第7章 23
◇
「この辺は、特に問題ないのかなー?」
「そうみたいですね、メイビー」
高級住宅地区内の様子を見て回るノーラとメイビー。二人は、月明かりと外灯に照らされた住宅地区の主要路を駆けながら時折立ち止まり、周囲を見回して異常がないかどうか確認していく。
もはや空は一面の夜だ。
登り始めた月と煌めく星々が、二人の足元に影を作る。
「次はどっち?」
「更に西に向かいましょう」
記憶内からこの地区の地図を引っ張り出したノーラが、メイビーに指示を出す。
ノーラの頭の中では、どのルートをどの順番で通れば無駄なく地区内を一周できるかがはっきりと解っているのだ。
七年前に国を出て数日前にようやく帰ってきたのだとは思えないほどの的確さ。
地区を貫く通りの位置と数が変わっていないため、当時の記憶を頼りにルートを決めていけるわけだが、それにしても、驚くほど迷いがない。
まるで、こんなところで迷っている暇はないと言わんばかりに。
「そろそろまた、風追加速魔術を掛け直して下さい」
「りょーかい」
小剣片手に呪文を唱えるメイビー。
それが終わると、二人は再び駆け出していく。
ノーラに追従して走りながら、メイビーはチラと視線を滑らす。一般住宅地区及び商業地区の方角に。
空が明るい。星々の明るさの上からペンキを塗りたくったかのように、赤く色付いている。
その下では、もっと明るくなっているのだろう。暗闇の中に浮かびゆく煙と、ここまで届く喧騒が、その想像を後押しする。ノーラの家の窓から確認したときよりも、きっと酷くなっている。
「……」
無言で先を急ぐノーラにつられ、メイビーも言葉を発しない。いつものように軽口を叩く気分ではないし、何か呟いたとしてもノーラには相手をしてもらえないだろうから。
この地区の現状をさっさと確認して修一を探しに行きたいのだ、ノーラは。
そしてそれ以上に、生まれ育ったこの町で大きな騒動が起きているという事が、ノーラの神経を苛んでいる。
この町には来たばかりでほとんど思い入れのないメイビーでさえ、ここ数日で出会った人たちの顔を思い浮かべて苦いものが込み上げてくるのだ。ノーラの心中など、察するに余り有る。
魔術を使うことでどうにか自分と同速を維持するノーラの背中に視線を戻す。
――……ノーラ。
焦燥感に駆られたように、小さく肩が震えていた。
メイビーは、抜き身で把持したままの小剣をギュッと握る。
沸き上がる苛立ちをグッと呑み込んで、二、三度首を横に振った。
「……おや」
「っと、どうしたの、ノーラ?」
その時ノーラが唐突に立ち止まる。
ぶつからないように慌てて急停止したメイビーは、不審そうな声を出したノーラに理由を問う。
ノーラが、一軒の建物を指差して答えた。
「あの家……」
「が、どうかしたの?」
「明かりが点いているのですよ」
「明かり?」
メイビーが目を凝らすまでもなく、建物の窓からは明かりが漏れている。建物自体の大きさは、ノーラの家と変わらないぐらいか。この地区に恥じない大邸宅である。庭が若干狭い事くらいしか、メイビーには違いが分からないのだが。
「夜だから、明かりぐらい点いてるでしょ」
「そうなのですが……」
ノーラは言い淀む。
メイビーは「が、でも、気になるの?」と続きを促した。
「確かあの家は、七年前には空き家になっていたはずなのです。もちろん、私が留学している間に誰か新しい人が住み始めただけなのかも知れませんが……」
「気になる、と」
「はい」
メイビーは、もう一度建物を眺める。
すると、不思議な事に気が付いた。
「……二階の窓からは、明かりが漏れてないね」
一階の窓からしか明かりが漏れていないのだ。
おそらく吹き抜けになっているであろう玄関ホール、その高所部分の窓からは同じように明かりが漏れていたが、少しずれたところの廊下に当たるであろう部分からは、明かりが漏れていない。
そして二階の窓をよくよく注意して見てみれば、窓に木板を打ち付けたままになっているのが分かった。あれでは、中の様子も分からない。
確かに、人が住んでいるにしては少々変である。
