第3章 5
◇
しばらくの間、メイビーは食事に集中することとなった。
余程空腹だったのか、三人分用意してもらっていたサンドイッチがみるみるうちに減っていく。
「ノーラ、とりあえず俺らも飯にしようぜ。悪いけど、おばちゃんにもう一回頼んで俺らの分の昼飯をもらって来てくれよ」
「はい、分かりました」
本来は三人で一緒に食べるために多めにもらって来ていたのだが、あまりにもメイビーの食べっぷりが凄まじかった為全部あげることにした。
再び一階に下りたノーラは、食事時のため忙しそうに動き回っているおばちゃんを見つけると、二人分の食事を追加で注文する。
「あいよ、少ししたら持っていくから上で待ってなよ。それにしても、上の子は大丈夫だったかい?」
「ええ、今は凄い勢いで食事をしています。おいしい、おいしいって泣きながら食べてますね」
「あらあら、それは嬉しいね。おーい、父ちゃん、アンタの作ったサンドイッチを泣きながら食べてるってさー!」
おばちゃんは、厨房で料理をしている自分の夫に大声で報告する。
「おー、そうかー」
「ついでに後二人前追加だってさ、さっさと作ってあげな」
「い、いえ、そんな急がなくても大丈夫ですので。それよりも」
ノーラは申し訳なさそうに頭を下げる。
それを見たおばちゃんは、一体何事かと訝しむ。
「どうもすいませんでした。
シューイチさんがあの子を連れてきたときに色々迷惑を掛けてしまいました」
「なんだ、そんな事かい。
気にしなくてもいいさ。どうせ、私が見つけても同じように助けようとしただろうしねえ」
そう言いながら笑うおばちゃんを見て、ノーラも少しだけホッとしたような顔になる。
今朝方、まだ日が昇る前の薄暗い時間帯にいきなり起こされたノーラは、何事かと修一に訊ねようとしたところで修一が抱きかかえているいる人物に気付き、表情を険しくした。
修一は、少し申し訳なさそうに事情をノーラに説明し、そのうえで、こいつにベッドを貸してやってくれないかとお願いしてきたのだ。
ノーラも、倒れていたというエルフの顔を覗きこみ疲労と汚れが纏わりついた様を見ると、修一への怒りよりも先に憐憫の情が湧いた。
軽洗浄魔術で身体と衣類の汚れを落としてやり、特に汚れの酷い灰色のマントを脱がせ、先ほどまで自分が寝ていたベッドに寝かせてやる。
そして、一応自分たちの荷物を持って一階に下りたところで、厨房で朝食の準備を始めていた経営者夫婦に鉢合わせた。
時刻でいえば午前五時過ぎころであり、他の部屋の宿泊客も皆眠っている時間である。
何事かと訊ねてきたおばちゃんに対しノーラが事情を説明する事にした。
先ほど宿の前で修一がカズール組の男二人と会ったこと。
その際にカズール組が捜していた灰色マントの者を庇って男らと争いになったこと。
争いの後そのまま意識のないマントの者を部屋に運び介抱していること。
ノーラの説明が終わった後、修一はノーラの前に歩み出て深く頭を下げた。
もし、組の者がここに何かしてきたら自分が対応する、と。
二人の言葉を黙って聞いていたおばちゃんであったが、夫に対して少し確認してくると言い残して二階に上がり、メイビーの寝顔を確認すると、仕方ないねえ、と小さく呟いた。
そのまま二人に向き直り、起きたらご飯を準備するから教えておくれよ、とだけ言い残して一階に下りて行ったのだ。
「しかし、シューイチさんがこれほど無茶な事をするとは正直思っていませんでした」
「まあ、そうだろうねえ。この町でカズール組に堂々とケンカを売るなんて、まともな人間ならやらないね」
「なんでも本人が言うには、向こうから絡んできたから仕方なくケンカを買ったんだと言っていましたが」
「そんな言葉が通じる相手じゃあないねえ」
その言葉に、再びノーラの表情が曇る。
「まあ、あの後ずっと食堂の端っこに座ってカズール組が来てもいいように警戒してくれていたみたいだし、今の所ウチの店に被害はないから気にしないよ。……だから、そんな顔しなくていいんだよ、折角の美人が台無しじゃないか」
