第7章 13
◇
ノーラが案内してくれた孤児院というのは、ノーラの家みたいに大きなお屋敷が立ち並ぶ高級住宅地じみた区域と、一般的な住宅や集合住宅なんかが立ち並ぶ区域との、ちょうど中間ほどに建っていた。
孤児院の名前は「石蕗の家」。
古ぼけた外観ながらも元は綺麗な白塗りにされていたであろう外壁を見るに、どちらかといえば高級住宅の方に割り振られる建物だ。
二階建てのそれなりに大きな家屋、子どもたちが走り回るには十分な広さの庭、外と中を区切る頑丈そうな鉄柵と、木製の門扉。
施設としては、十分立派な部類に入る。
ノーラ曰く。
この孤児院の管理をしているのは高齢のご夫婦で、ノーラが初等学校に入る少し前くらいからここにやってきて、孤児院を経営しているのだそうだ。
元々は資産家だったらしいその夫婦が何故、空き家になっていたこの建物を買い取ってまで孤児院を始めたのかは定かではないが、噂に聞く限りでは子どもたちのために大層献身的な活動をしているらしく、周辺住民との関係も良好らしい。
それでいて、昨日回った四か所と比べて立地的にも一番ここが近いとなれば、どうして昨日の地図にはこの孤児院が載っていなかったのか、という話であるが。
「規模としては、ここが一番小さいんですよ。それよりは、規模が大きくて少しでも受け入れの可能性が高いところから紹介するべきだと思いましたので」
だ、そうだ。
そして今回の場合は残りの施設を全部回るつもりであるため、まず最初に一番近いここに足を向けた次第である。
ちなみに、他にも民営の孤児院はあと二か所ほどあるそうだが、どちらも経営母体は民間企業で、完全な個人経営はここだけだという。
さて、この孤児院。
外から見る限り今は誰も庭に出ていないようだが、建物の中からは生活音が聞こえてきていた。
元気に廊下を走っているような音や、洗い物に使った水を流すような音である。
「取り敢えず呼んでみようか」
「はい」
露骨に嫌がるレイを抱きかかえてから、グルッと門の前まで回り込む。
この施設の玄関は、どうやら一般住宅地の方を向いているらしい。
そして、中の人を呼ぶために門に付いたノッカーをコンコンと叩いた修一の肩を、今度はメイビーがポンポンと叩いた。
「ねえねえ、アレってさ」
「ん?」
呼び掛けられて振り向く。
アレとはなんだ、とメイビーの示す方向に目を向けると。
「……んん?」
修一は怪訝そうに目を眇めた。
なにやら、コソコソと建物の陰に隠れている奴がいるのだ。
修一が振り返ると同時にサッと頭を引っ込めたようだが、顔が見えなくてもアレが誰なのか修一にはなんとなく分かった。
「……メイビー」
「うん」
「確保だ」
「りょーかい」
頷くや否や、メイビーが駆け出した。
風を纏った両足が力強く地を蹴り、瞬く間に不審人物に接近する。
それに気付いたのか、建物の向こうで慌てて逃げ出そうとする足音が聞こえてきたわけだが、どう考えてもメイビーの方が速い。
不審人物に続いて建物の奥に消えていったメイビーは、ものの数秒ほどで相手を捕獲し、その手を引いて戻ってきた。
手を引かれている少年は、観念したように顔を俯かせていた。
「サンキュ」
「うん、ただいま」
真顔でお礼を言う修一に頷きながら、メイビーは自分が引っ立ててきた少年に目を落とす。
顔は俯かせたまま落ち着きなくソワソワとしていて、修一とは目を合わそうとしない。
仕方なさそうに修一は、少年に声をかけることにした。
「よお」
「……!」
おそるおそる、上目遣いに自分を見上げてくる少年に、修一はさらに言葉を続けようとするのだが。
それよりも先に、施設の中からパタパタと足音が聞こえてくる。
それと同時に女の子の声も。
「はいはーい! どちらさまですかー!?」
元気の良い声と勢いに、修一以外の面子がそちらを向く。
修一だけは、少年の顔から目を離さない。
「ゆうびん屋さん? それともママのお友達? 今ちょっと手が離せないの……って、あっ!?」
「!!」
やがて女の子が驚きに満ちた声をあげ、少年はビクリと体を震わせると途端に泣き出しそうになった。
修一はそれを見て、どうしたものかと額の傷を掻くのだが、どうすることもできない。
「まあ、なんだ、約束は守ってくれたみたいで何よりだよ」と慰めを口にするくらいだ。
そして、「あ、あ、」と声を漏らす女の子が一歩後ずさりし、そのままクルッと反転すると、大声をあげながら施設の建物内に走っていった。
「ママー! みんなー! ナビィ兄が帰ってきたー!!」
「……あぁ」
少年、――ナビィは、その姿を見てガックリと項垂れた。
修一たちが院内に案内されたのは、それから数分後。
ナビィを見つけるなり駆け戻っていった女の子が、今度は六十歳代くらいの女性を連れて門の前に帰ってきた後であった。
「ほら、ママ! 早く!」
「ああ、そんなに引っ張らなくても大丈夫だから、落ち着きなさいな、リズ」
