第3章 3
◇
買い物が全て終わり、最後に二人が寄ったのが武器等を売っている店である。
修一が店主に頼んで腰に差した剣を研いでもらうことにしたからだ。
しかし、剣を研ぎ終わった店主が店の奥から出てくると、なにやら困ったような顔をしていた。
「坊主、一体どんな使い方したら、こんなガタガタになるんだ?」
「獣二匹を仕留めたのと、何度か打ち合いをしただけなんだけどな」
「うーむ、信じられん。
武器が耐えられんほどの威力で振るっているのか?
とりあえず研いだが、あんまり期待すんなよ」
剣を受け取った修一は、しっかりと研がれた刃と、刃引きされた側が綺麗に均されていることを確認すると、きちんとお礼を言って店を出た。
武器に興味のないノーラは店の外で修一が出てくるのを待っている。修一が外に出ると、暇潰しなのか、露店のようなところで並べられた商品を眺めていた。
「あ、シューイチさん、終わりましたか。それなら宿に戻りましょうか」
「何を見てたんだ?」
「えっ? これです」
ノーラが手に取ったのは、小さな水晶の付いたペンダントだった。
「おー、綺麗だな」
「そうですよね」
「おっ、そこの少年、可愛い彼女に買ってやりなよ、今なら銀貨五枚でいいからさ」
露店商の男の言葉に、二人が同時に返す。
「よし買った」
「か、彼女じゃありま、ってシューイチさん!?」
驚くノーラを無視し、修一は男にお金を渡す。
それからヒョイっとペンダントを手に取ると、それをノーラの手に置いた。
「まいどありー!」
「さ、帰るか」
「いやいや、待って下さい!」
そのまま歩き出した修一の横にノーラが並ぶ。
「これは受け取れません」
「いらないなら捨ててくれ。返品は受け付けねえ」
「いらない訳じゃなくてですね、こんな……! それにシューイチさん、か、彼女って言われて」
「あんなの取り合ったら余計に邪推されるだろ。適当に相手するのが一番だよ」
「それはそうかも知れませんが」
慌てるノーラに、修一はワザとらしくヘラヘラと笑ってみせた。額の傷を指で掻き、軽い調子で喋る。
「まあ、ノーラからすればいらん誤解は生みたくもないのか。ただでさえ、男女二人で並んでいたら恋人だなんだと鬱陶しい事を言ってくる輩がいるからな。俺のようなクズと恋人だとか言われたら腹も立つよな」
「ク、クズって。自分の事を卑下し過ぎですよ」
「身分的な事を言えばそこら辺の奴らより下だと思うけどな。なんせ別の世界の人間だ、戸籍なんて存在しない。
ま、この世界に戸籍があるのかは知らんがね」
「……」
修一の態度から、適当な事を言って誤魔化すつもりだと判断したノーラは、手に持ったペンダントに目をやる。
透明な水晶が陽の光を反射してキラキラと輝き、銀色の細いチェーンもよく磨かれているのか同様に光っている。
このペンダントを綺麗だと思ったのは事実だ。
修一に返そうにも、受け取るつもりはないらしい。
自然と深いため息が漏れた。
「はあ、分かりました。受け取りますよ」
「さすがノーラ」
「でも、もうこういう事は止めて下さいね」
「あいあい」
二人は宿に戻ると、一度公衆浴場に行くことにした。鯨亭には客用のシャワーはあるのだが、きちんと体を洗うためにも浴場へ行くことにしたらしい。
ノーラの魔術で大体の汚れは落とせるのだが、細かいところや汚れが酷いところはどうしても落ちにくいため、機会があるなら浴場を利用するべきなのだ。
公衆浴場はまだ本日の営業を始めたばかりなのか、誰一人客が来ていなかった。
修一は、大きな湯船に感動しつつ体を洗う。
暑さは気にならないが、汗をかかない訳ではないので埃とともにゴシゴシと洗い落とす。
それから湯船に浸かって手足を伸ばすと、あまりの気持ち良さに変な声が出た。
「はああぁぁぁあああ……、ん、そうだ」
ついでとばかりに修一は右手の指を打ち鳴らす。
パチンという音とともに、湯船のお湯の温度が急上昇した。
「きゃあ!! な、なんで急にお湯が……!? まさか、シュ、シューイチさーん!!」
と、同時に、隣の女湯からノーラの悲鳴が響いた。
「あ、やっべ」
どうやら、湯船のお湯はつながっていたらしい。
「信じられません! いきなりあんな事をするなんて!」
「いやー、悪かったってば」
「誠意が篭ってません!」
現在二人は湯から上がり鯨亭に戻っているところであるが、いまだにノーラの怒りが治まらない。
「ついつい気を抜いちゃったんだよ、それでいつもの様に熱い風呂に入ろうかと」