おばちゃんの気遣いを感じ、困ったような笑顔になるノーラ。
そこに、厨房から声が掛かる。
「おーい、二人分出来たぞー」
「なんだい、いつもより早いじゃないか」
「おうよー、俺は褒められたら仕事が早いんだよー」
おばちゃんが厨房に向かい、出来上がった料理を持ってくる。
二階でメイビーが口にしている物と同じメニューだ。
おばちゃんからサンドイッチと、お茶の入ったポットを受け取るノーラ。
再び忙しそうに動き出したおばちゃんに礼を言い、二階に上がって部屋に戻る。
相変わらず料理を頬張り続けるメイビーを窓枠に腰掛けて呆れたように眺めている修一であったが、ノーラが戻ってきたことで嬉しそうな表情をする。
「シューイチさん、貰ってきましたよ」
「おお、見てたら俺も腹が減ってきたよ。早速食べようぜ。そんでその後は」
修一がメイビーに視線を向ける。
「色々と、事情を教えてもらおうかな」
「?」
食事に夢中になり修一の話をちゃんと聞いていなかったメイビーが、口の中を食べ物で一杯にしたまま頭上に疑問符を浮かべ、小さく首を傾げた。
◇
「さてと、それではメイビー」
「うん」
「聞くべきことは山ほどあるんだが、まずはどうしてカズールの奴らに追いかけられているのかを教えてくれ」
修一とノーラは、食事が終わると改めてメイビーに向き合い、話を聞くことにした。
メイビーは素直に頷くと、修一たちの質問に一つずつ答えていった。
曰く、メイビーがカズール組に追われているのは「借金があるから」だそうだ。
元々メイビーは、ここから北にあるヴィットリア大山脈の麓に広がる森林地帯に住んでいたらしい。
エルフという種族のほとんどの者は、自らが住む集落から出ようとはしない。
森の奥に集落を作り、そこで細々としたコミュニティを作って暮らしている。
そんなエルフが自分から集落を離れるからには何かしらの理由が存在するのだが、その多くは良くないものである。
しかしメイビーは、その辺りの事情を隠すことなく教えてくれた。
「お母さんを探してるんだ」
「お母さん、ですか」
「うん、僕、お母さんと一緒に二人で暮らしてたんだけど、少し前にどっかに行っちゃって。
待っても待っても帰ってこないから、探しに行こうと思って」
「行先は分かってたのか?」
「分かんない、お母さんは元々は森の生まれじゃなくて、南大陸から来たらしいんだ。それに、北大陸に来てからも色々活動してたみたいだから、どこに、何をしに行ったのか全く分からないんだよ」
修一は、難しそうな顔をして更に訊ねる。
「母さんがいなくなったのってどれくらい前の事なんだよ」
「大体、二年くらい前だよ」
「メイビーが探し始めたのは?」
「えーっと、半年くらい前になるかな。
……本当は、もっと早く探しに行きたかったけど、成人してないと集落から出られなかったから、それまでは待ってたんだ」
修一は、不可解な単語を耳にしたとばかりに眉を顰める。
「成人?」
「シューイチさん、エルフは二十歳になったら成人として扱ってくれるそうですよ」
余談ではあるが、人間なら十五歳で成人である。
「えっ、マジで? メイビーって二十歳なの?」
「? そうだよ?」
その言葉に思わずメイビーの身体を見つめる修一だったが、どう見ても十代前半くらいにしか見えない、というのは口に出さなかった。
「……まあ、いいか。そんで、母さんを探してて、なんで借金なんかできるんだよ」
「それはね」
メイビーが森を出た後、まずは近くにあった帝国に向かったらしい。
帝国というのは、正式にはジアス帝国という名称であり大山脈の東側にある北大陸中央部平原を国土とする巨大な国である。
国土の広さや人口の多さ、保有する軍事力など正に大国と呼ぶに相応しい国だ。
そのため、なんの手がかりもなかったメイビーは深く考えずに帝国に向かったのだが、……実はこの国では奴隷制度が存在しており、特に亜人や魔物の奴隷は物以下の扱いをされることも珍しくない。