「だって、急がないとまたナビィ兄がどっかに行っちゃう!」
「ほらほら、ちゃんと待ってくれてるから、……あら? あの方たちはお客様かしら?」
「えっ?」
一生懸命に女性の手を引いて戻ってきた女の子がようやく修一たちの存在に気付き、それに合わせてノーラが一歩歩み出る。
「初めまして。貴女がこちらの孤児院の責任者の方でしょうか」
「はい……、私が院長のブリジットですが」
「ノーラ・レコーディアと申します。本日は、そちらでの監護を希望する少女を連れて参りました。少々お時間を頂いても宜しいでしょうか?」
「まあ、……そうですか」
サッと女性の後ろに隠れた女の子に苦笑しながらノーラが来院の目的を告げると、女性は門を開けて招き入れてくれた。
「どうぞ、詳しいお話を聞きますので中に入ってくださいな」
「はい、失礼します」
ナビィとともに敷地内に入る修一たち。
院長のブリジットに従って建物内に入り来客用の部屋に案内されると、ソファに座って待っているように言われる。
修一とノーラでレイを挟むようにして座り、しばらく待っているとブリジットが戻ってきた。
「お待たせ致しました」
「いえ、こちらこそ突然の訪問で申し訳ありませんでした」
対面に座るブリジット。
改めて、簡単に自己紹介をし合った後、本題を切り出してくる。
柔らかな眼差しが、真ん中に座るレイに向けられていた。
「それで、そちらのレイちゃんが……?」
「ああ、こちらで預かってもらうことは出来ないだろうか、とここまで連れてきたんだ」
「……」
ブリジットの目が、躊躇いがちに細められた。
「貴方のお子さん、というわけではないのね?」
「違う。少々事情があって俺が連れてきただけだ。……レイの本当の両親は、もう――」
「……そうですか」
苦しげに言葉を濁す修一を見てブリジットはそっと視線を伏せる。
それからゆっくりと視線を戻し。
「詳しい事情を、聞かせて下さいな」
説明を、求めた。
修一は頷き、レイの事情を知る限り伝えていく。
両親がオーガに殺されている事。そのオーガを自分たちが退治した事。近くに親類等はおらず、何故か懐かれている自分が父親代わりをしている事。自分は遠くの故郷に帰るつもりで、そこまでは連れていけない事、等々。
レイ本人が聞いているため表現に苦労しつつも、どうにか自分の立場も含めてブリジットに説明する。
やがて言うべき事を全て言い切ると、静かに話を聞いていたブリジットが、口を開いた。
「お話はよく分かりました。まず、結論からお伝えしましょう」
「ああ」
修一はゴクリと唾を飲む。
果たしてどうなるだろう、と。
そして。
「我が院での受け入れは、……可能です」
「!」
その言葉を聞いた修一が、ホッと息を吐く。
やっと肩の荷が下りた、とでも言いたげだ。
「…………」
対してレイはギュッと手を握りしめた。
心なしか顔が強張り、肩が震えている。
「そう、か、可能なのか」
「はい」
「それなら――」
早速手続きを、と話を進めようとした修一に、しかしブリジットは。
「……ですが、それはあくまでも可能であるというだけです」
静かに首を横に振り。
「私としては、レイちゃんをこの家で預かるつもりはありません」
「っ……!」
はっきりと、そう告げた。
◇
メイビーは、修一たちが案内されたのとは別の部屋で壁に背を預けたまま、「今頃シューイチたちは話し合いをしているのかなあ?」とぼんやり考えていた。
彼女は、修一たちの話し合いに同席していない。
わざわざ僕まで同席する必要はないかなあ、という思いがあったのもあるし、どうせどっちに転んでも楽しくはないんだよねえ、という思いがあったのもある。
しかし一番の理由はもっと単純なもので、自分が手を繋いでいたナビィが手を離してくれなかったからだ。
ナビィは、敷地内に入るとすぐさま女の子、――リズに詰め寄られ、そのまま空いていた方の手をむんずと掴まれると、ずりずりと建物に向けて引っ張られていった。
それに抵抗しようとしてなのか、ナビィが必死になって自分の手を握り返してきたものだから、メイビーはちょっとだけ悩んだうえでナビィに付いていくことに。
途中でチラッと振り返ると修一が心配そうに眉を顰めているのが見えたので、心配ないよ、と手を振ってみせ、少年少女に続いた。
やがて奥まったところにある広めの部屋まで引っ張られると、リズはナビィを置いて部屋の外に出ていく。
この部屋はどうやら遊戯室として使われている部屋のようで、板張りの床の上には、古ぼけた玩具やぬいぐるみの入った箱、背表紙の擦り切れた絵本が収まった本棚等があった。
そんな部屋に置いていかれたメイビーとナビィはどちらともなく自然に目を合わせ、それからナビィか慌てたように手を離した。
今更ながら、手を繋ぎっぱなしだったことに思い至ったようだ。
耳を赤くして俯くナビィに、メイビーは思ったことをそのまま口にして問うた。
「リズちゃん、怒ってるね」
