第7章 14
◇
リズの右手が振りかぶられた時点でメイビーは「あ、それはダメだよ」と思いながら飛び出していた。
リズが怒っているのは最初から分かっていたことだし、そんなところにナビィのようなグズグズした態度を取られれば、カチンとくるだろうことは想像に難くない。
そして、こういう展開になるかもしれない、と思って気を張っていたのであれば対処は容易である。
メイビーは、来るべくして来たような未来にあって、宣言通りにナビィの味方をするべく動いたのだ。
「離してよ!」
キッと睨み付けてくるリズ。
メイビーに掴まれた手首を振り解こうとする彼女は、一層苛立ちながらヒステリックに叫ぶ。
癇癪を起こした様は正しく子どもじみていて、見ていて少々可哀想に思うほどだ。
「……」
ただ、メイビーも、離してと言われて素直に離したりはしないし、振り解こうとして簡単に振り解けるほど弱くもない。
伊達で小剣を振っている訳ではないのだ。
どれほど乱暴に動かそうとしたとしても、年端もいかぬ少女の細腕に負けるほどメイビーは弱くないし、戦闘職として鍛えた肉体は一般人のそれと比べるべくもない。
「離してってば!!」
「ダメ」
「なんで!?」
なんでも何もない、とメイビーは思う。
「離しても、ナビィ君を叩かない?」
「叩く!」
「じゃあダメ」
「このっ!」
「おっと」
反対側の手が飛んでくるのをメイビーは危なげなく見切り、掴んで抑える。
両手首を捕られたリズは悔しそうに地団駄を踏み、先程から流れっぱなしの涙を更にボロボロと零した。
「邪魔しないでよ!」
「する」
「なんでったら!」
「なんででも」
「~~~~っ!! なによ! アンタには関係ないじゃないの!!」
「……」
メイビーは、ナビィに目を向けた。
凍り付いたみたいになって立ち竦んでいる。
続いてリズの後ろに目を向ける。
一緒になってナビィを取り囲んでいた子どもたちが、リズの剣幕に怯えていた。
「僕、関係ないの?」
リズに視線を戻して、問う。
リズは当然だとばかりに頷き――。
「決まってるじゃない!! アンタは――」
「でも、それこそ関係ないや」
「――っ!?」
メイビーがそれをばっさり切り捨てた。
「関係ないとか関係ないよ。関係あろーがなかろーが、僕はナビィ君の味方をする。それに、そもそも君らは子どもでしょ? で、僕は大人なんだから、それだけで僕が口を出す理由になるよ」
「なによ、それ……」
「子どもが間違った事をしそうになったら、止めてあげるのが大人の仕事だよ」
そう言ってメイビーは悪そうな顔で笑う。
呆気に取られたリズが、涙を拭おうともせずにメイビーを見つめる。
「はい」
「あっ……」
ここでメイビーは両手を離した。
完全に気勢を削がれたリズは、バランスを崩したのかその場にへたり込む。
呆然とした様子で、メイビーを見上げている。
頬には涙が残ったままだ。
「リズちゃん、君が怒るのも分かるよ。ナビィ君の態度はお世辞にも良いとは言えないし、僕だって横で見ててちょっとイラっとしたもん」
視界の端でナビィが「うっ」となっているのはさておき、メイビーは言葉を続ける。
「でも、アレはダメだよ。少なくとも、あんな風に叩いちゃダメ」
「……なん、で」
「もう二度と、仲直り出来なくなっちゃうよ?」
「――!」
よいしょ、と、しゃがみ込むメイビー。
リズは、目線の高さを合わせてきたエルフが何気なく向けた視線の先に、誘われるようにして顔を向けた。
ナビィが、強張った顔のまま突っ立っていた。
「見てみなよ、あのナビィ君の顔。とっても怯えて真っ青じゃん。情けないって、君だって思うでしょ?」
「……うん」
「えっ、えっ!?」
いきなり貶されてナビィは大いに慌てるが、メイビーは悪そうな笑みを浮かべたまま、リズを諭す。
「そんな、怯えて震えてる男の子を、怒って引っ叩いたりなんかしたら、どうなると思う? 彼は、その事をずっと引き摺るよ。君が忘れても、彼はずっと覚えてる。いつまでも、いつまでも。それは、君たちの仲を引き裂くんだ」
「……!」
それらしい事を言って煽るメイビー。
彼女なりの執り成しであった。
「ナビィ君はリズちゃんを怖がって、リズちゃんはナビィ君に負い目を感じちゃう。そうやって出来た溝は、勝手に塞がったりしないんだ。時間が経つとどんどん大きくなって、いつか耐えられなくなる。そうなったら、またナビィ君がどこかに行っちゃうかもしれないよ?」
「それはダメ!!」
悲痛な声でリズが叫ぶ。
大きく見開かれた両目からジワリと、新しい涙が滲んできた。
満足そうにメイビーか頷く。
「でしょ? じゃあ、僕が邪魔したワケも分かるよね?」
「…………」
「……まあ、それでも気が治まらないっていうんなら」