そして、奴隷でない亜人に対しても差別意識があり、人間以外の人種が生活をするには非常に厳しい国なのである。
そういう事情から、情報収集などもなかなか上手くいかず、しかもあまりお金を持っていなかったメイビーはすぐに金欠になってしまった。
お金を稼ごうにもエルフであるメイビーを働かせてくれるところなどほとんどなく、結局帝国に来て一月ほどで手持ちが底をつき、誰にでも金を貸すような怪しい金貸しから金を借りる羽目になった。
「それでも、最初に借りたのは金貨一枚だったんだよ! でも、利子っていうのがあるらしくて」
「一体、いくら返済しなければならないのですか?」
「……大金貨三枚だって」
「そ、そんなに……」
約三十倍となっていたようだ。
暴利もいいところである。
その後、なんとか働き口を見つけ、母親に関する情報を集めながら宿暮らしをしていたところ、いきなり取り立て人が宿にやってきたらしい。
そこで請求されたのが大金貨三枚という法外な金額であり、当然払えるはずのないメイビーは、払えないなら奴隷として売り払うと言われ、大慌てでその街から逃げ出したそうだ。
当然、金貸しの方もタダで逃がしてくれるはずもなく、差し向けられた追っ手を躱しながら南へ南へ逃げ続け、ついには国境を越えてパナソルに入ってきたのだ。
そして、修一たちが越えてきた山脈に沿って森の中を南下していたところで、ベイクロードを発見し町に入ったのが今から四日前の事。
ちなみに、その時にはすでに一文無しであったため町に入るためのお金を払えず、夜になってコッソリと外壁を乗り越えて町に侵入したのだそうだ。
「ちょっと待て、どうやって外壁を乗り越えたんだ? 少なくとも十メートルはあるんだぞ」
「それはね、空中歩行魔術と不可視化魔術を使ってね、こう、ヒョイっと越えたんだ」
「んん? メイビーも魔術が使えるのか?」
修一に問いに心外だとでも言わんばかりの表情になるメイビー。
「当ったり前だよ! 僕のいた集落で魔術の使えないエルフなんて一人もいなかったよ!」
「へえ、じゃあ、なんで追われているときに魔術で反撃しなかったんだ?」
「う、それは、……実は、発動体に使ってた剣をアイツらと戦ってたときに落としちゃって、しかもお腹も減ってて魔力が無くなりかけてたんだ。
そのせいで、もう一度壁を乗り越えることも出来ないし、おまけに勝手に町に入ったから兵士とかに見つかったら捕まっちゃうかもで、助けを求めることも出来ないし」
発動体とは魔術を発動させるために必要なものであり、これがなければ魔術は発動できない。
ちなみに、ノーラの左手人差し指にも発動体として使用できる指輪がはまっている。
「この町に入って夜が明けたころに、カズールファミリーの奴らが僕の前にやってきて、お金を借りた時の契約書を見せてきたんだ。これがある以上はきちんと返済してもらうぞ、って。一体どうやって手に入れたんだろう?」
「それは間違いなくメイビーがサインした契約書だったか?」
メイビーはコクンと頷く。
「うん、間違いなかった」
これはメイビーには知る由のないことだが、メイビーが逃げ回っていたころにたまたま帝国を訪れていたカズール組のボス、シエラレオ・カズールは、自分たちの組が懇意にしている金貸し団体から面白い話を聞いていた。
何でも、若いエルフがその団体から借金をし、その返済から逃げるために帝国領土をどんどん南下しているらしい、という話だ。
追跡している追っ手の話では、もうしばらくすれば国境を越えてしまうとのことであり、そうなれば必然的にパナソル、しかも地形の関係からベイクロードに向かう可能性が高いのだそうだ。
カズールはその団体に対して、もしそのエルフが国境を越えたならその時点の返済額で契約書を買い取ると伝え、結果として大金貨四枚を支払って契約書を購入。
その後、町の外壁から北方を部下に見張らせ、それらしき者が現れるたびに確認をしていたのだ。
