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第7章 6

 ◇




「ほら、これが預かっていた弾薬だ。三十発全て、聖別を済ませてある」

「ありがとね、ケイ姉」


 騎士団本部本館三階、神官隊隊長執務室内。

 ケイナとエイジャの姉弟が、執務机を挟んで向かい合う。

 机の上にはケイナが聖別を終えた銃弾が置かれており、差し出されたそれをエイジャは一発ずつ確認していく。


「しかしエイ君、私は執務時間が終わるころに来てくれと言ったはずなんだが」


 ケイナが窓に視線を向ける。

 窓の外に見える景色は既に夜の闇に塗り潰されていた。

 月も星も雲に隠れ、ランタンの一つも無ければ自分の足元も見えないだろう。

 執務時間などとっくに終わっているわけだが、エイジャがやって来たのはついさっきの事だ。

 少しばかり遅すぎやしないだろうか、とケイナは言いたいのだ。


「ちょっと訓練に熱が入ってね。朝からずうっと撃ち込んでたら、こんな時間になっちゃった」


 姉の言葉にそう返すエイジャ。

 ケイナは思わず眉を顰めた。


「朝から、今まで?」

「そ、十二時間くらいかな」

「……休憩は?」

「お昼は食べたし、何度か水飲んでトイレには行ったよ」

「エイ君よ、それにしてもやり過ぎじゃないか」

「あはは」


 誤魔化すように笑う弟を半眼で睨むが、まるで堪えた様子はない。

 小さい頃から彼は、どれだけ怒られても全く気にしない性格だったのだ。

 それを知るケイナであるからして、すぐに睨むのを止め、それから静かに嘆息した。


「これでよし」


 やがて全弾確認を終えたエイジャは弾薬をポーチに納めた。

 それから今度は、誤魔化しではないにこやかな笑みを浮かべた。


「ねえケイ姉、お腹空いてない?」

「む、いきなりなんだ」

「ケイ姉も仕事が終わってるならご飯食べに行こうよ。俺、この前美味しそうな店見つけたから、ちょっと行ってみたいんだ」

「そうなのか、私の仕事は……」


 引き出しを開けて中の書類を確認するケイナ。

 昨日からの大量の書類はほとんど消えてなくなっていた。


「今日のところはもう出来る事がないな。いいだろう、たまには」

「やった。それじゃあ行こう」


 そのまま連れ立って執務室を出る二人。

 お互い私服に着替えると、ずんずん先を歩くエイジャとそれに続くケイナは騎士団本部の敷地を抜けて町中へ。


 懐中電灯代わりに投光機術(フラッシュライト)を使うエイジャが強烈な光を放つ小さな円筒を振り回し、ケイナがそれを窘めたりしていると、魔導ランプの立ち並ぶ通りまでやって来た。

 ライトを消してさらに進み、二本ほど裏の通りに進んだところでエイジャは、食堂らしき建物の前で足を止める。


「ここだよ」

「おお、なかなか美味しそうな匂いがしているじゃないか」


 店中に入る。

 少々雑然としているが狭さは感じないし客の入りも良い。

 厨房から漂ってくる熱気には香辛料の香りが混ざっていて、外で嗅いだときより更に強く、食欲を刺激してくる。

 ケイナもお昼以降は何も食べていなかったため、自然と涌き出てくる唾液を飲み込んだ。


「えっと、どこかな……、あ、居た」


 と、店内を見回していたエイジャが何かを見つけたようにして手を振る。

 釣られてケイナもそちらに目を向けた。


 その先にいたのは三人の男女だ。

 ケイナは三人とも見覚えがある。

 というか、一人は昨日も会った。


「お疲れ様です、お二人とも」

「待ってたよ隊長~、ケイナさんもお久し振り~」

「お、お疲れ様ですっ!!」


 くすんだ金髪を三つ編みにしている女性、黒に近い紺色の癖っ毛を無造作に垂らした男、セミロングの明るい茶髪に丸眼鏡が特徴の女性、三人ともエイジャとケイナの姿を認めると思い思いに言葉を掛けてきた。


