第7章 22
◇
「あははは!」
空中に放られた人形が、リャナンシーと入れ替わったまさにそのタイミング。
ヴィラが左手で引き抜いた銃の照準が、宙を舞う化け物にピタリと重なった。
「っ――!」
躊躇わず、引き金を引く。
瞬く間に四度だ。乾いた銃声が連続的に響き、弾丸は重なりあった淡い残光を残しながらリャナンシーに迫る。
飛行出来る訳でもないリャナンシーが空中において、飛来する弾丸全てを躱すことなど出来やしない。
結果、笑いながら飛び掛かってくるリャナンシーは、放たれた弾丸を残らず浴びた。
腹に二発、右肩に一発、そして額にも一発。
これが常人であれば、致命傷もいいところだ。
「ばぁか!」
だが、このリャナンシーは何の痛痒も感じぬとばかりにそのまま爪を振りかざしてきた。どころか、弾丸の着弾点を確認してもアザ一つ出来た様子はない。
体全体で被さってくるリャナンシーの一撃を体を捌いて躱すヴィラ。
避けられた化け物は続けざまにもう一本の手を振り抜き、それすら避けられたとみるや跳ね上がりながら追撃してくる。
「そんなのぉ!」
腕全体が鞭のようにしなる。
五指それぞれが、別々の生き物のように蠢きながら急所を抉りにくる。
左手に銃を持ったままのヴィラは、身を捩って躱しながら腰の剣を抜いた。白銀に輝く細身の刃が、シャンデリアの灯りをほんの一瞬だけ反射した。
「効かないわぁ!」
眼球を抉る軌道で突き出される左手を、薄皮一枚で回避し、お返しに白銀剣の袈裟懸けを喰らわせるヴィラ。
肉に刃が食い込む確かな手応え。そのまま、鋭く剣を振り抜く。流れるように刃が滑り、一筋の赤い線を残して、
「やっぱリ……!」
いく、――はずだった。
しかし実際には、剣が流れた跡など残っていない。
身体だけでなく、服にすら。
明らかにおかしい。
防御のために何かしらの術を行使しているとしか、思えない状況だ。
「人形を、補充したのネ!」
そしてヴィラも、その事はとっくに知っている。
先の路地裏での戦闘中も同じような事をされていたし、その術についての知識もあるのだから。
「当ーたりぃ!」
「っ!!」
両手揃えて振り下ろされる爪を、無理矢理に剣で受け流す。
ギャリリと不快な音を鳴らしながら滑っていく爪を横目に、ヴィラは相手の空いた脇腹に蹴り足を突っ込んだ。
少女の履いている茶色いブーツの爪先が、ボゴッという鈍い音を立てて肋骨に当たる。
衝撃でリャナンシーが二メートルほど後ずさりし、その隙にヴィラは左手の銃をホルスターに納めた。
リャナンシーが、蹴られた脇腹を押さえながらニヤぁっと嗤った。
「痛ぁーいじゃない」
「嘘つキ」
平然と、そんな事をのたまう。
修一の蹴りと変わらないほどの威力。爪先と踵に鉄板を埋め込んであるブーツを使ってのヴィラの蹴りを喰らっておきながら、リャナンシーはゆらゆらとおどけてみせた。
「嘘じゃないわぁ? 私の代わりにあの子は痛がっているものぉ」
笑いながら駆け寄ってくるリャナンシー。
血のように真っ赤に爪が、上下から襲ってきた。
ヴィラは、下からの爪を踏み付けて弾き、上からの爪に剣の柄尻を当てて止める。
噛み付かれないように間に垂らした刃を挟んで二人の視線が交錯し、その隙を縫うようにしてヴィラの左手が腰の後ろに回る。左腰の後ろに吊ってある短剣を逆手で引き抜き、そのままリャナンシーの腹を真横に斬る。
「っ!」
さらに振り切った勢いから腰を反対に切り返し、膝を沈めながら右手首を返してもう一太刀。
間を空けずの二連撃を放つと、沈めた膝を使って後ろに跳ぶ。
その際、短剣の柄を覆う護拳部分に指を掛けて半回転。
