第7章 5
◇
感動的な親子の再会というやつに水を差さぬよう静かにしていた修一たち。そのまま放置されること暫くして、ようやくノーラから紹介される事となった。
「ところでノーラ、そちらの方々はどういう関係なのかな?」
という父親からの問い掛けを受けたのだ。
ノーラとしても紹介するタイミングを図っていたようで、渡りに船とばかりに一人ずつ手で示していく。
「彼がシューイチさん、彼女がメイビー、シューイチさんの足元にいるのがレイです」
「どうも」
「よろしくねー」
「…………ん」
三者三様に挨拶をする。
レイは恥ずかしいのか、修一の後ろに隠れてしまったが。
「彼らは、旅の途中で出会った友人たちです。私がここに帰るまでの道中で、護衛をしてくれていました」
「あら、本当なの?」
それを聞いた母親が申し訳なさそうに修一たちに近寄ってくる。
目の前まで来られて一体何だと思っていると、そのまま頭を下げられた。
流れるような所作はともすれば見惚れてしまいそうなほどたおやかで、修一とメイビーは思わず顔を見合わせた。
「ありがとうね、娘を守ってくれて。こうしてまた愛する我が子を抱き締められたのも、貴方たちのお陰よ」
それは深い感謝の念が篭められた言葉であった。
あんまりにもストレートに言われて背中が少しむず痒くなる。
「えっと、……頭を上げてくださいよ」
「!!?」
修一が恐縮したように言うと、隣のメイビーがこの世のものとは思えないものを見たときのように驚愕に満ち溢れた顔をした。
――シューイチが敬語を使った!?
だけで、この驚き様だ。失礼な。
まあ修一も、恐らくそう思われてるんだろうなとは思っているので、メイビーの態度を無視した。
修一にとってノーラは敬語を使って接しても構わない相手であり、だからこそその両親に対してなら同様に敬語を使ったりもするのである。
「俺たちも、ノーラに出会えなかったらどこかその辺の道端で野垂れ死んでたかも知れないんです。そういう意味では、俺たちの方が助けてもらっているんですよ」
この言葉は、本心だ。
もし、この世界に来た初日にノーラに出会えていなければ。
修一は、言葉も常識も分からぬこの世界で、本当の意味で一人ぼっちになっていた事だろう。
なまじっか戦闘能力があるためすぐに行き倒れる事はないにしても、そうなっていたとき修一は、今のように誰かのために何かが出来る状態ではなくなっていたはずだ。
それを彼は、身をもって知っているのだ。
「俺もメイビーも、……いや、俺たちの方がノーラに感謝しているんです。だから、頭を上げてください」
「……」
「なにより、友人の母親にそんな風に頭を下げられると、気恥ずかしくて堪りません」
「……そう、分かったわ」
そこまで言われてフローラは、ゆっくりと頭を上げる。
そして優しく微笑んでみせた。
流石ノーラの母親だ、と思えるほどの美しい笑みだった。
「それでも、私たちだって貴方たちに感謝しているという事は忘れないでね」
「はい」
「それと、そんなに気を張ってくれなくてもいいわ。普段通りの言葉遣いにしてちょうだいな」
「……」
修一はちょっとだけ逡巡し、ノーラに視線を向ける。
ノーラが「大丈夫ですよ」という感じで頷いたのを確認してから、「分かった、そうするよ」と答えた。
修一が納得してくれたためフローラも満足そうに頷き、それから――。
「ところでなんだけどシューイチ君、この子は?」
と、修一の後ろに隠れているレイを見つめてそう言った。
「…………」
レイが無言のままフローラを見つめ返す。
恥ずかしがったり怯えたりしているわけではないらしく、なんというか、見定めているようであった。
やがてコテンと首を傾げると、レイは口を開いた。
「…………おかあさん、」
「……」
「――の、…………おかあさん?」
「!」
フローラがパッと顔を上げて修一を見る。
なにやらキラキラした目をしていた。
そしてもう一度レイに視線を戻す。
今度はしゃがみ込んで、目線の高さを合わせた。
「お、お母さんっていうのは、誰の事なの?」
「…………?」
若干興奮したように問うフローラ。
レイはキョトンとした顔をして、その人物を指差す。
それを見たセドリックの顔が一瞬で強張ったのを、修一は見逃さなかった。
「…………のーら」
「――!」
「まあ!」
セドリックとフローラの表情が、実に対照的に変化する。
セドリックが顔を青褪めさせていくのに対し、フローラは更に興奮し顔を紅潮させていく。
これは不味い、と修一が慌てて口を挟んだ。
「あー、レイがノーラの事をお母さんと呼ぶのは少しばかり事情があってだな――」
「ねえねえレイちゃん、それなら貴女のお父さんはだあれ?」
「……」
しかし全く聞いてくれてない。
フローラは期待に満ちた眼差しでレイを見遣った。
