第8章 5
◇
「ほらほらほら! そんなものなの!?」
血のように赤い、長い爪。彼女たちが生まれつき持っているその武器は、生半可な剣やナイフとは比べものにならないほどの強度と鋭さを併せ持つ。
これは、鍛えればさらに強さを増すものだ。手練れともなれば、研ぎ澄まされた爪で石壁に穴を空けることもできる。
「おおの! たいそい!」
エナミの前に現れた一体のリャナンシー。
彼女は、騎士団長相手に堂々と姿を晒し、真正面から戦闘を挑んだ。
両腕。鞭のようにしなって標的を追い、五指を束ねれば槍のように突き穿つ。
体術の練度が異常に高い。
魔術や呪術を使ってこない代わりに、ひたすら爪で襲ってくる。
爪の先を引っ掻けて引き倒そうとしたり鎧の隙間に指一本を捩じ込んで斬ってきたり、そうかと思えば太い丸太でも切断出来そうな手刀を打ち込んだり。小技も使えば力技も使う。純粋に、強い。
「ぬりゃあああっ!!」
「当たら、ないわよ!」
暴風を巻き起こしながら大槍を振り回すエナミ。長さ三メートル近い得物を自在に操る筋力は末恐ろしいものがあるが、それでも当たらなければ意味はない。
風に舞う木の葉のようにヒラヒラと、リャナンシーは大槍の乱舞を躱していく。髪や服の裾を掠めてもまるで怯まず、逆に戦意を滾らせる始末だ。
躱して躱して距離を詰め、エナミの身体をザクザクと斬り付けた。
「おんしゃあ!!」
「おっとと」
横一文字の大旋風。
風が唸る薙ぎ払いを跳び下がって躱した彼女は、挑発的に笑いながら爪に付いた血を舐める。
エナミは血の混じったツバを吐き捨てながらリャナンシーを睨む。やはり、近付かれると面倒だ。大槍の間合いが広すぎて、懐に入られると対応が遅れるのだ。
「こいたぁ……」
もちろん、長年大槍を使って戦っているエナミにとって、そんな事は嫌というほど分かりきっている。呼来槍は壊れても直る槍だ。柄を半分くらいの長さにへし折って短槍にしたり、先端の刃体部のすぐ下で折って短剣程度の長さにしたりして、接近戦に対応する事だって出来る。
だが、そうやって勝てるのは二流相手までだ。
目の前の化け物相手に、通用するとは思えない。
何度か打ち合ってみて分かったが、この女、本当に鍛えている。種族としての身体能力に胡座をかかず、体と技を磨きあげている。
動きの一つ一つが洗練されていて、非常に理に適っているのだ。爪など持っていなくても、一流の拳闘士と呼べる力量がある。
突進して貫くのが基本戦法であるエナミ。突進に必要な間合いを取るために何度も払っては退がっているのだが、そのたびに距離を詰めて接近戦に持ち込まれていて、思うように戦えていない。
その辺りも含めて、上手いとは思う。
「オジサンさ」
「ああ?」
頬の血を拭っていたエナミが、オジサン呼ばわりされて顔を顰める。確かにオジサンと呼ばれるような歳だが、化け物に呼ばれる筋合いはない。
「そんな重そうな物振り回して疲れない? 良い歳なんだからもう少し大人しくしてれば?」
「舐めちゅうがか、おんしゃあ。ひとっちゃあ疲れちゃせんわ」
実際、疲れてはない。
そういう体質で、そういう能力なのだ。
「そう? でも、そんなのぶんぶんしたって私には当たらないわよ?」
「……そうかえ」
エナミは、リャナンシーの言葉に取り合わず槍を構え直す。
女は呆れたように肩を竦めた。
「ま、いいけど。何度やったって、当たらないものは当たらないから」
合わせるように構えるリャナンシー。
踏み込もうとする彼女に向かって、エナミは言葉を投げた。