おもむろにメイビーは顔を突き出す。
笑顔を浮かべたまま、左頬をちょんちょんと指差した。
「僕のほっぺを叩きなよ」
「……えっ?」
「ほらほら、どーぞ」
「……」
リズが、躊躇いがちに右手を振る。
ペチン、と弱々しい音が響いた。
途端にメイビーは、嘲笑うかのようにリズを煽った。
「あれあれ? さっきまでの元気はどうしたのかな? ちっとも痛くないよ」
「だって……」
「ほら、元気よくいこう、もう一度」
「……」
女の子はグッと唇を噛み締め、それから。
「このっ!!」
「――っ!?」
バチィン、と気持ちの良い音がメイビーの頬から鳴った。
ナビィと後ろで見ていた子どもたちが、強烈な一撃に身を竦める。
そして振り抜かれた勢いでよろけたメイビーは、それでも踏ん張り、笑ったままナビィを手招きした。
「ナビィ君ナビィ君」
「えっ、うん」
「ここにしゃがんで」
「こう?」
「そう。……てやっ」
「痛っ!?」
自分の隣に座らせたナビィのおでこにデコピンを打つ。
こうやって、自分を間に挟むことで二人の感情の矛先を逸らすのだ。
メイビーは、痛そうに額を押さえる少年をビシッと指差すと。
「さあ、君の味方はここまでだよ。あとは、自分の言葉で説明しなきゃ」
「……」
「どうして出ていったのかきちんと説明して、謝るんならその後だね」
「……はい」
「よし」
と言い、リズの涙を拭きながら。
「リズちゃんも、今度は怒らずに聞いてあげて。ナビィ君が、ちゃんと話してくれるからさ」
「はい」
「手を出したらダメだからね」
「はい、……ごめんなさい」
「よろしい!」
と言って纏めた。
顔を見合わせる二人と、立ち上がり満足そうにふんぞり返るメイビー。
ほっぺの紅葉さえなければさぞ格好良かっただろうし、後ろで見ていた子どもたちも似たような感想を抱いたようだった。
◇
「預かるつもりは、ない……?」
きっぱりと告げられた拒絶の言葉に、修一はオウム返しで聞き返す。
それに対するブリジットの返答は、先程と変わらないものだった。
「はい。レイちゃんをこの家で預かるつもりはありません」
「……」
修一の視線に、少しずつ険が篭る。
言ってる意味が分からない、とでも言いたげだ。
対するブリジット、怯んだ様子も見せず堂々と修一を見返している。
冗談のつもりは一切なさそうである。
「理由をお聞きしても構いませんか?」
ノーラが静かに問う。
彼女は、ある程度理由を察しつつも確認のために質問をした。
ブリジットは首肯し、理由を挙げ始めた。
「まず第一に、人手の問題です。この家は私が個人で経営している孤児院で、子どもたちをみているのも私一人なの。一人二人家族が増えたところでいきなり立ち行かなくなるわけではないけれど、それでも確実に一人一人に対して使える時間が減ってしまうわ」
「……一人?」
「はい」
「旦那さんは……」
「去年の暮れに流行り病に罹り、そのまま旅立ちました」
「っ……」
修一は少しだけ言葉に詰まる。
ノーラは、ブリジットが自らを院長だと紹介した時点でおそらくそうだろうと思っていたため、驚きはない。
ただ、分かっていてもどうしようもない痛みが胸を突くだけだ。
「しっかり者のリズやルシルが手伝ってくれるけど、火を使う仕事や力仕事はまだ危なっかしくて任せられません。ナビィも帰ってきてくれましたが、それでも男手として期待できるわけではありませんから」
「まあ、な」
ナビィの身体を思い浮かべ、同意する。
引き締まっているわけでもなく、ただ細い。
体重も、一瞬女の子かと思うほど軽かった。
あの体つきは、鍛えているとかいないとか以前の問題だ。
単純に、弱いのだ。
「第二に、経済的な問題があるの」
「金か」
「お金です。綺麗事を言うつもりはありません」
ブリジットは、疲れたように溜め息を吐いた。
「先程も申したとおり、去年の暮れに夫に先立たれました。今まではあの人が、知人などの伝を使って運営資金の援助を呼び掛けてくれていたけれど、もうそうやって縋るような真似はできません。遺してくれたモノを遣り繰りして、子どもたちを食べさせていかなくてはいけないの」
「……足りるのかよ」
「今いる子たちが、大人になってここを出ていくくらいまでなら保つはずよ。贅沢は出来ませんが、慎ましく暮らしていく分には問題はないわ」
「……」
そこに、追加で一人入ることでどれほど変わるのかは修一には分からない。
が、今より厳しくなるのは確かだろう。
修一は、いまだにこの世界の金銭的価値を正確に理解していないため、その辺りの問題は突っ込み難かった。
「元々住んでいた家や家財道具なんかを処分したときのお金だから無闇に使うわけにもいかないけど、そうも言ってられないから」
「元々の家というのは……?」
