第7章 8
◇
「正直嘗めてたよ、これほどとは思わんかった」
疲れたように修一が呟く。
言葉だけでなく表情にも疲れが滲んでいて、その足取りは重い。
「僕の苦労も、少しは分かってくれた?」
そう言って苦笑しているメイビーも、ふあぁ、と漏れそうになる欠伸を噛み殺した。
足取りは、やっぱり重そうである。
曇り空のため分かりにくいが、既に夕方になっていた。
薄暗くなっていく町の中を、修一たち三人はとぼとぼと家路に就く。
修一もメイビーも、あまり無駄口を叩かないし、レイは修一の背中に乗ったままピクリとも動かない。
すやすやと寝てしまっていた。
一日中歩き通しだったのだから無理もないだろう。
修一だって少し眠いのだ。
「それにしても、何の進展もなかったな」
「そうだねー」
「もう少し何かあってもいいのによ」
「うん」
手元の地図に目を落とす。
これに書かれているのは本日の訪問先で、内訳はこうだ。
ブリジスタ国営の孤児院が二か所。
スターツ都営の孤児院が一か所。
教会連ブリジスタ支部に併設の孤児院が一か所の計四か所。
その他に、都役所、魔術師連盟ブリジスタ支部(魔術師ギルドの事)、ブリジスタ国軍本部及びその兵舎(基本的に陸軍)、主だった冒険者の宿が三か所に、大広場や大講堂、国立図書館に国立高等学校などなど、実に様々なところを回っている。
この内、レイの引き取り先に関しては先に述べた四か所の孤児院を回った訳であり、衆人の集まる広場や宿、行政機関に関しては、メイビーの母親についての情報収集のため訪れた。
メイビーの件については今日のところは成果なしだが、何か所かの施設では探し人として探してもらうようにお願いしたため、また後日回ってみるつもりだ。
そして、学術機関等については――。
「やっぱ、お伽噺以下の認識なんだな」
修一の、元の世界についての情報収集のため、足を向けた次第である。
ただ、これが予想以上に神経を削られた。
先ずもって、何の予告も連絡もなしにそうした機関を訪れたとして、まともに相手してくれる方が稀である。
そのため修一たちは、行く先々で冷たい対応をされたのだ。
図書館に関しては、まだいい。
話くらいは聞いてくれたし、そうした内容の本は置いていないと言いつつも、一応広い館内を見て回ってくれたのだ。
あの眼鏡の司書さんは、幸薄そうだが良い人だった。
対して高等学校では、軽く門前払いされた。
こんな訳の分からない連中には、お偉い学者さんは会ってくれないらしい。
まあこれも、職務熱心な守衛さんが悪い訳ではないため、修一は仕方ないかと納得出来た。
「……しかし」
問題は、魔術師ギルドの連中だった。
これには修一も短気を起こしそうになっていた。
「アイツら、寄って集って人を笑い者にしやがって……!」
今思い出しても腹が立つ、と怒気を漲らせる修一。
メイビーが隣で「まあまあ」と宥める。
魔術師ギルドの建物内にいた数人の魔術師たちは、修一の話を聞いた途端こちらを指差して笑ってきたのだ。
別段誤魔化すつもりもなかった修一が、馬鹿正直に「自分は別の世界から来たんだ」と言ったのも悪かったかもしれないが、「頭のおかしい奴」呼ばわりまでされるとは思っていなかったようである。
怒りのあまり危うく全員叩きのめしそうになったのを、レイが先んじて怒り出した事とメイビーが執り成してきた事でギリギリ耐えた修一。
せめてもの仕返しとして、出てくる際に建物の窓と扉をバレないように氷付けにしてきていた。
今ごろはちょっとした騒ぎになっている事だろう。
やる事が若干陰湿である。
「全員、外に出られず苦しみやがれってんだ」
「シューイチ?」
ボソリと呟く修一の言葉を聞き咎めたメイビー。
ジーっと見つめると修一が無言で顔を背けたため、そっと溜め息を吐いた。
「しょうがないじゃん、僕だって初めは信じられなかったくらいなんだからさ。初対面の人間に話して信じてもらえるような話じゃあないでしょ」