「接近戦が得意かや?」
「? ええ、きっとオジサンよりは得意よ」
「やろうにゃあ、……やけんど」
挑発し返すように。
「当たるまでやったら、どっかで当たるろう?」
「……だから」
そして。
「当たらないって、ば!!」
ダンと踏み込むリャナンシー。近付かせまいと槍を使いながら退がるエナミ。
一進一退、とは少し違うか。進むのはリャナンシーの方だけで、退がるのはエナミばかりである。
最低でも、約十メートル。これがエナミの求めている距離だ。
大槍そのものの長さと自身の加速力、リャナンシーの耐久力を総合すれば、せめてこれだけ距離を取らなければ仕留められない。
なんとか間合いを切りたい。大通りを後退しながら、エナミはそんな事を考える。
「ほらほら! ちっとも! 当たらないわ!!」
リャナンシーもエナミの突進は目にしていた。
石壁を砕き、そのままオーガまで貫く突進力。
騎馬突撃でも容易に実現ならざる、人間離れした一撃。
呼来槍の能力が「瞬間修復」と「召喚」なのであれば、あの威力はエナミの身体能力そのものによって生み出されていることになる。
そんなもの、喰らう訳にはいかなかった。
だから、五メートル。
それ以上は、離れるつもりはない。
「しわい!!」
「そっちこそ!!」
諸手で、細かく激しく突きを放つ。
槍の穂先が幾本にも分かれてリャナンシーを襲う。それらを一突きずつ丁寧に躱しながら、リャナンシーは思う。
手打ち手突きでこれほどの威力なら、やはり突進をさせる訳にはいかない。このまま距離を詰めて封殺する。……しかし、本当にこの男は疲れを知らないのか。いまだにこれほど動けるとは。
エナミとリャナンシーが戦闘を始めてから、既に三十分以上経過している。時計を見たわけではないが、少なくともそれぐらいは経っているはずだ。
打ち合いと後退接近を繰り返しながら少しずつ移動し、気が付けばこんなところにまで。高い尖塔のある大きな建物に、先頭開始時と比べれば随分と近付いていた。
リャナンシーですら、少しずつ倦怠感を覚え始めている。なのにこの男は、全く動きに衰えを見せない。
この戦いの手前でも、何戦かしているはずなのに。どこからこんな体力が出てくるのだ。
まさか、何かの能力か――?
「どいた!? だれたかや!!」
「っ!」
穂先が髪を掠めた。突きのキレが上がっている? いや、自分の動きが鈍ってきているのだ。長時間の戦闘によって。
理由ははっきりしない。本当に何かの能力かもしれないが、それを確かめる術はない。
だが、このままでは、男の言ったとおりになる。
「当たるまでやれば、いつか当たる」と。
この男は、本当に、当たるまで槍を振るうつもりだ。
体力の消耗など度外視して。パフォーマンスを僅かも落とすことなく。
泥仕合のような戦いを、延々と続ける気なのだ。
決着が付く、その瞬間まで。
「……!」
リャナンシーは、覚悟を決めた。
地面もろとも抉りそうな勢いの打ち下ろしを、体ごと沈みこんで避ける。
背後で大地を削る音。
すぐに追撃が来るだろう。
もう一撃もこの距離で躱す。それから踏み込めば、確実にこちらだけが当てられる。
それではもう、ダメなのだ。
「このっ!!」
二波目が返ってくる前に、更にもう一歩踏み込んで腕を突き出した。
回避の目を自ら潰す暴挙。
ここまでしなくては、コイツは倒せない。
エナミの右外腿をザックリと切り裂く赤い爪。一際強く噴き出した血が、リャナンシーの頬をびちゃびちゃと叩く。
深い。今までで一番――!