普通、住み始めた家の窓を板張りにしておいたりはしないだろう。
あれではまるで、明かりが入り込んでは困るかのようだ。
「ふーん……?」
「メイビーは、どう思いますか」
「どう、とは?」
ノーラが、件の家に向かって歩き始めながら問う。
それに付いていきながら、メイビーは問い返した。
「私の考えすぎだと思いますか?」
「……んー、いや、僕もちょっと気になってきた。確認ぐらいしておこうよ」
「はい、そうしましょう」
意見の一致を経て、二人の歩みは早まる。
やがてどちらからともなく駆け出し、門の前に着くや否や、メイビーが門を押す。
何の抵抗もなく、門は開いた。
「鍵が、掛かっていませんね」
「不用心だね、好都合だけど」
そして、明かりの漏れる一階の窓たち、その、ちょうど中央付近にある立派な玄関戸に向けて、二人は、正門を抜けて石畳の敷かれた道に足を踏み入れた。
◇
両腕を振り上げるアイアンゴーレムに対して修一は、赤い単眼を睨み付けながら吐き捨てるように呟く。
「この、デカブツが……!」
内心での友人への詫びは、実時間にしてほんの一秒にも満たない短いものであった。
そも、戦闘の真っ只中である。
本来なら、そんな事をしている余裕はない。
今まさに振り下ろされた両手、これを喰らっただけで致命傷は免れないのだ。
回避に専念すべきである。
「ぶっ潰してやる」
それでも修一が詫びたのは、これから行う行為がどのような結果を生むかよく知っているからだ。
友情の証としてデザイアから貰ったこの騎士剣。不思議とよく手に馴染み、剣としての性能も申し分ない。使った後は欠かさず手入れをしているし、命を預ける物としても十二分に信頼している。
そんな騎士剣に、修一は。
「――禁じ手」
ゴーレムの攻撃を躱しながら。
「焦熱壊剣」
熱を、篭めた。
「っ――!!」
僅かに周囲の気温が下がる。
数瞬も経たずに刃が赤くなる。
顔を顰める修一。
調節を間違えると、すぐにダメになるからだ。
「はあっ!!」
振り下ろされた両腕のうち、右腕に狙いを定める。
避けた動きから素早く側方に回り込み、右肘の関節部に剣を叩き付けた。
ガンッ、と鈍い衝突音。
今までと、さして変わった様子はない。
――まだまだっ!
だが、それに頓着することなく修一は、再度剣に熱を篭める。
元の色に戻っていた刃が、再び赤く変色した。
それを、二度三度と繰り返す修一。そのたびに、同じ右肘を狙って剣撃を叩き込んでいく。
そして、五度目。
「うりゃあああっ!!」
「――――!」
修一の斬り上げを受けたゴーレムの右肘が、耳障りな金属音とともに断裂した。
重力に従い落下する右腕。
床に衝突すると勢いのまま数メートル転がっていき、動かなくなる。
「まず一本……」
そちらに一瞥すらしない。
まだ、あのデカブツは戦える。
完全に破壊するまでは安心出来そうにない。
最低あと三回、両手両足を斬り飛ばさなくては。
「保ってくれよ……」
駆け寄り、続いて右膝を狙う修一。
同じことの繰り返しだ。
騎士剣に熱を篭めて、叩き付ける。
これを、相手が壊れるまで続ければいいのだ。
「――――!」
ゴーレムの単眼の、赤い輝きが強まる。
ダメージの蓄積が一定のラインを越えたのだ。
やにわに動きを激しくするアイアンゴーレム。
修一を、完全に脅威だと認識したかのような動きだ。
だが、もう遅い。
次の瞬間には右膝を砕かれた。
磨耗し、金属疲労を起こした時のような音が関節部から響く。
破断面が、修一の剣と同じくらい赤々と色付いていた。
右膝から下を失ったゴーレムが、バランスを崩して転倒した。
「なんだ、ドンくせえな、オイ」
呟きとともに、左手を打ち鳴らす。
凄まじい早さで、床に倒れたゴーレムの背中が凍り付いていった。
藻掻けども、立ち上がれないゴーレム。
「ま、好都合か」
当然だ。
今の修一は、全力で能力を使用している。
生き物相手に能力を使うのとは訳が違う。
ただ動くだけの鉄の塊に、一片の容赦もない。
なにより――。
――さっさとケリ付けないと、剣が壊れるしな。
