第8章 11
ターニングポイント
◇
「さて、どうやってこじ開ける?」
魔導生物メタリカドラゴン・レプリカの背から飛び降りたエイジャは、高くそびえ立つ砦の外壁と埋め込まれた金属製の門扉を眺めて呟く。
余人の侵入を拒むかのように固く閉ざされた門扉。見るからに頑丈そうなこれを、はてさて一体どうやって開けようか。
「斬るか?」
デザイアが、腰の波濤に手を掛けながら問う。
ブライアンが応じた。
「斬れるのか?」
「鉄までなら問題ない」
「それより固かったら?」
「波濤が撃てるまで斬り続ける。いずれ開くさ」
「うーむ、それだと少々時間が掛かりそうじゃのう。……プリメーラ」
「はい」
偽竜の、銀色に光る金属質のツヤツヤとした表皮を撫でていたプリメーラが、静かに頷く。
「ブレスは?」
「休眠前に一発なら使用可能です。使いますか?」
「どのみち、帰り道では使わん。やってくれ」
「了解致しました」
撫でられて気持ち良さそうに目を細めていたメタリカドラゴン・レプリカ。プリメーラは、そんな偽竜に対してお願いをした。
「あの扉を吹き飛ばしてください」
「! キュウウウ!」
カッ、と目を見開くドラゴン。宝石のように煌めく赤い瞳が標的を捉え、人ひとりを丸呑みに出来そうな大きな口を開く。
ドラゴンブレスだ。無属性の。純粋な魔力を叩き付ける竜の息吹。人造の魔導生物故にレプリカと名付けられてはいるが、その性能は――。
「クアアアアアアアアア――!!」
真っ白な極太光線が一直線に伸びていく。
大気を震わせる強烈な一撃が、堅牢な門扉に真正面から衝突した。
本物のドラゴンのブレスと比べても、見劣りする事のない破壊光線。
結果は、火を見るより明らかである。
「うわおっ!」
「――!」
轟音。地響きのような衝撃とともに、分厚い門扉が丸ごと吹き飛んだ。
快哉を叫ぶようにして、偽竜が高らかと咆え上げる。
プリメーラは、ブライアンに対して恭しく頭を下げた。
「ご命令通り、破壊致しました」
「流石の威力じゃな、素晴らしい」
「キュアアア!」
褒められたことが理解できたのであろうか。メタリカドラゴン・レプリカは、嬉しそうに鳴きながらプリメーラの前に頭を差し出してきた。
「ありがとう。ゆっくりお休み」
「キュウッ……」
優しい手付きで顎の下を撫でてやり、それから手印を組んで呪文を唱える。
偽竜は、少しずつ体のサイズを縮めながらその輝きを失っていき、最終的には石のような質感の手乗り像になる。
それをプリメーラが大事そうに懐にしまうと、六人は隊列を組んで砦に向かった。
門扉のなくなった出入口を潜ると、一気に圧迫感が増したように感じた。
恐ろしいものが、そこかしこで蠢いているような感覚だ。
実際、間違いなく何かいる。
目標以外にも、たくさんの化け物が。
「構いやしねぇよ。どうせ全部倒すんだからなぁあ」
チャスカが、勇ましくも刺々しく、吐き捨てるようにして呟いた。
◇
「――今、少し揺れましたか……?」
自分のために用意された一室で、ノーラは、誰ともなしに呟いた。
今、確かに揺れた。ついでに何かが壊れるような音も。
ソッと扉に近付いて耳を澄ましてみるものの、それ以降は何も聞こえない。木製の扉はとても厚く、ちょっとやそっとの音は通さないのだ。
「ダメ、ですね」
はあ、と一つ溜め息を吐く。
少しでも部屋の外の様子が何か分かれば、と思ったのだが。
「シューイチさんが来てくれたのかもなんて、流石に夢を見すぎですよね……」
自嘲気味に呟くノーラ。
それからまた、この部屋唯一の家具であるベッドに腰を下ろして、黙り込んだ。
窓もなく、扉には外から鍵がかかり、光源用の小さなランプと、一人用のベッド以外は何もない簡素な部屋。部屋の隅には一応トイレらしきものもあるが、それだけだ。
ノーラは、この砦に連れてこられてから、ずっとこの部屋に押し込められている。
特段何をされたという事は、今のところない。
あの男、ヴァンパイアが、一度だけ顔を覗かせた事があったが、その時も、こちらの顔を一瞥しただけでどこかへ行ってしまった。
なにやら大きな火傷をしていたようだったので、そのせいかもしれないが。
強いてされたことを挙げるならば、何度か食事を持ってきて貰った程度だ。
常に不機嫌そうな顔の女が、簡素ではあるが不味くはない食事の乗ったトレーを、扉の傍の床に置いていくのだ。
最初来たときに声を掛けようとしてみたのだが、思いっ切り睨まれたため、結局その後も含めて一言も会話をしていない。
