第7章 4
◇
ナビィと大通りで別れ、ノーラの実家へ足を向ける。
別れ際に修一は、更にナビィに念押ししておこうかとも考えたのだが、「言うのはこれが最後」だと先程言ってしまっていたので諦める。
それに、何度言っても理解出来ない奴というのはいるものだし、理解できる奴はすぐに理解してくれる。
ナビィがどちらの人種か定かではないが、今は前者でないことを祈るしかない。
あれほど怖い目に遭わせてやったのだから少しは懲りてくれよ、とは思うとしても。
「喉元過ぎて忘れるか、懲りて膾を吹くようになるか……」
「何の話ですかシューイチさん?」
「ああ、ナビィの話だよ」
ノーラが不思議そうに問うてくる。
修一の世界の諺だ。伝わらなくても無理はない。
だから、そんな風に上目遣いで見てくるな、と修一は嘆息した。
「要するに、アイツが心を入れ替えるかどうかはアイツ次第なんだよな、って事だよ。
ああいう奴は何度も見た事があるけど、改心したのは全体の三割くらいだった」
「なるほど……」
「残りはずるずるずるずる堕ちるとこまで堕ちていって、最終的には国家権力のお世話になってたよ。
……どいつもこいつも、馬鹿ばっかりだった」
「……」
ノーラは、修一がどこか遠い目をしている事に気付く。
その馬鹿たちと修一がどのような関係なのかは分からないが、浅からぬ関係であったのではないか。
だからこそ微かに苛立ちを滲ませているのだろうし、ナビィの事も気に掛けているのだろう。
「大丈夫ですよ、シューイチさん」
「うん?」
そうして唐突なノーラの言葉に、修一が思わず聞き返す。
「ナビィだって、きっと分かってくれていますよ。だってシューイチさんが、ここまで心配しているのですから」
「……」
気を遣ってくれているのだと、すぐに分かった。
修一は、ノーラの慈愛に満ちた表情に数秒見惚れたようになり、それからそっと視線を逸らす。
こんなの、直視できるはずもない。目の毒だ。
だから、誤魔化すように話題を変えた。
「ところでノーラ。今俺たちはノーラの実家に向かっている訳だが、あとどれくらいで着くんだ?」
「そう、ですね。この大通りをもう少し進むと父の職場があります。そこから十分もしないところに私の実家はありますので、もう間もなく着きますよ」
「そうか」
すると、後ろで話を聞いていたメイビーが、ここぞとばかりに話題に乗ってきた。
「はいはーい! ノーラに質問なんだけど!」
「おや、どうしました?」
彼女は、ここに至るまで大人しくレイの相手をする事に努めていたのだが、それは、心機一転したノーラの邪魔をしないためなのである。
理由は分からずとも、ノーラが自分の気持ちに正直になった事を非常に好ましく思っているのだ。
「僕、ノーラの両親の事とか色々聞きたいんだけど、教えてくれないかな?」
ただ、それでもずっと黙っているのは辛かったのか、話の内容が転じたのを機に会話に加わることにしたらしい。
ノーラは、メイビーの言葉に不思議そうな顔をした。
「私の両親ですか?」
「うん、前にも一回聞いたけどね。名前とか何ていうのさ?」
「父はセドリック、母はフローラですね」
「ほほーお」
それからメイビーは、容姿や体型、趣味や特技など細々とした事を聞いていく。
一通り聞き終わった後で、クルリと修一に向き直った。
「だってさ、シューイチ」
「何故それを俺に振る」
メイビーはニカッと笑ってみせた。
修一は少しだけイラッとしながら返答を待つ。
返ってきたのは次の通りの言葉であった。
「だって、名前も知らずに挨拶するのは失礼じゃん」
「!」
その言葉に、ノーラがピクリと反応した。
言葉の裏に篭められた意図を察したようだ。
「……あっそ」
そして、同じくそれに気付いた修一は出来るだけ平坦な声で呟き、会話を打ち切った。
何の挨拶だよ、とかは墓穴になりそうなので言わなかった。
メイビーとノーラがちょっぴり不服そうにしていたが、知ったことではない。
「…………」
レイに無言のままジッと見つめられたのは、ちょっとだけ堪えたが。
◇
「――着きました、ここです」
ノーラが目の前の家を指し示しながら、そう告げる。
修一たちは揃って感嘆の声をあげた。
「おおっ……!」
