、ゆっくりと開いていく。

 それから、取り敢えずバレないよう閉め直すと、師匠はノーラに向き直った。


 あろうことか、両手で胸を持ち上げてみせて。


「……これに垂らして挟んで舐めてやれば、修一も喜ぶぞ」

《…………》


 その一言で、ノーラは完全に思考停止した。

 この人は、何を言っているのだ。

 挟んで舐めてとは、一体何を?

 修一の、ナニを――。


《――っ!!?》


 知識として、そういうやり方がある事は知っているようだが、面と向かって言われるのはノーラにはちと刺激が強かったらしい。


《っ~~~~!!》


 想像したのかどうかは知らないが、顔を真っ赤にして悶えるノーラ。


「……今の内に、準備を進めておこう」


 そしてその元凶である師匠は、ノーラに色々うるさく言われる前に次の準備に取りかかることにしたようだ。

 ベッドのシーツを細く裂いていきながら師匠は、「しかし本当にここまで悶えるとはな」とノーラに聞こえないように小さく呟いた。




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