短剣を順手に持ち直したヴィラは、長短二刀流の構えを取りながら呟く。
「痛い思いをさせてるのはアナタでショ」
転嫁人形呪術、と呼ばれる呪術がある。
行使することで、自身の受けたダメージを人形へと移すことが出来るようになる呪術だ。
「だってぇ、人形なんて持ち主のために壊れてくれる存在でしょぉ?」
要するに、このリャナンシーが使っているのはそれなのである。
ヴィラからのダメージをことごとく人形に押し付けているから、この化け物はダメージを負わないのだ。
「身勝手なものネ――!」
敏捷身体強化神術、強靭身体強化神術を素早く唱えたヴィラは、加速呪術を唱えて再度突っ込んでくるリャナンシーを迎え討つ。
爪と白銀剣の衝突で火花が散り、短剣と牙が互いの隙を突かんとして揺らめく。
打ち合う、打ち合う、ひたすら打ち合う。
白銀剣が、爪が、短剣が、牙が。
二の腕を抉り、外腿を掠め、脇腹を裂いて頬を斬る。
鳩尾目掛けた激しい突きを躱し、首筋を食い破ろうとする犬歯を避ける。体勢を崩させようとする膝への蹴りを防ぎ、武装を落とさせるために繰り出される剣を持った指先への一本指突きを白銀剣の鍔で防御。
当たるのも、当たらないのも、数も質も勢いもほぼ同等。
接近戦。ほぼ拮抗した実力で十合二十合と切り結ぶ二人。
「っウ……!」
だが、押されているのはヴィラだ。
小さくとも積み重なっていく傷の分だけ、じわじわと押されていく。
ヴィラは、肉体の怪我を回復している暇がない。例えあったとしても、治癒神術などの回復系統の神術はあまり得意ではないのだ。
対してリャナンシーは、いまだ呪術の効果が継続しており無傷のままである。
拮抗した二人にとって、この差は結構大きい。
「あははは!」
そもそも、だ。転嫁人形呪術というものは、これほど便利な呪術ではない。
本来であれば、一度に使えるのは一回分だけであり、一度ダメージを移すとその時点で人形が粉々に砕けて効果を失うものなのだ。
それをこのリャナンシーは、術式を改造することで効果を変質させ、通常の数倍の魔力を必要とする代わりに、人形そのものの耐久力の限界が来るまで人形にダメージを移し続けることが出来るようにしているのである。
「まだまだぁ――!!」
ちょいとばかしズルいんじゃないかと思うかもしれないが、これは激しく命を取り合うような戦闘だ。
卑怯だの何だのと、そんな言葉が通じる状況ではない。
今、この瞬間においては、目の前の敵を始末する以外に目的はなく、そのための手段は多い方が良い。
そういうものだと、二人ともそう思っている。
「――――人界剣」
そして、ヴィラだって。
「過重縛鎖!」
人の事はいえないのだ。
「っ!?」
斬られた途端、ズシリと身体が重くなる。
蜘蛛の糸に絡め取られたように、見えない鎧を着せられたように。
身体の自由を削ぎ取られた。
天界剣。
人界剣。
獄界剣。
三つ合わせて「三界剣術」と呼ばれるこの技術は、剣での攻撃に特殊効果を上乗せしたり、常識では考えられないような太刀筋を実現したりする事が出来る。
ヴィラの故郷のビアニカ聖国に古くから伝わる剣術流派の一つで、「五勢剣術」と並ぶ古代流派。
達人・ティルトウェイトを師に仰ぎ、血反吐を吐くような修練の末に習得した剣技の数々は、形勢の不利を容易く覆す。
「これデ!」
リャナンシーの動きが目に見えて鈍る。
転嫁人形呪術は受けたダメージを人形に押し付ける事が出来るが、ダメージでないものにまでは効果が及ばない。
過重縛鎖は、重力操作系統の標準魔術に似た効果を発揮する剣技だ。
体感的に重くなる、という状態を、転嫁人形呪術はダメージとして認識できない。