「でもなあ」
「シューイチだって、見ず知らずの人間がいきなりそんな事言ってきて、簡単に信じるの?」
「いや、頭おかしいと思うし鬱陶しかったら多分絞め落とす」
「……それはやり過ぎだよ」
いちいち極端だなあ、とメイビーは思う。
というより、疲れと苛立ちが重なってピリピリしているのかもしれない。
肉体的な疲労には強い修一も、精神的なものにはあまり耐性がないようだ。
「そう考えたらシューイチも、結構子供っぽいとこあるんだねえ」
「……」
修一は再び無言で顔を逸らした。
一応自覚は有るらしい。
「まあ、それよりさ」
「ん?」
だからメイビーは話題を変える事にした。
いつまでもウジウジするのは、メイビーだって好きではないのだ。
「ホントに、騎士団本部に寄らなくても良かったの?」
「……ああ」
「折角地図にも書いてくれてたのに?」
「いいんだよ」
メイビーの言うとおり、修一の持っている地図には騎士団本部の場所も書いてある。
それに加え、騎士団本部の本館からは一際高い塔が伸びていて、有事の際に打ち鳴らず大鐘が吊られているのだ。
ある程度開けた場所からなら、一目で本部の場所は分かるようになっている。
にも関わらず修一は、騎士団本部には行かない事にした。
それは何故かと言えば……。
「ノーラが居ないからな、今日は。
どうせ行くんなら皆揃って顔出そうぜ」
と、いう訳だ。
「……ふーん」
「なんだよ」
「別にー? ただ、ノーラの事避けてる割にはそういうところは律儀なんだなー、と思ってさ」
メイビーは嫌みったらしく言ってみるが、修一の反応は至って冷静だった。
その辺りの発言は、既に予想済みであったのだ。
「そりゃあそうだろ、向こうからしたら関係のない話なんだから。そんなところまでこっちのアレコレを持ち込んだりしないさ」
「……へえ?」
「それに……、俺はノーラの事を避けてる訳じゃないぞ? 話し掛けられれば普通に話はするし、もし手を握られたりしても振り解いたりはしない」
「…………」
メイビーは、いかにも疑わしそうな目で修一を見るが、修一は平然としていた。
「ただ、ノーラが踏み込んできたり押してきた場合には、前で捌くけどな」
「……ちょっと」
修一が右手をスイッと動かしてみせる。
掌を横に向け、腹の前辺りで右から左へだ。
捌くとはつまり相手の攻撃を逸らす事であり、それは即ちまともに相手をしない事でもある。
「思いっ切り避けてるじゃん!」
「避けてねえよ。避けなくていいように相手の方を逸らすんだよ」
「ああ、もう!」
ああ言えばこう言う。
面倒臭い事この上ない。
しかもタチの悪い事に修一は、これで以外とモノを知っているのだ。
メイビーの語彙力では、修一の言葉の壁を乗り越えられないのである。
「……今朝の件も含めて、絶対どっかで追及してやる」
「ははっ」
無理だろそんな事、とばかりに笑う修一。
と、そこで。
「…………うぅん」
「!」
修一の背中で、レイがもぞもぞと動いた。
途端に二人は口を閉じる。
騒ぎ過ぎて起こしてしまったか、と修一がちょっと焦ったところで、レイが小さな声で呟いた。
「…………おとうさんを、……ばかにするなぁ」
「っ!」
「……!」
パッと目を見合わせる修一とメイビー。
レイは再び静かになり、ピクリとも動かなくなった。
「……今のって」
「……魔術師ギルドの時の?」
修一を笑い者にされたとき真っ先に怒り出したレイの、その時の言葉である。
レイは、夢の中でも修一の事を庇ってくれているようである。
「……」
「……」
修一とメイビーは、お互いに顔を見合わせたまま黙り込む。
さっきまで言い合いをしていたのが、なんだか無性に恥ずかしくなったのだ。
やがてどちらからともなく視線を逸らすと。
「……帰るか」
「……そうだね」
疲れたように、二人並んで歩き出したのだった。
◇
