8.約束
むせかえるような白い花びら。甘い聖花の香り。
突然空から降り注いだそれに、リオンは呆気に取られていた。
隣で、ガルドがミリアに魔法を撃つように指示し、ミリアがそれに従う。
放たれた魔法の矢は簡単に弾き返され、上空の二人は去って行く。
風が吹く。リオンの髪にも、花びらが降り積もった。
(フェリス様……)
魔法を撃ち終わったミリアが、肩を落とした。
周囲では、人々が聖女様の加護だと喜んでいる。地面に落ちた花びらの下からは、あっという間に緑が芽生え、花が咲く。白い、聖女の象徴の花。
王都が花に包まれて行く。
「フェリスお姉さま、いっ、行っちゃっ……ききき、きれい……」
ミリアも魔道杖を握りしめながら、空を見上げている。
「なあ、リオン。フェリス様ってよ……」
「俺は!」
ガルドの言葉を遮り、リオンは歯を噛み締めた。
「俺は、約束を違えたりしない」
「良いのか? その約束自体が、間違ってるってことぁねぇのか?」
「……魔王を封じた大聖女だぞ」
間違っているわけがない。フェリスの人となりは良く知っている。
神から力を与えられた同志であり、友人。ともに旅をし、戦った仲間。
彼女の気さくでありながら慈悲にあふれた心は、誰よりも理解している自負がある。
「お前さんはさ」
ガルドが舞う花びらを捕まえ、リオンの前に差し出す。
「これが聖花に見えないわけ? 聖花は、聖女だけが咲かせることの出来る花だ」
「フェリス様は闇堕ちしている。お前たちにもわかるだろ」
「そりゃまあ……」
ガルドもミリアも、光属性。闇の気配には敏感だ。
「ででででもフェリスお姉さまにはっ、聖力まだああある、よ……」
「だけど俺達は約束した。大聖女フェリス様と」
「ああ。フェリス様との約束にも、お前の正義にも、従うさ。あの時とは違うのは重々承知しているからな。だが、気は進まねェな」
ガルドの言いたいことはわかる。リオンだって同じ気持ちだ。
だが、勇者としてこのままにしておくわけにはいかない。
フェリスは闇堕ちし、魔王と行動をともにしている。あまつさえ、世界を滅ぼすと言い放ったのだ。
フェリスは、世界の敵になった。
「こここれからどどうするの……? 飛んで行くの無理だよぉ」
「ま、そうだな。けど、あの様子じゃあまた王都を襲撃しに来るんじゃねェか?」
「そうだな」
王都から逃げ出したのに、二度も戻って来ている。フェリスの中に、王都への執着があるのかもしれない。
いや、むしろ王都ではなくフェリスを断罪した王や、王命で討伐を決行した自分達に怒りが向いているのかもしれない。
(その方がいい。俺たちを狙って来てくれた方が……)
今のところ、フェリスだけならなんとかなる。フェリスが完全に闇に呑まれる前に倒すのが最も被害が少ないはずだ。
魔王は正直未知数だ。あの魔王は、これまでとはなにかが違う。リオンの直感が正しいなら、その魂は、リオンの知る魔王とはなにかが違っている。
どちらにしても、フェリスが闇魔法を失敗する今のうちに討伐する方がいい。
まだ白い花びらは降り続けている。人々の顔は、聖女の祝福だと喜び明るい。
彼らがなにも知らないうちに————。
「俺は戻る」
甘い聖花の香り。まるでフェリスそのもののようなこの香りがつらい。
これから討伐する相手にまだ聖力が残っているなど、なにかの間違いであって欲しかった。
完全に闇堕ちしていてくれたなら、躊躇わずに約束を果たせるのに。
(いや、こうなることも予測済みだったのかもしれない。その上で魔王を……)
あの時フェリスが魔王を封じてくれなかったら、皆死んでいた。フェリスは命の恩人であり、リオンの中の英雄だ。気なんて進むわけがない。
だが自分は腐っても勇者。フェリスにも勇者として約束を果たしてくれると、そう期待されて……。
踵を返すと、ガルドが呼び止める声がしたが無視した。
(フェリス様、俺はあなたとの約束を必ず果たす)
勇者として、それがフェリスの恩に報いる方法だと信じる。それを望んだ彼女の想いを叶えよう。
どんなに、自分がつらくとも。
* * *
周囲は暗く、見通しがきかない。そもそも、なにかがあるのかさえわからなかった。もしかしたら、なにもないのかもしれない。
そこに広がるのは虚無だった。
(どうしよう、どこから……?)
