3.祈りのシュークリーム
夜になり人気のなくなった広々とした公園のベンチで、フェリスはマオの手を凝視していた。
その手の上にある白い塊が、暗がりの中で輝いている(ようにフェリスには見えた)。
「はい、これ」
「……祈りのシュークリーム!」
マオが差し出した包みを受け取る。中には、ふわっと綺麗に膨らんだシュークリーム。
まるで祈りそのもののような白いシュー生地からは、甘い香りが立ち上っている。
夜の王都は、そこかしこに明かりが灯り、まだまだ賑わいを見せていた。
カフェ〈聖夜の灯火〉も、大勢の人々——主にカップル——で人足は多い。
さすがに神殿近くなのもあり、店内で食べるのは憚られテイクアウトして来た。二人とも外套を羽織り、フードをかぶっている。なかなか怪しいが、まだ咎められたりはしていない。
ちなみに、この外套はマオが魅了の力を使って手に入れたものだ。お金はちゃんと払ったと言うが、綺麗な顔は伊達ではないらしい。
「い、いいの? 食べても?」
シュークリームを包む手が、ふるふると震える。力加減を間違えて潰してしまいそうで怖い。
「そのために買って来たんですよ」
フードの下でにっこり笑ったマオが、隣に座った。悪い魔王じゃないって言葉を信じたくなる、まるで天使のように愛らしい笑顔だ。
それを確認して、ごくりと息を飲んだ。ゆっくりと口を開く。
鼻腔をくすぐる甘い香り。ふわんとしたシュー生地は歯を使うまでもなく破れ、中に入っているカスタードとクリームを舌の上に送り込んだ。
「ん〜〜〜! おいひぃ」
世の中にこんなに美味しいものがあって良いのだろうか。
「どうしようマオくん。すごく美味しい」
「良かった! 食べて食べて」
「でも食べたらなくなっちゃう!」
手の中で、黄金色のクリームをのぞかせた祈りのシュークリーム。
短時間で食べてしまうなんてもったいない。
「と言うと思って、おかわり買って来てあるから」
ふふふと笑ったマオが、外套の下から紙袋を取り出した。口を開いて、中を見せてくれる。
そこには、祈りのシュークリームがあと四つ入っていた。
「マオくん……!」
「いやあ、思ったより喜んでくれてて嬉しいです」
「だって、こんな高級なもの食べたことなくって……クリームもカスタードも生地も、全部聖水を使って作ってるから」
「いやその聖水作ってたのフェリス様でしょ?」
はっとする。そう言われればそうだった。
聖水作りは、聖女の仕事の中でも毎日行う大事な仕事だ。聖水はとにかくなんにでも使える。邪を祓うことも出来る。料理に使えば味が際立つし、植物に使えば育成が良くなる。
飲用水として飲むだけでも聖なる加護を得られるとあって、聖水は大人気だ。
「そうだけど……でもスイーツって高いの」
「フェリス様、大聖女ですよね? ちょっと金銭感覚おかしくないですか?」
「おかしくないわよ⁉︎ むしろ、聖女の力を見出されるまで貧乏生活長かったからマトモよ⁉︎」
はあ……とマオがため息をついた。
「それはたぶん、マトモではないと思います。もちろん、それはフェリス様の優しく美しく気高い心ゆえだと思いますが……推しの心が美しすぎて苦しい……」
胸を押さえたマオから目を逸らす。
マトモではないと言われて、否定できない自分もいる。貧乏人時代も、聖女になってからもほとんどお金を得たことがない。つまり、自分の金銭感覚は、貧乏が基準。
「だって……」
気づいてしまった事実にむくれながら、そっと一口祈りのシュークリームを口に運ぶ。
とたんに、とろけるような甘さと芳醇な香りが思考を溶かした。
美味しい。あと四つあるとは言え、やっぱり食べ終わるのがもったいない。
「足りなかったらまた買って来ますから、どんどん食べてください! 推しに貢ぐために魔王してるようなものなんで!」
「ほんとに⁉︎ こんな美味しいものが食べられるのなら、世界滅ぼすなんてやめようかなぁ……って、いけない祈りのシュークリームに懐柔されるところだった!」
「されてもいいと思いますけど……」
「魔王がなに言ってるの⁉︎」
「ですよね」
あははと笑ったマオに、変な魔王ねと言いつつまた一口食べる。そのまま、一つ目の祈りのシュークリームを黙々と口に運ぶ。
クリームとカスタードの食感も滑らかですごくいい。それだけで幸せな気持ちになれる。
「はい、どうぞ」
二つ目を差し出して来たマオから、素直に祈りのシュークリームを受け取った。
マオにも食べるように促すと、嬉しそうな笑顔で祈りのシュークリームを手に取り頬張った。美味しいと子供らしく目をキラキラさせたマオに、フェリスも自然とほおがゆるむ。
「マオくん、わたしが断罪された理由聞いてくれる?」
甘いスイーツに気がゆるんだのかもしれない。つい、そんなことを口走ってしまう。
マオは信じてくれると言った。マオは、闇堕ちした自分と同じ側の存在。
なにより、祈りのシュークリームを買ってくれた。
「はい」
「わたしね、聖力を持ってるってわかった時ね、人のためになれる! って、すごく嬉しかったの。だから喜んで働いたのよ。みんなすごく感謝してくれて、ありがたがってくれてた。役に立ってる! って実感出来たわ」
自分のような孤児で貧乏な女でも、役に立てることがある。
