#4 夢
「何で……」
ふいに、裕也が呟く。夢かと思い、目を閉じて再度開いても先ほどと同じ光景。
「何でだよ……」
「さっきまで、普通の学校だったよな?」
がくんと膝が地面に付く。
気持ち悪い。
汚い。
眩暈がする。
「さっきまで、だ。」
冷静に亘屡が言った。まるで信じられないとでも言うような眼が、亘屡を見る。
「さっきまでは普通だった。でも今は……」
亘屡は震えを隠すように掌を握り締めた。眼前に広がる紅。
急に襲ってきた圧迫感に、息が詰まる。先ほどまで広がっていた紅に重なるように裕也が亘屡の前に立っている。
「……離せよ。」
「お前……っ何でこんな状況で笑ってられんだよッ!?」
「笑ってる?……俺が?」
「他に誰がいるんだよっ!!」
胸倉を掴んでいる手の力が、強くなる。亘屡はゆっくりとした動作で自分の口元に触れてみた。
少しだがつり上がっている口の端。口元を隠すように掌で覆うと一気に嘔吐感が込み上げてくる。
「ぐっ……」
喉まで上がってきたそれを何とか抑え、口から手を離した。それとほぼ同時に裕也の手が離れる。
ゲホと何回か咳き込み、亘屡は視線を足元へと移した。つぅと流れてくる血に躊躇いも無く足を踏み入れる。
「…黒い、太陽……」
「は?お前何言ってんだよ……」
心配半分、驚き半分で亘屡の顔を覗き込んできた裕也の表情が固まった。
『ねぇ、カイ。黒い太陽って知ってる?』
『黒い太陽?何だよ、それ。』
『何かさ、それに魅入られると死んじゃうんだって。爺様が言ってたよ?』
『お前なぁ…爺の言ってることいちいち間に受けてどうすんだよ。』
「うわぁぁぁ!!」
「お、おい!亘屡!?」
頭の中に流れ込んできたモノに、亘屡は絶叫した。見た事の無い風景、見た事の無い女。
『カイ』
「あ、あぁ……ッ」
自分の重さに耐え切れず、思わず膝をつく。震える手で頭を抱え込み、俯いた。まるで首を締められているかのように息が出来ない。
「わたるっ…!亘屡!!」
「来るなっ…来るな来るな来るなぁ!!」
パシと小気味よい音が、廊下内に反響する。のろのろとした動作で手を多少赤らんでいる頬に添えた亘屡は、信じられないとでも言うような表情で裕也を見上げた。
「落ち着け、亘屡!!!」
「裕、也…?」
「何言ってんだよ黒い太陽だかなんだか知らないけどなぁ!!今はそんなこと言ってる場合じゃないんだぞ!!」
周り見ろよ、と怒鳴られて亘屡は焦点の定まらない瞳で、辺りを見回した。そしてヒッと、喉奥で声にならない悲鳴を上げた。
ドアに付着している血液に混じる肌色の肉片。手すりに引っかかっている長い髪。それに重なるように乗かっている明らかに先程まで血が通っていた腕。
生徒の物と思われるシルバーのフレームの眼鏡。
「ここ、学校だぜ?」
「…………ッ」
「さっきまで、みんな生きてたんだ」
「……みんな、生ない」
「学校で生き残ってる俺たち以外は…全滅だろ」
何で、と言いそうになって口を噤んだ。心臓の音が聞こえてくる。誰の心臓の音だ。
………俺?
これは、俺の心臓の音なのか?
ワイシャツの胸の辺りを力強く握り締める。すると急に冷たい感触が肌を伝わってきた。
オマエガ……
―――――――え……?
コロシタ
白の布が、赤く染まっていく。別に怪我をしたわけでも、なんでもないのに。
「う、ぁ……」
「亘屡?……どうしたんだよ……」
眉根を寄せた裕也は、亘屡の手を引いて昇降口まで連れていく。大きく息を吐き、ワイシャツを見ると先程まであったはずの染みが消えていた。
所々に散らばっている死体を避けながら、一歩一歩と昇降口まで向かう。
「…なぁ、裕也」
「何だよ」
「何でそんなに…冷静でいられるんだよ?」
その質問に、裕也は足を止めた。つられて足を止めた亘屡は不思議そうに目を細めた。
「答えたら…俺の質問にも答えてくれるか?」
一瞬目を見開き、頷く。裕也は溜息を吐くと亘屡に向き直った。
「…こうなるかもしれないって、思ってたんだ」
「は?」
「だから!…こんな風になるって、思ってたんだよ」
「なん……」
「夢」
その言葉に、息を飲む。体中の汗腺から、汗が吹き出しているのが分かる。
「前々から変な夢見て…学校で、こんな風になって…お前と逃げてるって変な夢。まさかとは思ってたけど現実になっちまうなんて……」
「……そう、か」
亘屡は首を横に回して空を見上げた。雲ひとつない快晴。ただ何時もと違うのは。
(…音が、聞こえないな)
何時も喧しいくらいに聞こえてくる鳥の囀りや、近くの公園で遊んでいる子供の騒ぎ声。
その子供たちの見張り兼近所の奥様連中との世間話の声。車のエンジン音や工事現場の音。
この世の音と言う音が何にも聞こえてこない。
「こっちから質問だ」
「ぁ…?」
「何で…何でさっき…笑ってたんだ?」
『……離せよ』
『お前……っ何でこんな状況で笑ってられんだよッ!?』
『笑ってる?……俺が?』
『他に誰がいるんだよっ!!』
「……分からねぇ」
「分からねぇって……あの状態で冷静にいるよりも笑ってるほうがよっぽど可笑しいぜ?」
呆れたように言葉を出した裕也はまるで、辛いのを我慢しているようだった。