 ゼーベンヌ・リッターソン。

 カインズ・ゴルゴレックス。

 サフィーニア・ペネロピー。


 全員、エイジャの部下である。


「ゼーちゃん、カイ君、それにサっちゃん、待たせたね」

「早く座って下さいよ、あとは隊長たちだけなんですから」

「あはは~、僕らはもう注文したからね~」

「お、お先ですっ!」

「りょーかいりょーかい。さ、ケイ姉も座りなよ」

「あ、ああ」


 予想外の面子に少々面食らっていたケイナも、エイジャに促されて席に着く。

 エイジャが薦めてきた「数種類のスパイスで肉と野菜を煮込んだスープ」などを注文してから、ケイナは取り敢えず金髪三つ編みの女性に話を聞くことにした。


「ゼーちゃんよ、昨日ぶりだな」

「そうですね、ケイナ隊長」

「ところでこれは一体何の集まりなんだ?」

「あれ、聞いてないんですか?」


 ゼーベンヌは若干驚いたよう目を見開くが、すぐに気を取り直したようだ。

 簡単に説明してくれた。


「今日、隊長に付き合って遅くまで訓練してたメンバーですよ。隊長が、俺が奢るから皆で食べに行こうよ、などと言うものですから、こうして皆で食べに来たのです」

「……そうだったのか」


 ケイナは途端に申し訳なさそうにした。

 眉尻が大きく下がりハの字を描く。

 元々垂れ目がちだった灰色の瞳が悲しげな色を帯びた。

 いきなりの変化に、ゼーベンヌが思わず「え?」と呟いた。


「すまないな、そんな集まりに紛れ込んでしまって」

「いえ、あの」

「エイ君に誘われて何も考えずに来てしまったが、そういう事なら私は居ない方が良いんじゃないかな?

 私がいる事で皆の楽しい一時を邪魔してしまうのは心苦しいのだが」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 ――いきなり変わり過ぎでしょ、この人。


 などとゼーベンヌが思っている間にも、ケイナの言葉は止まらない。


「いつもそうなのだ。私が何かの集まりに参加すると決まって皆ギクシャクするんだ。私が居ない事で上手く回っていた集団が私という異物によって途端に乱れていくのだ……!」

「ケイナ隊長、落ち着いて下さい」

「今回もきっとそうだ。私が居る間は皆表面上は楽しそうにしてくれるし私に優しくしてくれるのに、私が帰ったあとで私への不満や批判が噴き出してくるのだ。

 知らぬは私だけで、皆してそんな私を笑ったりしているのだ!」

「……」


 ゼーベンヌは、「エイジャ隊長と同じくらい面倒臭い!」と思いながらケイナを宥めにかかる。

 こうなる可能性がある事は事前に(・ ・ ・)聞いていた。

 聞いてはいたが……。


 ――ケイ姉ったら時々変なスイッチが入って物凄く悲観的になるんだよねえ……って、昨日も思ったけど急過ぎるわよ! もうちょっと頑張りなさいよ!