「いくらなんでも熱すぎですよ! 一体何度にしたんですか!?」
「五十度くらいかな」
「ふざけてるんですか!!」
お互いに、先ほどからずっとこの調子である。
ノーラは怒りっぱなしであり、修一は適当に謝り続けている。
「いい加減、機嫌を直してくれよ、……ん? なあ、ノーラ」
「何ですか」
「アイツらって、何者だ?」
修一の指差す先では、何人かの男たちが何かを探すように辺りを見回しながら道を駆けている。
男たちは皆、似たような黒っぽい服装をしており、顔つきや雰囲気から察するに、はっきり言ってまともな職種に就いた人間には見えない者ばかりだった。
「あれは、――おそらく、カズールファミリーの構成員ですね」
「カズールファミリー?」
「簡単に言えば、この町を取り仕切るギャングたちですね」
「…………へえ」
ギャングという単語を聞いた途端、修一の態度が変化した。
先ほどまでの適当さはなくなり、どこか好戦的な薄い笑みとともに目が細まる。
「シューイチさん?」
「……いや、何でもない。
そうかそうか、この町にもギャングがいるのか。それなら、絡まれない内にさっさと帰ろうか」
そう言って、ノーラの返事を待たず、足を速める。
ノーラは、突然の修一の変化に戸惑いながらも、遅れないように付いて行く。
結局その後修一は、鯨亭に着くまでの間一言も喋らなかった。
いつもの様子に戻ったのは、夕食を食べることになったころだ。
「あむ、はぐ、うん、ここの飯は、はむ、美味い。あ、おかわりー」
「シューイチさん、食べながら喋らないで下さい」
ノーラは、昼にあれだけ食べたのにまだ食べるのかと呆れたが、いつもの様子に戻った修一に一安心もした。
ただ、それとは別の話として。
「おかわりは禁止です」
「えー」
「お風呂の件の罰です。それに、もう十分食べたでしょう」
「うっ、それを言われると仕方ないか。ごちそう様でした」
流石に罪悪感を感じていた修一は、素直にノーラに従って手を合わせる。
柔らかな明かりを灯す魔導ランプを見ながらお茶をすすっていると、一人の男がドアを開けて店内に入ってきた。
その男は、夕方に見かけたカズール組の者たちと同じ姿をしていたため、修一はすぐにその男が何者なのか理解した。目を眇め、男の様子を窺う。
店内の客たちは男の姿を見ると声を潜め、下手に絡まれないように顔を下に向けた。
一瞬で店内が静まり返る。
「おい、この店の人間はどこにいる?」
「私だよ、私に何か用かい?」
店のおばちゃんが男に応対する。
男は客たちの不安を余所におばちゃんに二言三言質問し、その答えを聞くとすぐさま店を出ていった。
客たちの口から安堵のため息が漏れ、店内に再び活気が戻っていく。
「一体、何だったんでしょうね」
「さあて、ね。おーい、おばちゃーん!」
修一が声を上げ、おばちゃんを呼ぶ。
「なあなあ、さっきの男は何を言ってたんだ?」
「シューイチさん、そういう事を聞くのは」
ノーラがたしなめるような言葉を言おうとしたが、おばちゃんは気にした様子もなく答える。
「いや、構わないよ。何でも、人を探しているらしくてね。灰色のマントを羽織った者を見かけたら隠さずに教えろ、だってさ」
「なるほど。
それで人のいそうなところを手当たり次第に探してるって訳ね。
教えてくれてありがとうな、おばちゃん」
お礼を言われたおばちゃんが仕事に戻る。
修一は納得したように何度も頷いていたが、対面に座っているノーラは不安に思う。
にこやかに笑いながらも、修一の目は笑っていなかった。
まるで、獲物を見つけた猛禽類のような獰猛な目をしていたのだ。
それが理解できたノーラは、修一に問う。
「シューイチさん、何故そんな事を聞くのですか?」
「ん? ほら、ギャングなんて危険な奴らがいるなら、気を付けるに越したことはないだろ? 何か理由を持って動いているんなら、そいつらの邪魔をしなけりゃ絡まれることもないだろうしさ」
修一の言っていることは、理屈の上では間違っていない。
しかし、それでもノーラの不安は消えない。それどころか益々大きくなっていく。
「……分かりました。明日は部屋でゆっくりと体を休めて、明後日にはこの町を出発しましょう。
買い出しなどは今日の内に終わっていますので、特に用事がなければ静かに過ごして、カズールファミリーに会わないようにしましょうか」
「そうだなあ、それが良いと思う」
腕を頭の後ろで組み、椅子の背もたれに体重をかける修一。
