第7章 18
◇
「取り敢えず、お互い自己紹介しない?」
という提案が、赤髪の優男から出てきた。
それもそうだな、という雰囲気となったため、まず言い出しっぺの男が胸に手を当てて名乗る。
「僕の名前は、アレックス・アークフレアと言います。第一騎士団の団長を務めさせてもらっています」
「そうか、俺は白峰修一だ。デザイアとかエイジャとか、……ゼーベンヌとかとは仲良くさせてもらってる」
「へえ、そうなんだ」
「ああ」
赤髪の男ことアレックスは、そう言ってふわりと微笑む。
エイジャのようなにこやかな笑みではなく、爽やかさの中に穏やかさの滲む、見るものを包み込むような包容力のある笑顔だった。
「儂は、第二騎士団団長、ブライアン・ベルガモットじゃ」
「私は、ノーラ・レコーディアと申します。騒がせてしまい申し訳ありません」
「いやいや、こちらの者こそ……、レコーディア? はて、もしや貴女は、レコーディア商会の縁戚にある者ですかな?」
「はい。セドリックは私の父ですね」
「おお、なんと!」
ブライアンは「貴女のところには常々お世話になっておりますよ」と、恭しく頭を垂れる。
慌てるノーラを横目に、デザイアが口を開いた。
「さきほどシラミネに絡んでいたのが、チャスカさんという人だ。第三騎士団の団長をしているな」
「ふーん、あ、僕はメイビー、宜しくねー」
「ええ、改めて宜しくね。……しかし、チャスカ団長は相変わらずですね」
「ん、ああ、あの人はな……」
ゼーベンヌが眉を寄せて呟くと、デザイアも困ったように同意した。
チャスカは下の者に厳しい性格のため、大抵の団員たちから疎まれているのだが、本人もそれを分かったうえで敢えて悪ぶっている節があるのだ。
昔からの付き合いがある者たちはその事を察して理解しているのだが、ゼーベンヌのように入団から数年しか経ってない団員たちにはその事実は浸透していない。
よって、彼に対するイメージは、「気難しくて意地の悪い上司」というもので固定されてしまっている。
彼の風貌そのものも、そのイメージに拍車を掛ける要素となっているのだからどうしようもない。
そうした諸々を、デザイアが簡単にでも説明しようとするのだが。
それより先に最後の一人が自己紹介を始めてしまった。
「アタイは第六騎士団の団長だよ! 名前は、ファニーフィール・フル・フェルマーフォーム! ところでそこのお嬢ちゃん、貴女のお名前なんてーの?」
「? …………わたし?」
「そう! 貴女!」
「…………レイ」
レイが名乗ったとたん、ファニーフィールの目がフニャリと弛んだ。
「ねえ、レイちゃん?」
「…………」
「高い高いして良い?」
「…………? ……うん」
「わあっ!!」
興奮したように大声を出すファニーフィール。
声に釣られたのか、背中の羽がバサリと動いた。
それに驚き思わず修一の後ろに隠れようとするレイを、機敏な動きで近寄ったファニーフィールが抱え上げた。
修一が何か言う間もなくレイを持ち上げたファニーフィールは、そのままクルクルと回り出す。
目だけでなく、表情までだらしなく弛みきっていた。
「あぁん、ウチのチビちゃんたちも可愛いけど、レイちゃんだってとっても可愛い!!」
「…………」
レイは、いつもの無表情のまま振り回されている。
嫌がっているのか楽しんでいるのかすら分からない。
「かーわーいーいー!!」
ファニーフィールは一頻り回り終えると、レイをぎゅうっと抱き締める。
情熱的なハグである。
自分の胸にレイの顔を埋めているため、レイは少々苦しそうにしていた。
「…………」
やがて、満足したのかそっとレイを床に下ろすと。
「ふぅ……」
「…………」
やり切った感のある表情を浮かべながら艶っぽい息を吐いた。
「気持ち良かった……っ!」
「姐御、その発言はちと危ない」
すかさずブライアンが諫めるが、ファニーフィールは聞く耳持たずルンルンとした様子である。
「ブライアンちゃん、アタイのどこが危ないってのさ」
「強いて言えばその表情が」
「可愛らしすぎて?」
「百三十八歳とは到底思えぬ発言ですな」
淡々と容赦ない言葉。
ファニーフィールは流石にムッとするが、これ以上言い合っても勝てない事は知っているため、言い返さない。