「あら、お帰りなさい」
「ただいま、フローラさん」
「ただいまー」
「…………」
修一たちが家に帰ると、エプロン姿のフローラが笑顔で出迎えてくれた。
パタパタと駆け寄ってくると、修一の背中で安らかな寝顔を見せるレイに、少しだけ相好を崩す。
対して修一は、フローラの姿を見て一体何をしていたのかと思ったが、家の中に漂う香りですぐに察した。
「もしかして、料理してたのか?」
「ええ、そうよ。私も、お料理には自信があるの。昨日はセドが倒れてそれどころじゃなかったけど、今日は大丈夫だからね」
そう言ってパチンとウインクしてみせる。
ノーラの母親であるフローラは、年齢を感じさせない若々しさを持った美人であるからして、ウインク一つとっても様になっていた。
簡素ながら明るい橙色のエプロンもよく似合っている。
「ひょっとして、僕たちのために?」
「そうよお? 折角のお客様だもの、ちゃあんと持て成さないとね」
匂いに釣られて小さな鼻をひくひくさせていたメイビーが問うと、フローラは当たり前のように頷く。
どうやら、昨日出来なかったおもてなしとやらを今日行う事にしたらしい。
修一は、一先ずお礼を述べる事にした。
「ありがとうございます、わざわざ俺たちのために手間隙掛けて頂いて」
「やだもう、そんな畏まらないでちょうだいな。折角の目出度い事を、しっかり祝っておきたいだけなんだから!」
照れたように修一の肩をパンパン叩く。
言動の一つ一つは修一の知るオバサマじみていたりするのだが、それを感じさせない若さがフローラにはあった。
「さあさあ、もうすぐ準備も終わるから、手を洗って席に着いてちょうだい」
「はい」
「はーい」
「…………」
言われたとおり手を洗ってから席に着く修一とメイビー。
既にセドリックも席に着いていたが、何故だか彼は機嫌が悪そうだ。眉間のシワが深い。
まあ、昨日の今日で修一に対する印象が変わっているとも思えないため、仕方ないのだろうが。
因みにレイはどうやっても起きそうになかったため、部屋に連れていってベッドに寝かせてきた。
あとで、料理をいくつか包んで持って上がってやろうと思う。
「あ、来たよ」
「ん、おう」
などと考えていると、食堂に料理が運ばれてきた。
壮年男性のコックさん(トニオという名前らしい)や中年の家政婦さん(こちらはデイジーさん)がテキパキと料理を運び、エプロン姿のままのフローラもそこに交じって楽しそうに料理を運んでいる。
それらを目で追っていた最中、修一の動きが止まった。
信じられないものを見たからだ。
「……おいおい」
「おー、似合ってるねー」
思わず唸った修一の視線の先では、若干緊張した面持ちのノーラが、母と同じエプロン姿で配膳の手伝いをしていた。
――……何やってんだよ、ノーラ。
修一が半ば呆然とその様子を見ていると、見られている事に気付いたノーラがパッと顔を赤らめる。
そのまま恥ずかしそうに顔を伏せ、逃げるように厨房に引っ込んでしまった。
ノーラのエプロン、黒と白の二色の生地を使っているため色合いは派手ではないが、花柄の刺繍であるとか多目にあしらわれたフリルであるとかのお陰で地味ではなく、むしろコテコテの可愛い系となっている。
そりゃあ、あんなもの着ていたら恥ずかしいよな、と修一は思う。
「っ……!」
「!」
そのとき、セドリックの方からギリッと歯を喰い縛るような音が聞こえた。
修一がそちらをチラリと盗み見ると、外見的には分かりにくいが先程よりもセドリックの不機嫌さが増したように見えた。
いや、確実に増している。
眉間のシワがさっきより増えていた。
「…………うーん」
修一は、これは嵌められたかな、と諦めに似た気持ちを抱きながら目の前に並べられていく料理を見つめる。
出来立てらしい温かい湯気と、美味しそうな香りを嗅ぎながら修一は。
――さて、どれがそうかな?
と頭を悩ませるのであった。