服装は、来たときのまま。指輪だけは持っていかれたため魔術は使えず、時間を調べることも出来ない。
しかし、食事の回数や間隔などから察するに、連れてこられてからまだ丸一日も経っていないだろうな、とノーラは思っていた。
まだ夕方にもなっていない時間帯、のはずだ。それなら、あの男はまだ寝ているのかもしれない。
「……」
夜になって、起きてきたら。
私は一体何をされるのだろう。
ノーラは、努めてそれを考えないようにしていた。
相手はヴァンパイアだ。ある程度想像は付く。しかし、それを許容出来るかどうかはまた別の話だ。
修一を助けるために、ここまで付いてきた。その決断に後悔はない。あの場面で、相手の申し出を呑んでいなければ、そのまま修一たちは殺されていただろう。それだけは、絶対にダメだ。そうなるくらいなら、我が身一つなどまだ安いものだ。
だが、それでもやっぱり恐怖を感じないと言ったら嘘になる。怖いものは怖い。相手は、人智を越えた化け物である。人と同じように会話は出来るかもしれないが、その思考論理は根本的に違うのだ。
「シューイチさん、きちんと治療は出来たでしょうか……」
逃げるように、思考をそちらに逸らす。
そうでもしないと、耐えられない。化け物のアジトに一人っきりでいるなんて。
「メイビーも、……一緒に倒れていたあの人も、無事なら良いのですが……」
いつ襲ってくるやも分からない恐怖。それをただ座して待つというのが、更に恐怖を増長させる。
「父と母には、悪いことをしてしまいました。せっかく帰ってきたというのに、こんなことになってしまって」
知らぬ間に、気付かぬ内に、独り言が零れていた。
頭の中に思い浮かべた言葉を、口に出してしまっているのだ。
「レイも、怒っているかもしれませんね」
ここへ来て、今まで張り詰めていた緊張の糸が限界に近付いているのだ。
心を強く保ち、恐怖に打ち勝とうとして張り詰めさせていたことで、張力の限界に達しかけている。
「……あれ、おかしいですね、手が……?」
見れば、いつの間にか握り締めていた手が震えていた。
震えを止めようと反対の手で押さえるが、そちらの手も震えていては意味がない。
「……止まって、くださいよ」
一度自覚してしまうと、あとは転げ落ちるだけとなる。
見て見ぬふりも、限界が近かった。
ノーラは震える両手を胸元まで持ち上げて、必死に握り締める。
震えよ止まれと言わんばかりに。
その時、ペンダントの水晶に手が触れた。
「……!」
ハッとしたように、ノーラは、握り締めていた手を一度開き、それからペンダントの先の水晶を、両手でゆっくり包み込んだ。
「シューイチさん……」
ギュッと目を瞑り、震えそうになる声で、願う。
「助けて……」
他に誰もいない、一人っきりの部屋の中、祈るように吐き出された言葉を、聞いている者など――。
――《…………ふむ、ノーラか》
「――!!」
一人しか、いない。
◇
「えーと、三階って言ってたよね……」
夕刻、紙片を手にしたメイビーは、騎士団本部本館の三階で困ったように立ち往生していた。
ゼーベンヌから手紙を受け取ったあと、メイビーは自室に戻って一眠りした。
ただでさえまともに寝てなかったうえに、満腹になれば当然の如く眠くなる。精神的に少し楽になったことも相まって、強烈な睡魔に襲われたのである。
メイビーにしてみれば、いきなり手渡された手紙の優先順位は低かったし、手紙自体にも「少し休んだら」と書いてあったのでお言葉に甘えることにした。
「斥候隊の部屋、どこにあるんだろう……」
部屋に戻るなりベッドに倒れ込むこと数時間、気が付けばすっかり夕方になっていて、それまで一切目が覚めなかった。恐ろしい夢も、見ていない。
そして身だしなみを整え、わりと回復した心と体で三階まで来たはいいものの、肝心の目的地が見当たらないのであった。
「ゼーベンヌの見込み違い、っ……!」
キョロキョロと周囲を見回しながら、廊下を歩いていたメイビー。
するとふと、視線を感じた。
先日も感じた変な気配と、たぶん同じものだ。
「誰……?」
すぐさま全力で警戒し、どこから見られているのか探ろうとする。
「……」
今度は、すぐに分かった。
あまり隠れる気がないのか、それとも呼んでいるのか。
メイビーは、気配の元へゆっくりと近付いていく。
やがて一番近くまで来たところで、首を傾げた。
――壁の、向こうから……?