内心で呟き、倒れる巨体に飛び掛かる。
首元目掛けて赤い刃を振り上げ、そして真っ直ぐに突き立てた。
赤々と、単眼から光が漏れる。
声を出せないゴーレムが、まるで精一杯の苦悶の悲鳴をあげているようだった。
……この禁じ手を修一が思い付いたのは、彼が中学生の頃だ。
思い付いた理由など単純なもので、燃える剣って格好良いのではないだろうか、とかそんなものだ。
そして実際に試してみて、すぐに気付く。
剣に熱を篭めても刃は燃えたりしないし、それどころか大量の熱を一気に篭められた刃は、すぐに劣化して使い物にならなくなる。
のちのち、友人に相談してみて理解したことだが、金属は熱によって膨張と収縮が起こるため急激な温度変化はダメージにしかならないのだ。
そこまでで終れば、禁じ手ではなく失敗作として、ここで使うには至らないだろう。
だが、当の友人がこうも言ったのだ。
剣としてではなく、熱を溜めておく媒介として使えばいい、と。
要は、剣を、金属で出来た頑丈な棒として使い、大量の熱を叩き込むための道具にすればいいのだ、と。
だから修一は、その後も練習してみた。
近所の廃材置き場に捨てられていた大量の鉄パイプを使い、どの程度までなら、一度に熱を篭めても剣が曲がらないのか。何回くらい熱を篭めたら限界が来るのか。
剣の動きに合わせて漏れなく熱が動くように反復し、叩き付けると同時に剣の中に溜めていた熱を残らず対象に叩き込めるように。
廃材置き場に置いてあった廃材が全て燃え尽きるか砕け散るまで、修一は練習を続けた。
そして、習得する。
剣を介して熱を叩き込む技術を。
修一が初めて剣を握ったのが三歳の時、能力に目覚めたのが十一歳の時だ。
剣術の経験が約十五年、能力の使用経験が約七年、現時点でいったとしても、およそ倍近い経験の差がある。
能力だけで使うと、鉄を溶かせるだけの熱を動かすのに速度と精密さが足りない。
それを、剣術の鍛練で培った技術を用いて無理矢理補う。
焦熱壊剣とは、そういう技だ。
「あああああああっ!!」
そしてこの技は、どれだけ丁寧に熱を動かしたとしても、剣に熱が溜め込まれている間に少しずつ刃を痛めていくのだ。
ほぼ例外なく。
使い続けていれば剣の寿命を縮める。
これを使っても壊れなかったのは、実家にある家伝の一振りだけであった。
つまり、騎士剣では、長く耐えられない。
だから修一はデザイアに詫びたのだし、焦熱壊剣を使わざるを得なくさせたゴーレムを出来る限り迅速に破壊しようとしているのだ。
限界を越えなければ、壊れる前に壊してしまえば。
騎士剣をもう少しの間使っていられるから。
「どうだっ!!」
「――――」
渾身の力を使って、刃を突き込む修一。
太い首に鍔本まで剣が突き立った。
まだか、それならもう一度。
と、修一が剣を引き抜いた、その時。
「――――」
ゴーレムの単眼の赤い輝きが、消え去った。
幾らかでも動こうとしていたのが、完全に停止する。
修一は、警戒しつつも能力を解除し、剣に顔を近付ける。
――……ちょいと使い過ぎたかな。あとで念入りに研がないと。
それだけ決めると、ゆっくりと振り返る。
少し離れたところで、ヴィラとリャナンシーが激しく打ち合っていた。
「その前に」
ゴーレムの巨体から床に降りる。
破壊し尽くされ鉄兵形創造呪術の効果が切れたのか、ジワジワと鉄の巨体が縮んでいく。
最終的には一抱えほどの大きさの鉄塊になった時点で縮小は止まったため、それがアイアンゴーレムの原料なのだろう。
こんな程度の鉄塊からさっきのデカブツが出来るのか、と修一は、憎たらしげに眉を顰めた。
「あっちの援護が先か」
そして意識を切り替える。
見据える先には、二人の女。
現時点で拮抗している二人。
今、ヴィラとリャナンシーが同時に突き合い、お互いの頬から鮮血が舞った。
――俺が加われば、形勢は一気に傾くな。
「おい! 手伝うぞ!」
そう告げて修一は、そちらに足を踏み出――。
「あああああアッ!!」
「しつっこいわぁ!!」
振る、振る、振る、振る。
腕と言わず脚と言わず、首と言わず髪と言わず!
