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閑話 花山梨子

 ◇




 少女が見つけた時にはもう、少年は動かなくなっていた。




「はあっ、はあっ……!」


 少女は鉄筋造りの倉庫群を横目に見ながら、祈るような気持ちで港の岸壁際を駆けていた。


 盛られた薬が残っているのか頭が少しくらくらしているし、息も上がって絶え絶えになっているのだが、それでも尚だ。何度も転びそうになりながら、少女は目的の建物を目指してひた走る。


 縛られていた手首の縄痕や、それを切るときに付いた傷が痛々しい。普段は後頭部でひっつめにしている髪も今は半分くらいほどけてしまっている。埃っぽいところに転がされていたせいで服は埃まみれになっていて、何度か蹴られたせいでお腹も痛い。


 それでも少女は、走るしかなかった。


 閉じ込められてた部屋の窓から見えた、黒煙の元へ。

 そこにあったはずの一際大きな倉庫を目指して。


 この港一体を根城にしていた連中がよく使っている倉庫だ。

 少女だって場所はよく知っている。


「なんで、よ」


 苦しさのあまり悪態を吐く。

 身体がではない。

 心が痛くて、苦しくて苦しくてどうしようもないのだ。


 自分を見張っていた男が、電話を取った後に慌てて部屋を出ていった。

 代わりの見張りが一向に来なくて、しばらくしたら港の方から爆発音が聞こえてきた。

 窓ににじり寄って見てみれば空に向かって黒煙が昇っていて、それが時間とともにどんどん大きくなっていった。


 少女は、いてもたってもいられなくなって。

 そこの窓ガラスを蹴破って、破片で縄を切った上で部屋から飛び出したのだ。


 そして今、こうして駆けている。

 必死だった。

 果てしなく嫌な予感がするからだ。


 そうであってほしくないのに。

 きっとそうなっているだろうという予感が。

 確信が、少女にはあったからだ。


「なんで、来ちゃうのよ!」


 少女の視線の少し先では、横倒しになった船が港に浮かんでいる。船体中から黒煙が上がり、一部からは火の手も見える。積んであったはずのコンテナなんかも海に投げ出されていて、積載物が船から放射状に広がり揺蕩っていた。

