第8章 8
◇
夜が明けた。
九月十二日の朝である。
メイビーは、本部本館内にある団員たちの仮眠用の小部屋でぼんやりと朝を迎えた。
「……」
ほとんど眠れなかった。眠りに落ちてもすぐに目が覚めていた。
眠るたびに夢を見るのだ。昨晩の記憶から生じたような、恐ろしくも生々しい夢を。
「雨、止んじゃった……」
自分が何かしようとしてもどうにもならず、大切な人がいなくなっていく夢だ。
背中ばかり追いかけて、どれだけ走っても決して追い付けない。
やがて足がもつれて転んでしまって、それでも必死で手を伸ばして。追いかけている人がこちらを振り返って顔を見せた途端に、階段を踏み外したときのような感覚を味わって目を覚ます。
そんな事を何度か繰り返して、メイビーは眠るのを諦めた。
ベッドに腰掛けて、窓の外を眺める。
夜の闇の中、やや強く振り続ける雨を無心で見つめて、夜を明かすことにした。
何か考えていると、やっぱりすぐに昨晩の事を思い出してしまうから。
心を空っぽにして、ただひたすら独りの夜を耐えた。
そうしていると少しずつ雨が弱まってきて。
緩やかに雲が流れて空が明るくなってきて。
気が付けば、朝靄の奥に朝陽が覗いていて。
暖かい光が少しずつ窓から染み込んできて。
メイビーは締め切っていた窓を押し開けた。
「……」
雨上がり特有の土の匂いがした。
僅かに湿った涼しい風が吹き付けてきた。
「……ヴィラは、どうしたのかな」
……深夜、安置室まで迎えに来たヴィラは、メイビーをこの部屋に連れてくると、再びケイナの部屋に戻っていった。
幾分か、スッキリしたような顔をしていた。胸のつかえが取れたような、そんな顔を。
どんな話をしたのかは聞かなかった。
そこまで興味もなかったし、そんな気分でもなかったから。
ただ、ヴィラの方から「この十五年間色々あったかラ、大事な事から話してたのヨ」とは教えてくれた。「この後は、何でもないことを話しに行くノ」とも。
「秘密が心を苛むのなラ、取り除いた方が良いからネ」
「……へー」
そうするヴィラが少し羨ましく、そして少し妬ましかった。
こんなことになったのは、ヴィラのせいでもあるのにだのと。逆恨みに近い感情だとは分かっていても、事実としてそう思ってしまっていた。
一緒にいたら恨み言を言ってしまいそうだったから。
友人の元へ戻ろうとするヴィラを、メイビーは何も言わずに見送ったのだ。
「……やっぱり、一言ぐらい何か言っとけば良かったかなあ……?」
ただ、こうして眠れぬ夜を過ごしてしまうと、その判断が正しかったのか分からなくなってくる。疲弊して鈍ってきた心の内側から、悪魔のように囁いてくる声がする。
これではいけないと、首を振って大きく息を吸い込んだ。
清浄な空気は、寝不足で揺蕩う思考を少しばかり引き締めてくれて……。
「……ヴィラばっかり、ずるい」
それからよりはっきりと、感情を尖鋭化させたのだった。
「僕だって、この気持ちをスッキリさせたいのに」
自分だって、誰かに甘えたいのに。
誰かにすがり付いて、弱音を吐いて、慰めてもらって、心を癒したいのに。
自分のせいだと思う心を、誰かに赦してもらいたいのに。メイビーのせいじゃないと。貴女はよく頑張ったと。優しい声で甘やかしてもらいたいのに。
ここ数日間、年下の者に対してお姉さんぶって立ち回ってきたせいか。
子どもの頃のようにして、頼れる大人にもたれかかりたくなってくる。
そういう切ない気持ちが、ギュウっと心臓を鷲掴みにした。
どうしても、涙が滲んでくる。
目尻を拭いながら、メイビーは誰ともなく弱音を吐いた。
「……お母さん」
この世でもっとも頼れる大人の名前を呟きながら。
「……会いたいよぉ…………」
……小さな小さなその呟きを、仮眠室の扉のすぐ外でコッソリと、なんとも言えないような表情を浮かべながら聞いていた者がいたことに、メイビーはついぞ気付かなかった。
◇
「いやー、着きましたね、うん!」
