第7章 19
◇
修一にとってその再会は、特段なんらかの感慨を伴うものではなかった。
関わった時間も短く、交わした言葉も少ない。
名前さえ確認していなかったわけだし、そもそも、まだこの町に留まっていることすら知らなかった。
あと数日も会わなければ記憶の彼方に忘却されていたかもしれない、というのが、正直な話である。
無論、髪と瞳の色が珍しかったということは何となく記憶に残っていたし、イントネーションが少しばかり変わっていた事も覚えていたといえばそうなのだが、言ってしまえばそれまでである。
だから修一は、ふと向けた視線の先にその人がいて、しかもその人が、細くて人通りの少なそうな裏路地に隠れるようにして身を滑らしていったのを見つけたのは、誠に偶然であったと思う。
騎士団本部からの帰り道。
会議の内容に関するいまいち要領を得ない説明と、早く家に帰って大人しくしていろという忠告を、デザイアから受けた修一。
本部を離れて家路に就いたのが何分か前、現在は商店や旅館、一般的な住宅が立ち並ぶ区画を歩いているところであった。
修一の中に、燻っているものがなかったといえば嘘になる。
ここ数日の、心を苛んだ出来事の数々。
ノーラとその家族の相手をしたこと、遅々として進まないレイの受け入れ先の確保、魔術師ギルドの連中に馬鹿にされたこと、自身の目的を達することが出来るかまるで分からないこと、石蕗の家でのレイとの一件、魔術師隊の隊長が不在で肩透かしを食らったこと、エイジャに会えなかったこと、デザイアから納得のいかないことを言われたこと、もっと遡れば、――全力を出して尚、師匠に完敗したこと。
ここ数日は、まさに上手くいかない事の連続であった。
修一とて、人生がそうそう上手くいくものではないことは理解しているし、精神的に、肉体的に、疲弊して苦しくなるときというのは来るものだと、分かっているつもりなのだ。
ただ、だからといって修一が、まだ、十八歳の少年が、そうした理不尽全てを呑み込んで、気にせずにいるということが出来るわけではない。
心の中で、澱みのようなものは溜まっていくし、それはいつか溢れ出す。
通常人は、それをストレスであると定義付けて扱うこともあり、そうした、所謂ストレスを発散するための方法は、各人の自由意思と感性によって個々人がやりたい手法を取る。
自棄食いをする者もいるだろう、汗を流す者もいるだろう、趣味に打ち込む者もいるだろうし、ひたすらに泣くという者だっていてもおかしくはない。
そして修一は、自分では恥ずかしがってあまりそうだと言わないが、その本質は、自他共に認めるお人好しだ。
困っている人が目の前にいれば首を突っ込まずにはいられない性分。
理由などいちいち考えず、取り敢えず助けたらいいんだよ、という思考が根底にある。
それは、厳しかった祖母の躾によるものか、父親の生き様と背中を見て育ったことによるものか、はたまたそういった事情は一切関係なく、ただただそういう風に育つべしの人間だったのかもしれない。
つまり、何が言いたいかといえば、修一にとってストレスの発散とは、誰かのために何かをすることでもある、という事だ。
だから、ヤンチャな言い方をすればムシャクシャしていた修一は、当然のように、たまたま目に入ったその人を追うことにした。
ノーラたちには詳しい話をせず、ちょっと野暮用だから先に帰っておいてくれよ、だけ告げた。
そんなに長い時間が掛かるとも思っていなかった。
ちょっと、そっちの道はアホみたいな奴らがいるぞ、と、用事がないなら引き返した方が良いぞ、と、教えてあげるだけのつもりであった。
それ以上、道案内が出来るわけでもない修一にとって、出来ることもないだろうと、そう思っていた。
その人を追うようにして、細道を進む修一。
思ったより歩くのが早いのか、なかなか追い付けずに困っていると、ようやくその背中が見えた。
近付いていって、声を掛けようとする。
すると。
「さっきから、何の用かしラ?」
相手の方から声が掛かる。
振り返りもせず、発せられたのは冷たい声。
修一は、相手を警戒させないように離れた位置で立ち止まり、声を張った。
「悪い! こんなところに入っていくのが見えたから、一応忠告しとこうと思っただけだ。この道には、アンポンタンな連中がたむろしてるから、用事がないなら通らない方が良いぞ!」
「ああ、そうなノ」
その言葉でようやく振り返り、修一と顔を合わせる。
「……」
薄い紫色の髪、同じ色の瞳、白い肌に桜色の唇。
身長は比較的高めで、スレンダーな身体付き。
