第7章 10
◇
「さて、このくらいにしておきましょうか」
ゼーベンヌが、机の上に並べられた魔導機械を眺めて呟く。
ゴチャゴチャと乱雑に並んだそれらは、全てゼーベンヌの保有する魔導機械である。
つい先程、それらの点検整備が終わったのだ。
先日の遠征には持っていかなかった物も含めて十数点もの魔導機械を一度に整備するとなれば、普通に考えればなんとも手間の掛かりそうなものであるが、元々定期的に整備をしていたことに加えてそれらの専門知識を持ち合わせているゼーベンヌにとっては大した労苦ではなかった。
整備用の特殊な工具であるとかグリスやオイルなどの消耗材、交換用の小さなパーツなどを工具箱にしまい、黒く汚れた手袋を外してから魔導機械を片付けていく。
新たにベルトに取り付けた大きめの収納ポーチに入れられるだけの魔導機械を入れると、パチリと蓋を閉めた。
「あとは……」
何があっただろうか、と考える。
予備の魔力蓄積装置には魔力を篭めたし、銃には付属品も付けた。細剣も新しいものを支給してもらって、ついでに短槍も貰えたためバイクに積載している。バイクのバンパーだって壊れては――。
「……あっ」
そうだ、と思い出した。
昨日、バイクの駆動系とかぶつけまくったバンパーの耐久力なんかを確認していたときに使い切った砲弾を装弾しようとしたのだが、ポーチに二発しか入っていなかったのだ。
今日改めて装弾しておこうと思っていたのだが、他の魔導機械をいじっている内にすっかり忘れていた。
――どうにも、集中し過ぎると他が疎かになるわね。
危ない危ない、と自戒する。
学生時代から言われていた事だが、いまだに気を抜くとそうなるのだ。
ゼーベンヌは二輪車収納用腕輪を腕にはめ砲弾四発を手提げ袋に放り込むと、ランタン片手に寮の外に出る。
それから本部敷地内にある修練場に足を向けた。
建物内でバイクを取り出そうものなら他の団員たちから怒られてしまうからだ。
その点、広い修練場なら誰にも文句は言われまい。エンジンをかけてもうるさくないだろうし。
暗い中、ランタンの明かりを頼りにレンガ造りの通路を進むゼーベンヌ。
一定間隔で設置された魔導ランプの明かりが届かないところは夜の闇に塗り潰されている。足元すら覚束ない。
雲の切れ間から星の瞬きは覗き始めていたが、月の光は遮られたままだった。
「明日は晴れそうかしら」
夜空を見上げたゼーベンヌが呟くと、ピュウと涼しげな風が吹いた。
ランタンの火が僅かに揺れ、すぐに落ち着く。
ゼーベンヌは、気にすることなく通路を進んだ。
しばらくすると、闇の中にずんぐりと佇む施設が見えてきた。
これが修練場だ。
ここは四方を高くて分厚い塀に覆われており、出入口には頑丈な門扉が備え付けられている。
なぜ、騎士団本部の敷地を取り囲む塀の中にあって、更に高くて頑丈な塀が必要なのかと問われれば、安全管理の都合上としかいいようがない。建前の上では。
そして本音で言えば、毎年入ってくる新入団員たちを最初の数日でぼろ雑巾のようにしごくための施設であるからだ。
逃げようという気概を挫くために、あえて頑丈に作られているのだ。
それに、普段の訓練なんかでも爆発物の投擲訓練とか弓矢等からの射撃に対する防御訓練なんかが行われたりしていて、実際危ないのである。
そうした訓練を行うための場所であるからして、内部は広く、そして踏み固められた地面は恐ろしく堅い。
一般の団員たちが金属製の鎧や兜を身につけて盾と剣を持ち、延々と走ったり戦闘訓練をしたりしているのだ。実に当然のことといえた。
そして実は、雑草一本とて生えぬくらいのこの堅さは、バイクを走らせるにもいい案配だったりする。