「そうですね、ハクジューク君」
「やっぱりとんでもない事になってますよ、ラパックスさん! ここからでも、よーく見える!」
「まことに痛ましい限りです」
正午より少し前。
首都スターツに向けて帰還する二人の騎士団員が、惨禍から一夜明けた町を見て言葉を交わし合う。
第四騎士団副団長のラパックスと、第五騎士団副団長のハクジューク――ジューク――だ。
朝方、緊急の呼び出しを受けた二人は、それぞれの部下を港町ファステムに残して一足先に帰還した。
ジュークはともかく、昨日の夜ファステムに到着したばかりのラパックスにとっては結構な強行軍になるのだが、文句を言ってもはじまらない。
文句を言える状況でもなかったし、第一ラパックスは文句を言うような人間ではない。粛々と、言われたことをやる男だ。
「それにしても驚きました。まさかプリメーラさんが迎えに来てくれるとは」
ここでラパックスは、無言のまま自分たちの乗っているコレを操っている人物に話を振った。
それを見たジュークも、追従するように操縦者に声をかける。
「ほんとほんと、お陰で早く帰れたよ」
「隊長からの命令ですので」
「またそんな固いこと言っちゃってー」
「事実ですから」
抑揚の乏しい声で返すのは、二十代くらいに見える緑色の髪の女性だ。
手綱を握って前を向いたままの返答であり、二人の位置からその表情を見ることはできないのだが、それでも彼女が、緑色の瞳を半眼にしただけのほぼ無表情な状態で受け答えしていることは分かった。
いつだってそうであったし、それ以外の表情を全く見せた事がない人形のような女性であることは、騎士団内では周知の事実となっている。
「で? 君のところの隊長さんは相変わらずなの?」
「はい。今日も普段通りでした」
「そっかー。いつもいつも思うんだけどさ、あの人ずうっと執務室に篭って普段何やってるのかなー、って。ほとんど部屋から出てこないし」
「その件に関しては、決して口外するなと命令されています」
「ふーん。知ってるには知ってるんだよね? 君だけは執務室に出入りしてるしさ」
「お答えできません」
「固いねー、うん、君も相変わらずお固いや」
ジュークがいつものような軽口であれやこれやと質問攻めにしている間にも、三人の乗ったコレはぐんぐん進み、やがて目印となる高い尖塔の付近まで近付くと、バサリと翼を羽ばたかせて着陸体勢に入る。
「着きます。揺れますので、しっかり掴まっていてください」
「分かりました」
「はーい」
修練場の固い地面に降り立つ。
ラパックスとジュークはその広い背中から飛び降りて、プリメーラが降りてくるのを待った。
数秒後、片付けて降りてきたプリメーラとともに、三人は本部本館に向かった。
本館大会議室。ここで行われる非常招集会議には、全総会役員と、全団長副団長、全隊長副隊長が強制的に呼び集められていた。
昨日行われた緊急招集会議より更に上位の、現に起き、又は起きた国家的危難への対策を決定するための会議である。
皇族護衛のための近衛騎士団、新任団員教育のための教育隊、この二つを除く実動部隊の長と副長は、必ず参加しなくてはならない。
そのために、ラパックスとジュークは呼ばれたのだ。
「戻りました、団長」
「……ああ」
「……何かありましたか?」
「あとで話す」
ラパックスはデザイアの隣に。
「ただいま、エナミ団長。その足大丈夫ですか?」
「おう、問題はないわえ」
「まあ、ざっくりやられましたね」
「えいき、早よ座れ」
ジュークはエナミの隣に。
「命令遂行致しました」
「ああ、ご苦労さん」
「お次の命令を」
「グゲゲ、会議を聞いてなよ」
そしてプリメーラが着席したことで、司会進行役の男が口を開いた。
「お揃いのようですので、始めさせて頂きます。議題は、今後の町の復興及び防衛について。――そして」
司会の男は一度手元の書類に目を落とし、意を決したように続けた。
「ヴァンパイアの、討伐についてです」