PieceⅠ妹と出会い
ぬるく、乾燥した部屋。
開けた窓から吹く冷たくもない風。
ミーン、ミーンと聞き慣れてしまったセミの鳴き声。
のどがものの数分でからっからに渇いてしまう程の気温の高さ。
室内は真夏の暑さに侵され蒸し暑く、僕の身体にシャツが貼り付くまでにびっしょりと汗が浸透している。
だらけ切っている身体はそのままに、窓の外が見えるように首を動かす。
7対3。地球と海と陸のような割合の澄み切った青い空と大きな入道雲がそこにあるのだと確認できる。
今日はこのままでいようかな。かったるいし。
時間は……と、壁に掛かる木製の縁の電波時計を見る。短針が11、長針が6を過ぎて11時30分ちょい。
まだ中途半端でなんのやる気も起きない時間帯だ。
「……寝る、か」
もう一度瞳に目蓋をし頭の中を真っ白な紙のように空っぽにする。
……。
…………。
………………。
それから数分経った頃。タッタッタッタッ、と小気味のいい音を鳴らして聞こえて来る。
次第に音は近付き、部屋の扉の前で止まる。
「お兄ちゃん、起きてるーっ?」
バンッと一瞬だけ大きな音を立てて扉が開き、それと共に元気のいいハツラツとした声が耳に響いた。
ペタ、ペタ、ペタ……。 このご時世に畳という時代錯誤を感じる遺物の上を歩く音が聞こえ、僕が横たわるベットの横で止まる。
「お兄ちゃん。いい加減に部屋から出て来なよ。下の方が涼しいよ?」
お兄ちゃんと何度も呼び僕の体を揺するが、僕は狸寝入りを決め込みそれをスルーする。
「ねぇ〜……お兄ちゃんってばー」
甘えた声で僕を呼ぶのは妹の鈴音だ。暇さえあれば暇潰しに僕を使って遊ぼうとするかわいい妹だが、こう言う時は素直にうるさいと思う。
「もう。降りて来ないとお昼抜きだよ?」
お節介というか、世話を焼きたがるところはかわいい。
そんなお姉さんぶる妹にはちょっとばかし意地悪をしたくなる。
「下って……下?」
指差して訊く。
「そう…だけど、お兄ちゃんの言う下じゃないよ!」
そう。今僕が差しているのは畳でもベッドでもない、男性用のパンツ、トランクスだ。
それを見て鈴音は顔を真っ赤にして慌てる。
「う〜〜〜〜〜〜〜〜っ」
鈴音は昔から下ネタ系に弱い。何年経っても免疫はと耐性が付かないから、そこをいじるのを趣味としての生き甲斐としている。
自分でもいい趣味してると思う。皮肉混じりではなく、心からそう思う。
他人から見たら妹に嫌がらせをする下品な兄という構図が出来上がるが、それはそれで受け止め、生きる糧として変換させてもらう。
いや、決してサディストでもマゾヒストでもありませんよ。ただそれも含めての妹いじりってなだけで。
「んじゃ、一階行きますか」
「もうっ。わかってるならそういうのやめてよね」
「そういうって?」
「え、え?……うぅっ、お兄ちゃんのイジワル」
涙目になる鈴音はとてもかわいらしくいじらしい。そこに僕は頭を撫でてやる。
「……むぅ」
そうすると鈴音は不機嫌な顔をニヤけた顔に変えていく。
アフターケアも僕の生き甲斐だ。
ただし、妹限定にだ。
「僕は着替えてから行くから、先に行ってて」
「うん。わかった」
もう先程の膨れっ面はそこになく、微笑む妹の姿があった。
「覗くなよ」
「それ女の子の台詞だよ。お兄ちゃん」
そう言い、扉を開けっ放しにして出て行く。
やれやれ。困った妹だぜ。
だが扉はそのままにして着替える僕。
いつでも鈴音が覗けるようにしておく。そうすれば色々とネタを作れるからな。
顔を真っ赤になって慌てふためく妹のかわいい姿を想像する。
うん。良い感じだ。
いつもと変わらない、変哲のない日々。
太陽が顔出し一日が始まり、月が顔出せば一日が終わる。
そんな当たり前で、変わらない日々。
忘れたくも、忘れられない、そんな記憶の欠片を持ちながら、僕はこれからも生きて行く。
「さて、と。かわいい妹の所に行くか」
開けっ放しの扉を潜り、閉める。
――この時の僕は知る由もない
――ひとりの少女と出会い
――運命を切り開いてゆくことになり
――現在を変えることになるなんて
――思いもしなかった
× × × × ×
今日は8月初日。
夏休み最初の日の午後、僕は冷房が効いたリビングで読書をしていると、家のチャイムが鳴り響く。
――ピンポーン
誰かがインターホンを押したのだろう。
僕は腰を浮かせた所で、夕飯の支度をしていた妹の鈴音が「あ、私が出るね」と隣のダイニングから顔を出して玄関へと向かった。
僕は浮かせた腰をそのまま降ろして読書の続きをしたのだが、鈴音の一声でまた立つことになった。