それが国お抱えの聖女だった。国中の人の役に立てると思うと、毎日が輝いて見えた。途中までは。
「だけど、頑張ったら頑張った分、みんなそれが当たり前になるのよね」
「うんうん、わかる……最初はあんなにありがたがってくれたのにね……」
「そうなの。それどころか、ちょっと予定が遅れたりするだけで、責めてくるようになるのよ」
いつから、ありがとうを言われなくなったのだろう。いつから、フェリスのやることは全て当たり前になったのだろう。
気がついたら、フェリスは一人であくせく働いていた。
「貧乏暮らししてたから、スイーツみたいな嗜好品も、貰って良いのかなって思っちゃうの。スイーツをわたしに買ってくれるお金で、他の人のご飯買えるんじゃないかなって」
「うんうん」
そのお金を、孤児院へ。他の人のために使ってあげて。あなたのご飯を買う方が大事よ。
もちろん本心だ。その通りに周りが動いたことを責めるなんて間違っている。そうは思うものの、徐々に皆から蔑ろにされて行くような感じを覚えていた。
「良いんですお気持ちだけで嬉しいですって言うじゃない? もちろん本心よ? でもそれ以降、聖女様は質素倹約をお望みですって流布されてさ」
聖女様は、要らないって言うと思うよ。聖女様はスイーツはお好きじゃないですものね。聖女様は贅沢がお嫌いなのよ。聖女様に施しは要らないの。聖女様は慈悲の塊だから。聖女様は無償の愛をお持ちだから。
そんな声の中で、身を粉にして働いて……そしてなにも得られない。ありがとうの言葉さえ。
「さすが聖女様とか言われたら、引っ込みつかなくなるじゃない? 甘いものを食べてみたいとか、言い出せなくて」
「うわぁ、確信犯かな。っていうかそれはやりがい搾取って言うんですよ。許されない背徳行為です」
やりがい搾取。初めて聞く言葉だが、なにを言いたいのかはわかる。むしろ、言い得て妙だ。
「ま、まあ、背徳行為とまでは言わないけど……なんか、疲れちゃって」
思い出したら泣けて来た。
今思えば、あんなに働いていたのだからスイーツくらい食べたって全く罰なんて当たらないはずだ。
「やってもやってもそれが当たり前だし、喋るとちょっとアレだから黙ってほほ笑んでなさいって言うの。他国との交渉にも神の力だとか言って資金集めの広告塔にしてたのに、わたしの報酬食事だけよ。聖女たるものなんちゃらって……もうプッツン来ちゃって。神殿で神にあんまりだーって文句言ったら闇力が宿ったの」
聖なる神殿で、聖女が闇力を得る。なんたる皮肉。
「でも闇力って、そんな簡単に宿るようなものなんですかね?」
「え、っと……」
聖力、闇力、光力など、特別な力はある。
ただ、それは皆生まれ持った力だ。冷静に考えると、闇堕ちなどあるのかと思わないでもない。
(ううん、そんなこと考えちゃだめ)
疑問をふり払うように、ぷるぷると頭をふった。自分の身に起こったことだ。疑いようがない。
「それでね? やっぱ聖の力を持つ神官や他の聖女、勇者には隠せないでしょ? 大聖女フェリスが闇堕ちしたってんで大騒ぎ。大聖女って、大体王家に嫁ぐのよ。わたしも多分その予定で話が進んでて、でも後ろ盾のない孤児だったから、誰に嫁ぐかで揉めてたの。だから」
「国家転覆だって話にして断罪?」
「そうよ」
尽くして来た国に断罪され、仲間として共に戦った勇者一行に剣を向けられたのだ。
闇力を得たと言っても、まだなにもしていなかったのに。
「わたし、不運なのよ本当に。まずもって聖女なのに孤児院育ちの貧乏人だってことが不運だわ。これまで聖女って言ったら王侯貴族のお家芸みたいなとこあったじゃない?」
「まあゲームとかではあるあるな設定ですね。庶民だと映えないし」
「まだゲームとか言ってるけど……まあ、魔王の戯言ってことで流しておくわ」
「また心の声漏れてますよ……」
祈りのシュークリームを食べる。美味しい。美味しいから虚しい。これまで、なんにも与えられなかったことが事実だと思い知る。
「リオンなんか……あ、リオンは勇者なんだけど」
「勇者」
「そう。リオンは、正義が人間になったような奴で。闇堕ちしたわたしを本気で討とうとやって来たわ。それで逃げて来たの」
ふう、と息を吐き祈りのシュークリームを口に運ぶ。
こんな美味しいものを、みんな食べていたのだ。フェリスには、買うお金すら与えずに。
「フェリス様は全く悪くないじゃないですか。推しを蔑ろにするなんて許されません。なんなら、僕が全員潰して来ましょうか……」
ぎらぎらと血のように光ったマオの瞳に、闇力が宿っているのが見える。
フェリスが得た力と同じものだ。
「んじゃあ、世界ぶっ壊す計画から立てましょう。推しを苦しめる世界なんて滅べば良いんです! でも相手は世界ですからね、ちゃんと計画的にやらなくちゃ」
「そ、そう、ね……?」
世界を滅ぼせば、自分を断罪した奴らにももれなく復讐が出来る。一石二鳥。
自分が得ることの出来なかった美味しいもの、美しいもの、楽しいもの……得られないなら全部なくなってしまえばいい。
「そうよ、世界滅ぼすんだから!」
気合いを入れて立ち上がったその時、辺りに朗々とした第三者の声が響いた。
「そうはさせない!」




