第7章 12
◇
実施年月日、聖歴八百十年九月十一日。
天候、薄曇りのち晴れ。
実施場所、ブリジスタ騎士団本部、本館一階大会議室。
参加者、騎士団総会役員総長以下九名及び第一、第二、第三、第四、第五、第六騎士団団長の総勢十五名。
出席者名簿に記載された参加者名の抜粋。
第一騎士団団長、アレックス・アークフレア。
第二騎士団団長、ブライアン・ベルガモット。
第三騎士団団長、チャスカ・キャリー。
第四騎士団団長、デザイア・ドランキッシュ。
第五騎士団団長、エナミ・イースヴィレット。
第六騎士団団長、ファニーフィール・フル・フェルマーフォーム。
そうそうたる顔ぶれだ、といえよう。
基本的に、定期的に実施されている定例会議では、全団長は揃わない。
どこかしらの騎士団が任務によって団長不在であったり、そもそも第四騎士団団長が国内各地を動き回っているため、あまり会議に顔を出さないのだ。
それでも今回は全団長が揃っている。
そして騎士団総会役員も半数以上が出席だ。
相当に、重要な内容の会議になるのだろう。
「それではこれより、緊急招集会議を始めます」
司会進行役の男がそう告げ、筆記役の男のペンが動き始める。
参加者たちはその言葉に頷き、会議の進行を促した。
◇
「シューイチさん、起きてますか?」
ノーラの声が、ノックの音とともに早朝の廊下に響いた。
ややあって中から扉が開き、修一が顔を出す。
まだ、朝日が登り始めたくらいの時間帯なのだが、どうやら修一も起きていたようだ。
もっとも、若干眠そうにしているので目が覚めたのはつい先程だったのだろう。
少しだけ跳ねた毛先を見つけたノーラが、楽しそうに微笑んだ。
「っ……」
扉を開けた途端にノーラの笑顔に出迎えられた修一は、ぐっと一瞬だけ息を詰める。
無理もない。
朝一番のノーラの笑顔など、それだけで強力な武器なのだ。
「おはようございます、シューイチさん」
「おう、おはよう、ノーラ」
「今日は良い天気ですよ」
「そうか、……ところで」
「はい」
と、いうのに、今日のノーラは。
「その格好はどうしたんだ?」
「どう、とは」
「いや、やけにおめかししてるなあ、と思うんだが」
ばっちり、お洒落をしていたのだ。
今まで着ていた旅用の服とは段違いの。
見るからに気合いの入った服であった。
ノーラの道中での主な服装は実用性一辺倒の地味なものばかりで、厚手の生地で作られたサイズの大きな服で体のラインを隠したり、出来るだけ肌を露出しないようにしてあった。
ただでさえ女性の一人旅であったのだから、余計ないざこざを起こさないように気を使っていたのだ。
だが、今のノーラはそんな事を気にしなくても良くなった。
お洒落し放題なのだ。
折角実家に帰ってきたのだから、タンスの中身を引っ張り出して良さげな服を見繕ってきたのである。
その結果が、今のノーラだ。
「そうでしょうか?」
と言いながら、スカートの端を摘まんでみせる。
足首までを覆うふわふわしたロングスカートの下から、健康的なラインを描くふくらはぎがチラ見した。
他にも、襟元の広めなブラウスからは僅かに谷間が見えていたし、そこにキラリと光る水晶のネックレスがぶら下がっているのも見てとれる。
腰を細身のベルトで締めているためか胸の膨らみは強調されていて、腰回りのスマートさがより際立つ。
ふわりと柔らかな茶髪には花の形を模した髪飾りが刺さっているし、足元は、ピカピカに磨き込まれた真っ赤なローファー。
修一に見えていないだけで、下着だって新品だ。
抜かりはない。
「ああ、そうだよ」
「それじゃあ、似合ってますか?」
「……」
修一は一瞬目を逸らしそうになったが、耐えた。
流石にそこまで馬鹿ではない。
代わりに、困ったように嘆息した。
「……似合ってるよ、とても」
「……!」
ノーラは咄嗟に振り返り、両手を頬に当てて俯く。
一瞬で、自分でも分かるくらい顔が熱くなっていた。
修一が褒めてくれたというだけで、この多幸感。
堪らない。
そして、確かな手応えを感じ内心で力強く拳を握り締めたノーラは、そのまま次のステップに進む事にした。
再びクルリと振り返り、修一に提案する。
「あの、シューイチさん」
「なんだ?」