 その貨物船のすぐ目の前に、目的の倉庫はある。

 こちらも船と同様にもうもうと黒煙を噴き出しており、中の火勢を考えれば遠からず焼け落ちることが容易に想像出来た。


 そうなってしまう前に、早く中を確認しなくては。


 そう考えた矢先、貨物船が爆発した。

 船体に空いていた穴から火柱が上がり、離れていても伝わってくるほどの熱気と驚くほど大きな爆発音が港に響く。

 少女は堪らずたたらを踏んだ。

 向かおうとしている先からそんな衝撃が襲ってきたのだ。さもありなん、といったところか。


「っ……!」


 それでも少女は鬱陶しそうに頭を振ると、更に倉庫に近付いていく。

 いつまた貨物船が爆発するやもしれなかったが、気にしている暇はなかった。


 扉の前に辿り着く。

 横開きの大きな鉄扉はすでに半分ほど開いているが、扉の上部は黒煙が埋め尽くしていた。

 それでも躊躇いなく倉庫内に入っていく少女は、倉庫内の惨状に顔を顰めた。


 おびただしい量の血が床にぶちまけられていて、肉や武器がその中に浮かんでいるような状態だ。

 壁には長い亀裂が何本も走り、大小無数の穴が空いている。

 力と力がぶつかり合った末に生み出された破壊は少女の想像を遥かに越えており、悪い予感がより悪い方向に転がって的中した事を教えてくる。

 倉庫内を見回しながら、二歩、三歩と足を進める。


「ここまでやるなんて……、っ――!!」


 そして、見つけた。見つけてしまった。

 血溜まりの中に倒れる少年を。

 傷だらけになった、愛する男を。


「――――」


 よろよろと、少女は歩み寄る。

 一歩一歩、確かめるように。

 そうしないと座り込んでしまいそうだった。

 そうなったらもう、立ち上がれそうになかった。


「そんな……」


 少年は、少女が近付いても何の反応も示さない。

 薄く開いた目はどこをも見ていないようだった。

 呼吸も、鼓動も、止まってしまっているように見えた。


「ねえ、ねえ……」


 少女は少年の傍に膝を付いて、少年の身体に手を付いた。

 動かない身体を揺すって、揺すって、やはり何の反応もないことが分かっても、揺すり続けた。


 顔を上から覗き込む。

 血の気を失って真っ白になっていた。

 唇の端から真っ赤な血が一本の筋になって流れていて、その鮮やかさに胸を締め付けられた。


「起きてよ」


 縋るように呟く。


「起きてってば」


 祈るように願う。


「っ~~~~!」


 そして喉を震わせて、叫んだ。



「……死なないでっ! あたしを置いて、逝かないでよっ!!」



 いつから流れていたのか分からない涙が、一際大きな粒となって頬を滑り落ちる。

 少年は何も反応しない。

 垂れ落ちてくる涙を顔に浴びて、服をギュウっと掴まれて、少女の絶叫を耳にして、それでも何も、だ。


「ああ……」


 やっぱりそうなのか。

 もう、とっくに終わってしまっているのか。


 受け入れがたい事実を受け入れなければならない。

 それを理解した少女は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を俯かせた。


「なんで、アンタが死んじゃうのよ……」


 少女は思う。

 本当に死ぬべきは自分の方なのに、と。

 全ての原因は自分にあるのに、と。


 自らの弱さと不注意が皆を巻き込んだのだ。

 みんなみんな、自分のせいでこんな事になったのだ。


「あたしが、」


 あの子が死んだのも。

 それを追うようにしてアイツがいなくなったのも。

 つい先日、あの人が殺されてしまったのも。

 今こうして、ボロボロのコイツが動かなくなってしまったのも。


「――あたしの、せいなのに……!」


 どうして。どうして。どうして。どうして。


 皆がひどい目に遭っているのに、私だけこうして生きているのか。

 一番真っ先に死ぬべきだった自分が、最後まで生きているのだろうか。


 分からない。

 分からない。

 分からない。


 分からない、が。


「……」


 目の前の事実は、動かしようがない。

 何をどうしようとも。


 少年は終わってしまった。


 ならばもう本当に、少女にも、生きている理由が――。




『おお、おお、派手にやったもんだぁ』




「!」


 唐突に男の声が聞こえた。


『いやぁ、遠目に見てたがなかなか楽しめた。あの状況からよく巻き返したなあ』


 いきなり現れた男は、独特な足音を響かせて少女の背後に近付いてきた。

 少女は俯いたまま、振り返りもせずに問う。


「……アンタ、誰?」


 少女の少し後ろに立ち止まった男は、気負いなく答えた。


『敵、ではないなぁ。……今のところは』

「……そう」

『そういうお前さんは、その少年の何だ?』


 問い返してくる男。

 少女は迷うことなく答えた。


「妻よ」

『……ひゅー』

「何よ?」

『いやぁ? そういうの嫌いじゃないよ、オイラは』


 男はヘタクソな口笛を吹くと、顎に手を当てる。

 そして、愉しそうに唇の端を吊り上げた。



『……()()()()やろうか?』



「――――はぁ?」


 少女は、一瞬何を言われたのか分からなかった。


『良いモン見せてもらったことだし』

「――――アンタ、」


 ふざけてるの、と言うつもりで少女は振り返った。


「…………」


 が、言葉は出なかった。

 男の出で立ちを見て、思わず目を奪われたのだ。


 男の左足、膝から下が義足であった。

 反対の右足、数か所をベルトで縛って曲がらないようにしてある。

 着ている服は藍色を主に、どこかの民族衣装のようにヒラヒラとしたデザインであった。

 首元には、真横に抜ける古傷があり、顔の右半分には、それを覆い隠すようにして包帯が巻かれている。

 短く暗い銀色の髪が包帯の隙間からいくらか飛び出し、鳶色の瞳が少女と少年を見下ろしていた。


 自信に満ちた瞳が、少女を真っ直ぐに見据えていた。


『オイラの能力なら、その少年を治して蘇生してやれる』

「――――」

『どうする?』


 力強い言葉であった。

 自身の能力に、絶対の自信を持つ者の声だった。

 少女は……。


『まあもちろん、相応の代償は頂くが――』

「治しなさい」

『……へぇ?』

「今すぐよ。早くして」


 躊躇わなかった。

 男が、確認するように再度問おうとする。


『本当に良いんだな? 言っとくが――、っ!!』


 その言葉を少女は遮る。

 立ち上がり、男の胸倉を掴み上げて、鬼気迫る表情で吼えたのだ。


「ご託はいいわ! 早くしなさい!」

『……!』

「あたしは、白紙の小切手を束で切る位の覚悟はしてるわ! だからアンタは、やる事やれ!! 失敗したら承知しないわよ!?」


 そして男を、乱暴に突き飛ばす。


「さあ早く! 完璧に治して!!」


 男はしばし呆気に取られ、それから実に愉しそうに笑った。



『――グゲゲゲゲ。嫌いじゃないぜ、そういうの』




※ 次回、「第8章 ゲドー」、四月より投稿開始予定。

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