なのでゼーベンヌは、月に一度くらいのペースで訓練後の修練場が空いた時間を見計らってバイクを持ち込み、ウィリーだの高速スラロームだのと乗車訓練を行ったりしていた。
管理当番の者がしれっと覗きに来るくらいには、迫力あるライディングを拝めるらしい。
まあ、今日のところはそこまでするつもりもないが、軽く走らせたいな、とはゼーベンヌも思う。
先程まで座りっぱなしでチマチマとした作業をしていたせいか、そうした欲求が鎌首をもたげてきていた。
――取り敢えず、さっさと装弾と最終点検を終わらせましょうか。
そうでないと我慢出来ずにバイクに乗ってしまいそうだわ、等と考えながら歩いていると、ある事に気が付いた。
近付いてみてようやく分かったのだが、修練場内に誰かいるようだ。
仄かに場内が明るい。
夜間訓練用の照明が点いているらしかった。
「……こんな時間に誰かしら?」
ゼーベンヌは自分を棚に上げて呟く。
そもそも、夜間の訓練があるときは事前に通知があるはずであり、それがなかった以上訓練は行われていないはずなのだ。
それなのにこうして照明が点いているということは、誰か先客がいるということになる。
一体誰だろう。
考えても分からないため、一先ず場内に入ってみることにした。
大事な用事をしているようなら邪魔するのは憚られるが、誰が居るのか分からなければその判断も付かない。
中を覗いてみて、端っこでも使わせて貰えそうならそこで手早く装弾と点検を行い、無理そうなら諦めて明日にすることにしたのだ。
出入口の門を潜り細い通路を進む。
そっと場内に立ち入り周囲を見渡すと――。
「あれは……?」
ゼーベンヌの視線の先には、一人の男が立っていた。
◇
「…………」
男は、静かに佇んだまま瞑目し呼吸を整えていた。
腰の剣に掛けた手は柄に触れたまま微動だにせず、ジャリ、と足元で土を踏み締める音だけが、無人の修練場内に反響する。
男がここに来たのは決断のためだ。
心の迷いを断ち切るために、わざわざこの時間にここに来たのだ。
そのせいで本日の管理当番の者には若干迷惑を掛けることになったが、それも已む無しである。
それに、折よく今日の当番員は自分のところの団員だったのだ。
これくらいの職権行使なら可愛いものである。
「……」
やがて男が目を開くと、瞼の裏にぼんやりと浮かべていた影が虚空に映し出された。
それは、薄れるどころか次第に輪郭を鮮明にさせていき、一つの形を作り上げる。
男は、剣の柄に掛けたままの手をゆっくりと動かす。
それに合わせて引き抜かれていく刃は、ゾッとするほどの鋭さを帯びていた。
触れるものを、何の抵抗もなく斬り裂けるであろうと容易に想像せしめるその輝きは、淡い蒼銀色。
フォン、と軽やかな音を残して、引き出した剣を払う。
それをゆっくりと持ち上げ、頭上に構えると。
「――はっ!!」
と吐き出した気合いに乗せて、目の前の影に向けて振り下ろした。
踏み込んだ足が土を抉り、ズンと掛けられた体重を地面が軋ます。
銀線は目にも止まらぬ速さで大地まで到達し、目の前に浮かぶ影を音もなく一刀両断してみせた。
「っ――!」
男の動きはそこで止まらない。
揺らめく影の残滓を追うようにして更に踏み込み、持ち上げた剣を、手首の返しで軌道を変えて水平に振る。
剣の重心を置いたまま柄から振り始め、乗った速度で一気に重心を飛ばすことで剣の初速を上げ、高速連撃を可能にしているのだ。
左から右へと薙ぎ払うように空を切る蒼銀色の刃。
十字に切られた影が霧散しようとするのを押し留めるかのように男は、空いていた左手で、もう一本を抜き放つ。
「っ!!」
騎士剣が、斜めに斬り上げる形で振り抜かれる。
