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京都にての物語

平安神宮~どれも運命~

作者: 不動 啓人

 陽射しの差し込む小会議室。白を基調としたシンプルな内装。シンメトリーに配置された机と椅子。

「君には今回のプロジェクトから外れてもらうことにした」

 向かい合った上司からの突然の宣告。

「どうも君はスタンドプレーに走る傾向があるようだ」

 上司に意見した報復か。

「けどねぇ、これでも僕は君の能力を買っているんだよ。それでだ、君には山添君のサポートに回って貰いたい。存分に力を発揮してくれよ」

 納得いかない命令に反論しようとしたが、

「君も働き詰めだから疲れているだろう。少し休暇でも取ってみたらどうだろう」

 上司の皮肉な笑みが、最早手遅れであることを告げていた。

 上司は部屋を出ようと扉を開けた。

 悔しさと――悔しさと、そして虚しさの中、せめてもの抵抗とばかりに、

「じゃあ、京都でも行ってきますかねぇ!」

 思ったよりも大きな声になってしまったのは、理性の敗北だった。

 一人部屋に取り残された御蔵直志みくらなおしは、無気力に椅子に座り白き天井を仰いだ。


 陽射しを照り返す白砂利を敷き詰めた地面。朱と緑に彩られた鮮やかな外観。シンメトリーに配置された龍と虎。

 直志は今も座ったままで仰ぎ見ている。ただし、ここは会社の小会議室ではなく平安神宮へいあんじんぐうの蒼龍楼の袂。視線の先には、初夏の青空が広がっていた。

 無情の宣告の日から数日、直志は精一杯吐いた悪態通りに行動していた。プロジェクトを外されて周囲から受けた同情に対する苦し紛れの見栄を張った結果だった。そもそも、なぜあの時京都という地名が口から出たのか。それは前日、たまたま京都スイーツの特集をテレビで見たからだ。次に直志が関わるプロジェクト、それは若い女性向けの新たなるスイーツ専門店立ち上げというものだった。せめて最後に何かを言わなければ、そう迫られた瞬間、直志の脳は間近な記憶を手っ取り早く引っ張り出してきたという訳だ。

 入社から三十歳間近の今まで、どちらかというと男性向けの商品に携わることが多かった直志にとって、女性向けの、ましてやスイーツなど畑違いも甚だしかった。更に直志の悩みはプロジェクトメンバーが直志意外全て女性という点だ。今の時代、男だ女だというのは時代遅れの考え方なのだろうが、それでもやり辛いものはやり辛い。

 仕打ちへの不満に、閉ざされた未来への不安。

 京都に来ても行き場がないので、とりあえず有名なスイーツを扱う店の前に立ってはみたが、若い女性で賑わう店内に男一人で入る気にはなれず、未だ腹の底から湧き出る悔しさが店から足を遠ざけた。そして歩き、歩いて偶然辿り着いたのが平安神宮。

 平安神宮が造営されたのは明治二十八年(一八九五)。平安奠都へいあんてんと千年記念祭に合わせ、平安京は大内裏だいだいり朝堂院ちょうどういんを模して平安京の創始者である桓武かんむ天皇を祀る神宮として創建された。以降、京都市民により平安講が組織されるなど京都を代表する神社の一つであり、京都三大祭の一つとして知られる時代祭なども平安神宮の祭礼の一つだ。

 直志は幼き頃、一度平安神宮を訪れたことがあった。訪れたといっても、正確にいうと応天門おうてんもん前の道路をバスで横切ったことがあるというのが正しい。その時直志は平安神宮の応天門を見てこれが十円硬貨に描かれている建物なのだと思い込み、後日の小学校で十円硬貨を手に自慢していた記憶が残る。実は十円硬貨の絵柄は平等院鳳凰堂びょうどういんほうおうどうであるというのを知ったのは中学の頃だったか。そんな思い入れがあった為に懐かしさを覚え、直志は平安神宮内に入り、参拝したところで歩き疲れて蒼龍楼せいりゅうろうの袂に腰を下ろしたのだった。

 ここまで辿り着いてはみたものの、この後の予定がない。京都好きの同僚に京都を一泊二日では足りないといわれたので二泊三日の予定で宿の手配も済ませているが、いっそ土産だけを手にこのまま帰ってしまおうかとも考える。

 数刻、ただ無為な時間だけが過ぎていき、直志は意志のない定まらぬ視線を周囲に投げかけるばかりだったが――その最中、直志は一つの偶然を見出した。それは直志が座っている正反対側、蒼龍楼に対峙する白虎楼びゃっころうの袂に直志と同じように腰を掛けた一人の女性だった。無気力に猫背だった直志の背筋が少しだけ伸びた。