「ふん、いいよーだ」
その代わりにと、次は修一に狙いを定めた。
「今度はシューイチちゃんにするから」
「……ちゃん?」
「ね、シューイチちゃん?」
「!?」
途端に修一の背筋をゾワッとしたものが駆け抜ける。
何故か。理由ははっきりしている。
ファニーフィールの向けてきた目が、レイに向けていたものと全く同じものだったからだ。
五歳の少女に対するものと同じ。
可愛くて仕方のないものを見る目だ。
この歳になってそんな目で見られるなど、考えたこともなかった。
「ちょーっと、しゃがんでちょうだいよ」
「……なんでだ?」
「良いから良いから、ほら」
果てしなく嫌な予感がする。
「嫌だ」
だから修一は、はっきりと拒否した。
「ええー、ダメー?」
「ああ、悪いけど」
「どうしても?」
「どうしても」
「絶対に?」
「絶対に」
「むー」
ファニーフィールは諦めきれない様子だ。
「アタイ、痛いようなことはしないよ?」
「痛くなければ良いってもんでもないだろ」
修一は、これ以上付き合ってられないとばかりに首を振った。
「デザイア」
「ん、どうした」
「エイジャが帰ってくるまで銃砲隊の訓練所で待たせてもらうつもりなんだが、お前も来るか」
「ふむ」
デザイアは、あごに手を当てて数秒ほど思案する。
「……まずは装備を取ってこないとならんな。先に行っててくれ、俺も後から向かう」
「あいよ。それじゃあゼーベンヌ、訓練場とやらに案内してくれよ」
「分かったわ」
頷くゼーベンヌ。エナミに向けて軽く頭を下げると、本館の玄関に向かって歩き出した。
修一はレイを抱き上げてそのあとに続き、メイビーは手を振って、ノーラは全員に対して会釈をしてからゼーベンヌに続く。
「先のとおりだ。俺も失礼するぜ」
青髪の青年は自分の執務室に置いている二本の剣を回収するべく、自分の執務室に向かう。
「行っちゃいましたね」
「そうやにゃあ」
赤髪の優男がそう言うと、褐色肌に刃物傷の男が頷く。
「さて、儂らも装備を着けておこうかの。――いつでも戦えるように」
「そうねー」
白髪の大男の言葉に翼人種の女が同意したところで、各々が自室に戻ることにし、その場はお開きとなった。
「それんしたち」
自室に戻る途中の廊下、エナミが、ガリガリと頭を掻いて呟く。
「デザイアもなかなかゆーたもんや」
会議の内容。
それを思い出しての事だ。
「なんぼゆーたち、今日かえ」
ぼやくエナミ。
「ジュークも帰ってこれんし、よいよいかん」
それというのも。
「陽が沈んだら襲うち来るらあ言われても、やりにくいわえ」
あと数時間で、この町に、化け物どもが、襲い掛かってくるというのだ。
悍ましき者たちが。
手勢を率いて。
人に仇なすために、この地へと。
まったくもって、どうしようもない話である。
本来なら。
「まあ、えいわ」
ただ、エナミの声に悲壮感など欠片もなく。
「やるこたあ変わらんき」
代わりに滲むのは、微かな怒りだ。
「デザイアは気合い入っちゅうし、チャスカさんらあ本気も本気や。他のもんもそうやし、役員のお爺どもも本腰入れちゅう。ここに来るらあ、――のぞむところよえ……!」
エナミは、自らの執務室に入ると、自慢の大槍を掴む。
「しゃんしゃん掛かっちこいや、バケモンども」
そして、漲る戦意そのままに、言葉を吐き捨てた。
「一匹残らず、始末しちゃらあ」
と。
◇
「ただいま、ゼーちゃん」
「あ、お帰りなさい、隊長」
夕暮れ時、訓練室に併設された執務室、すなわち普段エイジャが使っている方の執務室にその主が帰ってきた。
ゼーベンヌは自分の机の上で行っていた作業から目を上げ、立ち上がりつつ上司に言葉を返す。
その様子を見て、軽く目を細めて微笑むエイジャ。
「変わったことはなかったかい?」と尋ねながら、自分の席に歩み寄っていく。
「シューイチたちが来ていましたよ」
「えっ? 本当に?」
と、部下からの思わぬ返答を受けて驚いたような表情で立ち止まる。
ゼーベンヌは、少しばかり残念そうに続きを述べた。
「はい、隊長が帰ってくるのをここで待っていました」
「いました、って事は」