瞬く間に三度斬り付けられた影は、もはや当初の原型を保つ事など出来はしなかった。すうっと闇に溶けて消えていく。
「……ふう」
デザイアは、それを見送りながら残心を解き、両手の剣を鞘に納めると。
「何か俺に用事か、ゼーベンヌ」
「!」
背後の出入口に立つ人物に、振り返りもせずにそう呼び掛ける。
ゼーベンヌは、いきなり自分の名前を呼ばれた事に狼狽えたが、デザイアは気にせず振り返り、そこにいるのがゼーベンヌであることを確認すると、更に問うた。
「む、違うのか。ならば、こんな時間に何をしにここへ来たんだ」
「……えっ、と」
自らの勘によってゼーベンヌの返答を待たずに答えを得たデザイアの問い。
僅かに口篭もるゼーベンヌであったが、別段隠すような事でもないため、素直に目的を告げた。
「先日使ったバイクの点検をするために、エンジンをかけても怒られないここに来ました。お邪魔でしたらすぐに退散します」
「バイク? ああ、あの面白い魔導機械の事か。邪魔ではないから、好きにするといい」
「ありがとうございます」
デザイアからの言葉に、ゼーベンヌは軽く頭を下げて場内に踏み入る。
そしてその場で腕輪からバイクを取り出した。
邪魔ではないとは言われたが、まあ、邪魔してしまったという自覚があるため、さっさと終わらせて帰ることにしたのである。
なのだが。
「……あの」
「なんだ?」
非常に作業がやりにくい。
取り出したバイクに装弾をし始めたところで、何故かデザイアが寄って来たのだ。
興味深そうな目でゼーベンヌの手元を見ている。
「見ていても面白くないですよ」
「そうでもないさ。それに、お前だって俺を見ていたじゃないか」
「……」
それを言われると返す言葉もない。
仕方ないのでゼーベンヌは、作業に戻る。
カチャカチャと砲弾を詰めている間、ウロウロしながらバイクの機構部を眺めているデザイアに、もう何も言わなかった。
もっとも、砲弾の射出口を覗き込もうとしたときだけは「危険ですので止めてください」と、わりと強い口調で注意して、デザイアも「分かった」と、素直に覗くのを止めた。
注意されたとき、デザイアが一瞬だけ楽しそうに笑ったのだが、手元に集中していたゼーベンヌは気付かない。
「ところで、どうして私だと分かったんですか?」
代わりに、気になっていたことを聞いてみることにしたのだが、それに対するデザイアの返答が「臭いで分かる」であったため、ゼーベンヌは無言のままシャツに鼻を近付けた。
「ああ、今の言い方は失礼だったな。そうではなくて、魔導機械独特の金属や整備油の臭いだ」
「そうですか」
ホッと胸を撫で下ろし、ゼーベンヌは作業を続けた。
「このバイクという魔導機械は、幾らくらいで買えるものなんだ?」
「欲しいんですか?」
砲弾を詰め終えてその他の部位の点検をしていたゼーベンヌにデザイアが尋ねると、意外そうに問い返される。
デザイアが「ああ」と首肯すると、ゼーベンヌは作業を止めて考え込んだ。
真剣そのものといった表情である。
「お金さえ有るのでしたら」
「ふむ」
「大金貨二枚か三枚もあれば、この町でも売っている店はありますね」
「……思ったより高いな」
さしものデザイアも、僅かに顔を顰めた。
ゼーベンヌも、やっぱりか、とは思った。
大金貨三枚といえば、メイビーが借金取りに請求されていた金額と同じだ。
返せなければ何をされても――殺されても――文句の言えない金額でもある。
このバイクがそこまで高価であるとはデザイアも思わなかったらしく、腕を組んで唸る。
「うーむ」
「……」
それでも、「やっぱり止めとこう」と言わないあたり、よほど欲しいんだろうなと思ったゼーベンヌは、つい、あまり考えもせずにこう呟いていた。
