5.魔王城にて、フェリス担に貢がれる
「はい、あーん」
「〜〜〜〜ッ」
羞恥心をぐっとこらえ、フェリスは口を開いた。そこへ、甘いパウダーをまぶされたまあるいクッキーがそっと押し込まれた。前歯で挟むと、あっと思う間もなく崩れて口の外にこぼれる。
「ひゃ……!」
口を手で押さえるがもう遅い。胸元に散らばったクッキーを慌てて手で払い、はっとする。
「ご、ごめんなさい! 床に落としちゃった! せっかくのスイーツをこぼすなんてッ」
「えへへまだまだありますしかわいいから許しますというか喜んで掃除します! 推しに尽くせるのはご褒美でしかありません!」
きっぱりと言い切り、マオが自分の前にだけ置かれたクッキーをつまんだ。再度差し出す。
「はい、あーん」
「も、もう!」
鼻先に突き出されたクッキーのいい香りに抗えず、また口を開く。なにせ、スイーツなんて食べて来なかった人生だった。甘い香りだけで引き寄せられてしまう。
今度はちゃんと口の中でほろほろと崩れて、良い香りが胸を満たした。
思わず、ほおがゆるむ。
「おいひぃ……」
「推しがかわいすぎる」
にこにこと笑ったマオの顔は、フェリスの視線より低い位置にあった。子供の姿だ。
魔王城に来てすぐ、フェリスは眠りに落ちた。
空でぐすぐす泣いていたら、泣き疲れてしまったのだ。そのままベッドの上に降ろされ、ぐっすり眠ってしまった。
目覚めてすぐは、ここがどこだかわからなかった。
ベッド脇の椅子に座ってにこにこしている子供姿のマオがいたから、なんとか魔王城だと思い至ったほどだ。
魔王は闇属性なのに、魔王城は思いの外きらびやかだった。
朝食に誘われ、もちろん空腹だったフェリスはすぐに頷いた。料理はやっぱり初めて食べる美味しさで、味わいながらゆっくり食べた。
そして、魔王城のテラスに席を移し、デザートタイムとなったのだ。
魔王城の下に広がるのは、豊かな森林。森の向こうに、闇の結界が揺れている。その眺めが、フェリスの心をゆるませた。
「ねえマオくん。自分で食べるってば」
「推しにあーんが夢だったんですけど、嫌ですか……?」
黒水晶のテーブルに両肘を付き、マオが手を組んだ。うるうるとした子供の瞳で見上げられ、うっと言葉に詰まる。
「そそそそんな目をしても! マオくん大人なんでしょ⁉︎」
「いやまあ、そうなんですけど」
えへへと笑うマオに、つい額に手を当ててしまう。やっぱり夢ではなかった。
昨夜の大人マオを思い出し、顔から火が出る。あんな艶めいた大人にあーんをされているかと思うと、さすがに恥ずかしい。
「マオくん、幾つ……?」
「桜井真生としてなら、十九歳ですね。フェリス様と同い年です」
「そそそうなんだ……」
魔王が同い年だったとは。
最初の出会いがあの大人バージョンだったら、いくらなんでも警戒していただろう。
結果的には、良かったのかもしれない。
「大人バージョンの方が良かったですか? 大きくなります?」
「い、いいいやいい! そのままで!」
あまつさえ、今あーんなどということをしてもらっているわけで。
それを大人マオで想像すると、さすがに落ち着かない。というか無理だ。顔の良い男はリオンで見慣れていると思っていたが、黒髪だと全く印象が違う。
「なんで子供の格好してるのよっ」
「いやー、なんかこっちの姿に引っ張られるんですよね。レクイエム・オブ・ダークネスの魔王に影響を受けてるのかも」
「影響? というかそれ、ゲームって言ってたわよね? 本当に頭大丈夫なの? 打ったりしてない?」
ゲームはわかる。孤児院にいた頃は、いろんなゲームをして遊んだ。
例えば石で石を弾いてたくさん動かせた子が勝ちとか。裏を向け積み重ねたカードをめくって行って、あらかじめ決めた絵柄が出たら勝ちとか。
貴重なおやつ(干し芋とか)をじゃんけんで賭けたりもした。
そういうゲームとこの世界を同列にしている。正常ならありえない思考は、本当に心配になってしまう。
「僕、至って正常なんで。ひとまず、なんかそんなもんかぁって感じで聞いて欲しいんですけど」
「う、うん……」
「レクイエム・オブ・ダークネスは、闇の安息を願うダークファンタジーのゲームです。これが知る人ぞ知る名作で……! じゃなくて。このゲームのラスボスが魔王です」
「なんか、わたしの知ってるゲームと違う」
マオの言うことを信じるなら、聞いたこともない日本という国は、こことはまるで違う世界のようだ。
「はい、あーん」
「も、もう! ありがとう……」
口を開くと、またクッキーが差し込まれる。
美味しい。世の中にはこんなにも美味しいものがあったのだ。ずっと。
「小説みたいなものだと言えば良いかな? それで少しは想像付きます?」
「小説……そう、ね。まあそれならわかるわ」
つまりマオは、小説の中の世界に入ってきたと思い込んでいる、と。
ちょっと重症かもしれない。
「で、魔王は昨日フェリス様も見た大人の姿なんですけど。実は、その核は子供なんですよ」
「子供……」
なんだか嫌な感じがする。
「子供の魂に世界中の苦しみや憎しみを背負わせて、世界を平和に保っていたんです」
「ひどい」