「ここなの!?」
「…………!!」
三人とも、思わず空いた口が塞がらなかった。
さもありなん。
ノーラの前に建つ立派なお屋敷を見れば、大抵の人間はそうした反応をしてしまうだろう。
それほどにノーラの実家は大きかった。
まず庭。
高い鉄柵によって仕切られた敷地はびっくりするくらい広い。
河川敷に設けられた野球グラウンドとかよりも広そうだ。
その中に、よく手入れのされた樹木や色とりどりの花が咲き誇る花壇なんかがあって、さながら庭園のようになっていた。
そして家屋。
修一の実家とは比べ物にならないほど広い。
修一の住んでいた家だって昔ながらの木造平屋建てで近所では一番大きい建物ではあったのだが、敷地面積ですでに何倍あるのか判断に困るほどだ。広すぎる。
それが三階建てになっているのだ。部屋いくつあるんだよ、とか思うが、実際に聞くと凹みそうなのでやめておこう。
兎に角だ、ノーラの実家を一言で言い表せば。
「大豪邸じゃねえか」
「……だね」
「…………おおー」
としか言い様がなかった。
神妙な顔付きで顔を見合わせる修一とメイビー。
その二人のリアクションを見たノーラが、さらりと言ってのけた。
「いえいえ、私の家なんてまだ小さい方ですよ? この地区のご近所さんたちは、もっと大きくて見映えの良い家を建てていますから」
「……そうみたいだな」
少し見渡しただけでも分かる。
ノーラの家よりも立派なところは幾つもある。
そもそもこの辺りの地区が高級住宅街というか、お屋敷が立ち並ぶ地区になっているのだろう。
どこもかしこも大豪邸だらけだ。
しかし、ノーラの父親が国内有数の大商会を経営している人物だというのは知っていたつもりだったが、こうして目にするととんでもない人物なのでは、と修一は思ってしまう。
「職場も無茶苦茶デカかったもんな」
「凄い数の人が出入りしてたよね」
ノーラの父親セドリックが経営しているという商店には今から十分ほど前に立ち寄ったのだが、大商会の本店というだけあってこちらも非常に大きかった。
「あ、コイツら一杯金持ってんだろうな」という人間たちが大量に出入りしていて、ノーラが一声掛けに行っている間、修一たちは店の外の邪魔にならないところに突っ立ってノーラの帰りを待つはめになっていた。
正直な話、場違い感が半端なかった。
「さ、入りましょう。父も母も、私の帰りを待ってくれているようですので」
「お、おう」
ノーラが急かすようにしてきたため、修一たちは取り敢えず後に続く事にする。ただし、気持ちの切り替えは出来ていない。
「で、これはどうやって開けるんだ?」
そんな中、修一が気になったのはお屋敷の門扉だ。
鉄柵でぐるりと囲まれた敷地の出入り口は見える範囲には一つしかなく、それが目の前にある正門なのだ。
この正門というのがまた大きくて、二メートル半ほどの高さの柵と同じ高さなのだ。
横幅も片側で三メートルほどあり、贔屓目にみてもかなりの重量がありそうである。
修一でも梃摺りそうな大きさのこれを、果たしてノーラに開けられるのだろうか。
「心配には及びませんよ、シューイチさん」
そう言って門扉に歩み寄るノーラ。
鞄の中から大きな鍵を取り出すと、それを正門の鍵穴に差し込み半回転させた。
それから鍵を引き抜いて門扉に備えられたノッカーを二度打つ。すると驚くべきことに、門が勝手に動いて開き始めたではないか。
見えない巨人が押し開けているようにゆっくりと動く門は、やがて可動域一杯まで開いて動きを止めた。
まるで、電動式のゲートみたいだった。
呆気に取られる修一たちに、ノーラは敷地内に入りながら説明する。
「魔導機械仕掛けの門なのですよ。
このように、鍵を使えば簡単に開けられます」
「……そうか」
「あと、そちらの柵には不用意に触らないでくださいね。警報魔術の術式が刻みつけられていて、侵入しようとする者がいれば大きな音が家中に響くようになっています。うっかり触って鳴らしてしまうと、大変なのですから」
「おう。……なあノーラ」
「なんですか?」
修一は、頭に浮かんだ言葉を言おうか言うまいか少し悩んだが、結局言った。
「俺が前に、ノーラって良いトコのお嬢様なのか、って聞いたときあっただろ?」