年齢は十代後半くらい、ちょうど、修一と同じくらいに見える。少女といっても差し支えない。
来ている服は神官服のようにも思えるが、修一は見たことがないデザインだ。
腰には細身の剣の他にもジャラジャラと色んな物を吊っているし、両肩から両脇にかけて、ホルスターのような物が通っている。
「あら、アナタ……」
漏れる呟き。
何かを思い出したような表情とともに頬に手を当てる。
「よう、えっと、……久し振り? この前は助かったよ」
「……ああ、あの時ノ」
修一が誰か、はっきり思い出したようだ。
警戒していたような雰囲気が少し和らいだ。
「驚かしたみたいで、すまんかった」
「いいえ、それは構わないのだけド……、もしかしテ、その為だけにワタシを追ってきたノ?」
「おう、たまたま目に入ったからな」
「……」
若干呆れたような表情を浮かべる少女。
そんな理由でわざわざ追ってきたのか、と言いたげである。
「アナタ、 前も思ったんだけど、暇なノ?」
「暇じゃねえよ。暗くなる前に家に帰ってる途中だったよ」
「とてもそうは見えないワ……」
そう言われても、そうなのだから仕方ない。
「で、アンタはどうしてこんな道に? さっきも言ったけど、話の通じない馬鹿とかが出るから、用事がないなら通らない方がいいぞ」
「用事は、……有るのヨ」
なんだそうなのか、と修一は思う。
それなら余計なお世話だったかな、とも。
「そうか、それなら良いんだけどさ」
「ええ、……ねェ」
「ん?」
少女は、真面目な顔と諭すような口調を修一に向けた。
「アナタ、もう少し気を付けて行動しないと、いつか大変な目に遭うわヨ?」
「……」
修一は、一瞬黙り、それからハッ、と笑う。
「心配してくれてありがとう、だ」
「……」
「でも、今更なんだよな、それ。大変な目になら、既に遭っている」
「……とハ?」
――死んで、こんな世界に来ちまったんだから。
内心でのみ、思う。
そして言葉では、もう少し歪曲した表現を。
「……なんだかんだで、こんなところにまで来ちまったからな。これ以上大変な目になんて、そうそう……?」
そこまで言ったところで修一は、目の前の少女の変化を感じた。
雰囲気が変わった。
最初に声を掛けてきたときよりも更に強く、警戒心を露にしていた。
いや、警戒心ではないか。
戦意を、滾らせていた。
「おい……?」
修一の呼び掛けに答えず、少女は静かに、腰の剣に手を掛けた。
視線は、すでに修一を見ていない。
修一もそこで気付いた。
周囲の熱を感じ取ったのだ。
「……囲まれてんのか」
「そうネ」
少女の声。
あらゆる感情を排したかのように、冷たいものになっていた。
修一も、瞬時に戦いの姿勢に移る。
いつでも、どちらにでも動き出せる姿勢だ。
「こんな連中に囲まれる心当たりは?」
「有るワ。私は、コイツらの主を追い掛けてきたんだもノ」
「……そうか」
ゆるりと、騎士剣を引き抜く。
同じく少女も細身の剣を引き抜き、示し会わせたように修一と背中合わせになる。
「しかし、こんな町中で」
「……」
修一の言葉に誘われたのか、小道の陰から人影が。
ただしそれは、普通の人間ではなかった。
「――――」
言葉すら発せず、グロテスクな色の体表を晒していた。
腐った肉の臭いを漂わせる、動く死体。
「ゾンビが、出てくるのかよ」
解せぬとばかりに呟く修一。
少女が、それに答える。
「呪術で造れるかラ。材料さえあればだけド」
「……材料っつうと」
「人間の死体ヨ。多分、さっき言ってたアンポンタンたちを、その場で刻んで材料にしたみたイ」
「……」
修一の双眸に、燃えるような怒りが灯る。
「それをやったのが、アンタの追ってる奴なのか?」
「足止めのつもりのようだワ」
「クソッタレめっ……!」
そこまで言うと二人は、目の前から迫ってくる動死体たちにそれぞれ斬りかかる。
修一の振るう銀の刃も、少女の振るう白銀の剣も、一太刀の無駄もなく化け物どもを斬り裂き、腐った血肉を、路地の壁に撒き散らしていった。
鎧袖一触。
動死体たちは、あっという間に地に伏し、再び動かなくなる。
もう二度と、立ち上がることもないだろう。
二人は、自分の目の前の敵がいなくなると向き合う。
「その、追ってるやつというのは人間か? それとも化け物か?」
「……人間ではないわ」
「じゃあ、俺も追う」
「本気なノ?」
おう、と頷く修一。
そこに散らばっている死体たちの元が、例え話の通じないような阿呆であったとしても。
それは、修一には関係のない話だ。
「人を殺した化け物だ。絶対に許さん」
