第8章 6
◇
「ありゃりゃ~? 助けちゃったの?」
「はい……、どうやらそうみたいです」
尖塔の最上階。屋根の付いた屋上とでも呼ぶべき場所で、大鐘を背に、手摺にもたれるようにして外を見つめる一組の男女。
カインズ、それとサフィーニア。
この二人と他三名の隊員によって構成されたこの分隊は、通称カインズ分隊と呼ばれている。
超長距離狙撃専門の、銃砲隊の中でも一際異質なチーム。
この隊の運用目的は、狙撃手たるカインズを他のメンバーがサポートするというものだ。
「せっかくカインズさんがお手伝いしたのに……」
「ま、ここで何を言っても仕方ないよ~」
「はい……」
「それより、次を探そ?」
例えば彼女、サフィーニアの仕事は観測手のようなものだ。狙撃目標を発見し、その距離方角をカインズに伝える。
「次は……、あそこです。右へ七、下へ三、距離一・七五」
「は~い」
今、彼女がかけている眼鏡は、普段使っている地味な黒縁のものではなく、橙色の縁の丸眼鏡だ。これは別に、彼女がオシャレに目覚めたとかそういうわけではない。
この眼鏡には視認した物への距離や方位が数字となって表示されるという効果があり、サフィーニアは任務のたびにこちらにかけ直しているのだ。
こちらの眼鏡には度が入っていないのだが、彼女の視力は、ランドルト環を用いた視力検査で六・〇を出せるぐらいのものであるため問題ない。見えすぎるのを矯正しているのだ、黒縁の眼鏡は。
「……! 命中しました!」
「みたいだね~」
照準器から目を離すと、一拍遅れてサフィーニアが報告してくれる。カインズはそれに相槌を打ちながら、持っていた銃を後ろで控えている隊員に手渡す。
銃、といってもその全長は二メートル近く、重量は二十キログラムを超える。もともと遠距離射撃用に製作されたものを更に無理矢理改造してあるため、おそろしくゴツい。
装弾数は僅かに一発。単独での有効射程は驚異の約四百メートル。装弾時の必要魔力が無駄に多く、内部構造上、再装弾機術が使えない。
エイジャとカインズはこれを三本作らせ、一本を使用している間に他の二本を別の人間が装弾することで継戦能力を補うことにした。
射程距離を二倍に出来る射程延伸機術を、距離拡大によって五倍まで伸ばすことが出来るカインズは、それだけに魔力の消費が激しい。場合によっては光線弾機術も使うため、自分で弾込めまでやっていたら何発も撃てずにガス欠になる。
そのため、装弾を他の隊員に任せてカインズ自身は狙撃に集中することにしたのだ。
後ろにいる三人の隊員というのは、銃の運搬、装弾役であり、加えて、狙撃中は完全な無防備となる上に近接戦闘ではまるっきりお荷物なカインズを護衛するための人員なのである。
サフィーニアも早撃ちの名手ではあるが、足の古傷のせいで激しい運動が出来ないため、基本的には護衛される立場となっている。
「次は――」
射程距離内の射線の通る場所にいる敵は、カインズによって順次撃ち倒されていく。
普段はほとんど出番がなく、あっても一発二発で仕事が終わってしまうカインズ分隊にとって、このように好きなだけ弾を撃てる機会というのはそうそう来ない。
特段、今回の騒動に因縁のようなものを持ち合わせている訳でもないカインズたちなればこそ、これを好機とみて積極的に動くのだ。
成果というものは、挙げられる時に挙げられるだけ挙げておく。そうしておかないと、次は何時こうした機会が訪れるか分かったものではないのだから。
「……ん~?」
しばらく無心で引き金を引き続けていると、次第に敵の数が少なくなってきた。
おや、と思ったカインズが振り向くと、隊員の一人が魔導機械式の懐中時計を懐から取り出してくれた。
「今、何時~?」
「午後十一時、十八分です」
もうそんな時間なのか、とカインズは少しだけ驚く。何発撃ったか覚えていないが、体感的にはまだそれほど時間が経ってないように思っていた。