お互いがお互いを打ち倒すために。
休む間もなく攻撃を繰り出す。
既に、転嫁人形呪術の効果は切れている。
とっくに、許容限界を越えた傷を負っている。
それでも二人は止まらない。
止まるわけにはいかないのだ。
目の前の敵を斃すまで。
倒した後に、次の目的を達するために。
「ッ!!」
「ちぃっ!」
そんな折り、少し奥で戦っていた修一とゴーレムの決着が付いた。
如何様な技を用いたか分からないが、どうやら彼の少年は、剣のみを使用してアイアンゴーレムを破壊したようだ。
馬鹿げた事を、と思う間もなく声が掛かる。
「おい! 手伝うぞ!」
ヴィラは安堵し、リャナンシーは露骨に舌打ちする。
今の状態に修一が加われば、どうなるかなど解りきっている。
一歩踏み出そうとする修一。
闘気を漲らせたまま、油断の欠片もなかった。
リャナンシーが、「覚悟を決めないといけないかしらぁ?」と、言おうとする。
と。
「――――騒がしいな」
男の声が聞こえた。
「……!」
「っ!?」
「――あぁ、」
直後、三者三様の表情を浮かべながら、動きを止める。
修一は驚愕を、ヴィラは憎悪を、そしてリャナンシーは、――恍惚を。
「――“チェンジドール”」
二人より早く動き出したリャナンシーが、呪文を唱える。
取り替えられた人形をその場に残し、本人は、二階へ。
玄関ホールのその奥、二階へと続く大階段の上で、リャナンシーは跪く。
先程の声の主、二階の廊下の奥から静かな足取りでこちらへ。
「……」
「……」
二人は動かない。
いや、動けないのだ。
声も出せずに、息を呑む。
「なんだ? ネズミでも忍び込んだか?」
やがて男が、姿を現す。
寝起きのように簡素な服を身に纏い、小さく欠伸を漏らしている。
雪のように白い髪と肌、血よりも尚赤い瞳。
口元にチラリと覗く牙。
ゾッとするほどの、人間離れした美貌。
リャナンシーたちを男にしたような……いや、逆か。
リャナンシーたちが、彼の種族に近付くようになっていったのだ。
彼女たちの、主に。
「お会いしとうございましたぁ……!」
「ああ、我輩もだ」
跪いたままで、熱い言葉。
それに返す男の言葉を聞いただけで、そのリャナンシーは、感動で打ち震えている。
男が自分の目の前を通り過ぎると、いつの間にか現れたもう一体のリャナンシーとともに、男の背後に寄り添うようにして立つ。
先程までのヴィラとの戦闘による疲労など、微塵も感じさせない。
「さて、起きて早々だが」
階段のすぐ上、二階の高さから見下ろす男。
修一とヴィラを、侮蔑するような視線で一瞥した。
「ネズミを始末しなければな」
修一が、どうにか口を動かす。
「…………なあ、ヴィラ?」
「……何かしラ?」
ヴィラに、問うために。
「アイツは、何だ? 奴らの、ボスか?」
「そうね、ワタシの最終目標ヨ。アイツだけは、何が何でも倒さないといけないワ」
「で?」
「……」
ヴィラは、僅かに溜めてからもう一つの問いに答える。
「――ヴァンパイア」
「……」
修一は、額の傷を掻いて呟いた。
「…………マジか」