レイは修一の足にギュッと抱き付いたまま――これがすでに答えのようなものだが――、答える。
「…………しゅういち」
「やっぱり!」
その途端フローラは諸手を打って立ち上がり、ノーラに向かって駆け寄っていく。
修一は困ったように頭を抱えた。
「もう、ノーラったら! 勉強だけじゃなくて、ちゃんとヤる事はヤってたんじゃない。そうならそうとどうして手紙に書いてくれなかったのよ!」
「ごめんなさい、母さん」
「いいわ! 孫の顔を見せてくれたから許してあげる!」
「はい」
修一は、「はいじゃねえだろ、孫じゃねえだろ、誤解を招くだろ、ノーラ!!」と内心で叫んだ。
声に出さなかったのは、今は何を言っても無駄な気がしたからだ。
「それにしても、ノーラがこんなイイ人連れてくるなんて思わなかったわ。年下なんでしょ? よく捕まえたわね」
「私にも色々あったのですよ」
「そうよね、手紙には浮わついた話の一つも書いてこないから心配してたけど、ノーラももう二十三なんだからいちいち報告したりしないわよね」
「……ええ」
ちょっと言い淀むノーラ。
露骨に目も泳いでいたわけだが、フローラは気付かない。
果たしてどこまで保つかな、と修一は半ば他人事のように考え始めていたのだが、思ったよりも早く状況が動いた。
「――――」
「あら、どうしたのセド。顔色が悪いわよ?」
一言も喋らずに妻の言葉を聞いていたセドリック。
その顔色は、白粉を塗ったように真っ白になっていた。
以前、似たように顔を青褪めさせたノーラを見たことがあったため、修一はこの後の展開を容易に想像出来た。
「……レイ、ちょっと離れててくれ」
「? …………うん」
理由は分からなかったが、取り敢えずレイは手を離す。
それを確認した修一が、セドリックに向けて一歩踏み出したところで。
「…………ふあっ」
セドリックが膝から崩れ落ちた。
「セドっ!?」
「父さん!」
驚く母娘と、慌てず駆け寄って身体を支える修一。
「……父娘だなあ」
気絶する時のリアクションまで一緒なのかよ、と修一は、感心したような呆れたような何とも言えない気分になった。
◇
「疲れた……」
修一がぐったりしたように呟く。
ここはノーラの実家の二階にある、修一に宛がわれた客室だ。
大きくて見るからに高級そうなベッドに腰掛けた修一は、先程までの遣り取りを振り返って頭を掻く。
「一先ず誤解は解けたが、……親父さんには睨まれたままになったな」
時刻は既に夜九時を過ぎている。
それまでの間、倒れたセドリックを自室に運んだり、部屋を宛がってもらって荷物を置いたり、風呂に入って着替えたりと、色々やる事をやった。
そして夕食時に起き上がってきたセドリックと、その時にはある程度落ち着いていたフローラに対し弁解を行う修一。
美味しいご飯をご馳走になりつつ、長々と一から事情を説明した事でどうにかレイの立ち位置を納得してもらう事に成功した。
自分とノーラとの間にそういう事は一切無かったと、両親の名に誓ってみせたのが功を奏したようである。
ただまあ、セドリックの疑念は完全には晴れていなかったように思うし、フローラの態度も「それならこれからなのね」みたいになっていたので、予断を許さない状況に変わりはないのだろうが。
「レイ」
「…………なに?」
同じベッドの上に寝転びフカフカした枕に抱き付いてぼーっとしていたレイが、修一に呼ばれてコロンと寝返りを打つ。
とろんとした眠そうな瞳で見つめてくる少女に、修一は何と言うべきか悩む。
今日の騒動に関してレイが原因の一端にはなっているのだが、しかしそれでレイに非があるかと言えばそれは違うだろう。
五歳の子どもが大人の質問に素直に答えたとして、非難される謂れはないはずだ。
それをとやかく言うのは大人げないし、そもそも言っても理解して貰えないと思う。
そう考えたから修一は、レイに対して何と言うべきか悩んでいるのだ。
「…………」
「…………?」
難しそうな顔で修一は黙り込む。
修一の知識の中には、子どもに対して「不用意な事を言ってはいけない」と伝えるための言葉が存在していなかった。
そして悩んだ末に修一が口にしたのは、「あんまり余計な事を言わないようにな」という在り来たりで面白味のない言葉であった。
だからレイは、よく意味が分からないまま「うん」と答えた。
「やっほー、起きてるー?」
「メイビーか」
レイがスヤスヤと寝息を立て、修一もそろそろ寝るべきかと思い始めたころ、メイビーの声がドアの向こうから聞こえてくる。
そのまま返事も待たず室内に入ってきたメイビーに修一は「おい」と言うが、気にせずメイビーは修一の隣に腰掛けた。
「お疲れだね、シューイチも」
「そりゃあ、まあな」
二人の距離は拳一個分ほどもないが、どちらもその事に対して何も言わない。
ごく自然に会話をしていた。