まあ、敵の姿が見えないときはじっと動かずぼんやりとしたまま待ち、サフィーニアの声が聞こえた時だけ意識を覚醒させて照準を合わせていたのだから、当然ではある。ぶつ切れの意識を繋ぎ合わせたかたちになるから、自然と体感時間は短くなるだろう。
「サッちゃ~ん」
「なんですか?」
「見える範囲で良いからさ~、今の雰囲気を教えてよ~」
「はい、そうですね……」
騎士団対魔物の大群、そのぶつかり合い全体の流れや趨勢を確認してもらいたいという意味でのカインズの問い掛け。
その問い掛けにサフィーニアが答えようとして、それより先に空から答えが降ってきた。
「……あれ? 急に雨が……?」
カインズ分隊の中で一番年若い女性の隊員が、困惑したように呟いた。
少し前まで綺麗に晴れていた夜空が、いつの間にか分厚い雲に覆われていた。
ゴロゴロと、わりと近くから雷鳴が聞こえ、ポタポタと、大きめの雨粒が降り出しはじめる。
雨は止むどころか少しずつ強さを増していき、首都全体を包むようにして広がった雨雲は、むくむくとその規模を膨らませていく。
これがどういう現象なのか、先の女性隊員以外はおおよその見当が付いている。カインズは、屋根の外に手を伸ばして雨水を受け止めると、ペロリとそれを舐めてみた。
「あ、やっぱりだ~」
「やっぱりですか」
「?」
一層不思議がる女性隊員。サフィーニアが、答えを教えてあげた。
「この雨は、慈雨回復水魔術なんです。浴びたり飲んだりすれば、体力を回復できますよ」
「え……?」
女性隊員は、言われた意味が分からなかった。困惑を通り越して理解不能といった表情を浮かべる。
慈雨回復水魔術といえば中位の水属性魔術だ。回復水魔術を一定範囲に恵みの雨として降り注がせ、範囲内の生物の体力をまとめて回復するための。
「この雨全部がですか? いえ、そんなまさか……だって……」
だが、その効果の及ぶ範囲というのは、通常であれば半径十メートルほど。大きく広げても三十メートル程度がせいぜいだ。
今回のように、一つの町全てを包むほどの広さで慈雨回復水魔術を使うなど、常識的に考えてあり得ない。
こんなこと、出来るはずが……。
「まだ、見たことないんだっけ~?」
「……何をでしょう?」
「いや~、あの人の本気を」
そこでカインズは、教えてあげることにした。
この雨を降らせている存在について。
ブリジスタ騎士団最年長にして、六人の騎士団長の中で一番子供っぽい性格の人物。
他の五人の騎士団長全員の総魔力量に、たった一人で倍以上の差をつけている人物。
騎士団のトップたる騎士団総会総長ですら畏敬の念を込めて「姐さん」と呼ぶ人物。
「『積乱雲』って、聞いたことないかな~?」
首都上空を飛行する、空中要塞ことファニーフィール第六騎士団団長。
彼女の眼下に広がる町並みの至るところが炎で赤く染まり、凶行の爪痕はどこもかしこも深い。
ファニーフィールは、そんな状況に心を痛めながらも、町中にいる魔物やドゥームたちを順番に片付けていく。
彼女の愛する町を、彼女の愛する国を、いいように弄んでくれた報いは必ず受けさせると。
ファニーフィールは背中の翼を使って自由飛翔魔術よろしく飛び続け、雷で焼き、風で切り刻み、氷で押し潰しながら殲滅していった。
そして、今。そろそろ日付を越えてくるであろう時間帯。輝く満月が中天近くまで昇り月明かりによる影が短くなってきた頃。
ダメ押しの一手を使ったのである。
「“ヒーリングシャワー”!! “レイニーフィールド”!! ……そして、“コントロールウェザー”!!」
首都のちょうどド真ん中にある中央広場。
その上空に陣取ったファニーフィールは、気合い十分に呪文を唱える。
体力を回復させるための雨。
町中の火事を消すための雨。
そうした効果を持った雨を、天候を操作する魔術とともに唱え、魔術と魔術を練り合わせていく。