何の変哲もない廊下の壁、その奥から、視線を感じるのだ。
慎重に壁を確認していくメイビー。
何もない、いや、そうではない。
「五官の作用で、見えざるものを見よ……だったよね」
ファステムの町で、斥候職の男から話を聞いていたヘレンが、宿のベッドの上で自慢げに話していた。
何もないと思えるところこそ、何かを隠すにはもってこいなのだと。
もう一度詳細に、壁を調べる。
目だけではなく、叩いた音や肌触り、壁の塗料の臭いや、なんなら味も。
「これは……」
そして理解する。
ここの奥には通路がある。
いや、もっと正しく表現するなら、通路自体は最初から存在しているのだ。それを隠すようにして、認識阻害魔術か、それに類する術が使われているのである。
「入っていいのかな、あの扉」
一度気付けば、もう通路があるようにしか見えない。いや、もともと有るものなのだから当然と言えば当然なのだが。
おそらくこれを仕掛けた者は、これを見破れない人間には入ってきてほしくないのだ。
見破れなければ、疑問にすら思えない。そういう構造になっているように思う。
メイビーは、若干狭い通路に入り、その奥にある扉の前に立った。
扉には、「斥候隊隊長執務室」と書かれている。
ゆっくりとノブを捻ると、抵抗なく開いた。
「お邪魔しまーす……」
室内に入り、扉を閉める。
窓一つない室内は、しかしランプの灯りで明るく照らされていて、狭苦しさは感じない。
余計な装飾品などはなく、シンプルなデザインの机と椅子が置かれている。
机の上には、これでもかという量の紙の束が置かれていて、まさかあれ全部仕事の書類なんだろうか、とメイビーはどうでもよいことを思った。
そして。
「いらっしゃい」
「!?」
部屋の奥、別の部屋に通じているであろう通路から女性の声がした。
メイビーは、ドキリとした。
「入れたようで、なによりだ」
声を掛けられて驚いたのではない。
その声を、聞いたことがあるような気がして、驚いたのだ。
「えっ……?」
懐かしい声。ずっと探していた人の声。それによく似ている気がして、心臓が弾んだのだ。
「少し見ない間に、大きくなったじゃないか」
やがて、声の主は姿を現す。
今度こそメイビーは、心臓が止まるかと思った。
「な、んで」
出てきたのは、エルフだ。
妙齢の女エルフ。
サラサラとした金髪を後頭部で縛り、海よりも深い青い眼は、イタズラな光を湛えていた。
驚愕のあまり思考停止しているメイビーに、女は、この部屋の主である斥候隊隊長は。
「なあ、メイビー」
実に親しげに、メイビーの名前を読んでみせる。
メイビーは、呆然と呟いた。
「――母さん……?」
◇
「やれやれ、やっと来れたよ」
遺体安置室。安置台の前にやってきた男は、面倒臭そうにぼやいた。
「やることやっとかないと意味ねえし、かといってあんまり長いこと放っておくと怒られるし、難儀なもんだ」
はぁ、と嘆息した男は、おもむろに顔の右半分を覆う包帯を取り払う。
「さっさとやろうか。オイラがいない事に気付いて探してる奴もいるだろうし、異変に気付いてここにやってくる奴もいるかもしれないし」
男は、安置台の上に横たわるモノに話し掛ける。
まるで生きている人間に対するように。
「お前さんから剥いでいたモノを、今から返す。だから――」
手の中に赤赤く、それでいて白い光を放つ小さな結晶を呼び出しながら、男は。
「――もう一度蘇れ、白峰修一」
5月からは多忙のため、若干更新が不安定になるかもしれません。ご容赦ください。