だからこそメイビーは、町に着いて早々にカズール組の襲撃を受けてしまい、反撃もままならずに町の中を逃げ回ることになったのだった。
ただでさえ長距離の移動で体力を消耗し、疲労と空腹で限界に達したところで意識を失い、その後は修一の見たとおりであった。
「これが、僕がアイツらに追われてた理由だよ」
メイビーは、最後に疲れた様なため息をついて話を終えた。
メイビーの話を聞いた修一とノーラは共に難しい顔をしていたのだが……。
「どうする、ノーラ?」
「どうする、というのはどういう意味ですか、修一さん?」
「いやあ、ほらさ、……どうすれば、メイビーの借金がなくなるのかな、と」
「え?」
その言葉に、メイビーが驚いたような声を上げた。
「そうですね、簡単に払える額ではありませんし、そもそもそんな無茶苦茶な利子がつくなんて、まともな金貸しではなかったのでしょう」
「多分だが、トサンくらいで利子がついていってるよな」
「? トサンとは何ですか?」
「十日で三割複利のことだよ」
「ああ、なるほど、確かにそれなら三十倍になりますね。
メイビー、四か月くらいしてから貴女のところに取り立てに来たのではありませんか?」
「う、うん、そうだよ、なんで分かるの?」
メイビーは、二人の会話の内容に付いていけていない。
「わざわざ払えない額になるのを待って取り立てに来たんだろうな」
「ええ、それに、そもそもこんな金利で契約をするようになっていたとは思えませんね。
もしかしたら、契約の前と後で契約書の内容が変わっているのでは?」
「んー、かもな。ただ……、メイビー、契約書の内容はきちんと確認したか?」
修一に問われ、メイビーは少しバツが悪そうにする。
「その、実はあんまりよく見てないんだ。あの時はお金を貸してくれる店を何か所も回ってようやく貸してもらえる事になって気が緩んでたし、しかも細かいことはよく分からなかったから言われるままにサインをしたんだよ」
「そうか、だとしたら契約書自体はまともにサインしちまってる正式な物になるだろうな。
わざわざ目の前に持ってきたって事は、その正当性を十分に主張出来るんだろうよ」
修一は困ったように額の傷を掻く。
「そもそも、よく読みもしないで契約書にサインするなんて自殺行為ですよ。
もしそれが奴隷契約に使う書類だったら、呪術的な仕組みが込められているせいで絶対に契約を破ることが出来なくなりますからね」
ノーラも少しだけ強い口調でメイビーを咎めた。
「うう、ごめんなさい……」
「もう今となっては仕方がありません。考えるべきはこれからの事です」
「そのとおりだな。
そこでメイビー、今のお前には二つの選択肢がある」
そう言って、修一は指を二本立てる。
「一つ目は単純だ。今からこの町を脱出してアイツらの手の届かないところまで逃げる事だ。きちんと通行税を支払った俺たちと一緒なら門をくぐって町の外に出ることが出来るかもしれないし、ダメと言われたらメイビーの分の通行税をその場で払って無理矢理にでも外に出る。後は野となれ山となれだ」
そして修一は指を一本たたむ。
「シューイチさん。最後が適当すぎますよ」
「いいんだよ、あんまり細かいところまで決めてもどうせ予定通りにはいかないからさ。
ちなみに、これはあまりお勧めしないな。追っ手から逃げ続けるのって正直言ってかなりしんどいから、多分どっかで限界が来て捕まる。その後の事はどうなるか全く分からん。そんで二つ目だが」
メイビーの目を真っ直ぐに見つめながら修一は続ける。
修一の鋭い視線を受けたメイビーは、知らず知らずの内に姿勢を正し、二つ目の選択肢を待つ。
「俺たちからカズールファミリーのアジトに乗り込んで契約書を奪取、更に俺たちを追跡してこれないように大打撃を与えてから悠々と町を出る、だ」
修一は残りの指をたたみながら、そう告げる。
その言葉に、メイビーは信じられないといった顔で目を見開き、息を呑んだのだった。