「私の――」
「ん?」
「実家でなら、もっと安く売っていますが」
「……そうなのか?」
ゼーベンヌは「ええ」と答えながら、父の店のバイクを思い出す。
実家は整備工だが、買取りや販売も行っているのだ。
特に、バイクの好きな父親は他の同業者から優先してバイクの部品や本体を買い集めて修理販売をしていて、品揃えもそれなりに良い。
「この町で売っている物は、工業国家ルイガニエからの輸入品がほとんどです。あの国は、ある程度の部品を自国で生産することができますので、本来なら使用不可能な壊れ方をしているものでも新品の部品を組み合わせて販売出来るのですよ」
「ほう」
「まあ、そのぶん部品代で値段が上がっていますし、輸入のコストを含めると先程言ったとおりの値段となってしまうわけですが」
「なるほど。ゼーベンヌの実家なら、それがないから安く売れると」
「はい。父の技術料くらいですから、大金貨一枚半から高くても二枚くらいまでですね。さすがに、古い部品を使っているせいで市販のものよりは故障しやすかったりもしますが、それも店に持ってきて頂ければ修理は承りますよ」
「……」
このときゼーベンヌは、ある単純な理屈に思い至る事が出来ていなかった。
仕方がないといえばそうだ。
ゼーベンヌは今、内心で高揚した気分になっていたのだから。
それは、デザイアがどうのこうのという事ではなく、純粋にバイク仲間が増えることへの喜びからであった。
この、バイクという魔導機械は前述のとおり非常に高価であるため、これを所有している人間は騎士団内にほとんどいない。
よって、同じ趣味を語り合える人間というのが職場におらず(いても仲良くなれていない)、それ故に、この機会を生かしたいな、という思いを抱いたのだ。
――そこに。
「そうか、それなら、今度見に行こうか」
「ええ、是非いらしてくださ――」
「案内は任せたぞ、ゼーベンヌ」
「――へっ?」
などと言われたものだから、ゼーベンヌは、何を言われたのか分からないといった間の抜けた顔を晒すこととなった。
キョトン、とデザイアの顔を見つめるが、デザイアは気にすることなく言葉を続ける。
若干楽しそうに笑っているのを、今度はゼーベンヌも見逃さなかった。
「当然だろ? 俺はお前の実家など知らんからな。当人に案内してもらわないと困る」
「い、いや、確かにそうですが!」
途端に慌てるゼーベンヌ。
そんな、デザイアと一緒に実家に向かうなど、とんでもないことだ。
ただでさえ小さい村であるというのに、そんな事すれば何を言われるか分からないではないか!
デザイアは、そんなゼーベンヌの動揺を見透かしたように、少しだけ笑みに穏やかさを混ぜた。
「なに、すぐにというわけではないさ。……そうだな、この騒動が終わったあとに、休みを取って、になるな」
そしてすぐに、真剣な眼差しをゼーベンヌに向けた。
「この、騒動?」
ゼーベンヌも、その眼光の鋭さに思わず気を引き締める。
デザイアは、スッと視線を出入口に向けつつ言葉を紡いだ。
「そうだ。どのみち明日の朝一番の会議で言うつもりだったんだが……、明日は、荒れる。俺の勘は、はっきりそう告げている」
「……?」
「そもそも、俺が何故こんな時間にここに来ていたと思う?」
「……分かりません」
ゼーベンヌの言葉と同時にデザイアの視線が鋭さを増す。
その鋭さはまさしく、研ぎ澄まされた刃だ。
ゼーベンヌは緊張のあまりゴクリと唾を飲む。
「――明日に、備えるためだ。……今度は俺も、負けるつもりはないんでね」
「!」
男の青く澄んだ瞳は、言いようのない激しい怒りを孕んでいた。