「ケイナ隊長、私たちは貴女の事を邪魔だなんて思っていませんよ」

「嘘だあ、そうやって信じさせて、あとで私を笑い者にするんだあ」

「っ……!」


 駄々っ子か、とゼーベンヌが内心で突っ込んだ。

 実際言ってる事は駄々っ子そのものである。


 ちょっと身体の大きな二十九歳児。

 字面の違和感がとんでもなかった。


 これで、普段は比類なき実力を持った神官なのだから、恐れ入る。


「そんな事ありません、私は貴女の事を尊敬しています。そんな人物相手に不義理なことはしませんよ」

「……本当か?」

「はい」

「……うう」


 その言葉を聞いたケイナは、縋るような目でゼーベンヌたちを見回す。

 すると。


「いや~、僕も久しぶりにケイナさんとこうしてお話出来て嬉しいですよ~。なんせ、親愛なるエイジャ隊長のご家族なんですから~」


 いつもどおりにニコニコしながらのカインズが、ケイナをヨイショしてみせた。

 露骨なくらいの言葉に、エイジャは少しだけ顔を顰めたが、ケイナは疑いもせずに喜びをあらわにした。


「そ、そうか、そう言ってくれるのか」

「もちろんですよ~」


 カインズは内心で、流石エイジャ隊長のお姉さんだなー、と思っていた。

 何に対して流石と思ったのかは知らないが。


「あ、あのっ!」

「ん?」


 そしてサフィーニアである。

 彼女の目は、地味な黒縁の丸眼鏡越しにもはっきり分かるほど、キラキラと輝いていた。


「私、またケイナ隊長にお会い出来て感激です!」

「ああ、サッちゃんもその後は変わりないか?」

「!!」


 サフィーニアの顔が、輝かんばかりにパッと綻ぶ。


「覚えていてくれたのですか!?」

「私は、自分が診た者は全員覚えているよ。もう左足に違和感はないかい?」

「あ、ありません! あの時は本当にありがとうございました!!」

「なに、構わないさ」


 彼女の、ケイナに対する敬意は他の二人の比ではない。

 以前、大怪我を治してもらった事があり、今もずっとその事に恩義を感じているのだ。

 そのためサフィーニアは、今にも跪かんばかりの勢いで感動している。

 それを隣で見ているゼーベンヌが若干引きつつもコホンと咳払いし、ケイナに向き直る。


「ほら、皆こう言っていますから。心配なさらないで下さいよ」

「そうだな。すまなかった、取り乱してしまって」

「いえいえ」


 ゼーベンヌは安堵した。

 どうにかケイナを宥める事が出来たからだ。

 このやり取りに口を出さず眺めるだけでいた挙げ句、よくやった、とばかりに深く頷くエイジャに対しては軽い苛立ちを覚えたが、それはもう仕方のない事だろう。


「お、そろそろ料理が運ばれてきたよ」

「……はあ、やっとですか」


 どうしてご飯を食べにきてこれほど疲れなくてはならないのかと、ゼーベンヌは深く溜め息を吐いた。

 料理が美味しかったのが何よりの救いである。




「それじゃあね、皆」

「それでは失礼します、お休みなさい」

「おやすみ~」

「おやすみなさいっ!」


 食事後、騎士団本部に戻った一堂は、正門を潜ったところでそれぞれの寮室に向かうべく別れを告げる。


 一般団員用の寮と幹部団員用の寮は別であるため、エイジャとケイナは自分たちの住む幹部寮棟に向かった。


 途中、ケイナが満足そうに呟く。

 表情は自然と和らいでいた。


「久し振りに楽しい食事だった」

「そう、良かったよ」

「普段食堂で食べるときは皆が遠慮して近寄ってこないからな。行くのが遅くなって皆食べ終わってしまっているときも多いし、行きそびれるときもある」

「ケイ姉は忙しいもんね、騎士団(ここ)と教会連の仕事を一緒にやってるし。皆もそれを察してるから、あんまり近付かないんだよ」

「そうだな」


 ケイナは寂しげに頷く。

 仕事のやり甲斐はあるが忙しさのあまり帰りが遅くなることも多いし、何より騎士団に来て三年近く経つのに古くからの知己以外の友人はあまりいない。

 同じ隊の部下たちか、自分が治療した団員くらいがせいぜいで、後はどことなく距離を置かれているのだ。

 作る暇もなかったといえばそうなのだが――。


「時々、昔を懐かしく思うときがある。エイ君やデザ君なんかと一緒に遊んでいた頃をだ。あんな風に何も考えずに遊んでいられたのは、今考えればとても尊い時間だった。今ではあんな事、到底出来ないからな」

「……ふうん」

「もちろん今だって大切だ。なんせ私たちには責任があるからな、この国を守るという責任が。それに教会だって弱き者や傷付いた者を救うという使命がある。それに携わっているのだ、ちょっとやそっとの事でどうこう言うつもりはない」

「……」

「ただ、……やっぱり寂しいのは嫌だな」

「……そう」

「ああ。何か辛い事があった時、誰かに聞いてほしいと思うときはあるんだ」


 ケイナのその言葉は、無意識的に零れた憧れであった。


 誰かと一緒にいたい。

 と、最近頓にそう思うようになった。

 これといった何かがあった訳ではないが、ふとした時に胸を締め付けられるような寂寥感を感じるときがある。

 そこから、じわじわと焦燥感が滲んでくるようになり、それが今は結婚への焦りという形で表面化しようとしているのだ。

 寂しがり屋のケイナにとっては、自分が頑張るほど周りの人たちが離れていく今の現状が、少しずつ心を苛むのである。


「まあ、なんだ」


 そしてケイナは、漏れ出てくるそんな思いを振り切るようにして、明るく笑おうとした。

 エイジャに対しては、常に、善き姉でありたいのだ。

 それがやせ我慢を伴うものであったとしても、仕方がないと思うから。


「こんな話をしていても仕方がないな。済まないエイ君、今の話は忘れて――」

「――ケイ姉」

「ん?」


 そしてエイジャは。



「昨日俺たちが帰ってから何か有ったでしょ?」



 そんな姉の決意を、根刮ぎ叩き潰すような言葉を放った。


「っ――!? な、何を一体……!!」


 ケイナは思わぬ弟の言葉に、激しく狼狽した。

 エイジャが、そんな姉の姿に静かに目を細める。


「……ふーん、そんなに慌てるって事は本当に何か有ったんだ」

「っ!!」


 ケイナはすぐさま「しまった!」と思う。

 こんな簡単なカマかけに引っ掛かるなんて、とも。

 そして、慌てて取り繕おうとするケイナに向けてエイジャは、軽く溜め息を吐いた。


「本当に、ゼーちゃんたちの言うとおりだったんだねえ」

「……ゼーちゃん?」

「うん、皆でお昼食べてるときにたまたまケイ姉を見つけたみたいでねえ。声を掛けようかと思ったらしいんだけど、……何か、怖い顔して考え事してたみたいだから止めたんだって」