「どうかしラ!?」
左右それぞれの剣を使って一気呵成に攻め立てるヴィラ。
鈍らされた肉体への対応が遅れたリャナンシーは、反撃もままならず防戦一方となった。
腕といわず脚といわず腹といわず、やたらめったら斬り付けられていく。
防御が間に合わなくなったところから青白い肌に刃が食い込み、過重縛鎖の効果が続く数十秒の間に十を越える斬撃を叩き込んだ。
「このぉ……!」
ようやく自由を取り戻したリャナンシー。
憎らしげに、眉を寄せる。
いくらダメージを受けないとはいっても、こうも一方的にやられればフラストレーションが溜まるし、あまりダメージを受け過ぎれば人形が壊れる。
今日は二度も転嫁人形呪術を使ってしまっているのだ。消費した魔力は馬鹿にならない量だし、今度切れたら再行使出来るかも怪しい。
そもそもそんな事させてくれる暇があるとも思えない。そんな事をしていたら、更に奥に踏み込まれてしまうだろう。
リャナンシーとて、それは困るのだ。
これ以上入り込まれると、あとで何を言われるか分からない。
「天界剣――!」
「っ!!」
ヴィラが再び構えを取る。
そうはさせじと全力で駆け寄るリャナンシー。這うように接近しながら服の中へ手を入れて人形二つを取り出すと、ヴィラの左後方と右後方へ、別々に放り投げる。
くるくると宙を舞う人形を無視して、ヴィラが踏み込んだ。
「聖火滅鬼!!」
白銀色のはずの刃が、青白い光を纏って強く輝く。
振り抜かれた瞬間に一際大きく輝きを増し、見ている者の目に焼き付かんばかりの剣線を空中に刻み付けた。
「“チェンジドール”っ!!」
対してリャナンシーは、ヴィラの剣技の発動と同時に呪術を行使する。
放り投げた人形のうちの片方と場所を入れ替わり、撹乱しつつ接近するつもりのようだ。
投げた人形は二つ。
どちらと入れ替わるかは、本人にしか分からない。
「――!」
だからヴィラは、どちらと入れ替わるのかなどいう事は考えない。
考えても分からない事に惑わされるのは、愚かだ。
そんな暇があったら、どちらが来ても対応出来るように準備をしておけばいいのだ。
こんな風に。
「“フォースイクスプロージョン”ッ!!」
「!!」
左後方の人形と入れ替わり背後から攻め込もうとしたリャナンシーが、衝撃に吹き飛ばされる。
自身の肉体を起点にして全方位に衝撃波を放つ、神威炸裂神術。
燃費は悪いが、接近戦で取り囲まれたりした場合に重宝したりする神術である。
「ああ、もうぅ!!」
奇襲を潰された化け物。
たたらを踏みながら、激しく舌打ちする。
こんなものまで使えるのか、と。
実戦レベルで使いこなせるのか、と。
「ふざけ――」
そこに。
――――ドゴォン!
重い物が落ちる音と、それが転がる音がした。
「――わぁオ」
「……嘘でしょぉ?」
ヴィラもリャナンシーも、そちらを一瞥し僅かに表情を変える。
ヴィラは嬉しそうに、リャナンシーは鬱陶しそうに。
「っ!!」
「……!!」
そしてすぐさま、お互い再び向き直って距離を詰める。
こちらも、ちんたらやっていられない。
二人とも、そう思ったのだ。
剣と爪を、遮二無二突き立て合う。
攻めに傾注すればその分守りが疎かになり、必然的に手傷は増えやすくなる。
リャナンシーは、人形が壊れ切る前に。ヴィラは、戦闘後の治療でままならない傷を受ける前に。
決着を、付けようとしていた。
路地裏で、痛み分けした分も合わせて。
そんな二人を横目に、修一は。
「しゃあああああっ!!」
「――――!」
真っ赤な刃の騎士剣を振りかざし、右肘から先を斬り飛ばしたアイアンゴーレムへ更なる追撃をするべく踏み込んだ。