「三十分ほど前に帰りました。デザイア団長にも来ていただいて、お話ししながら待ってもらっていましたが、あまり長居するわけにもいかないと言って」
そこまで言われてエイジャも、残念そうに苦笑い。
「そっか、入れ違いになっちゃったんだね。残念だよ」
と、言いつつ、改めて自分の席に着く。
机の上に置かれている紙袋の中を覗くと、嬉しそうに声をあげた。
「あ、頼んでたやつ、ちゃんと買ってくれたんだね」
「はい。メモのとおりに買ってあるはずですが、一応確認を」
「了解了解」と頷きつつ、紙袋の中に入っている物を順番に取り出していく。
大半は、液体の入った小さな瓶だ。
ラベルと、中に入った液体の色の違いから、いくつか種類があると分かる。
また、その他にも、銃に使うための特殊な弾丸、中からサラサラという音が聞こえる完全に密閉された箱、針と糸、魔晶石、軟膏、手鏡、釘、等々。
「うん、全部有るよ。ありがとね、ゼーちゃん」
礼を言い、紙袋一杯に入っていた諸々を腰のポーチやホルスター、ベルトや靴の隙間、服に縫い付けてある隠しポケットなどに納めていくエイジャ。
余ったものは、机の引き出しに放り込む。
「どういたしまして。……ところで」
「ん」
そんな彼に対して、ゼーベンヌは問い掛ける。
「隊長は、今までどちらに?」
「……んー」
少しだけ、悩む素振りを見せるエイジャ。
それでも、部下から真剣な瞳で見つめられていると分かると、素直に行き先を告げた。
「フー様のところだよ」
「フー様……は、斥候隊の隊長でしたよね」
「うん」
「一体、どういった用件で……?」
「……」
このゼーベンヌの問いは、おそらく確認のためのものなのだろう。
そう感じたエイジャは、質問には答えず問い返した。
「今日、デザ君たちが朝から会議をしてたよね」
「はい」
「その内容、デザ君から聞いたりした?」
「……はい。シューイチたちも居ましたのではっきりとはおっしゃりませんでしたが……」
「そう」とだけ頷く。
ゼーベンヌは言葉を切って発言を待つが、エイジャは優しく微笑んだまま、黙り込んだ。
「……」
「……」
ゼーベンヌは、じっと待つ。
昨日の夜から聞きたかったことも脇に置いて、じっと。
やがて、ゼーベンヌの心がじわじわと焦れ始めたころ。
「人を、探してたんだ」
エイジャは口を開いた。
「……人、ですか」
「うん。女の人」
「……」
これだけでは、言葉が足りないだろう。
ゼーベンヌの僅かな表情の変化を認識しつつ、エイジャはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ちょっと、聞かなきゃいけないことがあってね。俺一人で探すのは骨だから、フー様に手伝ってもらって探してたんだよ。それで、集めた情報を選り分けてたら、いつの間にかこんな時間になったってわけ」
「……それは、今日の事に関係あるのですか?」
「有るよ。きっとね」
自信に溢れる上司の態度に、ゼーベンヌは何と返せばいいか分からない。
ただ、「はあ……」とだけ返しておいた。
「……もう、会いにいくのは無理そうだから、結局無駄になりそうだけどね」
「……えっ?」
それはどういう意味か、と、尋ねる前に。
――――チリリリリリン、チリリリリリン。
エイジャの懐から、鈴を鳴らしているかのような音。
二人は無言となり、エイジャは懐から鏡を取り出す。
鏡面を指で叩くと、そこに写るのはよく知った顔だ。
《エイジャ》
「ん、なんだい」
鏡の向こうの、青髪の幼馴染みは。
《もうじき来るぞ》
とだけ告げた。
そしてエイジャも、「りょーかい、デザ君」とだけ答え、通話を終える。
「……ゼーちゃんさ」
「……なんでしょう」
「その、机で折ってるの、折り紙ってやつ?」
エイジャは、ゼーベンヌの机の上に飾られたバラの花と、折りかけの鶴を指差して問う。
「シュウ君から、教えてもらったのかい?」
「そうです、が、それがなにか?」
「いやいや、確認しただけだよ」
「……」
ゼーベンヌの心中で、なにか、言い様のない不安が湧き上がる。
それを知ってか知らずか、エイジャは更に別の話題を。
「あとさ、この前初めてシュウ君たちと会ったときに、俺、メイちゃんに何て言ったか覚えてる?」
「……いえ」