「う……、うん」
「ナビィ君は一体何をしたの?」
「……」
チラリ、と見上げてくる。
何か言いたそうにするが、言葉にならず口をモゴモゴさせるばかりだ。
やれやれとばかりにメイビーは、ちょいと助け船を出し。
「なあに? 僕には関係ないだろって?」
「! そ、そう――」
「君が僕をここまで連れてきたのに? かんけーないって言うの? 酷いねえ、ナビィ君」
「あ……」
すぐさま沈没させた。
言いたい言葉を引き出したうえで被せるようにして切り返す。
子ども相手に大人げないやり方である。
メイビーは更に畳み掛けた。
「君が必死になって助けを求めるから僕は君に付いてきたのに、そんなつれない事言うんだあ? へー? ふーん?」
「え、あ、あの?」
「折角ここまで来たんだしー、一緒に話を聞いて君の味方でもしてあげようかと思ってたのに、そんな事言うんなら僕もシューイチたちのところに行こうかなー?」
「っ……!? 待って!!」
「おっと」
慌てたようにしがみ付いてくるナビィ。
彼は、これから行われるであろう出来事にひたすら怯えきっていた。
そんな中で、自分の味方をしてくれるかもしれないと言われれば、藁にも縋る思いで引きとめようとするのは当然といえた。
「えっと、……えっと!」
「おやおやー? そんなにしがみ付かれたら出ていけないなあ。僕、関係ないみたいだけど、ここに居てもいいのかなあ?」
「う、うん! いても良いから! お願い、一人にしないで!」
「ふーん。ま、そう言うんなら一緒にいてあげるよ」
「あ、ありがとう……」
ホッと安堵するナビィ、内心でほくそ笑むメイビー。
これによりメイビーは、晴れてこの場にいる大義名分を得た。
最初からこれが目的だったのである。
年端もいかぬ少年少女をからかったりおちょくったりするのは、メイビーの得意とするところだ。
これくらい、造作もなかった。
そしてメイビーが部屋の壁にもたれ掛かってから数分後。
メイビーは、今まさに目の前に広がる光景を見て小さく口笛を吹いた。
――これは、なかなかだね。
ナビィは、部屋の出入口の反対側の壁の前に立たされて、その周りを他の子どもたちに取り囲まれていた。
その数、正面に立つリズを含めて全部で八人。
絶対に逃がさない、とでも言わんばかりだ。
メイビーは一人一人の顔を順番に眺める。
全員幼く、一番年上に見えるリズですらおそらく十歳に届くかどうかといったところである。
ナビィの年齢が十一歳なのだから、全員ナビィよりは歳下になるはずだ。
だというのに。
「さて、ナビィ兄」
「……う、うん」
ご立腹した様子で腕を組み自分の正面に仁王立ちしているリズに、ナビィは完全に気圧されていた。
既に泣きそうになっていて、見ていて情けなかった。
「いろいろ言いたい事があるんだけど……」
と、思っていると、リズが訝しむ様にメイビーに視線を向けてきた。
貴女そこで何してるの、とでも言わんばかりだ。
精一杯、睨み付けてきている。
「……」
「……っ」
ただまあ、メイビーにとっては何の効果もないし、反対にニッコリ笑いかけてやると怯んでしまったため、おそらく見ず知らずの人間の前で弱みを見せないように虚勢を張っているのではないだろうか。
そう思ったメイビーは、気にしなくていいよ、と手を振ってみせる。
余計に訝しそうにしたリズは、それでも無理矢理納得したのかナビィに視線を戻し。
「どうして、ここを出て行ったの?」
「……」
問うた。
「半年間も、どこで何をしてたの? どうして今日、もどってきたの?」
「……」
「毎日ちゃんとご飯は食べてた? ねとまりは? 病気とかしなかった?」
「っ……」
「けんかしたり、悪い人に騙されたり、危ないところに行ったり、してない?」
「…………」
しかし、ナビィは答えない。
相変わらず、黙ったまま俯いていた。
その態度にリズが、怒りで眉を吊り上げた。
「聞いてるの!? ナビィ兄っ!!」
「っ!」
「どうして! わたしたちを、さけるのよ! 皆、心配してたのに! ママだって、ルシルだって、わたしだって!!」
「あっ……」
ナビィが、顔を上げる。
震える声が、自然と零れた。
目の前に立つ少女、リズ。
彼女は、怒りながら、泣いていた。
両目から、ボロボロと涙を流しながら、感情のままに吼えた。
「パパが死んじゃって! ママが大変になったのに!」
「……」
「皆で力を合わせて頑張ろうねって! そう約束したのに!!」
「…………」
「どうしてっ、ここから出て行ったの!? 答えてよ! ナビィ兄!!」
「…………その、ぼく」
ナビィは、声を震わせたまま、小さく呟いた。
「…………ごめん」
「っ!!」
その言葉は、リズの心を強く逆撫でした。
直情的に、大きく右手を振りかぶる。
「……っ」
硬直するナビィに向けて、振り抜こうとする右手――。
「それはダメ」
「っ!!」
メイビーはそれを、掴んで止めてあげたのだった。