その視線はどこを向いているのかよく分からない。
修一の態度を見ていて、ノーラは思う。
ひょっとして修一は、ギャングに対して強烈な敵対心を持っているのではないか、と。
ノーラにはその理由は分からない。
おそらく元の世界で何かあったのではないか、と想像する程度だ。
だからこそ、分からないからこそ、修一に問う。
「シューイチさんは、どうしてギャングが嫌いなんですか?」
「うん? アイツらの事が好きな奴っているの?」
一瞬、不機嫌そうな声を出す修一。
「そういう意味ではありません。
普通の人はもっと恐れたりするものですが、シューイチさんは、まるで親の仇でも見るかのような目でカズールファミリーの男を見ていました」
「……!」
修一は少しだけ驚いたようにした後、笑みを浮かべる。
「へえ、よく見てるじゃん。ノーラって意外と鋭いよな。……まあ、単純に気に食わないんだよ。アイツらみたいなのがデカい顔してのさばってるってのが」
「それは、分かりますが」
言い淀むノーラの言葉を遮るように修一は手の平を前に突き出す。
「――心配しなくていい。俺は今、ノーラの護衛をしてるんだ。アイツらにケンカ売ったりはしないさ」
そう告げた修一に先ほどまでの獰猛な雰囲気はなくなっていた。
だからノーラは、それ以上の追及をしなかった。
いや、できなかったのであった。
◇
「……んう、……ん?」
寝ぼけた頭を覚醒させ目を開く修一。
床に敷かれた毛布からすっと体を起こし周囲を見回してみる。
今、修一がいるのは鯨亭の二階の一室。
昨日町に着いたときに借りた部屋である。
自分たちの荷物と、ベッドの上で気持ちよさそうに眠るノーラを確認する。
――異常はない、な。……しかし、気持ち良さそうに寝てるな。今まで野宿してた時は気にならなかったけど、男女が同じ部屋で寝るとなるとやっぱり誤解されると思うんだけどな。ノーラはそこら辺の事は気にしないのかな?
思い出されるのは、昨日の寝る間際のやり取りである。
部屋の外でドアの横にでも座って寝ようとした修一に、部屋の中で寝て下さい、とノーラが言ったため、そこから十分間ほど話し合いになった。
そもそも修一がこの部屋に決めた理由は、治安の悪いところに行きたくなかったからである。
護衛をする以上はノーラには安全な所で休んでもらいたいし、そのためなら一人部屋になって自分がベッドで寝れなくても問題はないと思ったのだ。
更に言えば、ノーラと同じ部屋で寝るという事に気恥かしさを感じたため、部屋の外で寝る口実を作ろうとしたのである。
しかし、ノーラがどうしても折れなかったため、結局修一は部屋の床に毛布を敷いて寝ることになった。
ノーラがそこまで頑なだった原因が修一には分からなかったが、無理からぬことである。
昼間に門番に言われた事を気にしていたノーラは、ここで一人で寝てしまえば修一と一緒にいるのが恥ずかしいのだと認めているようなものだ、だから一緒の部屋で寝なければならないという自分でもよく分からない結論に至っていたのだ。
そんなもの、分かるはずもない。
ともあれ、結局意識してしまって遅くまで寝つけずにベッドの上で息を殺していたノーラと違い、多少の気恥ずかしさはあれど寝るとなったら直ぐに寝ることが出来る修一は、最低限周囲の警戒をしながらも屋根の下で休める安心感の中静かに寝ていたのだ。
完全に目が覚めてしまったため、そっと起き出して窓を開く。
外から夜の涼しげな風が入り込み、修一の黒髪を撫でる。
現在の気候は日本でいうところの晩夏辺りで、日中は太陽が照りつけて気温が上がるが、夜になれば自然と気温が下がり、秋を思わせる涼しい風が吹くのだ。
日本にいたころとほとんど変わらない気候である。
そして空に目を向けてみれば、欠けた月が浮かんではいるが東の空が少しずつ明るんできており、もう一、二時間もすれば夜が明けるだろうことが窺える。
折角目が覚めたのだから剣術の鍛練でもしようかと思いながら、修一がふと下を見ると、宿の出入口の近くに変なものが転がっていることに気付く。
大きな布の塊が丸まっているように見えるが、それが一体なんなのか分からない。
しかし、その塊がごそりと動いたことからその正体に気付く。
「あれは、もしかして人間か?」
――死んじゃいないだろうが、宿の前で寝られると迷惑だな。
そう考えた修一は、慣れた動作で窓枠に足を掛ける。
「よっと」
そして小さな掛け声とともに、窓から飛び降りたのだった。