 その女性を直志は見知っていた。始めは神宮道を平安神宮の方向へ向かう道すがら、直志はその女性と擦れ違っていた。ただ、この時は本当に擦れ違っただけだった。それが二度目、平安神宮の境内に入り左手にある白虎の石像を見、それでは反対の蒼龍の像も見ようと歩いていた時に再び女性と擦れ違った。この時、直志はしっかりと女性の姿を見た。歳は二十代前半だろうか。色黒の肌に均衡の取れた容貌で、ウェーブのかかった長い黒髪が軽やかに風に揺れていた。華奢な姿を胸元の開いた白いTシャツと、そして鮮やかなるオレンジの、異国の民族衣装を思わせる膨らみのあるズボンで着飾っていた。特にインパクトだったのがそのズボンで、その鮮やかなるオレンジこそが二度目の擦れ違いだと認識させた。ただ、その鮮やかさが彼女には似合っている。似合っているどころか、とても魅力的だった。

 三度、女性は直志の認識の中に入った。途端に直志は女性を意識し、鼓動が早まるのを感じた。が、次の瞬間にはビジネスで鍛えた理性がこの偶然という事象を分析にかかる。

――偶然は確率の問題であって、それ以上でもそれ以下でもない。運命という言葉は、人間の都合的な後付でしかない。だからここで俺の取るべき行動を限定するものではない。

 簡単にいってしまえば、見知らぬ女性に声を掛けるのに不慣れなだけだった。けれども理屈を超えて、直志の衝動は徐々に動き出そうとする。

――それならば、逆に運命を否定することもできない。

 直志は決して奥手ではない。見栄が軽はずみな行動を抑止しているだけだ。だからその抑止さえも跳ね除けてしまうような衝動さえあれば――

 どこか遠くに向けられた女性の視線は、誰かを待っているような仕草だ。運命の時は限られているように思われ、直志は声を掛ける正当な理由を探す。こんな時に正当な理由もないものだが――直志は、まさに運命を我がものとした!

――そうだ、仕事の協力をして貰おう!

「今度若い女性向けのスイーツの店を立ち上げる仕事に携わることになったので勉強になるようなお店を探しているんですけど、どこかお薦めのお店はありませんか?」

 そんな文句が雷撃のように脳裏を駆け巡る。

 こうなると運命の逆流はプロジェクトを外された経緯をも飲み込み、それに伴い新たなプロジェクトに参加することになったのもまた運命だったのかと思われ、ここで初めて、直志は新たな仕事を肯定するに至った。

 後は一歩を踏み出せばいい。踏み出してしまえば勢いのままに女性の前に立つだろう。 そして慣れた素振りで声を掛ければいい。

 直志は立ち上がった。玉砂利を踏み締める一歩目は力強かった。顔を前方に向け、ただ女性を見詰め一直線に進んだ。

 丁度本殿の前まで来た時――運命の時間は儚くも潰えた。女性に駆け寄る若い男性。跳ね上がるように立ち上がり、満面の笑みで迎える女性。二人は手を繋ぎ境内から足早に去っていった。直志は立ち止まり、その光景をただ見送った。

 初夏だというのに陽射しの鋭さは直志の心までを必要なまでに刺すようだった。

 直志は――俯き、笑った。最初、それは自虐の笑みだった。見事なまでに『運命』という言葉に翻弄され理性を失った自分が可笑しかった。ついで、これが一目惚れというやつかと多少欺瞞的ではあるが新たな発見に新鮮な喜びを感じた。そして最後、どんな形であれ、あれほど不満だった新たな仕事に一瞬でも意欲を抱いた自分に気付いたから。それもまた自虐的ではあるのだけれど、諦めが生む現状肯定によって視界を塞いでいたのが自分の手だったことに気付いた、その可笑しさ、くだらなさ。

 直志は天を仰いだ。

「結局は、どれも運命か」

 既に起きてしまったことを過去に戻って取り戻すことは出来ない。不満を抱き、嘆き悲しみ、他力本願では結局なにも始まらない。与えられた情況の中でいかに現状を受け止め、最善を尽くすかということ以外に自分を活かしていく方法はない。それが運命を受け入れるということだ。

 直志が今、平安神宮にいるのも運命――

 直志のこの後の京都での予定が決まった。

――とりあえず片っ端から食べてみるか。

 これも何かのご縁と、もう一度本殿に入った直志は因縁の十円玉を賽銭箱に落とし二礼の後に拍手を二つ鳴らして願った。

――新規プロジェクトの成功!

 祭神である桓武天皇といえば平安遷都を行った天皇だ。それはまさに当時の新規プロジェクトであり、今に至る京都の礎を築いたことを考えれば霊験はあらたかか。

 そんな連想には至らなかったが、直志は心晴れやかに一礼をして平安神宮を去った。

 京都の街を照らす太陽は、まだまだ沈まぬ気配だ。

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