「……そうか」


 ケイナは、その時の事を思い出す。

 確かに、考え事はしていた。

 昨日から、ずっと。


 いきなりやって来て、再びどこかに行ってしまった友人(・ ・)の事を。


「で、何があったの?」

「……エイ君には」

「関係なくてもいいよ、教えてよ」


 エイジャが一歩歩み寄り、重ねて問うた。

 ケイナは一瞬何か言い返そうとするが、すぐに言葉に詰まる。


「…………」

「ケイ姉?」


 エイジャの灰色の瞳を見遣る。

 強い光を帯びている訳ではない。

 しかし決して引く気はないのだと窺わせるだけの意志の強さを宿している。


 昔からそうだ。

 弟は、何かここぞというときには、一歩も引かず相手とやり合おうとするのだ。


 ――こうなってしまったら、無理だろうな。


 ケイナは、隠し切れない、と観念した。

 盛大に溜め息を吐きながら、天を見上げる。


「……本当に、大した事じゃないんだ。エイ君たちが帰ったあと、古い友人に会ったんだよ」

「友人?」

「私が聖国で修業していたときに知り合った女性だ。いきなりやって来て、よく分からない事を言って、すぐに何処かへ行ってしまった。彼女の事が少し気になっているだけなんだ」

「へえ、そうだったんだ」


 実際には少しどころではなく、仕事の進捗に影響するくらいには悩んでいたのだが、それはまあいい。


「その人、何て言ってたの?」

「……確か、満月の夜に気を付けろ、私たちの力が必要になる、と言っていたと思う」

「……」


 エイジャは何事か考え込む素振りを見せる。


「その人の見た目ってどんな感じ?」

「ん……、髪は薄紫色で緩いウェーブが掛かっている。瞳も髪と同じ色だ。肌はかなり白い、向こうは寒いからな。身長は比較的高めだが、まあ、胸は無いな」

「名前は?」

「……私は『ヴィラ』と呼んでいた。

 正式には、ヴィルメリア。

 ――ヴィルメリア・シヴィライゼート」

「……了解」


 そこまで聞くとエイジャは、踵を返した。


「どこへ行くんだ?」

「……本館の俺の部屋。ちょっと忘れ物を思い出したんだ。先、帰っといてよ」

「……分かった」


 そのまま遠ざかっていくエイジャであったが、ふと思い出したかのように足を止めた。


「そういえば聞き忘れてたけど、そのヴィラさんって、歳幾つ?」

「…………私と、同い年(・ ・ ・)だったはずだ」

「そう。俺もちょっと気に掛けとくよ。もし会えたら、聞きたい事もあるし、さ」

「……ああ」


 エイジャの姿が、夜の闇に紛れていく。

 すぐさま、影も形も無くなった。


 ケイナは、エイジャの向かった先に広がる闇を見つめながら、ぼそりと呟いた。


「同い年、だったはずなんだ。――なのに」


 闇の中に幻視する、ヴィラの姿。

 まだ一晩しか経っていないのだ、鮮明に思い出せる。



「なぜ、お前は、――歳を(・ ・)取って(・ ・ ・)いない(・ ・ ・)んだ」



 ヴィラの身体、およそ十五年前に別れたときと、ほとんど変わっていなかった。

 成長していない、というレベルではない。

 時の流れから外れてしまったかのように、若いままだったのだ。

 エルフやドワーフなどの長命種ではない、人間であるはずの彼女ではあり得ない若さだ。


 だからこそ、昔の面影から彼女だと分かった。

 いつも見ていた顔と、よく聞かせてくれた声だったから。


「ヴィラ」


 ――お前は、どうしてしまったんだ?


 答えなど、ない。

 だからケイナは、ずっと悩んでいたのだ。



 そしてこの日も、終ぞ答えは見つからぬまま、ケイナは長い夜を過ごしたのだ。




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