「少し、庭に出てみませんか」
「庭?」
「ええ」と頷くノーラ。
修一は、逡巡した後それに同意した。
「いいぞ、眠気覚ましに朝の空気を吸いたいしな」
「では、行きましょう」
まだまだ起きそうにないレイを置いて、……いくのは若干不安が残るため、修一はレイの体を抱き上げて背負っていくことにする。
昨日の夜は、夜になってムックリと起き出したレイからひたすらにねだられたのだ。新しい折り紙だの、お気に入りの童話だのを。
特にレイは七人の小人の話が大好きらしく、何度修一が「もう寝ろ」と言っても頑として聞き入れずに繰り返しねだってきたのだ。
いつもはもっと聞き分けが良いはずなのに、と修一は困っていたようだが、そもそもこれはレイからの抗議なのである。
修一に、孤児院なんかに置いてかないで、もっと一緒にいさせてよ、と言っているのだ。
それが分かっていないからこそ修一は、夜遅くまでねだられて寝不足にさせられている。
ただでさえ疲れていたのにレイに追い討ちを掛けられたから、先程から眠そうなのである。
そんなレイを一人で置いていくと、修一が帰ってくるまでに目を覚ました時が怖い。
これ以上機嫌を悪くさせたくない、というのが修一の偽らざる本音である。
だから連れて行く。
起こしてしまわないように慎重に背中に乗せてから、静かに廊下に出た。
途中ですれ違った家政婦のデイジーさんに軽く挨拶を返し玄関を抜けると、一面に広がる庭の樹木や花々たちが出迎えてくれた。
二人並んで庭を歩く。
朝の陽射しを浴びながら可憐に咲く花も、丁寧に形を整えられた樹々も、改めて見て綺麗だな、と修一は思う。
庭師のおじさんが毎日手入れをしてくれているのだろう、小さな花壇一つとっても、雑草一本たりとて生えていなかった。
仕事人の成せる技だ。
感心しきりである。
「その花、なんて名前だろうな」
「確か、サンパチェンスだったかと」
「見た目に賑やかだな、それ」
「そうですね」
などと言いながら、朝の清涼な空気を吸い込みつつ庭内を散策していると、やがて大きな樹の元に辿り着いた。
ノーラに先導される形でここまで来たのだから、ノーラはここを目指していたのだろうか。
「……ん?」
樹から漂う微かな香りが修一の鼻に届く。
それは、修一もよく知る香りであった。
すぐに修一は樹の名前に思い至る。
「金木犀か、この匂いは」
懐かしいな、と思っていると、ノーラが樹の元で立ち止まった。
太い幹に手を触れながら、感慨深げに呟く。
昔を懐かしむような響きが、その声には篭められていた。
「昔、父がこの樹にブランコを作ってくれたのですよ。今はもう外してしまっていますが、当時は毎日のように乗って遊んでいました。まだ咲いていませんが、この時期になると橙色の花が一面に咲いてとても良い香りが漂ってくるのです。私は、その香りが大好きでした」
「そうか、俺も好きだよ。婆ちゃんが植えたらしいんだけど家の裏に大きな樹が生えててさ、毎年家中に金木犀の香りが入ってきてたんだ」
「そうなんですか」
こちらに振り向いてノーラが微笑む。
純粋な喜びが、笑顔に溢れていた。
「この樹も、花が咲けば素晴らしい香りを届けてくれますよ。シューイチさんにもきっと楽しんでいただけると思います」
「……そうか?」
「はい。――ですから」
「もう少しここにいてくれませんか?」とノーラは続けようとする。
それを察した修一は――。
「ノーラ」
「……なんでしょう?」
無理矢理、ノーラの言葉を遮った。
ゆっくりと、首を傾げるノーラ。
修一は、様々な感情が入り混じったような複雑な表情を浮かべつつ。
「今日は、ノーラも外に出られるんだよな」
「ええ、もちろんですよ」
「レイを受け入れてくれそうな孤児院、まだ見つかってないんだ。探すの、手伝ってくれよ」
「……」
と、言った。
我ながら、クズみたいにヘタクソな話題の変え方だな、とは思う。
しかし、仕方がないだろう。
こうでもしないと、ノーラの言葉を最後まで聞いてしまうと、断り切れなくなる。
「頼むよ、ノーラ」
そうなったら、修一はまさしくクズになってしまう。
人付き合いの基本は、誠実さだ。
それが守れないようなクズにだけは、修一はなりたくないのだ。
なんせ、既に――。