「フローラさん、シューイチから言質取ろうとして大分粘ってたもんね」
「ああ、何度同じ事聞かれても、答えは変わらないってのに」
「セドリックさんなんか、いろんな感情の入り交じった顔でシューイチを見つめてたし」
「心配しなくても良いのにな。やっぱ父親としては不安なんだろうか」
「まあねー」
取り留めのない遣り取りを続ける二人。
暫くそうしていたところで、不意にメイビーが身体を寄せてきた。
「あん?」
二の腕と太股が触れ合い体温が伝わってくる。
肌は驚くほどすべすべしていて、まるで茹でたての卵のようだ。
「ね、ドキドキしない?」
そうしてイタズラっぽく笑うメイビーの言葉に、しかし修一は平静を保ったまま応じてみせた。
「いや、全然」
「えー?」
「本当だって、ほら」
「!」
躊躇いなくメイビーの手を取り自身の胸に当てさせる修一。
握られた瞬間、逆にメイビーの方がドキリとする。
「な、普通だろ」
「……そうだね」
ただそれも、修一の言葉が事実だと分かるまでだった。
不貞腐れたようにメイビーが呟く。
本当に何も感じていないと理解したのだ。
「なんか、納得いかないんだけど」
「何がだ?」
「だって、同じような事をノーラがしたらドキドキするんでしょ?」
「するな」
迷いなく答える修一。
メイビーは余計に不機嫌になる。
「僕とノーラで何が違うのさ?」
「何、って聞かれても困るな。考えた事ないし」
「じゃあ今考えてよ」
「うん? んー……」
メイビーの手を離して考える修一。
修一の言葉をじっと待つメイビー。
たっぷり一分ほど悩んだ修一は、お手上げとばかりに諸手を上げた。
「やっぱ分かんね」
「ちょっと」
「いや、本当に分からないんだよ。いくら考えても思い浮かばん」
「むぅ……」
メイビーは、チラリと自分の身体を見下ろす。
相変わらず、起伏の少ない身体だ。
ひょっとしてコレのせいだろうか。
「ソレじゃないぞ」
「え?」
「そんな分かりやすく気にしなくても、別に体型でどうのこうの言わんよ」
「胸の大きさは気にしない?」
「大きければ良いとは思うけどな」
「蹴るよ?」
「なんでだよ」
はあっ、と溜め息を吐くメイビー。
それから修一の目を見据えて――。
「ノーラはさ」
「うん?」
「シューイチの事が好きだよ」
と言い切った。
「……」
対して修一は、「そうだろうな」と言わんばかりに表情に変化がない。
「それが原因なんじゃないの?」
「そうかな」
「違うって言うの?」
「分からない」
「ノーラの事、変だって言ってたよね」
「言ったな」
「あれは変なんじゃなくて、変わったんだよ。変わろうとしてるんだよ」
「……」
修一が僅かに顔を顰めた。
「シューイチはノーラの事嫌い?」
「それはない」
「じゃあどうして、ノーラの気持ちを無視するのさ?」
「……お前、わざわざそれを聞くためにここに来たのか?」
「質問に質問で返さないで」
「む……」
「それで、どうして?」
「…………」
重ねて問われた修一は、苦みばしった顔で、
「不誠実だからだ」
とだけ答えた。
当然、メイビーには意味が分からない。
「どういう意味さ?」
「言葉のとおりだ」
「はぐらかそうとしてるの?」
「違う。…………レイにも言ったが、俺の故郷は遠い。メイビーにも教えただろ? もし、ノーラの気持ちを受け入れたとしても、連れていけるところじゃない。なら、最初から相手にしない方がいいだろ。その気にさせたら、余計に傷付ける事に――」
「じゃあ、」
メイビーは修一の言葉を遮り、何の気なしにこう告げた。
「帰らなければ良いんじゃない?」
「――――」
そう言われた瞬間の修一の表情。
まるで今にも泣き出しそうであった。
「――えっ?」
メイビーは思わず動揺する。
そんな反応をされるとは思わなかったのだ。
「…………」
「…………」
お互い言葉を失う。
やがて修一がポツリと呟いた。
「――メイビーは」
「……なに?」
「母親との再会を諦められるのかよ」
「! ……それは」
そう言われたメイビーが視線を逸らす。
諦められるはずはない。
そしてつまりは、そういう事なのだろう。
「……ごめんね、変な事言って」
「いや、いい。……それより、明日レイを受け入れてくれそうな孤児院なりの施設を探そうと思うんだ。手伝ってくれないか?」
「……」
「合わせて、お前の母親を探すのも手伝うからさ、頼むよ」
「……うん」
メイビーには、頷く以外に道はなかった。
そして、これ以上修一を追及する事も出来そうにない。
ゆっくりと立ち上がり、修一から離れるメイビー。
修一は、心なしか安堵したような表情を浮かべた。
「……じゃあ、また明日ね」
「おう、おやすみ」
「……」
結局メイビーは、修一に対する疑問を解消するどころか、更にモヤモヤを抱え込んで部屋に戻ることとなったのだった。