「ありましたね」
「その時ノーラは、違いますよ、なんて言ってたけどさ、……どこがだよ? マジで良いトコのお嬢様じゃんか」
「そうですか?」
修一の言葉に、ノーラは本気で首を傾げている。
「これくらいの事は、この周辺の家庭では当たり前の事ですよ? そんなに驚くような事ではないと思いますが」
「……そうかい」
修一はこの世界に来て初めて、ノーラの言う事も当てにならない時があるんだな、と感じたようであった。
「あっ……」
屋敷の玄関を潜り、広い玄関ホールに足を踏み入れた途端、ノーラが感極まったような声を出す。
何事だ、と思う必要もなかった。
玄関ホールの奥に、十人ほどの男女が立っているのだ。
おそらく大半はこの屋敷で雇われている人間たちなのだろう。
料理人の格好をした者、庭師の格好をした者、執事のような姿の爺さんに、家政婦姿の中年女性。
皆一様にノーラの事を、優しい瞳で見つめていた。
そして。
「無事に帰ってきてくれて、本当に良かった」
「お帰りなさい、ノーラ」
その集団の真ん中で、一際嬉しそうに笑みを浮かべながら、潤んだ瞳を拭う一組の壮年の男女。
男性は、短く刈り込んだ白髪混じりの茶髪に茶色い瞳、女性は、腰ほどの長さの栗色の髪に澄んだ青色の瞳。
二人たも顔立ちがどことなくノーラに似ていて、特に女性の方は目元などそっくりだった。
この二人が誰なのか、分かりきった事である。
だから修一もメイビーも、レイですらも、邪魔しないように口を噤んだ。
「っ~~~~!!」
感動の再会を、邪魔しないように。
ノーラが、二人に駆け寄った。
そのまま腕を広げて、二人まとめて抱き付く。
力一杯抱き締めながら、涙声になりながら、ノーラは二人に向かって声を振り絞る。
篭められた思いは、ただただ喜びであった。
「父さん!! 母さん!!
ただいま戻りました!!」
「ああ、お帰り」
「お帰りなさい」
男性の名前はセドリック・レコーディア。
女性の名前はフローラ・レコーディア。
ノーラの、実の両親である。
「卒業おめでとう、頑張ったのねノーラ」
「はい、挫けそうな時もありましたが、お母さんの励ましを糧にして頑張りました」
「ノーラ、お前が帰り道で事故に遭いやしないか、この二ヶ月間は気が気でなかったよ」
「ごめんなさい、でも、どうしても父さんたちに早く会って報告したかったのです」
そのまま三人は、思い思いに言葉を交わす。
七年近く離れて暮らしていたのだ。
語りたい言葉は尽きないだろう。
後ろの使用人たちも親子の感動の再会を静かに見守っているし、修一たちもノーラが自分たちを紹介してくれるまで待つ事にした。
「(ねえ、シューイチ)」
「(……どうした?)」
すると隣にいるメイビーが、わざわざ機密会話魔術を使って話し掛けてきた。
修一は顔を前に向けたまま言葉を返した。
「(良かったよね、ノーラ。お父さんとお母さんにちゃんと会えて)」
「(ああ、俺らのお陰だなんて言うつもりもないけど、護衛の仕事も無事達成だと思うと感慨深いよ)」
「(うん、そうだよね……)」
「……?」
なんだかメイビーのテンションが低い気がする。
修一はチラリとだけ視線を向ける。
ノーラを見つめるメイビーの表情には、喜びに混じってほんの少しだけ、羨望が滲んでいるようだった。
「…………」
修一はその理由にすぐに気付いたため、一先ずメイビーを励ましておく事にした。
「(メイビー、護衛の仕事も終わった事だし、お前の母親探すのも手伝ってやるよ)」
「(えっ?)」
「(どうせしばらくはこの町に滞在する事になりそうだし、レイを受け入れてくれる所も探さなきゃならんから、そのついでに)」
「……」
メイビーは、少しだけ何かに悩むような素振りを見せたが、すぐに「お願いするね」と言った。
修一は「任せておけよ」と言い切り、それから足元でじっとしているレイの頭を撫でてやった。
いきなり頭を撫でられたレイは不思議そうな顔で窺うように修一を見上げ、それから足に抱き付いてきた。
気持ち良さそうな顔で頭を撫でられながら、頬を擦り付けてくる。
――こっちもなんとかしてやらないとな。
自分を慕っている小さな女の子に緩く笑い掛けながら、修一はそう決意したのだった。