一定範囲にしか効果を及ぼさない魔術を、似た効果でより広範囲に渡って展開出来る魔術と掛け合わせ、効果範囲を変更する。
雨を降らせるのは、首都全域。
そこにいる全ての生物の体力を回復させ、そこにある全ての火と炎とを弱らせ消していく。
範囲が広すぎて精密制御ができず、魔物がまだ多くいた時にはそちらにも恩恵を与えてしまうことになるため、使えなかった。
だが、もはや侵略者たちの大部分が打ち倒され、残りは掃討戦の様相を呈してきた今なら、その心配もほとんどない。
多少なりとは魔物たちにも効果を及ぼすだろうが、それ以上に、ここまでの戦闘で疲弊した騎士団員や、救助に当たっている軍人や警備隊員、今回の騒動で負傷した人々への効果の方が遥かに大きい。
戦力差が大きく開いた状態で敵味方双方全員の体力が回復すれば、それはすなわち数が多くて強い方が勝つという戦闘の大原則を揺るぎないものにできるのだ。
「さあ皆! もうちょっとだよ! アタイの雨で元気になーれ!!」
この雨を降らせるのに必要な魔力量は、膨大だ。
一般的な魔術師なら、三人ほど集まって魔力を振り絞り、なんとかなるかどうか、といったレベルである。
それがファニーフィールにとっては、長い戦闘の中でバンバン攻撃用の魔術を使った後に、それでも残っていた分の魔力を用いて行使できるものなのだ。
一切の補給がなくても戦闘を継続し得るだけの莫大な魔力量。
それこそが、ファニーフィールが「空中要塞」と呼ばれる所以なのであった。
そして、この雨が最後の一押しとなった。
オーガやゴーレム、ドゥームやリャナンシーといった強力な個体が軒並み仕留められ、残ったのは数ばかりは多い貧弱な種族たちばかり。
それですらかなりの数を潰されていたというのに、この雨によって勢いを取り戻した騎士団員たちの苛烈な猛攻に晒され、ついに、崩れた。
首都の各所で雪崩を打ったように壊走を始める魔物たち。
当然、騎士団員たちはそれを追撃し、完全なる殲滅戦に移行した。逃げる化け物たちの背中を切り裂き、首をはねていく。
逃げられると思うてか。ここまでの事をしておいて。
団員は誰しもそう思った。
だから手心など一切加えずに、稲穂を刈るが如く始末していった。
「――やれやれ、だぜ」
日を跨ぎ、翌九月十二日。午前零時三十分頃。
小雨になってきた恵雨を浴びながら、デザイアは疲れたように呟く。
掃討戦になってから小一時間。
残った魔物どもをしらみ潰しにするために部下たちを散開させ、己自身も勘と嗅覚を頼りに敵を探し、斬り倒しながら町中を歩いていた。
少し落ち着いて改めて見てみれば、破壊され、燃え落ちた家屋や建物が嫌でも目につき、なんともいえない気分にさせてくれる。
ところどころ血の臭いに混じって誰かの臭いがするのだが、どの臭いも動いている様子はなく、それが倒壊した家屋の下から漂ってきていたりするのだ。
誰も彼も、もう動かなくなっている。
デザイアは、それが嫌で堪らなかった。
――――チリリリリリン、チリリリリリン。
そんな時、懐の対話鏡から鈴の音が聞こえてきた。
一体どうした、と思いながらもデザイアは騎士剣を鞘に戻し、鏡を取り出した。
「なんだ? 何かあったのか?」
鏡の向こうにいるのは、デザイアの幼馴染みにして親友。
銃砲隊隊長のエイジャだ。
《……デザ君。今、どのあたりにいるの?》
「……エイジャ、一体何があった?」
エイジャの表情。
それを見た瞬間、デザイアは猛烈に嫌な予感がした。
自身の「勘」を使うまでもなく。
とてつもなく悪い事が起きたのだと。
《もう、大した奴は残ってないでしょ? 戻れるなら、本部にもどってくるんだ》
「だから、何が……!」
《いいから!》
エイジャの声。
どこか切羽詰まっている。
そしてデザイアは、次のエイジャの言葉を聞いた瞬間、通話を打ち切って駆け出した。
騎士団本部に向かって。
全力で。
《シュウ君が、……シラミネシュウイチが、…………死んだ》