「お兄ちゃん、こっち来てーっ」
「ん、なんだろう」
リビングを出ると、鈴音がダンボールに苦戦していた。
「どうした?」
「これ持つの手伝って」
「ん?」
ダンボールは子供一人は余裕で入るんじゃないかと言うくらいの大きさで、持ってみると思ったより軽かった。
「僕が持ってくよ。鈴音はカッター用意して」
「うん、ありがとうお兄ちゃん」
各々にリビングに戻る。
脛より少し上くらいの高さのテーブルにダンボールを置く。
「ちょっと待ってね、お兄ちゃん」
「あぁ」
鈴音はテレビ下の戸棚からカッターを取り出して僕に柄の方を差し出してくれたのでそれを受けとる。
ガムテープの上から二枚の蓋が合わさった溝に合わせて切り込みを入れてゆく。
「……綺麗」
鈴音は感想を溢していた。
ボコッと言う音を鳴らしながらダンボールの蓋を開けると、そこには女の子が横に丸くなって納まっていた。
滑らかで艶々な黒髪。陶器のように白くスベスベな肌。そこに在るのが当たり前であるかのような完璧と言える顔のパーツ。何より、その全てが揃ってその“美”は完成されていた。
それに妹は魅せられていた。
僕もそうだった。
綺麗としか言葉が出て来ないぐらいにパーフェクトな『和風少女』だった。否、和だ。完全調和を醸す至高の少女がそこにいた。
服は純白のワンピースだったが。
「……これって」
時が経つのを忘れ、まばたきを無意識にしてはっとして差出人を見る。
だが書かれてはいなかった。
宛先の名は僕の名前が書かれていた。
――ぷに
気付けば鈴音はその『和風少女』頬に吸い付くように指でつついていた。だが起きる気配はない。
「すごいよお兄ちゃんっ。柔らかくて張りがあって気持ちいいの!」
妹ははしゃいでいた。
なんの疑問を持たず。
なんで箱の中に女の子がいるのかとか、配達しているのかとか、そう言う疑問を抱く常識が欠如しているとしか思えない。
それは仕方ないのかも知れないが。
鈴音は僕に対して姉ぶることが多いが、基本は子供っぽいのだ。それもどこかずれている感じで。
そんなちょっとした常識外れはあの幼い頃の事故が関係しているのだが、それはまた別の話。今持ち出すことではない。
閑話休題。
とりあえず、女の子を箱の中から出してあげることにした。
右手をその華奢な身体の肩に、左手を膝裏の腿に挟んで、所謂お姫様抱っこで持ち上げる。
「――おっ?」
軽かった。ダンボールを運んだ時も思ったが、すごく軽い。それはもう、羽のような軽さと言う比喩が出るくらいに、軽い。
「どうしたのお兄ちゃん」
「思ったより軽くて、少し驚いただけ」
「そっか」
あぁ。と応えて腕の中で眠る(?)少女を見る。
――やはり綺麗だ
容姿端麗とはこのことを言うのだなと思った。
近くで見ると段違いに綺麗と思える。
その綺麗さは日本人形のそれで、人形のように軽くて綺麗で、脆さを感じた。
強く抱けば砕けて壊れてしまうのではないかと危惧してしまう、そんな脆さ。
「……お兄ちゃん」
呼ばれて見れば、妹の目はジトっとなって疑いの目になっていた。
どうやら嫉妬らしい。兄である僕が女の子が抱えているのが気になって仕方ない様子。
このままでも仕方ないと思い、ソファの上に置こうと移動をゆっくりとしたのだが、
「――っと」
テーブルの足に躓き、転びそうになる。
「お兄ちゃん!」
妹の声が横から聞こえる。
ソファの上に女の子は座り、僕は手を着き、そして――
――ふに
唇に柔らかくも暖かい感触がした。
目先には彼女の顔があって、それを僕の顔が覆ったような状態である。
どうやら、転ぶのを防ぐことに失敗したらしい。だが、これはどういう……。
「――はっ。え?……え?」
鈴音が目を見開き、状況に追い付かない顔をする。
それもそうだ。和風少女の体が“光った”のだから。
――理解が追い付かない
頭が真っ白になり刻一刻と秒針刻みで時間が過ぎている間にも女の子の体から光は発して視界の色を奪う。
反射的に目を瞑ってしまう。
――チュイィィィィィィイン
ディスクを読み込む時みたいな小さい機械音が耳に響いて聞こえる。
「システム正常。問題は何処にも発見出来ず。以上、全部位異常は無しと見る。これにより凍結常態から活動常態に切り変える」
機械染みた声がして閉じた目を開く。
「初めまして。私はオルゴール試験体No.001、緋月と申します。以後、お見知り置きを。御主人様」
そこには先程までの黒髪の『和風少女』ではなく、虚無の瞳と透き通った白銀の髪をした、『洋風少女』がいた。