「ぬぅん!!」
直後に襲いくる二波目。
大槍が、右から左へ払い抜けた。
「っ――!?」
咄嗟に両腕を重ねて防御する。根本に近い槍の柄が、女の左前腕を強かに打ち据えた。
メシメシと軋む骨。体重に劣るリャナンシーは、軽々と数メートルほど弾き飛ばされる。
マズイ、と直感的に理解した。距離を詰めなければ、突進による追撃がくる。
距離を――。
「ぐおっ……!?」
しかし、エナミは退がらなかった。いや、退がれなかったのだ。先程の一突きが、予想以上に深く腿を抉っていたのだ。
危うく膝を付きかけて、歯を喰いしばって耐えるエナミ。
大槍の石突きを地面に突き立て、杖のようにしてもたれかかる。
「ようやく、……止まった」
「……!」
エナミの数歩前。
大きく腫れ上がった左腕を押さえながら、リャナンシーが立ち塞がった。
折れているのか、いないのか。
痛がる素振りは、ない。
「本当に、当たったわね」
「……もういっぺん、突いちゃろう思うたに」
「その傷で、まだここまで振れるなんて」
「痛まざったら、真っ二つにしちょらあ」
リャナンシーが、右手の五指をスッと開いた。
「他に、言い残すことは?」
「なんな、おんしゃあ。もう勝った気かや」
「この距離なら間違いなく、私の方が早いもの」
エナミは、馬鹿にするように笑みを浮かべた。
「この距離ち、どの距離な?」
「……! 今、この――!」
激昂しかけるリャナンシーに、エナミは。
「この、やない。――ここはもう、アイツの射程距離内やき」
直後。光線が一筋煌めいた。
「――!?」
トドメを刺すために踏み出そうとしたリャナンシーの胸に、丸い穴が空く。
焼け焦げたようになった傷跡を残し肉体を貫通した光線は、地面を焦がしたところで消失した。
リャナンシーは何が起きたのか一切分かっていない。
唐突に、撃たれた。
「あっ――」
全身の力が抜ける。
身体を支えられなくなって、仰向けに倒れた。
胸の中心がじんわり熱い。
栓の抜けた瓶のように、中身が零れていく。
ワインのように赤いモノが。
「よおやった!!!」
エナミが全力でもって吼える。
その声は、約二キロメートル先にある騎士団本部の敷地内、大鐘を吊った尖塔の最上階にいる人間たちにも確かに聞こえた。
「当たりましたよ、カインズさん!」
「みたいだね~、サっちゃん」
超長距離射撃専門の狙撃部隊。
遠距離射撃用の銃を改造して元々長い射程を更に伸ばし、到達飛距離を伸ばす魔導機術を術式拡大することによって更に伸ばす。
その結果、有効射程距離二キロメートルという、この世界の常識を無視したような超長距離狙撃が可能となっている。
そんな遠距離から、高威力の光線弾機術が飛んでくるのだ。文字通り、光のような速さで。
避けられるはずがない。
「どうな、今の気分は」
エナミは、右足を引きずりながらリャナンシーの隣に寄る。
真上から顔を見下ろす位置だ。
リャナンシーは、口の端から血を流しながら答えた。
「最低よ……、本当に」
「ここまでノコノコ引っ張っちこられて、なんちゃあ怪しまざったおまんが悪いわえ」
「……はは、それもそうね」
「……」
エナミは大槍を振り上げる。
リャナンシーは、浅い呼吸を繰り返しながらそれを見つめていた。
「言い残すことは?」
「……」
「ないがやな」
「……一つだけ」
ケホッと咳き込んで、土気色になった顔で薄く笑ってみせる。
「負けちゃったけど、満足してるわ。オジサンには、勝てたから」
「……勝っちゃあせんろう」
「勝った、わよ。……オジサンだって、そう、……思ってるじゃ、ない……」
「……」
エナミは無言のままだった。
リャナンシーにとっては、それが答えだった。
「ふんっ!!」
直後振り下ろされる呼来槍。
直下にあるものに深々と突き刺さる。
「…………」
リャナンシーの頭部……の、すぐ横の地面に。
外れたのではない。エナミが意図的に外したのだ。
「よいよ、人を嘗めた化けモンや」
「……」
槍から手を離し、倒れた女の顔を掴む。
女は見るからに疑問符を浮かべているが、無視する。
「おまんは、捕虜に取る」
「……」
「やき、まだ死ぬな」
掴んだ手に力を込める。握るのではなく、力を送り込むようにして。
エナミの天恵。「疲労撤廃」。
疲労を取り去り、体力を擬似的に回復させる能力。
自分自身には常時使用していて、例えば、乗った馬なんかに使えば一昼夜休みなしでも駆け続けさせることができる、というものだ。
あくまでも疲労を取り去るだけの能力であり、怪我を治療したり実際に体力を回復させるわけではないのだが、気力や活力、精神力といった部分を強烈に補填する。
気休めに、強い力を持たせたような能力である。
「本部まで行ったら治せるき、辛抱せえ」
「……なにを、……っ!?」
ヒョイと持ち上げて大事そうに抱えると、本部に向けて駆け出した。呼来槍は置いていく。どうせ後で呼べばいいだけだから。
走りながらエナミは、ふと、コイツと呼来槍はどちらが重いのだろうと考え、すぐに止めた。今考えるべきことではない。
「二キロやったら、まあ、五分ちょいばあか。それまでに、言い訳の一つでも考えちょかんとにゃあ……」