「……そうですね、一緒に探す約束をしていましたね。昨日渡した地図には民営でやっている小さな孤児院については書いていませんでしたから、今日はそちらを回りましょうか」
「ああ。騎士団にも今日中に顔を出しておきたいし、案内は任せた」
「はい、任せてください」
ノーラは再び優しく微笑んだ。
修一はその笑顔に申し訳なさを感じながらも、謝ることはしなかった。
◇
朝食を終えた修一たち四人は家の門を潜り外に出る。
レイの手を引くノーラが前、修一とメイビーがその後ろ。
ノーラに道を案内してもらうための並び方である。
最初の目的地は、民営の孤児院とやらである。
「ねえねえシューイチ」
「おう」
「これ、どうする?」
通りを歩きながらメイビーは、手に持った小さな袋を見下ろして呟く。
見た目の大きさに似合わずそれなりの重量を有するその袋の中からは、金属同士が擦れ合う音が鳴っている。
チャリンチャリンと、軽快かつ重厚な。
いや、重厚に感じるのはメイビーが袋の中身を知っているからだろう。
「どうって、母親探しの軍資金にすればいいだろうが。俺は、どっかで適当に使うよ」
「うーん」
自分の分の袋を揺らしながら答える修一。
それを聞いたメイビーは悩ましげに眉を寄せ、唇を尖らせて唸っている。
袋の口から中を覗けば黄金色に輝く貨幣が確認でき、それが金貨であることはすぐに窺い知れた。
それが十枚程度入っている。
有り体に言って大金だ。
これを今朝の朝食の際に、修一と一緒に貰ったのである。
「やっぱり、こんなに貰っても困るんだけど……」
渡してきたのはセドリック。
名目は「娘の護衛達成に対する成功報酬」で、金額は一人につき大金貨一枚分。それを、使いやすいようにと金貨十枚に分けて袋に入れてあるのだ。
いや、金貨の時点で使いにくいのだが、これ以上小額貨幣に交換すると今度は持ち運び難くなるため、これがベターなのである。
そしてメイビー、初めはこれを断ろうとしたのだ。
そんなお金は受け取れない、と。
ただでさえここに来るまでに色々世話になってしまっているし、そもそも自分は助けてもらった恩を返すためにノーラの護衛をしていたのであって、報酬が欲しかったわけではない、と。
修一なんかは「こんなところは真面目なんだな、コイツ」などと思っていたようだが、どちらかといえばメイビーは、友情による行為を金で清算されたくない、といった気持ちの方が強いようだった。メイビーだって友情は大切にするのだ。
ただ、そうなると困る。
まずもってこのお金は一文無しのメイビーを体よく支援するためのもので、ノーラが自分の貯金から引き出してセドリックに渡したものなのだ。
修一の分は「それなら修一君にも渡さないと怪しまれるわよ」と言ったフローラの懐から出ているのだが、兎も角。
こんなところで意地を張られるとは思わなかったノーラは、さてどうしよう、となった訳だが、そこは父親の腕の見せ所でもあった。
商売人たるセドリックは、金の遣り取りに関しては正しくプロである。
回収すべき金は必ず回収するし、逆に払うべき金は必ず払う。
ほんの五分も説得しただけであれほど固辞していたメイビーが渋々とはいえお金を受け取り、その場は決着となった。
一代で国内有数の大商会にまで駆け上った手腕は、いまだ衰え知らずのようだ。
「メイビー、貴女の言いたい事も分かりますが、どうぞ受け取ってください。今更返されても父が困ります」
うんうん唸るメイビーに向けて、ノーラが顔だけ振り返って諭す。
セドリックが渡す際に「私も商人として護衛の大切さは分かっているつもりです。それにシューイチ君やメイビーさんの行為に正当なる報酬を渡さなければ、私はケチな商人であるという謗りを免れない」などと言っているのだ。
今更返せるはずもなかった。
「うー……、受け取るけどさあ……」
結局そうする他ないのだ。メイビーは渋い顔のまま袋を懐に仕舞った。
それを見た修一も同じように袋を仕舞い、ノーラが再び前を向く。
若干及び腰なレイの手を、しっかりと掴んだまま。
「さあ、今向かっている孤児院はそれほど遠くありませんが、のんびりしてたら日が暮れてしまいますよ?」
「はいよ」
「はーい」
「っ…………」
と、言ったのだった。