胸が疼く。そうだとすれば、魔王はなにも悪くないではないか。
なんだか、息が苦しい。話を聞くだけで、フェリスの胸も締め付けられる。
「そんなのひどいわ」
「推しの心が綺麗過ぎて尊い……。まあ、そうですよね。ひどいんです」
世界中の苦しみを背負ったら、魔王になるのも無理はない。世界を滅ぼしたくもなるわけだ。
そう思うと、なんだか自分と魔王がちょっと重なる気がした。
みんなのために、身を粉にして働いていた。みんなの苦しみを軽くするために、そうとは気付かず自分を犠牲にしていた。
やっぱり、こんな世界は壊れてしまえばいい。
「だから、僕も子供の姿に引っ張られちゃうのかなぁって。こっちの方が楽なんですよね」
「まだ信じたわけじゃないけど、一応、そうなのねと言っておくわね?」
「ありがとうございますフェリス様。はい、あーん」
「あ、ありがと……」
再びクッキーをサーブされ、おとなしく口を動かす。
とたんに、息苦しさが消えていく。
「で、問題なのはここからですよ。その魔王を倒すことで世界に再び苦しみを解き放ち、魔王を解放してやろうというのが、レクイエム・オブ・ダークネスのストーリーです。それを成し遂げるのは、勇者リオン」
「リオン」
「そして僕たちは、勇者には勝てない」
「えっ」
もちろん、フェリス一人でリオンたちに勝てるとは思っていない。逃げ出したものの、いつかはと思っていた。だからこそ、その前に復讐してやると。
魔王マオに出会って、少しだけ希望が持てたのに。
「だって僕の方が絶対に強いんです。なのになぜか手加減して勝てなかった。でもこの世界はそうなんだ。勇者が主人公の、勇者が闇を砕き魔王と世界を救う物語なんだから」
にわかには信じられない内容だが、マオは大真面目な様子だ。
「フェリス様だって、闇魔法失敗しちゃってますよね?」
「そ、そうだけど……」
王都から逃げる際も、闇魔法の発動はおかしかった。最終的には、姿が見えなくなるくらいの花吹雪が出て、くしゃみが止まらなくなってしまった。
くしゃみしながら走って逃げおおせたが、花吹雪の量を調節出来たわけではない。もっと少なかったら多分だめだった。
「なので、そこそこ作戦はいるかなって。でも、そもそもレクイエム・オブ・ダークネスではフェリス様は闇堕ちしません。どうしてかわかりませんが、シナリオが違っている。絶対勝てないってことはないと思います!」
「う、うーん……」
信じられない話だが、一定の辻褄は合っているような気もしてうなる。
「推しのためなら変えてみせますっ!」
ふんっ、と鼻息荒く言い切ったマオが、にこりと笑った。
「というわけで、まずは推しに貢ぎたい! はい、あーん」
「くっ……ありがと、おいし……」
子供にあーんされているが、この子供は大人で……なんだかわからない恥ずかしさが込み上げほおが熱い。
しかし、スイーツには変えられない。世界を滅ぼす前に全部味わい尽くしてやる。
「えへへ、かわいい……」
「もう、そんな見ないでよ!」
マオの視線を遮ろうと顔を手で隠そうとし、引いた腕に紅茶のカップが当たる。
がちゃんと音を立てて倒れたカップから、テーブルの上に紅茶が広がった。
「きゃー! や、やだまだ飲んでないのに!」
慌ててカップを元に戻すが、もうほとんど残っていない。
「やだやだもったいない!」
「新しい紅茶すぐ淹れますから大丈夫です! 推しのためなら何杯でも!」
「でも!」
こぼれた紅茶を手で集めてすくえないか試すが、出来ない。
「も、もう……! わたしの不注意だけど、なんか本当に運悪くてやだ!」
「フェリス様これで拭きますから」
どこから取り出したのか、マオが白い台拭きでテーブルをさっと拭いていく。
茶色く染まった台拭きに染み込んだ紅茶は、フェリスの口に入ることはなくなってしまった。
……泣きたい。
「しょんぼり……」
「落ち込む推し尊い。また入れますから気にしないで」
「でも」
「こんなの誰でもやりますって。ほら、手を出してください」
新しいハンカチを取り出したマオが席を立ち、フェリスの側に歩み寄る。
大人しく紅茶で濡れた両手を差し出すと、マオが丁寧に拭ってくれた。
その優しさに救われる。
「あ、ありがとう……」
「フェリス様が搾取されてたのも運の悪さも、もしかしたら補正がかかっているのかな……? でも、それだと闇堕ちが組み込まれてたみたいで違和感あるし……」
「え?」
「いえ、まだ確信はないので気にしないでください」
意味深な言い方だが、マオの妄想かもしれないのでそのまま流す。
ここがゲームの世界だと言うのもまだ信じられない。
それでも、フェリスを信じてくれるマオのことは信用してもいい気がする。
「僕、いっぱい美味しいもの貢ぐんで!」
「う、うん」
にっこり笑ったマオに、フェリスも笑う。紅茶はもったいなかったが、仕方がない。
とりあえずは作戦会議だ。スイーツを食べながら!
「まずは王都を——」
「花畑にしちゃうかも⁉︎」
ぷっと吹き出したマオにつられて笑う。花も多過ぎれば害だろう。
なんだか久しぶりに心から笑った気がする。
「よろしくね、マオくん」
* * *