簡単に人を殺せるような化け物が、この町にいるなど。
修一には、我慢ならないらしい。
「…………」
少女は明らかに難色を示している。
が、修一も引かない。
ただでさえムシャクシャしているのだ。
こんなところでは引けなかった。
「邪魔にはならねえようにする。自分の身は自分で守る」
「……アナタ、どれくらい戦えるノ?」
「オーガバーサーカー? ってのなら倒せる。あと、この間幽霊船の船長を倒した」
「幽霊船って……、もしかしてウェイトノットスライス号?」
そう、そんな名前だった、と頷く修一。
その瞳に、嘘を言っているような感じはしなかった。
「そう、アナタだったのネ……」
「支援呪文はたくさん掛けてもらってたけどな」
「…………」
少女は数秒悩む。
そして。
「何の報酬も渡せないわヨ?」
「いいよ別に」
「命の危険もあるワ」
「いつものことだな」
「本当に恐ろしい化け物を、相手にすることになるノ」
「……そんな奴が、この町にいるってんなら」
修一が、力強く告げた。
「なにがなんでも、倒さないとな」
「……そウ」
このとき修一の頭の中では、十数分前にデザイアから受けた忠告が反響していた。
お前は気にしなくていいから、早く帰ってジッとしてろ、と。
修一は、それを記憶の奥底にしまいこんだ。
もう既に、目の前には問題が転がっている。
それを無視することは、今の修一には出来そうになかったからだ。
「それに、だ」
「?」
「今度会ったら、お礼をするって言ってたしな」
「……!」
「こうして再会したんだ。お礼、させてくれよ」
「……はぁ、まったク」
少女は困ったように微笑んで。
「じゃあ、お言葉に甘えるワ」
「おう、任せとけ」
そうして、手に持った武器を納め、駆け出す二人。
修一が前、少女がその後ろ。
少女の案内に従いながら、修一は薄暗い路地を駆ける。
「そういやあ」
「何かしラ?」
「名前、聞いてなかったよな?」
「……そういえば、そうネ」
「俺は、白峰修一。アンタの名前は?」
「ワタシは、…………ヴィラ、とでも呼んでちょうだイ」
「分かった」
二人は、沈み行く太陽と、登り始めた満月から隠れるようにして、裏道を進む。
途中何度か似たような妨害を受けながらも、二人の戦闘能力はそれをものともしない。
ヴィラは、自らの身分について、聖国の神官であると名乗った。
修一には、その国がどこにあるのかとか、それがどういう意味を持つのかとかいう事は分からない。
ただ、ヴィラは強かった。
身のこなしは相当なものだったし、神術の威力も高い。
腰には銃と砲弾も吊ってあって、歌や調合だって得意だという。
なにより。
彼女が使う剣技は、少々特殊であった。
「人界剣――」
何度目か分からぬ戦闘。
修一が前を詰めて敵を押し込み、その間にヴィラが少し後ろで構えを取る。
使う剣技に合わせた精神統一と構え。
それによって生み出されるのは、剣技の枠を越えた一撃だ。
「過重縛鎖!」
唱え、同時に駆け寄っていくヴィラ。
修一が押し込んだ敵に目掛け、舞うような軽やかさで詰め寄り、斬りかかる。
斬られた動死体はその途端、もともと鈍かった動きが輪をかけて遅くなる。
これが生身の人間であればすぐに気付いたであろうが、斬られたことで、纏わりつくような重さが、体を包み込んだのだ。
「おらあっ!」
そこを、容赦なく斬り払っていく修一。
ただでさえ動きの遅い動死体だ。
もはや巻藁と変わらない。
目障りで、いちいち戦うのが鬱陶しいということ以外なんの苦もなく戦闘を続ける修一たち。
それでも、ゾンビどもが現れるたびに修一のフラストレーションは、どんどんと溜まっていっている。
出てきたゾンビどもは、イコールその場で殺された誰かなのだ。
気分良いわけがなかった。
「本当に、しつこいわねぇ」
だから。
「……おっ?」
「小細工は止めにしたノ?」
追いかけていたはずの相手が、少し先でこちらを待ち構えていたのを見て、修一は知らず知らず笑ってしまっていた。
やっと。
掛かってきやがったか、と。
「もう、小細工も必要ないものぉ」
そう言って向かい立つのは、真っ白い髪に、真っ赤な瞳。
夜のように黒い服を着た女。
リャナンシーだ。
修一が、テグ村で戦ったのとは、また別の。
「だってもう、揃ったみたいだしぃ」
浮かべたのは、嘲るような笑い。
そして、その後ろから更にもう二体。
「うふふ」
「あはは」
また別の。
合わせて三体。
「……なんでもいいよ」
全身から殺気を放射する修一は、
「お前ら全員、叩っ斬ってやるから」
臆することなく、斬り込んでいった。