その虚無の中を、フェリスは歩いていた。気が焦る。
どこからか、泣き声が聞こえるのだ。その声の方へ向かっているはずだが、なにぶん周囲が暗くて正しい方向へ進んでいるのかもわからない。
とにかく、耳を頼りに歩く。
「ねぇ、どこなの?」
声をかけると、泣き声が途絶える。しまったと思ったが後の祭り。
警戒してしまっただろうか。
「わたしはその、怪しい者じゃないのよ⁉︎」
暗がりの向こうで、なにかが動いた気配がした。そちらへ身体を向ける。
驚かさないよう、足を止めて様子をうかがう。
「あなたが泣いてるから、どうしたのかと思って。わたしに力になれることがある?」
「……ぼくのママは、どこ?」
幼く細い声。その声にぎゅっと胸が締め付けられる。
フェリスはそういう子どもたちの声をたくさん聞いて来た。孤児院で育ったフェリス自身も、かつてその台詞を言ったうちの一人だ。
わたしのママは、いつ迎えに来るの? そう孤児院のシスター達に聞いては困らせていた。
「ママを探しているの?」
「うん……」
一歩、声の方に足を踏み出す。もう一歩。
「ぼく頑張ってて……でも誰もいないの。ママも……ぼく……もうやだ……」
「そう、頑張ってるのね。えらいわ」
さらに一歩、また一歩近づく。
やがて、地面に膝を抱えて座る小さな影が浮かんだ。
側に歩み寄る。幼い男の子だ。十歳前後の年齢に見える。
「ママを探しに行きましょう。きっと、ママもあなたのことを待ってると思うわ」
跪き、男の子の頭をなでる。
フェリスを見上げて来た瞳には、涙が浮かんでいた。それを、そっと拭う。
「いっしょに……?」
「ええ、一緒に」
「ほんと……?」
「うん」
頷いて笑って見せる。
驚いて見開いた男の子の瞳に、再度涙が浮かんだ。たまらず、両手を差し出し彼を引き寄せた。胸に抱く。
「一緒に探しに行きましょう」
「うん」
胸の中で頷いた男の子が、フェリスを見上げた。その幼い口角が上を向いた。
にやりと嫌な笑みを浮かべ——フェリスの胸に鋭い痛みが走った。
「————ッ⁉︎」
脳天に突き抜ける痛みに声も出せない。冷や汗が吹き出す。胸に当てようとした手のひらは、そこにあるものに阻まれた。
視線を胸へと向ける。そこには、男の子の腕がめり込んでいた。
そこから、男の子の抱える膨大な悲しみがフェリスに流れ込み、息が吸えなくなる。
あまりにも大きすぎる悲しみ。知らずフェリスの瞳から涙が一筋ほおを伝った。
「いっしょだよ……」
男の子が、フェリスの胸に突き刺した腕をさらに押し込む。
悲鳴すら出せない痛みに喘ぐ。それでも、フェリスは男の子の頭をなでた。
「うん。一緒に探しに……行こ……」
意識が遠くなって行く。母を呼ぶ男の子の声が、フェリスに耐えがたい悲しみを注ぎ込む。
気がおかしくなりそうな、あまりにも膨大すぎる悲しみ。
「いっ、しょに……あなた、の、ママ、を……」
「フェリス様⁉︎」
突然、男の子が知っている声を発した。それはフェリスが今、唯一信じられる声。
「フェリス様!」
男の子がフェリスの身体を揺らす。視界が霞み——そしてフェリスは目覚めた。
「推しの寝起き……って、フェリス様大丈夫ですか? ずいぶんうなされてましたけど」
「ん……」
どうやら眠っていたようだ。ベッドの横には、子供姿のマオがいる。
窓の外は白み始めていた。
「んん、なんだか悪い夢を見た気が……でも、忘れちゃった……」
「悪夢なんて忘れるに限りますよ」
にこりと笑いかけて来たマオに、ほっと息を吐く。
そうだ、覚えていたところでただの夢だ。
ベッドの中で身じろぎをする。安心したら、まぶたが重い。
「どしてここ、に……?」
「いや推しの寝顔をこっそり見に来たわけでは決して」
「マオくん、ありがと……」
だめだ、まだ眠い。
聖女として働いていた頃は寝る時間も惜しんだものだ。だが、一度ぐっすり睡眠を取ると、またそれを欲してしまう。
マオの小さな手が、フェリスの頭をなでた。その感覚に、心地良さを感じてまぶたを閉じる。
「おやすみなさい、フェリス様」
「うん……」
そのまま再び、フェリスは眠りに落ちて行った。
* * *