「俺さ、こう言ったんだよ。――どっかで会ったことあるっけ、って」
「そういえば、そんな事言ってましたね」
それが、一体どうしたというのだろうか。
「今日、その理由が分かったんだ」
「……それは」
エイジャは、執務室の扉を押し開けて外に出る。
その後ろに続くゼーベンヌに、その理由を教えてあげた。
「俺のよく知った人に似てたんだよね。だから、見たことある気がしたんだ」
「……」
「多分、あの人の関係者なのかな? 今日、メイちゃんに会えてたら確認出来たんだろうけど、まあ、仕方ないね」
そんな話をしているうちに、隊員たちの待機部屋に辿り着いた二人。
訓練場内には、執務室の他に隊員たちの待機部屋があるのだ。
そこには現在、緊急召集によって可能な限りの隊員たちが集められていた。
「あの人に直接聞いたらどんな目に遭わせられるか分からないから、聞けなかったんだよねえ。この騒動が終わったあとで確認したいなあ……」
「……」
もはや、その人が誰かと問えるような雰囲気ではない。
が、ゼーベンヌにはそれが誰か分かった。
だから、わざわざ聞いたりしないのだ。
「ああ、あと、デザ君は、シュウ君にどんな風に伝えてたの?」
「確か、荒れるから早めに帰れ、と」
「理由は話してた?」
「……いいえ。お前らが気にする事じゃないから、と言って教えませんでした」
「了解。ま、デザ君ならそう言うよね」
待機室の扉を開ける。
中にいた隊員たちが、一斉に二人の方を向いた。
「……」
「っ……!」
誰一人として、ふざけた様子はなく。
一様に、真剣な面持ちで隊長と副隊長を見ていた。
エイジャは満足そうに頷く。
「さあ、皆、俺たちの使命を果たそうか」
騎士の使命。
「この国を、この町を、ここに住まう全ての人たちを守るんだ」
国家を、領土を、人命を、悪鬼羅刹から護る事だ。
「君らはその為に、日々訓練をして、」
それは、騎士以外が負うべきものではなく。
「美味しいご飯を食べさせてもらっている」
その実力の有無に関わらず、一個人に負わせる事があってはならない。
「今までもそうであり、また、これからもそうであるために」
だからデザイアは、修一に詳しい事情を告げなかった。
「俺たちの力で、それを成し遂げよう」
言えば修一は、――あのお人好しは、必ず首を突っ込んでくるから。
「大丈夫、皆なら出来る」
それが分かっているからこそ、彼は何も教えなかった。
「何故なら君たちは、紛うことなく騎士だから」
ただ、友人として、伝えられる限りの事を。
「それを俺は、よく知っているから」
天気の話でもするみたいに、荒れるから、とだけ伝えたのだ。
「心配する事は、何もないよ」
と。
――――ゴォーン、ゴォーン、ゴォーン……、
大鐘の鳴る音が、本部の敷地内に響き渡る。
今この時、この音が意味するところは、一つである。
この鐘は、有事の際に打ち鳴らされることとなっている。
つまりは、そういうことだ。
「さあ、皆、お仕事だ。各部隊単位に別れて現場に向かえ。次にここに集まるときは、全員揃って祝勝会だ!!」
この言葉をもって、銃砲隊の隊員たちは活動を開始した。
エイジャとゼーベンヌも、成すべき事を為すために動き出す。
そこに、躊躇いはない。
何をするべきか、彼らは知っているのだ。
そして。
「――うりゃああああっ!!」
路地裏。
陽の光も差し込まないような薄暗い小道。
雄叫びに乗せて、剣を振り下ろす。
黒髪の少年が叩き付けた騎士剣は、過たず目の前の敵を一刀両断した。
腐肉と濁った血が辺りに散乱し、それすら厭わず少年は、次の敵目掛けて踏み込んでいく。
二度、三度、剣を薙ぐ。
そのたびに飛び散る赤黒いモノ、そこから発せられる強烈な腐臭に眉を顰めていると。
「退がっテ!」
「っ!」
後方からの声。
少年は素早く跳び退がる。
「天界剣――」
声の主、紫色の髪の少女は、掲げるように剣を振り上げ。
「浄罪降光!!」
剣先を天に向けたまま、降り下ろした。
それによって、陽の光の当たらぬはずの小道に、何処からともなく暖かな光が降り注ぎ。
瞬く間に、蠢く死体たちを浄化していった。
「追うわヨ」
「おう」
そして、全ての敵が倒れたとみるや、二人は駆け出し。
更なる闇の中へと、進んでいった。