「ここの住宅地の奥の方にあるわ。幸運なことに最近買い手が付いたらしくて、不動産屋さんから纏まったお金を頂いたから、それも合わせれば、ね」
「なるほど」
ここの奥となれば、ノーラの家と同等以上のスケールの家となるはずだ。
どれだけ古かろうと、買い叩かれさえしなければ一財産にはなる。
勿論それでも十人近い子どもを成人するまで養っていくには心許ないのであって、ブリジットの心労は尽きないのだろうが。
「第三に」
「……まだあんのか」
げんなりする修一に、「これが一番大事なこと」だとブリジットは言う。
「レイちゃん本人の気持ちがあるわ」
「……」
その言葉自体は、修一も一番納得できるものだった。
「レイちゃんは貴方と一緒に居たいと思っている。貴方だってそれくらい、分かっているんでしょう?」
「……ああ」
修一は大きく眉を寄せて、隣に座るレイを見る。
ギュッと手を握り締めたまま、真っ直ぐ前を見ていた。
修一にだってそれが、必死な思いで我慢しているからだとは分かるのだ。
分かっていて尚、突き放さなければならないと思うのだ。
「レイは、……自分の父親と俺を重ね合わせてみている」
「ええ」
「それは、別に良いんだよ。俺だって、その気持ちは理解できる。人は、何かを失ったら代わりのナニかが必要になるもんだ。レイにとってはそれが俺だっただけのことで、だから俺も、レイに対して出来ることはやってやろうと思ったんだ」
「…………」
レイがより強く手を握り締める。
それでも修一は、止まろうとしない。
「だが、俺にも出来ないことはある。……故郷には連れて行けない。これは、絶対に譲れないんだよ。この町にいる間はまだ面倒がみれるが、それもいつまでの事か分からない。俺は、俺に出来る事はしてやりたいと思うし、そのための労力を惜しむつもりもないが、出来ないことを出来るとは言いたくないんだ」
「どうしても、無理なのかしら」
「無理だ。俺の故郷は、この国とは違いすぎる。文化も風習も違うし、言葉や価値観も違う。そもそもからして、俺みたいなガキにレイくらいの子どもがいたら白い目で見られるんだぞ。俺はともかく、そんな苦しみをレイに味わわせたくない。それに――」
「……」
「連れていったとしても、もうその時には、レイの面倒をみる余裕はなくなる」
修一は、必ずそうなるといわんばかりに断定した。
理由は分からない。
それでも、その言葉に嘘はないのだろう。
ブリジットにも、それは理解できた。
「どうあっても連れて行けないのね?」
「ああ」
「それなら、……貴方がここに残るのは?」
「……!」
そして、だからこそ出てきた問いは、修一だけでなくノーラの心にも漣を立てた。
ノーラが、何度か口にしようとして、結局できていない言葉。
修一が何度となく言われ、そのたびに否定してきた言葉だ。
さもありなん。
「貴方が、レイちゃんのことを大切に思っているのはよく分かりました」
「……」
「ただ、それならやっぱりレイちゃんと一緒に居てあげた方が良いことくらい、貴方も分かっていると思います」
「……」
「それを、しない理由。故郷に帰らなければいけない理由とは、一体何? それは、レイちゃんの幸せよりも優先される事柄なの?」
「…………」
修一は、すぐには答えない。
どう答えるべきか、何と言うべきか。
悩んでいるのがありありと見て取れた。
ノーラはその様子を見ながら、静かに深呼吸をしている。
どんな答えが出てきても、動揺しないようにするためだ。
――シューイチさん……。
思えばノーラは、修一が何故故郷に帰りたがっているのかについて、修一本人の口から聞いたことがない。
帰れるなら帰りたいと、最初にそう言っていたのは覚えている。
だが、その理由については、どれもノーラが推測しただけに過ぎず、正確な事情を聞いていないのだ。
今までは、自分やメイビーと同じように家族に再会するためだと、そう思っていた。
だが、先日修一が「梨子」という名前を呟いてからというもの、ノーラはその考えを改めていた。
修一は、愛する人のもとへ帰ろうとしているのではないか。
ノーラはそう思うようになったし、まず間違いないだろうとも思っている。
ただ、本人にそうなのかと聞けるかと言われれば、そんなはずは勿論なく、結果として、ノーラはいまだ修一の目的を知らない。
そうであるからして、先程のブリジットの質問は恐ろしくもあり、また、興味深いものでもあるのだ。
果たして修一は、なんと答えるのか。
その答え如何によっては、ノーラは――。
「……俺が、故郷に帰りたい理由、ね」
「ええ、そうよ」
修一が、噛み締めるように呟く。
「……それは」
「……」
そして。
「…………言いたくねえな」
「!!」
修一は、回答を拒否した。